山下達郎さんゲスト 2011年8月5日 bayfm 「ANSWER」
2011年8月5日、bayfmのプログラム「ANSWER」という生放送番組(19:00-21:00)に山下達郎さんがゲストで出演されました。
ここでは、オンエア内容の一部を文字お越しでご紹介します。
ニューアルバムの楽曲に込められた想いやリスナからの質問を通して、達郎氏のメッセージが伝わってきました。
誤字脱字はご容赦ください。
◎ 冒頭
小島麻子さん:
ラジオの前の皆さん、お待たせしました。
本日のスペシャルゲスト、山下達郎さんです。
こんばんは!
達郎氏:
こんばんは。宜しくお願いします。
(SE)拍手喝さい
小島麻子さん:
こんな効果音が入るとは!
しかも、いつもより長い気がします。
ラジオの生放送、しかも金曜日の夜というのは如何ですか?
達郎氏:
昔からラジオ番組たくさんやってますから。
でも、今回は始めてですけど、生は。
まだ、発売前なので・・・
小島麻子さん:
bayfmの本社スタジオ、27階なんですけど。
夜景も見えますが・・・。
達郎氏:
綺麗ですね。
スタジアムもちゃんと見えます。
始めてなんですよ、僕、ここ。
前のところしか伺ったことがないので。
6年ぶりなんですよね、ちょうど(笑)
小島麻子さん:
そうですよね!
今回のアルバム、6年ぶりということもありまして。
せっかく生放送ですので、ラジオの前のリスナーの皆さんとも、ちょっと繋がっていけたらなと、
思っておりますので。
達郎氏:
ハイ。
お手柔らかに、皆さん宜しくお願いします。
小島麻子さん:
今は、プロモーションはもちろんですけれども、レコーディングなんかも、まりやさんのをやられてるという事ですが、夏バテなどは、されて・・・
達郎氏:
なんとか頑張っておりますけれども(笑)
◎ 「Ray Of Hope」きかっけ
小島麻子さん:
そんな中で、今日は6年ぶりのアルバム「Ray Of Hope」がいよいよ来週の8月10日リリースという事もありまして、この話からお伺いしたいんですが。
6年ぶりということで、前作ソノリテから6年ぶりということで。
この間ですけれども、ライブツアーも精力的にされてたわけですから・・・
達郎氏:
3年前から、それが6年ぶりにライブツアー再開しまして。
今回で3シーズン目になりますね。
小島麻子さん:
その中で、オリジナルアルバムを”よし作ろう”と、いう風に思われたのは何かきっかけなどが、あったんでしょうか。
達郎氏:
ソノリテの後で3年たってから、まりやのデニムっていうのが、今から3年前に出ましたが、ソノリテ終わってから、ずっとそれやってたんですよ。
今回のアルバム、それから3年なので。
その間ツアーを毎年やってましたので。
正味・・・そうだな、1年半くらいのスパンで作ってるんですが。
要するに、まりやのやってる時はできないので。
それが終わってから、ツアー再開した頃からタイアップが、凄く頂けるようになって。
ほんとはね、ソノリテ終わった後は、ま、色々とね、音楽業界全体がね。
例えば、CDが売れなくなったとか、ま、レコード会社の色々・・政治とか色々な事がありましたよね。
ひょっとしたら、リストラされるかなっていう時代があったんですよ。
それだったら、インディでも、まぁいいかなって思ってたんですが。
まさか6年後に、こういう形で、ちゃんと、要するにオフィシャルで出せるっていうのは、自分としては、半分意外だった部分もありますけど。
お陰さまで、前と同じ形で、こうやってプロモーションもやらせて頂いてます。
それは、ほんとに幸福な事がと思ってますね。
小島麻子さん:
あの、達郎さんでもやっぱり”もしかしてリストラされるんじゃないか”って・・・
達郎氏:
何度もありますよ、それは。
小島麻子さん:
あっ、そういう危機感が?
達郎氏:
だって6年に1枚しか出さないようなヤツ、いらないでしょ。
小島麻子さん:
今はスパンが・・何て言うんでしょう、こう、どんどんサイクルが短くなってしまって、という。
そこでも危機感みたいなものっていうのが、やはり・・・
達郎氏:
昔は音楽っていうのは、そういう夢の産業だったので。
例えば、3年なり5年なり、要するに一生懸命プロモーションして少しずつ売っていくとか、そういうのあるんですよ。
今は完全に株主とか、役員の数字っていうか、いわゆる事業計画ですよね。
だから、役員だったら3年から5年の任期の間に沢山出して来る人が重要で。
僕みたいに、だから何年かにいっぺんしか出さない、いつ出せるか判らないような人は必要ないんですよ!
そういう時代なのでね。
仕方がないかなって思ってましたけど、お陰さまで幸運な事に、そういう、いいスタッフがレコード会社に来たので、逆に大事にしてくれるっていうかね。
僕、今、ワーナー・ミュージック・ジャパンっていう会社にいるんですけど、全スタッフ、全ミュージシャンの中で最年長なんですよ。
小島麻子さん:
そうでしたか!
達郎氏:
僕の二つ下に竹内まりやがいて。
そこから50代は誰もいなくて、40代前半も誰もいなくて、42,3のトータスさんかな。
そこの間の人達、ここ15,6年で全部いなくなっちゃった。
リストラされた。
演歌歌手の人とかね。
小島麻子さん:
ずっと続けてらっしゃるっていう・・・
達郎氏:
作りたくても作れない時期もありますしね。
作らさしてもらえないっていう人もいますし。
それは、本当に運・不運もありますし。
小島麻子さん:
そして、この6年ぶりとなりました「Ray Of Hope」というアルバムですけども。
このアルバム、まず製作途中で3月11日に震災があって、タイトルも変わったと伺っておりますし。
達郎氏:
そうですね。
小島麻子さん:
詩を書きなおしたり、曲も書きなおしたり・・・
達郎氏:
マイナーチェンジですけれども。
小島麻子さん:
そして、収録曲も少し変わったりと伺ってますが。
アルバムを作る最中で震災が起きたっていうことで、達郎さんご自身が発信する音楽への・・・
何て言うんですかね、使命感みたいなものとか、こうあらなければいけないみたいな事っていうのは、お考えになりました?
達郎氏:
震災の前から、リーマンショック以後の不況の風ってのが、凄く、やっぱりライブやっていてもね、僕のお客さん、大体40代50代がメインなので。
一番辛い時代、リストラをもろに受け、中間管理職って辛い世代なのでね。
特に男性、物凄く伝わってきたので。
ほんとはこのアルバム、一年前に出す予定だったんで、ちょっとツアーと重なっちゃって。
タイトルはコミカルなナンセンスなタイトルで、その時は不況の空気を明るく笑い飛ばそうと、そういう形で企画してたんですけども。
震災が起こると、そういうものとは違う切迫感が出てくるので、「Woo Hoo」をやめて「Ray Of Hope」に変えたんですが。
小島麻子さん:
本当に震災を挟んで、音楽を聴く側もたぶん聴き方変わったでしょうね。
達郎氏:
そうですね。
小島麻子さん:
そして、音楽を届ける側の私たちもそうですけども、ほんとに色々な価値観も変わってきたっていう部分も・・・アルバムが出た、それは恐らく来週、世にこのアルバムが放たれてから、どのように広がっていくのかっていう反応も是非聴きたいところではあります。
達郎氏:
結果的に、そういう運命づけられたと自分では思ってますのでね。
それに叶うように努力して作ったつもりでありますが。
小島麻子さん:
今日は、発売前でもありますが、アルバムの中の曲も何曲かお届けしながらお送りしていきたいと思いますので、ラジオの前の皆さんも感想なども、生放送ですのでお寄せ下頂ければと思います。
◎ ♪ MY MORNING PRAYER
小島麻子さん:
プレイは祈るのほうのPrayですね。
この曲始めて聴いたときに、言葉よりも先に音の・・・何て言いましょうか、テンションの張り具合っていうので、それでグッとこう・・・・
胸がいっぱいになっちゃったんですよね。
達郎氏:
ベタといえばベタなんですよね(笑)
これ、テレビの朝のモーニングワイドっていうかニュースワイドのテーマソングで作ったんですけど。
その時、これをレコーディングする3月の時点では、僕のスタジオ六本木にあるんですけど、電源が落ちてるんですよ。
117ボルトあるのが113ボルトしか出ない。
すると、シンセサイザーが、Voltage Controlled AmplifierっていうのがVCAって言うんですけど、電圧制御なので電圧落ちるとイチコロなんですよ。
機械自体がいっちゃうんですね。
そすと、オーディオ的に物凄くスペックが落ちるのでね。
それを凄く苦しんで。
テレビ用に提出したバージョンが物凄く心残りなので、今回はだからストリングスとボーカル以外は全部やり直して。
若干音質が向上したっていうかね。
小島麻子さん:
そして、音にまずグッときてから、詩なんですけど。
ちょっと、やっぱり私としてはビックリしたと言いますか。
例えば、あのぉ、これ読み上げるのもなんかご本人の前であれなんですけど。
「あふれるその悲しみ 僕には消せないけど
せめてこのメロディー あなたを励ませたら」
これは、こういった歌詞っていうのは、すんなり・・・
達郎氏:
いやぁ、超ベタですね。
何の装飾性も無いっていうか。
普通歌詞考える時って、少し気取って、僕らみたいな照れ屋の場合は、少し粉飾してやるところなんですけど。
あの状態だと、この詩しか考えようが無いんですね。
ほんとに、だから、先見えないわけでしょ。
原発も全く終息しないし
3月の20日から25日までのところですけど。
どうするのかって(笑)
こういう歌しか出来なかったっていうのが。
本当は、入れようか入れまいか、だいぶ迷ったんですよ。
小島麻子さん:
そうでしたか・・・
達郎氏:
これも運命だなっって。
一つの自分の人生の中の一こまだから。
小島麻子さん:
さあ、あっ!
今、ちょうど千葉マリンフィールドで花火・・・
初めて、実はロッテの試合・・・震災後ですけど、ここでホームで行われた時に初めて、この花火が上がった時に、何故か私、涙が出てしまったんですけど。
花火って鎮魂の意味があったりということで、何かその・・・
実は千葉っていうのは液状化の被害があったり津波があったりということで、被災地でありまして、このbayfmも暫く24時間生放送の体制でやっていて。
ほんとに、この震災があってから、音楽の届き方とか、あと同じ音楽を聴いての今を共有する感覚っていうのが、実は初めて、こんなに繋がってるんだなって、ラジオを通して私も感じたんですよね。
その中で、音楽は聴かれ方色々変わってますけど、無くならないなっていう・・・
達郎氏:
無くなることは絶対にありませんから。
音楽の、要するに、ま、商品としての音楽の在り方としてはね、色々変わってきますけど、音楽自体が無くなる事って絶対ありませんから。
小島麻子さん:
そして、今回のアルバムタイトル、Woo HooからRay Of Hopeという事になった訳ですが。
勿論これは、先行シングルで既に出ておりました「希望と言う名の光」、この中に”Ray Of Hope”という歌詞が入っています。
「希望と言う名の光」というのは、もちろん震災前に出たものなんですが、後にラジオで沢山かかったそうですね。
達郎氏:
お陰さまで、なんか僕も、それ聞いたことありますけど。
小島麻子さん:
この曲が、どのようにベイ・エリアの皆さんにも届いたのか、是非皆さんお寄せ頂けたらと思います。
ではまず、この曲をお届けしたいと思います。
◎ ♪希望という名の光
小島麻子さん:
とっても、シンプルにメロディーを聴かせていらっしゃるアレンジで。
あと、何でしょうね、こう”どうぞ”っていう言葉が震災後あらためて聴いた時に、すごく、きましたね~。
達郎氏:
ふふふ(笑)
小島麻子さん:
なにか、自分がたぶん”どうぞ”ってラジオの前で、マイクの前でよく使ってたんだなって。
“どうぞ、安全でお過ごしください”
“どうぞ、今日が良い日でありますように”
っていうような。
やはりこれは、震災後色々な新しい意味が増えた・・・
達郎氏:
曲っていうのは、一回世の中に出ると、自分の手を離れますので。
そうすると、全く違う人々の意識とか気持ちっていうのが、そこに堆積されることがあるんですよね。
自分が作ってた製作意図と全く違う動きをし始めるっていうのがね、流行歌の世界なんですけど。
僕のキャリアで一番極端だったのはクリスマス・イブなんだけどね(笑)
あとは、蒼氓なんて歌ももそうですけど。
そうなってきたので、本当にこういう形でタイトル変えるまでになるとは思わなかったし。
この曲がメインになるとは全然予想もしてなかったんですけど。
そいう事になるんであれば、もう一回自分のとこに引き戻して、もう一回再構築したいっていうので、タイトルソングにしました。
小島麻子さん:
Ray Of Hopeという単語自体は、いつ頃から・・・
達郎氏:
昔からあります。
あのね、A ray of hope、っていうのは本当に、一筋の光明っていうんですか。
そういう意味なんですが、日本語のアルバムなので、”A”がいやなのでray of hopeにしてますけど。
Aが付くと、ほんとに”一筋の光明”っていうかね、そういう意味になります。
あとは、宗教的な意味で言うと天から降って来る光の束とか、そういうようなものがRay of hopeって言いますね。
だいたい、希望の光って、全く同じ意味だと思います。
そういう曲はたくさんあります。
特に宗教歌では沢山でてきます。
小島麻子さん:
最近は、ほんとに不安な要素ばかりで。
何て言うんでしょうね、見る先が凄く距離が近くなっちゃっていて、って感じがしますけど。
Ray of hopeっていうのを聞いて、そしてこの曲を聴いた時になんか凄く、ちゃんと上に抜ける所があったんだなって、凄く感じましてね・・・。
達郎氏:
そういう、ヒーリングとか慰めとか、そういう為の歌っていうのは人それぞれで全部違うのでね。
一億人が許容できる歌なんて無いんですよ。
僕の場合は、僕の音楽を聴いて下さる、昔から聴いて下さってるリスナーの方がどういうものが喜ぶか。
そういう気持ちでしか作れませんので。
◎ リスナからの質問
小島麻子さん:
今日は沢山質問がきています。
達郎氏:
こわいな!
小島麻子さん:
ぶつけていきますので、答えられない時は・・・
達郎氏:
ノーコメントと言います(笑)
小島麻子さん:
まずメッセージから。
江戸川区のS.Hさん、男性の方です。
『小島さん、達郎さん始めまして。
今エアチェックしながら聴いています。
でもラジオの前で正座する気持ちも判ります。』
先ほどそんなリスナーの方いたんですが(笑)
達郎氏:
やめてくださいよ!
奈良の大仏じゃないんだから(笑)
小島麻子さん:
『達郎さんは、それくらい偉大なミュージシャンだと思います。
アルバム予約しましたので、発売日が楽しみです。』
達郎氏:
おありがとうございます!
小島麻子さん:
習志野市の男性の方です。
『山下さんのような、大御所アーティストに・・・』
そのまま読ませていただきますね(笑)
『こんな事聞くのもなんですが、最近気になるアーティストはいますか。いたら洋邦問わず教えてください。』
これはよく聞かれると思いますが。
達郎氏:
ん~ まぁ あのぉ それなりに聴いていますけども。
相対性理論とかね邦楽だったら。
イースタンユースとかね、モーサムとか、バースデーとか。
そっちの方が好きなので、そういうようなやつは沢山聴いてますね。
今、ド忘れしちゃったんで、最近
あとで思いだします(笑)
小島麻子さん:
ラジオネーム、RJさん。
『僕は某ドラマのライドオンタイムがとても好きで、通学中などに良く聞いています』
という正に学生の方ですね。
『今は部活の帰り途中。そこで山下さんに質問です。
学生時代は何か部活などに入っていましたか。
ちなみに僕は吹奏楽部です。』
達郎氏:
僕も吹奏楽部です!
中高6年間。
僕パーカッションだったんですよ。
元々ドラマーなんです、僕。
アマチュアバンドの時、ずっとドラマーやってたんです。
シュガーベイブ作る時にドラムとリードボーカルじゃ、なんかアレだなぁと思って、それでギター持って前へ出て行ったんです。
プロのギタリストじゃないので、リードギターは弾けないので、カッティングだったら何とかなるかなって思って、カッティング専門になったんです。
小島麻子さん:
ラジオネームKさん、35歳主婦の方。
『私にとってはいつも、達郎さんは大人の男の代表という印象です。
落ち着いたイメージの山下達郎さんですが、』
達郎氏:
どうお答えしていいか。
小島麻子さん:
『怒ったり、泣いたり、大声で笑ったりとかされる事はあるのでしょうか。
何か感情を動かされた最近の出来事があれば教えてください』
達郎氏:
なにか感情を動かされた最近の出来事?(笑)
うーん。
いや、僕はどっちか言ったら激しい性格だと自分では思ってます。
喜怒哀楽が激しいんです。
でも良く言われるのは”あなたの音楽は喜怒哀楽の怒が抜けている”っていう事はよく言われますけどね。
でもその分だけ、すぐ怒ったりしますけど。
小島麻子さん:
別の所で・・
達郎氏:
最近、そういう心を動かされた事ねぇ・・・
難しいですね。
ここんとこ、ずっとプロモーションで(笑)
小島麻子さん:
そうですよね。
でも、泣いたりするみたいな事っていうのは?
達郎氏:
やっぱり、感動作、涙出る感動作ってあるじゃないですか。
そういうのがありますがね。
人の感動するところで、感動しないかもしれないですけど。
小島麻子さん:
以外と激しい性格・・・
達郎氏:
収録させてて頂いた門脇さんの、あの声の大きさは、結構インパクトがありました。
すっごい迫力だなって
小島麻子さん:
ラジオサプライズの方でですね、はい。
達郎氏:
それが一番の直近の感動した事ですね。
小島麻子さん:
そして、素朴な質問です。
51歳の自営業兼主婦の方。
『山下さんに質問です。
無礼で失礼で薄っぺらな質問です。
今、最も興味がある事はなんですか』
達郎氏:
今、最も興味がある事!?(笑)
難しいことを仰いますね!
今はまってる事とか、ほんとに弱いんですよね。
今、最も興味がある事・・・んん~
生は難しいですね。
今回、初生ですので。
小島麻子さん:
続いて行きましょうか。
ツイッターの方で頂きました。
『こんばんは。山下達郎さんは本当に声が変わらないなと思っているのですが、御自身は長い歌手生活で歌声が変わったと感じていますか』
達郎氏:
物凄く変わったと思います。
やっぱり、歳とったなっていうのは、偽らざる。
やっぱ25、6の時のレコード聴くとこんなに違うのかって思いますね。
僕に限らずね、みんな、思ってます。
あとレコーディング方式が違うんですね。
当時はアナログレコ―ディングで、今デジタルなんです。
そういうのも、違うんですけど。
ライブに出ると、そんなに違和感は無いんですけど、レコーディングやってる時に声はこんなに違うのかって。
それを何とか昔のように戻したいと思って努力をしてるんですが。
小島麻子さん:
声が丸くなるっていうものなんですか?
達郎氏:
良く言えば、太くなりますね。
悪く言うとハイ落ちして、少し爺臭くなる(笑)
小島麻子さん:
(笑)
そんなもの何ですか。
やっぱり変わらないっていう印象の方も多いみたいですけど。
達郎氏:
歌い方は微妙に変わってね。
例えば、90年代はちょっと体の調子が悪かった時代があって、そういう時はタチツテトがツゥア、ツゥイ、ツゥ、ティエ、ツゥオになってたりする。
凄く不快なので、それを治そうと、そういう事してます。
◎ ♪ プロポーズ
小島麻子さん:
これはいわゆる、アラウンド・サーティの女子スタッフがご結婚されるということで、それで・・
達郎氏:
彼女へのトリビュートソングですね。
小島麻子さん:
これは、やっぱりお二人の馴れ初めから取材をされて・・
達郎氏:
もう長いこと務めてる、僕のファンクラブやってくれてる女性なので、29歳ですけど。
それが、寿退社するにあたりまして。
去年結婚したんですけど、その時の旦那さんのプロポーズの言葉っていうのが、こういう内容じゃないんですけどね、とても素敵だったので。
非常に好青年で。
僕の直近のスタッフなので、そういう話を聞いてね。
言い話だなと思って、それで彼女の結婚祝いというか、まぁ、退職祝いというか寿退社祝いの歌ですね(笑)
小島麻子さん:
いいですね!
これは実際、カップルはこの曲聴かれて・・・
達郎氏:
家で喜んでるでしょ!
小島麻子さん:
まだその反応は聞かれてないんですか。
達郎氏:
聞いてないですよ、まだ(笑)
小島麻子さん:
そうですか。
なんか、もうこんな素敵なプロポーズ、私もされたかったなと。
達郎氏:
はははは(笑)
小島麻子さん:
私も一昨年くらいに結婚したんですけど、なんか、そう言えば・・・なかったなぁ、なんて。
達郎氏:
いやぁ、実際はそんな恥ずかしくて言えませんよ、歌の文句じゃあるまいし!
そんな事言えませんよ、恥ずかしくて。
小島麻子さん:
そうなんですね。なんか本当にこういう事言ってもらえたのかな、このスタッフの方は、なんて。
羨ましいって思って聞いていたんですけど。
達郎氏:
でも、もっと単刀直入に結婚してくれって言われたんですよ、彼女はね。
小島麻子さん:
でも最近、20代とか30代の方々とお話される事が多いという風に・・・
達郎氏:
スタッフがアラ・サーなんですよ。
レコード会社もオフィスも。
で、男も女も、その年代はほんとに面白くて。
興味が出来るっていうんですか。
男の子は自分の親父がどういう人生歩いてきたとか、親父が苦労したことがあるんだとか、そういう事が自分とオーバーラップして考えられる年齢になるじゃないですか。
女の子もそうだし。
そういう世代の人達と話すると非常に面白いんですよね。
色々話を聞くんですけど、あんまり僕の30と変わらないんですよね、みんな。
今の若いヤツが言ってることが良く判んないって言うけど、僕は全然そんな事なくて。
殆ど変わんないなって。
20年、30年で人間、そんなに変わんないだなっていうのが、再確認できるだけでも、随分。
それも、日本が今まで平穏だったからなんで。
間に大きな動乱とか、今回みたいなね。
そううのがあると、また、一つ世代の断絶とか価値観の分裂みたいのが起こってくるから、あれですけど。
今までの歴史の中でそういう、特に自分の親子くらいの関係は割と言い時代になってきたなって。
僕らはもうDon’t trust over 30’sじゃない。
“大人は判ってくれない”ってそういう世代だったじゃない。
でも戦争があったからね。
そこで価値観が物凄く大きく変わったでしょ。
戦前と戦後の価値観、断絶ってのがありますけど。
今、だって、宝塚なんて親・子・孫、ジャニーズも親・子・孫でしょ。
それはだからも、平和だったからの話・・
◎ パッションがあれば、懐メロなんかになんねーんだ
小島麻子さん:
ふと、私、思いだした事があります。
一昨年、2009年、私、大宮ソニックシティで初の山下達郎さんのライブを拝見したんですが。
その時に”パッションがあれば、懐メロなんかになんねーんだ”・・
達郎氏:
そういう言い方してません(笑)
ダメですよ、そうやって捏造しちゃ!
小島麻子さん:
そうですね!(笑)
“パッションがあれば、懐メロにはならない!”
そして
“ディナーショーには死んでも出ない”っていう話があって(笑)
私、勝手に達郎さんのイメージみたいなものを、勝手に造っていたのが・・・
なんだ、山下達郎さんっていうのはパンクな人なんだないう事が凄くよく判りまして。
達郎氏:
ま、出がねぇ、ライブハウスのバンドですからね。
そんなに、いわゆる芸能界から入ってきた人間では無いので(笑)
小島麻子さん:
(笑)
もう、なんかそういう、いわゆるパンク精神みたいなものは昔からあったのかな、というのも気になるところなんですけど。
達郎氏:
ほんとはだから、運動神経ぜんぜんダメなんですね。
ブラバンだったという事もあり、運動全くダメなので。
バク宙とかね、そういうのが出来たら、もっとメタルなものとか、お化粧系・・・じゃかなわないかな、ルックスはアレだから。
そういうもっと、こうハードサウンド的なものをやってきたのかもしれませんけど。
たまたま好きだったのが、綺麗なメロディーだったんで。
ビートが強く綺麗なメロディってのが一応キャッチフレーズなので(笑)
小島麻子さん:
先ほどですね、吹奏楽部に入っているというRJさんから来ました。
『山下さんも吹奏楽部だと知り、驚きました。僕はアルトサックスをやっています。パーカッション格好いいですよね。中学の時にサックスとパーカション、どちらをやろうか、迷いました。
今、高1ですが、山下さんのように中1の時から吹奏楽部に入りました』
達郎氏:
頑張ってね!
◎ リスナーからのメッセージ
小島麻子さん:
届いているメッセージを御紹介したいと思います。
千葉県野田市30歳、男性の方です。
達郎氏:
常連の方ですね。うん。
小島麻子さん:
実は件名のところに「曲に希望を感じました」っていう風にあります。
『4つ上の姉夫婦が仙台で被災したんです。被災してから良く耳にしていて、凄いパワーを感じたので、姉にCDをプレゼントしたら、”泣いた”と言ってました。
自分も号泣しました。』
達郎氏:
お大事に。
僕、母親が仙台なので、仙台に沢山親戚がいます。
僕は幸運なことに全員大丈夫だったですけど。
小島麻子さん:
千葉市の30歳の方です。
『私は昨年のNHKホールライブ、奥様の竹内まりやさんの武道館ライブを妊娠中に観に行きました。
妊娠中のいう事で不安な日々が続いていましたが、ライブをみて感動に包まれて、とても幸せな気分になることができました。笑うと涙が自然と出ていました。
とても良い胎教になりました。
4月に無事出産し、現在子育てに奮闘中。』
達郎氏:
がんばって下さいね。
小島麻子さん:
ちょっとここで、こんなクエスチョンが来ています。
松戸市の28歳の男子。
『小島さん、山下達郎さんこんばんは。
達郎さんに是非聞きたいのですが、今の時代、音楽を最高の状態で聴くのには、何で聴いたらいいですか。』
達郎氏:
う”~難しいなぁ~
小島麻子さん:
『近年、パソコンやポータブルプレーヤーで音楽を聴く機会が増え、どこでも気軽に聴けるようになったのはいいことなのですが、私は若輩者ながらもオーディオマニアでして、既存のPCスピーカーには満足できず、PCにつないだUSB-DACにアンプとブックシェルフのスピーカーで試聴したところ、目茶苦茶音がよくなりました。
達郎さんは、何で音楽を聴いていらっしゃいますか』
達郎氏:
僕はもうアナログ派なので、アナログの今でもLPとシングルの、僕の仕事場にあるステレオは完全にアナログに特化してしかチューニングができて無いので、それでCDかけると割れるんですよ(笑)
だから、CDは全く別なんですけど。
あのぉ、これで大丈夫だと思いますよ、CDをお聴きになるんであれば。
これからはね、iPodの、ああいう要するにデータの配信を良い音で聴く方法は、これからもっと発展していくと思うので。
iPodはね、イヤホンで聴くと・・・良くないんです。
音悪いんです。
再生させる機械が沢山出てるので、それでいわゆる市販のステレオセットにラインでつないで聴くと、凄く良いスペックで聴けます。
それが、これからまた更に発展していくんで、多分そっちの方に・・・
・・・コピーし放題のデータっていうのは、極端に言うと僕らのスタジオでミックスダウンしてるオリジナルの音で聴ける手段としては一番近いので。
殆ど僕らのマスターと同じ音が聴ける状態にすぐになりますから。
ただし、それはプロテクターがかけられないので。
◎ ♪ 俺の空
小島麻子さん:
先ほどの喜怒哀楽で怒が抜けてるなんて話がありましたけど、結構この曲は・・・
達郎氏:
シャレですよ(笑)
小島麻子さん:
今回、アルバムのプロモーションでのインタビューなんかも読まさせて頂いたら、結構インタビュアーの方も、音楽関係の方も”俺の空”に反応されてる方が多いですよね!
達郎氏:
だから、本当にこういう音楽が21世紀になってね、こういう音出なくなっちゃったのよね、だから。
デジタルってのは音いいって言うんですけどね、大人しいんですよ、綺麗なの。
綺麗で終わるんだけど、ロックって歪んじゃうんですよね。
歪がガッツなんですよ。
“歪感”それが出ないんです。
なんでもき綺麗に、ダイヤフラム広すぎて。
だからシャウトがシャウトに聴こえない。
こういう風にディスト―ションでガーンとやっても、ちっともその感じになんない。
録った音がね。
小島麻子さん:
ギターはもちろん、達郎さん弾いてらっしゃる。
達郎氏:
これはね(笑)
はい、恥ずかしながら。
◎ ライブはお客さん喜ばせるために
小島麻子さん:
インタビューで読んだことがあるんですが、ライブの時は、何ていうか自分がエキサイティングする事ってあまりないんだっていう風に仰ってたような気がしたんですけど。
でも、なんかこう、アドレナリン出るみたいな瞬間ていうのは・・・ありますか?
達郎氏:
バンマスなので編曲も全部やって譜面も書きますのでね。
だから、結局段取り・・・後ろの人が、ちゃんとやってくれるかチェックしつつ、やらないとね(笑)
ほんとの意味の表現っていうのは、出来ませんから。
だって、お客さん喜ばせるためにやってるのに、自分が別に喜ぶためにやってないから。
それが、要するに”熱くない”って言われるんだったら、その限りですけどね。
そういうもんじゃ無いって、僕は思ってるので(笑)
◎ いのちの最後のひとしずく
小島麻子さん:
いくつか気になった曲などが、ございまして。
勿論タイアップが付いている聴発のシングル曲もあったりするんですが、その中で、私、女性でもありますので”ちょっと珍しいな”って、女性目線で詩を書かれている曲もあったりするんですよね。
「いのちの最後のひとしずく」という、この曲はお手元にCDが行きましたらお聴き頂きたいと思うんですが。
達郎氏:
マイナーメロだったら、完全に演歌ですよ(笑)
詩の内容がね。
小島麻子さん:
達郎さん、演歌も・・・
達郎氏:
演歌大好きですよ。
小島麻子さん:
女性目線の詩っていうのは凄く珍しいのかなって。
達郎氏:
女言葉の歌って、たくさんありますね。
昔だったら前川清さんとか、そういうの昔から興味があって(笑)
自分で女言葉で作ってみたいなって。
ほとは誰かに歌ってもらおうかなと思って。
これだと難しいかなと思って、自分で歌ったんだけど結構自分で気に入ってるんですよ。
それじゃ自分で歌った方がいいやと思って。
小島麻子さん:
私あまりカラオケには行かないタイプなんですけ。
久々に、これカラオケにあったら、ちょっと歌ってみたいなっていう曲なんですよ!
達郎氏:
シングルカットしなきゃ!
◎ 人生のアルバム
小島麻子さん:
全13曲という事になりますけれども、製作ノートで一言で表すならということで”人生のアルバム”だと
達郎氏:
大袈裟ですけどね(笑)
小島麻子さん:
やはり、これまでの御自身のアルバムとは違った性格のアルバムが出来たと
達郎氏:
年齢的なものが一番大きいですよね。
この年になると、人の生死(いきしに)が具体性を帯びてきますし。
自分も、あと2年で還暦なので。
ま、言ってみれば夕暮れにさしかかってきてる。
そうなってくると、人間は何処からきて何処へ行くのかとか、生きることとか、死ぬこととか、そういう事を真面目に考えてしまう。
そういうのが作品にフィードバックするのは当然の事なので。
若いころは自分が世界の中心だったじゃないですか。
人生は永遠に続くと思ったし。
20代の頃は50歳なんてのは、遥か彼方のね、ものだったですけど。
ここに来ると、人生あっという間だなって。
小島麻子さん:
3月11日を機会にして本当に大きく、全ての価値観というのも変わったと思いますし、そしておそらく音楽も、聴かれ方そして表現者の皆さんの発信の仕方っていうのも、恐らく悩まれている方も沢山いると思うんですが。
これからの音楽っていうのは、達郎さんはどのように、行く先といいますか・・・
達郎氏:
あのぉ・・・
こういう大きな騒乱があると、必ず文化っていうのは変わるんですよね。
そういう大きな騒乱って、僕はもともと1970年代のいわゆる70年安保っていう大きな騒乱で、そこの時にバンドに出会えてて、高校途中でドロップアウトして大学3か月でやめてバンドになったんですけど。
一回挫折してるんですよ。
ドロップアウトっていう一種の挫折を味わってやってるので。
ずーっと36年守ってきた事は、平穏な時代なので、こういう事をやれてるんだって。
いつか同じような騒乱が多分起こるだろうっていう事はね、昔から思ってたんですよね。
それまでは、のほほんとやってますけど、そういうのが起こったら多分僕らの音楽っていうのは、大きく文化は変わるので、新しい世代が・・・提出してくれるものってのは、全然僕らが想像つかない若者ね。
言ってみればビートルズが出てきてからの、ビートルズ以前の昭和歌謡みたいな、そういう扱いを僕らはされるだろうって。
自分のパッションをどうやって維持してるかとか、そういう体力的問題もありますけど。
僕35年やって自分の音楽生活、なんの不満も無いので。
これから先は僕自身としては、なるべく人に尽くす、人に奉仕するための音楽って、そういうのを考えて行こうかなと自分では思って。
その一つのとっかかりとして今回のアルバムコンセプトは置いてるんですけどね。
でも、それでも音楽は続いていくので。
人も生きていかなきゃ、なんないので。
そういう事は、自分が自分の立位置で、自分の場所で、自分がやれる事を、一人ひとりがやって行くってことが。
一ミュージシャンですから、そういう事しか申し上げられませんけれども。
◎ ♪ HAPPY GATHERING DAY
達郎氏:
僕の45年くらいの友達がいるんですね、中学校から一緒なのが。
一年に一回くらいしか会えないですけど。
ほんとの友達って、別に会わなくてもいいんですよね。
5年にいっぺんしか会わなくても、会った途端に昔に戻れるんですよね。
小島麻子さん:
“お前は変わらないなぁ”みたいに言われますか?
達郎氏:
そうですね。
お互い変わらないんですよ。
医者やってるやつとか、いますけど。
小島麻子さん:
音楽業界の人とか・・・
達郎氏:
それは一人もいません。
ただ普通のかたぎです、みんな。
小島麻子さん:
“かたぎ”って言われると、音楽関係の人かたぎでないって感じですけど(笑)
達郎氏:
音楽関係、かたぎじゃないでしょう(笑)
ヤクザな商売ですよ(笑)
◎ リスナからの質問
小島麻子さん:
質問が来ています。
19歳のT.Sさん。
『今自分のバンドの歌詞をチェックしながら聴いています。僕と同じ10代の時、達郎さんは将来について、どのような事を考えていましたか。
色々と不安はありませんでしたか?』
達郎氏:
そりゃ、ありますよ(笑)
ドロップアウトだもん。
ほんとは天文学者になりたかったんですけどね。
高校入るまではね。
星見て暮したかったんですけどね。
見事に人生狂いましたけど。
狂っても良かったんじゃないかって言われますけど、そんなに簡単なもんじゃないですよ。
でも、僕はドロップアウトした人間なので、そんなに簡単に人生終わらないので、僕の親はね、30過ぎてから事業に失敗して苦労したので。
一人っ子でしょ。
それがバンドかなんかに、うつつぬかしてアレしたんですけど。
ま、何やってもいいけど、30までにこれが自分の、男一匹の一生の仕事だっていう事を決めろと。
そうしないと、30過ぎて方針転換するのは凄く大変だから。
そういうのはね、サブリミナルでずっと刷り込まれたので(笑)
それは有り難かったですけどね。
ゆっくり決めればいいと思いますよ。
そういう時代だし。
今年十万人くらい大学生が就職できなくて、あれでしょ。
そんな1年、2年遅れたからって人生変わらないから、そんなに。
あんまり焦らないほうがいいですよ。
◎ シネコン
小島麻子さん:
小島麻子がお送りしています、週末のレビュージャーナルANSWER。
引き続きゲストは山下達郎さんです。
長く生放送を・・・
達郎氏:
こんなに長く出さして頂いて、久しぶりですね。
小島麻子さん:
ほんとに、もう楽しくて。
もう、そろそろって感じがきてしまいました。
ここで、今後の山下達郎さんのお知らせでもあるんですが。
今回ですね、アルバムの初回限定盤、もしくは通常盤初回プレスについている帯の裏に記載されているシリアルコードで応募していただくと、特別なイベントに参加できるかもしれないと。
これがですね、初回盤に付いているボーナスディスク、ライブ・テイクなんですが、以前8インチシングルで・・
達郎氏:
その時のカップリングのアレで、殆ど今廃盤なんで、それを21世紀でリマスタリングして、オマケで付けました。
小島麻子さん:
で、こちらの音源を映像付きで。
達郎氏:
全部映像があるので。
それをシネコンでご覧頂こうという、そういう企画です。
小島麻子さん:
こういった試みというのは初めてですか。
達郎氏:
始めてです。
まだ実験なので。
ですから、ま、それに応募して当たった方は、一種の実験台になって頂こうと。
小島麻子さん:
実験台・・・(笑)
全ての会場に山下さんが・・・
達郎氏:
お買い上げ有難うございますと、御挨拶に行きます。
小島麻子さん:
もちろんトークなども・・・
達郎氏:
あると思います。
小島麻子さん:
でも、こういった、同じ空間で昔の映像を一緒に楽しもうなんていうアイデアはご本人のアイデアですか。
達郎氏:
ま、シネコンでそういうを、やったらどうかって、今、現実的に色んな方がやってらっしゃるじゃないですか。
シネコンって音がいいのでね。
画面も大きいので、ライブ会場と割と似た環境で味わって頂けるから、テレビでDVD見るのと全然違うんですよね。
そういう事がうまくいけば、今後も、そういうアレに繋げて行きたいという意図です。
◎ ライブツアー
小島麻子さん:
今回の2011-2012のツアーなんですが、全スケジュールは明日(8/6)解禁という事になっています。
山下達郎さんのHPでチェックして頂きたいと思いますが。
かなりの本数だとお聞きしていますが。
達郎氏:
今年は38都市64公演ありますね。
来年の5月まで続きます。
小島麻子さん:
このボリュームでやるという事に関しては。
達郎氏:
昔、これくらいやってたんですよ。
30代の頃はね。
ようやく、だから今年で、ツアー再会して3シーズン目になりますが、ようやくだから、30代のそういうペースに戻ってきたので、ようやくツアーをやってますって。
小島麻子さん:
一昨年の一回しか観れてないので、もう、ほんと観たいですね。
私もパッション度を上げておいてですね、負けないように準備していきたいと思ってます。
あの、ちなみになんですが、あの・・・・
達郎さんが好きなライブ会場の基準っていうのは・・・あるんですか。
達郎氏:
基本的には多目的ホールと呼ばれる2000小屋と言われるホールですね。
椅子のある。
その規模でやろうと思ってる。やってきましたし。
ほんとはライブハウスの方が好きなんですよ。
100、200が理想ですけど、それやったら体持たないので。
ライブハウスもね、本当は今年8月あたりにライブハウスのツアーをやる予定だったんですが、地震が起こっちゃったんで。
アルバム自体をこっち延ばしたんで、今プロモーションやってますけど、ほとは今頃にねライブハウスのツアーやってるつもりだったんですが。
それも、またいつでも出来ますので、それはやるつもりでいます。
それになると、また切符取れないって文句言われますけど。
それ、道楽なんで、しょうがないですね。
小島麻子さん:
それでは、今日最後の曲になります。
達郎さんから曲紹介お願いします。
達郎氏:
今回のアルバムで一番古い曲ですが、ドラマの主題歌になっております、お馴染の「ずっと一緒さ」。
◎ ♪ ずっと一緒さ
小島麻子さん:
「ずっと一緒さ」を私がどうしても、自分で聴きたいという事もありまして、ラストナンバーにさせて頂きました。
さあ、という事で生放送でお届けしてきましたANSWER。
お別れのギリギリまで山下達郎さんにはスタジオに残って頂きました。
何か失礼な事を私がパッションにまかせて言ってしまったのではないかと思って(笑)・・・
達郎氏:
大丈夫ですよ。
小島麻子さん:
FAXでのメッセージが来ました。
ありがとうございます。
43歳、Wさんです。
『今、夕食の用意ができたので、食べながら聞いています。
達郎さんが生でご出演とのこと、久しぶりにドキドキして聞いています。
達郎さんのハーモニーにどれほど慰められ助けられたか。
わが息子にも良く聴かせています。
音楽はやはり人の心を動かしますね。
いつも有難うございます。』
達郎氏:
こちらこそ。
ありがとうございます。
小島麻子さん:
慰められる、助けられた・・・
本当に地震のあと、ここで番組やってても、”やっと音楽が流れてきて泣くことができました”とか”子供たちがやっと笑いました”なんて話もありましたが。
これからも、音楽にどれほど寄り添えるか、人の心に寄り添えるかという。
ラジオの私はプロとして頑張っていけたらと思いますが。
達郎氏:
ほとにね、全く終わって無いので。
先長いので。
小島麻子さん:
このあと、楽しみになってきますのは、もちろん8月10日のアルバム「Ray Of Hope」のリリース、6年ぶりです。
さらにツアースケジュールは明日解禁という事になりますので、是非山下達郎さんのHPでチェックをお願い致します。
様々なところでインタビューなんかもされてますが、HPでチェックして頂きたいと思います。
アルバム出たタイミングでしかお会いできないとなると、ちょっと悲しいんですが・・・
達郎氏:
すいません!
小島麻子さん:
いつでも、是非是非、お待ちしております。
という事で今日のANSWERのスペシャルゲストは山下達郎さんでした。
今日は、どうもありがとうございました!
達郎氏:
こちらこそ。
失礼しました。
コメント
貴重な情報ありがとうございます。
ジプシーラムズ さん、こんにちは。
管理人の9thNUTSです。
> 貴重な情報ありがとうございます。
コメントありがとうございます。
この方法は運よくラジコで聞くことができました。
達郎さん、サンソンで話すトーンとちょっと違って、お客様って感じでしたよ。