福岡市内は午後から薄曇り。
50年前、海外での楽曲製作現場の様子が伝わってくる解説でした!
ということで、このブログでは毎週日曜日 午後2時からTokyo FMをキーステーションにオンエアされている山下達郎さんのサンデーソングブックの一部を文字お越ししています。
誤字脱字は、ご容赦くださいませ。
冒頭
達郎氏:
皆さんこんにちは。ご機嫌いかがでしょうか。山下達郎です。
毎週日曜日午後2時からの55分間は、私山下達郎がお送りいたします、楽天カード サンデーソングブックの時間であります。
東京FMをキーステーションといたしまして、JFN全国38局ネットでお届けしております。
4月の12日。
昨日、今日とですね、私、東京のSGCホール、できたばかりのホールですが、そこでライブをやって・・・今日と、昨日ですね。やっておりますので、前倒しでございます。
ですので、今日もお天気の話とか分かりません。すみません。
頑張っていきたいと思いますが。
ライブのリハーサルの傍ら、『JOY 2』のですね、制作に勤しんでおります。
昨日、今日が終わりましましたら、もう本格的に・・・
あと、そうか。1曲書かなければならない用事があります。
一生懸命やりたいと思っておりますが。
で、先週4月の8日にですね、私のソロデビューアルバム『CIRCUS TOWN』、1976年の作品でございます。
これが発売50周年を迎えましたので、50th Anniversary Editionという形でですね、50周年記念盤CDが発売になりました。
2002年にリマスター・ボーナストラックで初めてCD化しまして。
以来、ずっとそれのバージョンでありましたけれども、ほぼ四半世紀ぶりに、2026年、今年にですね、50周年記念盤でCD再発と運びとなりました。
あっという間に四半世紀。
でも2023年にアナログ盤を出しましたので、その時にもこの番組で解説させていただきましたけれども。
CD発売になりまして、CDなんかなくなると思われていたのがしぶとくですね、2026年まだ発売の運びになっております。
世界でも日本は珍しい国でありますけれども。
そんなわけで、先週発売されましたアルバム『CIRCUS TOWN』50th Anniversary Edition。
今日はこれの特集で。
今までも何回かやってまいりましたけれども、今日もですね『CIRCUS TOWN』に対する思い出。
何たって23の時ですからですね、50年前ですから。
記憶が薄れると思いきや、若い頃の記憶ははっきりしてんですよね。
昨日何やったか忘れてるのに、50年前は覚えているというですね、不思議な人間の生理でございますが。
そうした思い出話をですね、CDのライナーノーツに書きまくっておりますのでですね、それをなぞる形ではありますけれども、繰り返し繰り返しプロモーション、プロモーション。
そういう形で、お届けしたいと思います(笑)。
日曜日の午後のひととき、本日は私のソロデビューアルバム、ニューヨークとロサンゼルスで頑張りましたソロアルバム『CIRCUS TOWN』。
これの解説をさせていただきます。
本日も最高の選曲と最高の音質でお届けできるように努力しております。
てなわけで、お知らせを挟んで早速始めます。
~ CM ~
ニューヨーク・レコーディングの思い出
達郎氏:
山下達郎がお送りしておりますサンデーソングブック。
というわけで、1976年、私、ソロデビューしましたファーストソロアルバム『CIRCUS TOWN』。
これの50周年記念特集でございます。
それまではシュガー・ベイブというバンドを3年ほどやっておりまして。
それが解散しましてですね、ソロになりたかったわけじゃないんですけども、バンドが解散しましてソロにならざるを得なかったという。
で、さあそれでどうしようかということで、ファーストソロアルバムのですね、構想を始めたんですけれども。
まあシュガー・ベイブは正直言いまして、本当にあの、サブカルなマイナーなですね、まあ日本のフォークとかロックとか、今シティポップなんて言葉がありますけれども、本当にあの、日本のメインストリームの中ではですね、まだまだマイナーなものでありました。
ですので、なかなかこう思うようにですね、活動ができなくて。
経済的に、特にですね、やっぱりあの、思うようにできなくて経済的な問題が多くて、それで解散ということになりました。
で、そういう中でですね、まあ例えばその評論家とか新聞の人とかですね、そういう人たちの評価というのが決してですね、シュガー・ベイブに対する評価というのが決して好意的なものではありませんでですね。
そういうことに対するなんかこう苛立ちというか、何というか、あの傷つきというか、そういうものがありまして。
自分がソロになって、ソロアルバムを作るということになりましてですね、何をやっていいんだか分からなくなってきましてですね。
それまでの自分の作品を継続するようなそのなんかこう勇気がなかったんですが。
で、それで考えたのがですね、まあ一種の妄想と言いましょうか。
だったら一回ですね、人の手に委ねてみようかと。
でもまあ曲は書いて歌は歌いますけれども、編曲とかそういうものをですね、人に預けてどんなものができるか試してみたいと。
で、どうせやるんだったら海外でやってみたいという。
私がまあ洋楽で育った人間ですので、そうした日本の歌謡曲とかそういうフィールドの編曲家とかミュージシャンとかそういうもんじゃなく、向こうのミュージシャンで、向こうの編曲家でやってみたかったというそういう妄想が出まして。
まあそういう意味じゃ怖いもの知らずと言いましょうかね、23でしたから。
そういう中でいくつかパターンというかラインナップをですね、出しまして。
編曲、それからミュージシャン、スタジオ、そういうようなものを出しまして。
とにかくニューヨークでやろうと。
ニューヨークでその当時現役でやっていた第一候補がチャーリー・カレロというですね、フォー・シーズンズからずっと、長い間キャリアを、超一流のアレンジャーでしたけれども。
その人にお願いしたいなと、思いまして。
大変に幸運なことにですね、チャーリー・カレロのOKをもらいまして、ニューヨークでレコーディングするという、ことになったんですけど。
でも、僕、その頃の僕のランクだとですね、あの、とても予算が合わないと。
いうので、半分はニューヨークで、半分はロサンゼルスでという、そういうコンセプトになりました。
で、このアルバム『CIRCUS TOWN』はA面、アナログA面がニューヨークで録音されたもので、アナログB面がロサンゼルスで録音されたというそういうコンセプトになっております。
で、話が長くなりましたが、1976年の10月の25日に発売になりました、山下達郎ファーストソロアルバム、A面の1曲目の「CIRCUS TOWN」。
アルバム『CIRCUS TOWN』1曲目のタイトルソング「CIRCUS TOWN」。
こうやってアルバムの解説をしますとですね、今までも数限りなく取材して、あと独り喋りみたいな形でやるんですね、もう言うことないんですよね(笑)。
ですが、あの、ちょっと見方を変えてみますとですね、このアルバムを作った1976年にニューヨークでこのコンセプトでレコーディングができたというのは私にとって非常に幸運なことでありまして。
当時はスタジオミュージックの全盛でありましたので、レコードっていうのはスタジオミュージシャンを集めて作る。
今はまあバンドとかですね、あとはいわゆるエレクトロニックミュージックというんでしょうか、一人で家でコンピューターいじってやる。
昔はコンピューターはそんな、この時代はありませんから。
必ず人間が演奏するという、それをレコーディングスタジオに集めて演奏するというそういう時代でありまして。
そういう意味ではですね、本当にあの、私が構想していた、指名したミュージシャンが全部、あの、集めることができて、本当の、本当の一流のミュージシャンですのでですね、演奏がもうとにかくパーフェクトなんですね。
で、残念ながら私、23の私のその歌唱力はちょっとですね、負けてるという、そういう、もうちょっと後でやったらもうちょっとマシかもしれませんけど。
まあ、そういう意味で本当に文字通り怖いもの知らずだったという。
でもオーディオ的にもちょうど24トラックのテープレコーダーも出てきて。
それから磁気テープのテープが向上してですね、アンペックスの456というですね、あの、磁気テープの向上して、ちょうどオーディオ的にですね、すごく向上してきた時期に、そうしたスタジオミュージックの全盛期に本当の一流のミュージシャンで、ニューヨークのメディアサウンドという素晴らしいスタジオでレコーディングできたという。
これが本当にアルバムのクオリティをですね、保持できた要因でありました。
なかなかあの、望んでもできませんでですね。
どんなに海外レコーディングしてもやっぱりコンディションが悪いとですね、なかなか思うようにいかなかったんですけど。
そういう意味では本当にチャーリー・カレロのアレンジといいですね、ミュージシャンの演奏といい。
で、2曲目に入っております「WINDY LADY」という曲はシュガー・ベイブのレパートリーだったんですけど、シュガー・ベイブでレコーディングすることができませんでですね。
この曲を持って行きまして、チャーリー・カレロにしてもらったアレンジがまた素晴らしいやつで。
私の今でもですね、ステージでやっている1曲であります。
2曲目の「WINDY LADY」。
こだわりと厳しい現場
達郎氏:
アルバム『CIRCUS TOWN』2曲目の「WINDY LADY」。
2002年のリマスタリングもいいリマスタリングでしたけど、今回のあのリマスタリングはなんか声が割と渋くなったというか、若気の至りがちょっと少し緩和されて。菊池さんありがとうございます。
で、アップが2曲続きまして、3曲目はバラードです。
この時代は、いわゆるコード進行とかそういうものにですね、ものすごく興味があって。
変な転調とかそういうのが好きでですね、やってた時代であります。
特に、分数和音と言いましょうか、そういうような和音が好きだったので、これからの3曲目4曲目のバラードもそれの典型であります。
3曲目に入っておりますこの「MINNIE」という1曲ですが、これはもう本当にあの、チャーリー・カレロのアレンジのもう真髄みたいな1曲でありまして。
チャーリー・カレロという人は非常に気難しい人でですね、まああの、ミュージシャンにもものすごく厳しくて。
今の「WINDY LADY」なんていう曲もですね、ソロを吹いてるサックスのジョージ・ヤングがパーッと吹いてますとですね、トークバックをして「Hey George, don’t play jazz, play rock ‘n’ roll」とか叫ぶんですよね。
そういうようななんかこう、それとわざとそうやって上にこう煽るんですね、そういう緊張感で持たせてやるという、まあ、あれなんですけど。
でも細かいところの例えば、あの、リズムのパッセージとか僕なんかがですね、こここうしてほしいとかこうしてほしいとか、そういうことに関しては割と寛容な記憶があります。
ですので、あくまで音楽的というというか、そういう人でしたけれども。
そんなわけで、3曲目に入っております。「MINNIE」。
達郎氏:
アルバム『CIRCUS TOWN』A面3曲目の「MINNIE」。
これ、僕がもう本当に自分の思い通りの音像というか、音の世界になって、います。
今聴いても。とにかくミュージシャンが上手すぎるこれ。
リズムセクションもそうなんですけど、ブラスセクションを
ランディ・ブレッカー
ジョン・ファディス
デヴィッド・テイラー
ウェイン・アンドレ
ジョージ・マージ
ロメオ・ペンク
当時のニューヨークのですね、ジャズシーンのもう精鋭がずらっと揃って。
それでジョン・オロフがストリングス。もう本当にこれは言うことがないと。
でもリズムセクションも本当にこう抑制された、ジョン・トロペイとかも本当にあの抑制されたプレーで、邪魔なこと全然しないという、大したもんだなと。
キーボードのパット・レビットもそうですけどですね、上手い。
で、A面最後の「永遠に」という、これは吉田美奈子さんに書いた曲のセルフカバーであります。
これはもう本当にコードチェンジの鬼みたいな曲で、そういうこの当時のですね、もうあの、転調好きの典型的な曲であります。
A面の4曲目。「永遠に」。
若かりし日の葛藤と発見
達郎氏:
アルバム『CIRCUS TOWN』A面4曲目の「永遠に」。
久しぶりに聴きますと、なんか難しい曲(笑)、何でこんな曲書いた、そんなこと言っちゃいけない。
で、大体あの、私に限らずですね、ファーストアルバムっていうのは大体こう最初なので。
特に私みたいにソロアルバム、バンド辞めてソロになって1枚目作るみたいな感じだとですね、なんかこう、それを、ましてや50年後に聴くと、もう不満だらけと言いましょうか。
あそこはああすればよかった、あそこはこうすればよかった。
で、大体そうするとカラオケを持ち出してきてもう一回歌うとかですね、そういうことやったりするんですけど。
まあ、私はそういうの、しませんけれども。
でもなんかやっぱり、ちょっと、小っ恥ずかしい。
そういうような感じがいたします。
で、あの時代のですね、76年のあのニューヨークの夏、とにかく暑かったんですけど。
まだ治安が悪くてですね、道で寝てる人とかいました、そういう光景を思い出しますが。
A面がこれで4曲終わりなんですけど、実はですね、ニューヨークでこの時のレコーディングでもう一曲録ったんです。
「言えなかった言葉を」という。
私のセカンドアルバム『SPACY』に入ってる曲なんですが。
これをチャーリー・カレロのアレンジで録ったんですが。
キーの設定をですね、元祖高い高い病でですね、キーの設定を高くしてしまって、声が出なくなって、しまってですね、泣く泣くボツにしたという。
まあ今から考えると、それをもし入れるとちょっとA面のトータルタイムが長くなって、カッティングにやっぱり支障があって、音質がちょっと下がるかなという。
ですので、まあ結果的にはそれでよかったんですが。
で、まあキーを下げてですね、『SPACY』に録音したのが、そっちの方が、歌詞の世界とかの折り合いが良くてですね、よかったかなというあれなんですけど。
この「言えなかった言葉を」のニューヨークバージョン、オリジナルのバージョンはですね、長いことですね、マスターがなくて。
前に2002年の時に『CIRCUS TOWN』を再発した時には、アナログ盤のボーナスディスクにしか入れてませんでした。カセットなので音が悪かったので。
ところが、今回のCD再発の際にですね、ソニーがマスターテープを発見してくれました。
発見してくれたってもですね、そんなにあれなんですけど、ちょっと小っ恥ずかしいんですけど。
でもまあ、せっかく発見されたので今回のボーナストラックに入っております。
♪ 言えなかった言葉を -New York Version-(Original Master ver.) / 山下達郎
達郎氏:
というわけで、入らなかった「言えなかった言葉を」のオリジナル・ニューヨーク・ヴァージョン。
この同時期の例えばケニー・ノーランとかですね、そういう、チャーリー・カレロもやはり手掛けた作品の音の世界とやっぱり同じ。当たり前ですけど。
そんな感じで、あります。
こんなわけで、A面ニューヨークサイドが終了いたしまして、B面はLAに移ってのレコーディングでございますが、それはお知らせを挟んでお届けしたいと思います。
山下達郎サンデーソングブック。
本日は4月の8日に再発になりました『CIRCUS TOWN』50周年記念CDの特集でお届けしております。
~ CM ~
50周年記念特別番組のお知らせ
達郎氏:
山下達郎がお送りいたしておりますサンデーソングブック。
先週4月8日に再発になりました私のソロデビューアルバム『CIRCUS TOWN』。
アナログA面がニューヨーク・レコーディング、アナログB面がロサンゼルス・レコーディングという海外レコーディングの作品でございました。
それの特集をしております。
前半、ニューヨークサイドが終わりました。
なんか緊張しますね、本当に。体が硬くなって。ご紹介するのに。
で、私、ソロデビュー50周年。
昨年はシュガー・ベイブから50周年でしたが、今年はソロデビュー50周年。
何でもかんでもプロモーション!
で、ソロデビュー50周年ですので、これを記念して、JFNネットワークが特別番組を放送してくださることになりました。
JFNスペシャル 2026 山下達郎 50周年記念 サンデーソングブック 増刊号 Supported by 楽天カード。
5月5日にオンエアになります。
そこで山下達郎の曲のリクエストをいただきたいと思います。
色々、初めて聴いた曲とかですね、奥さんと出会った時の曲とかですね、そういうような色々と、思い出の、皆さんの思い出を曲に託していただければと思います。
曲にまつわる思い出とともに、メッセージお寄せください。
この特番に関してはハガキではなくて特設サイトからのメールでのご応募となります。
TOKYO FMサンデーソングブックのホームページにバナー表示されておりますので、詳しくはそこでご確認ください。
https://tfm.co.jp/ssb/
メッセージお寄せいただいた方の中から抽選で50周年記念の「サーカスタウン」特製グラス・・・なもの作ってもらったんですね、これを20名の方にプレゼントいたします。
締め切り4月19日日曜日23時59分までです。リクエスト・お便りお待ち申し上げております。
書き下ろしの新曲「FINALLY FREE」
達郎氏:
で、もうオンエア始まっておりますけれども、サントリーのノンアルコールビール『オールフリー』の新、新しいCMにですね、私の書き下ろしの新曲「FINALLY FREE」使用されることになりました。
松山ケンイチさんが空を飛んでおります。
4月の4日から全国でオンエア始まっております。
これに関して詳しくは私の50周年特設サイトにリンク貼っております。ご確認ください
https://tatsuro50th.jp/
「人力飛行機」が『ブラタモリ』のエンディングテーマに!
達郎氏:
もう一つ、4月の4日からNHK総合『ブラタモリ』、タモリさんの番組ですけれども、これのエンディングテーマになんと私の「人力飛行機」が採用されました。嬉しいです!
これも詳しくは私の50周年特設サイトをご確認ください。
『ブラタモリ』NHK総合、毎週土曜日午後7時半からの放送です。
「WINDY LADY」以外は全部書き下ろしです
達郎氏;
ほんでもって、『CIRCUS TOWN』、なぜか『CIRCUS TOWN』にリクエストが集中しておりますが。
仙台市のT.Sさん、気仙沼市のM.Iさん、超常連の方々。
新潟県新発田市のT.Oさん、超常連の方々が狙ってきました。
広島県廿日市市、H.Hさん。
『今だに1976年にリリースされた『CIRCUS TOWN』はすごいアルバムだと思っております。
50年前にこんな音楽をやってる人と同じ時代を生きてこれたことを嬉しく思います。
ところで、達郎さんがこれらの曲をすでにシュガー・ベイブ時代には完成されていたのでしょうか』
いえいえ、「WINDY LADY」以外は全部書き下ろしです。
書き下ろし、もしくはセルフカバーです。
ソロですのでやっぱりソロの感じという。
ロサンゼルス・レコーディングの裏話
達郎氏:
で、ニューヨークはとにかくミュージシャンもスタジオもすべてに関して予算がかかりましてですね、とてもアルバム1枚は予算が出せないので、半分はロサンゼルスでですね、LAのミュージシャンだともうちょっと予算が圧縮できますのでですね、大体2対1ぐらいの比重で予算的にはレコーディングをされまして。
A面のニューヨーク・レコーディングが終わって、ロサンゼルスに移動しまして、で、レコーディングを始めたんですけど、なかなかですね、上手くいきませんで。
ベースとギターがやっぱり全然思った感じになんなくて、ああこれダメだなって、帰ろうかなってしたんですけども、ドラムのジョン・サイターという、この人はスパンキー・アンド・アワ・ギャングとかですね、タートルのドラマーで有名だったんですが、この人がコーディネーターをやってくれまして。
「コーラスにケニー・アルトマンが来る」というので、ケニー・アルトマン・ベーシストですが、私の大好きなフィフス・アベニュー・バンドとかですね、やってる人ですけども、「ケニー・アルトマンがコーラス来る」と。
「だったらケニー・アルトマンにベースを弾いてもらおうよ」って。
それで翌日からケニー・アルトマンが参加してくれまして無事にレコーディングを終えることができました。
で、ギターはですね、キーボードのジョン・ホブスという、この人すごくいい人だったんですけど、この人のバンド仲間でビリー・ウォーカーという人が、この人なんかやたらと上手くてですね、それでまあ無事に4曲レコーディングすることができました。
人間的には本当にレイドバックした和気あいあいとした人たちで、そうした雰囲気が音に出ております。
アルバム『CIRCUS TOWN』B面のトップは、これ元々吉田美奈子さんに書いた曲のセルフカバーであります。「LAST STEP」。
「サーカスタウン」制作を振り返って
達郎氏:
アルバム『CIRCUS TOWN』アナログB面の1曲目「LAST STEP」。
今でもライブで弾き語りでやっております。『JOY』の冒頭のおなじみですけれども。しぶとい(笑)。
こっちの面の方がやっぱりあのリラックスしたんですね。
で、やっぱりA面に比べますとですね、A面も本当にスタジオミュージックのバリバリのやつなんですけれども。
B面のこっちのLAのミュージシャンは、もっとレイドバックはしてるんですけれども、でもあの、タイムがみんないいんですね。
ですのでビート感っていうのがやっぱりライブで鍛えてるってこともあります。
ジョン・サイターとそれからケニー・アルトマンのそのベースドラムのコンビが、本当にあのいいタイムなんです。
これがすごく安心して。
もうケニー・アルトマンとやるっていうのは本当に嬉しいあれでした。
で、コーラスをやってくれているジェリー・エスター、ラヴィン・スプーンフル、そしてモダン・フォーク・カルテットですけれども、この人本当にいい人でですね。
このハモリ、あの、なんかやっぱりなんか友達みたいなハモリでした(笑)。
そんなわけで、B面の2曲目は「CITY WAY」という曲ですけれども。
これ結構ね、あの若い方に人気が最近ある曲なんですけど。不思議な感じですけれども。
1曲書いていったのがあんまり雰囲気が合わなかったので、現地で急遽1曲書いた曲です。
当時の自分の持ってる、あの、ウエストコーストのなんか印象というか、そういうような感じの1曲になっております。「CITY WAY」。
達郎氏:
アルバム『CIRCUS TOWN』B面2曲目の「CITY WAY」。
この曲はジョン・ホブスに助けてもらいました
達郎氏:
お次の3曲目は「迷い込んだ街と」という1曲ですが。
このB面のですね、特にキーボードを弾いてくれておりますジョン・ホブスという人。
この人はバリー・マンのアルバムなんかでですね、すごくいいプレーしてたのでこの人指名したんですけど。
まあ、とにかくこの人上手い人でですね。オールジャンル何でもできるという。
本当に人格もあの人間も優しい人で、本当にこの人助けてもらいましたけれども。
3曲目は、このジョン・ホブスのソロをフィーチャーした1曲であります。
ちょっと複雑な構成になっております。「迷い込んだ街と」。
エンディング
達郎氏:
アルバム『CIRCUS TOWN』B面の3曲目の「迷い込んだ街と」。
これあれですね、あの、こないだ聴いていたエル・チカーノ。
ああいうような、感じにやろうと思って思い出したきた。そんな感じだな。
というわけで、『CIRCUS TOWN』の特集をさせていただきました。
もう50年経ってるので今さら申しげること何もないんですけど、まあ、あの、本当に怖いもの知らずというか、もうちょっと準備していったらもうちょっと突っ込めたかなという感じもしますけど。
まあ、それでもあの、当時の状況が今みたいに恵まれた状況じゃないですからね、それでもこれで得たものがものすごく大きいので。
何と言いましょうか、そうしたミュージシャン同士の緊張感、特にニューヨークの。
そうしたレイシズムも含めてのものとか、あとはそのLAのレイドバックとかそういうようなものもありますけれども。
ただ思ったのは、もう自分はこういう形での海外レコーディングよりもやっぱり国内っていうかドメスティックでやろうという、あの、色んな考えの結果ですね、そういうことにしまして。
ですので、こうした海外レコーディングっていうのはこれ以来やっておりません。
ダビングには行ってますけれどもですね、ブラスとかそういうソロものとか行ってますけれども、こうしたリズムセクションで向こうでやるということはこれ以降やってないのは、色々この時の色んな体験の結果であります。
まあそれがいいか悪いかは、まあ50年経ってますから分かりませんけれども。
でもまあ、これの次にこのチャーリー・カレロにもらったスコアを研究して勉強してですね、『SPACY』というアルバムにつなげていきますが。
それは来年にやれるのかな。分からないです(笑)。
というわけで、アルバム『CIRCUS TOWN』。4月の8日にほぼ四半世紀ぶりにCD再発になりました。
アナログカセットは3年ほど前に出ております。よろしくお願いします。
というわけで今日の最後は、B面最後のこの曲は、LAでやるんだったらこんな曲だろうという。
公園のベンチでですね、あの木漏れ日に、クソ夏暑い、暑い夏の木漏れ日に当たりながら考えた曲であります。
岐阜県可茂市のG.Tさん。
『今年ソロデビュー50周年を迎えられるにあたり、50年分の感謝を申し上げたくペンを取りました。
1977年7月の日曜の明け方。深夜放送のラジオ番組のラストに『夏の陽』が流れました。
曲後半の今まで聴いたことのない素晴らしいコーラスに衝撃を覚え、山下達郎『夏の陽』が当時18歳の私の脳裏にしっかりと刻み込まれました。
それから毎週のようにレコード店に通い探し回りましたが、山下達郎『夏の陽』しか情報がない。
田舎の少年にはレコード店回り以外に探す術が分かりませんでした。
そしてその年の暮れにやっとアルバム『CIRCUS TOWN』に出会えました。最高のクリスマスプレゼントでした。
あれからずっと達郎さんの音楽は私のそばにいてくれました。本当にありがとうございます。
2014年にやっとチケットが取れて初めて行ったマニアックツアーで聴けた『夏の陽』は最高の思い出です。今年も名古屋でお待ちしております』
ありがたいお便りいただきました。作ってよかったと思います。
というわけで、アルバム『CIRCUS TOWN』。
ご清聴ありがとうございました。「夏の陽」。
クロージング
達郎氏:
お送りいたしてまいりました山下達郎サンデーソングブック。
4月8日、四半世紀ぶりに再発されました『CIRCUS TOWN』50周年記念CDの特集でございましたが。
ちょっと汗かきました。若いあれだったですね。
でも、あの、何度でも申し上げますけれども、23の時に作った50年前の作品がですね、73歳になってこうしてラジオで特集ができる。
本当に、全ては、リスナーの皆さんというか、あの『CIRCUS TOWN』を聴いて、今まで、聴いてくださった皆さんのおかげであります。
引き続きよろしくお願いします。
というわけで来週はまたリクエストプラス棚からひとつかみで、攻めてみたいと思います。
たくさんリクエストカードいただいてますので、来週もよろしくお願いします。
山下達郎サンデーソングブック。来週もセイムタイム・セイムチャンネルで皆さんのご機嫌を。
さよなら。
今週のオンエア曲
14:08 CIRCUS TOWN
14:12 WINDY LADY / 山下達郎
14:16 MINNIE / 山下達郎
14:19 永遠に / 山下達郎
14:24 言えなかった言葉を -New York Version-(Original Master ver.) / 山下達郎
14:34 LAST STEP / 山下達郎
14:37 CITY WAY / 山下達郎
14:39 迷い込んだ街と / 山下達郎
14:45 夏の陽 / 山下達郎



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