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山下達郎さんゲスト 2011年8月11日 NHK-FM ジャパニーズ ゴールデンポッポス

山下達郎さんゲスト 2011年8月11日 NHK-FM ジャパニーズ ゴールデンポッポス

長崎市内はここ数日間、毎日雨が降ってます。
どんよりとした真っ黒い雨雲が垂れこんで、日中も薄暗く気温も30度以下に。
そして突然の激しい雨と風で、まさに荒れ模様の天気。

さて、2011/8/11にNHK-FMでオンエアされた「ジャパニーズ ゴールデンポッポス」に達郎氏がゲスト出演され、新譜に関連して、シンガーソングライターとしての作詞に対する考え方、プロデューサーへの拘りなどについて興味ある話を聞かせて頂きました。 

ここでは、その一部をテキスト化(文字お越し)しましたのでご紹介します。
誤字脱字はご容赦ください。

◎ 冒頭

達郎氏:

山下達郎です。

西村直子さん:

そして、西村直子です。

5日間にわたりお送りしているNHK-FMジャパニーズ・ゴールデン・ポップス。
4日目はですね、山下達郎さんをお迎えしてお送りしていきます。
宜しくお願いします。

達郎氏:

宜しく、どうぞ。

西村直子さん:

達郎さんといえば、”夏だ、海だ、達郎だ”っていう雰囲気がしますが。

達郎氏:

そういう時代もありましたね(笑)

西村直子さん:

夏という季節は達郎さんの中で、どんな季節なんですか。

達郎氏:

ふふん、夏は嫌いです(笑)

西村直子さん:

そうなんですか!

達郎氏:

暑いし、飯はまずいし、虫は多いし、物は腐るし。

西村直子さん:

じゃ、幼い頃からそんなに・・・・

達郎氏:

やっぱり、秋から先ですよ!
物悲しいね、秋の、こう・・

西村直子さん:

切ない感じですが好き?

達郎氏:

そうですよ。

西村直子さん:

もう、幼い頃から切ない感じが好きだったんですか?

達郎氏:

そうですね。
だいたい、家っ子だったので。
アウトドアに関係ない人だったので。

西村直子さん:

という事は、まぁ、ファンが求める夏のイメージに反発したいなって思わないですか?

達郎氏:

そんな(笑)

あのね、そういう”夏だ、海だ、達郎だ”って言われた時代って、ちょうどカーステレオとウォークマン?
そういうものが出てきたアレなんで。
音楽をアウトドアに運ぶっていう、そういう時代だったんです。
カセットテープでね。

そうすると、車で運転しながら、どういう音楽聴くかっていう、そういうニーズが出て来るじゃないですか。

そういうもので、それに合う音楽探してたら、僕のが一番合ったっていう、そういう結果論ですよ。
別にそういうのに合わせよう(笑)と思ったのも一度も無いし。

西村直子さん:

そうなんですね。

この夏は6年ぶりのオリジナル・ニューアルバム『Ray Of Hope』がリリースされたばかりですが。
デビューしてから、

達郎氏:

ハイ

西村直子さん:

自分のCDや作品を・・・・
発売日に見に行った事ってありますか、お店に。

売れてるかな、みたいな(笑)

達郎氏:

遠巻きでね。
近づかないようにしてますよ。

だから、あの、30mとか、それぐらい先から伺ってるという。
発売日近辺は、特に銀座あたりには行かない事にしてます(笑)

近寄らない事にしてます(笑)
怖いですから(笑)

西村直子さん:

ちなみに、最近でもそういった行動をされてるんでしょうか。

達郎氏:

最近は、しませんねぇ(笑)

でも、ほんとに、あの、発売日に例えばインストアライブとか、そういうのやった事もありますし、昔はね。

ですから、半分本当で、半分冗談みたいな感じですけど、でも、発売日に実際にお店に行って、お客さんの買ってるのを実際見た事は、若い頃何回かあります。

最近は怖いから行きませんけど(笑)

西村直子さん:

怖いだなんて。
もし、あの・・・久しぶりにお店にも行ってみようかなと思ったら、是非行ってください!

きっと声掛けられると思いますので。

達郎氏:

(笑)
変装して行きますよ。

西村直子さん:

(笑)
それでは、今日はニューアルバムについて、じっくりとね、伺っていこうかなと思うんですけど。
名曲、ヒット曲とともに、魅力にグイグイと迫っていきたいと思います。

達郎氏:

怖いな!

西村直子さん:

最後まで宜しくお願いします。

達郎氏:

こちらこそ。

西村直子さん:

NHK-FMジャパニーズ・ゴールデンポップス
オープニング、この曲から行きましょう。

達郎氏:

では、MY MORNING PRAYER

◎ MY MORNING PRAYER

西村直子さん:

仙台市にお住まいのYさんから。

『3月の大震災では、いろいろと考えさせられました。
今まで何不自由なく暮らしていた日常があたりまえな事では無かったのだと考えさせられました。
でもこの曲と出会って前向きに考える事ができました。』

Sさんから、この曲にもリクエスト頂いていました。
ありがとうございます。

達郎氏:

ありがとうございます。

西村直子さん:

この「MY MORNING PRAYER」ですけれども、東日本大震災を受けて全面的に曲を作り直されたという事なんですが。

達郎氏:

とある番組のテーマソングとして書いていたんですが、その時は全然別の曲だったんですね。
その別の曲をレコーディングしてる最中に震災に遭ったので。

もうちょっとね、ギターリフで始まるアップテンポので、まぁ、いつものチャラチャラした曲だったんですよ。
朝の、そういうニュースバラエティみたいな番組だったので。

これだとやっぱり、この地震の後だと良くないなと思って全部捨てて、もう一回書きなおしたんです。
それが、この「MY MORNING PRAYER」という曲ですね。

なので、ほんとに、ど真ん中で作ったので(笑)

やっぱり曲ってのは、何て言うのかな、装飾的って言うか、なんか要するに恰好つけるっていうかね。
言葉でも何でもどうやって、恰好つけるか、そういう事普段はそういう事考えて作りますけど、この時は、やっぱり精神的にそういう状態だったでしょ。

だから、もう完全に、何ていうか直球勝負っていうか、何の技術性も装飾性も無いっていうかね。

だから、ちょっと自分じゃ恥ずかしいんです。
でも、それもそういう人生かなって。

西村直子さん:

10日間で仕上げたって聞いたんですけど。

達郎氏:

そうですね(笑)

◎ その時どうしようかなっていう問い掛けはね、思って生きてきたので。

西村直子さん:

きっと震災後っていうのは、ミュージシャンに限らず、私自身もそうなんですけども、何をしたらいいのか判らなかったりとか、立ち止まってしまったりとか、迷いだったり、そういうのを抱えている人って、多かったと思うんですよね。

でも、その中で達郎さんが、すぐ動き出したというか、そういう心の強さっては、どこから来るのか・・

達郎氏:

こっちは、年寄りですからね、もう(笑)

西村直子さん:

でも、どうして・・・・
“切り替える”じゃないですけども・・・

達郎氏:

僕はもともと10代から20代にかけてドロップアウトなんですね。
高校出て大学行ったんだけど3か月で辞めちゃって。

そういうドロップアウト世代なので、70年安保って政治の時代だったという事もあるんですけども。
あとは、ちょっと音楽にのめり込んでいたと、そういうのもありますし。

いろんな理由があって、若い頃にいったん挫折してから、ミュージシャンっていうアレを始めてるのでね。

もともと一回、ねじれちゃってるんですよ。

だから、そういう、こう、あのぉ・・・
やっぱ70年安保ってのは物凄く大きな騒乱だったので、人が死ぬくらいの騒乱だったので。

だから、そういう時代に生きたので、たまたまミュージシャンになっちゃったんですけど。

音楽に限らず文化っていうのは、割と平穏じゃないと平和じゃないと出来ないものなんですよね。
あらゆる文化はね。

戦争の真っただ中で、今みたいな形で文化活動って出来ない訳で。
それこそ、アフリカで毎日内戦繰り返してるような国だと、文化表現ってのは、全くアメリカ的な形ではできない訳で、ヨーロッパ的な形ではね。

そうい事が、我々は非常に運がいい事に、非常に平穏な時代で、三十・・僕、六年目になりますけど、この三十五、六年、基本的には大きな騒乱は無い状態で音楽続けられてきたので。

でも、いつか、そういう事が永遠には続かないっていうね。
それは、何故かっていうと最初にドロップアウトして始めた人間だから、どっかでまた、何か起こるんじゃないかって、いつも思ってやっているんですよ。

なので、この地震が起こって来るべきものが、僕のイメージしてきたものが、やっぱり来たなって感じなので。
そういう時、どうしようかって前からずっと思ってやってたので。

西村直子さん:

心構えというか・・・

達郎氏:

あります!
ありました。

西村直子さん:

あったという事ですね・・・・

達郎氏:

一回挫折してから始めた人間なので、またそういうような事が起こるだろうなって、その時どうしようかなっていう問い掛けはね、思って生きてきたので。

なので、まぁ、それ程、何ていうのかな・・・
しょうがないじゃないですか、そこでパニックになっても仕方が無いので。

西村直子さん:

私なんかは、達郎さんのイメージって、成功された方っていうイメージがやっぱり何処かにあって。
時代背景とかも、私が生まれた時とはちょっと違ったりとか。

達郎さんの音楽を、後から追って聴いている世代だったりとかするので、最初にドロップアウトして挫折からスタートしたっていうには、親近感湧きましたね・・・

達郎氏:

ぐははは(笑)

西村直子さん:

ああ、達郎さんも、そういう・・・

達郎氏:

何をもって成功で、何をもって失敗かっていうのは判らないですよ、人間。
死ぬまで判りませんからね。

例えばお金が儲かって名声があると、それが成功と言えるのか。
平和な家庭で、それほど裕福ではないけど子供と家族が仲良く暮らせる事が平和なのか。

そういう事の価値観っていうのは、一人ひとり皆違うので。
それが死ぬまで追い求めて行くしかないんですよね(笑)

西村直子さん:

若い世代で言うと、皆が皆じゃないと思うんですけど、最近は失敗したくないとか、傷つきたくないとか、どっちかというと、自分の甘えた方向に行きたがる人達も多いと思うんですけれども。

達郎氏:

それはやっぱり、世の中が平和な証拠なんです。

西村直子さん:

それって、いい事なんですかね。

達郎氏:

僕はいい事だと思いますけどね。
でも、それで傷ついたら・・・何ていうのかな、失敗したからっていって別に・・・
それで何ていうのかな、一生終わりじゃないですから。

僕の二十二、三の時もオイルショックで未曾有の就職難だったんですよね。

僕はミュージシャンだったので、アレじゃないんだけど、サラリーマンになるのが、とっても大変で。
そういう時代の苦悩とか挫折ってのは、必ず後に生きますからね。

“若い頃の苦労は買ってでもしろ”ってね、そうやって言うでしょ。

今は、特に人生って七掛けの人生って・・・長生きだし。
昔は人間五十年って言われてた訳だから。

今、七割っていうから五十だったら、五・七、三十五。
昔の三十五くらいのメンタリティで生きてるって言われてる世の中ですから。

だから例えば三十まで就職決まんないでおいても、それは、それで、そういう事なので。
別にそれで一生決まらないから。

そこから、全然ね、やり直しきくしね。

有名な方で言ったら、作詞家の方でも五十過ぎて、作詞家始めて成功した方とか。
作曲家でも、そういう方たくさんいるんですよ。

幾つになってもね、ミュージシャンなんかでも何ていうのかな・・・
三つから楽器習ってね、そいうプロの演奏家だったらそういう事必要ですけど。

例えば曲を作るんだったら二十歳すぎてからピアノ始めても全然遅くない。

西村直子さん:

スタートはいつでも大丈夫って事ですね。

達郎氏:

いつでも大丈夫。
自分がやりたいと思えば、それでいいんです。

でも、でも、成功しない事もあるかもしれない。

西村直子さん:

それも自分で受け入れてっていう事ですよね。

達郎氏:

そうです!
夢は必ず叶うとかね、そういう安直な発想ではないんですよね、人生って。
実は、夢ってそんなに叶わない。

人間、人生、七割運だっていうのがね、僕の人生の中で(笑)

夢は叶わないけど、叶うために努力する、如何に努力したかっていう事が、自分で納得できるか。

やるだけやったから、まぁいいやっていうね、ま、”身の丈”っていうかね、あんまり良い言葉の選択じゃないですね。
そういうような事を考えて生きてると、人間不幸になる。

西村直子さん:

七割運っていうのは、運を呼び寄せるには、どうしたらいいんですかね。

達郎氏:

ん”~難しいですね!
それは、どんなに努力してもダメな人もいるし。

全然たいした努力しなくても(笑)
世の中に出ていける人もいますし。

それはねぇ、やっぱり天性、神様が選んだってことしか言えないでしょ。

人のこと見て、物凄くあの人は成功しているなとか、羨ましいとか思う事があるかもしれないけど、その人が抱えてる事は全然違うことかもしれない。

そう簡単に、人間って重層的なので、絶対善とか絶対悪とかそういうの無いのでね。

西村直子さん:

その分、三割の努力が光るわけですね。

達郎氏:

そうですね(笑)

西村直子さん:

どのぐらい、濃密に努力できたかっていう事も自分の栄養になりますものね。

達郎氏:

ある程度ポジティブシンキングっていうかね。
自分がこうなりたいって思う、思い続けると、なれる確率が高くなってくるというか(笑)

それは論理性がなくてオカルトみたいな話かもしれませんけど。
色んな人の人生、たくさん見て、こっちも歳とってるから、そういう傾向はありますね。

始めから投げちゃって、そんなもん出来る訳無いってやるよりも、やりたいんだってアレした方が、たとえ失敗しても。

あんまり短い時間じゃ出来る話じゃ無いんですけれど。

西村直子さん:

達郎さんって、誰かを羨ましがったりする事ありますか?

達郎氏:

そりゃ、ありますよ(笑)
勿論人間ですもん。

やっぱり、僕なんかよりも才能ある人たくさんいるし。

西村直子さん:

そうですか・・・なんか意外だなと思いながら聞いていますけれども。

達郎氏:

みんな、たいして変わらないですよ人間なんて。
生きてる人間なんて。

西村直子さん:

でも、その、例えば達郎さんの歌詞ですよね。
言葉の世界だったりとか、メロディーだったりとか、いろんな世界観を皆さん持たれていると思うんですけど。

先ほどお送りした「MY MORNING PRAYER」ですと、私は、凄く優しいなって思って。
達郎さんが横に居て、おばあちゃんの背中を優しく撫でてくれるような、そういう手の温もりとか、あと、やっぱり生きていくっていう言葉が何回も出てきますよね。

あそこに心を響かされたっていう方、多いんじゃないかなと、私は思っているんですが。

達郎氏:

ほんとにだけど、震災の一週間くらいで作ってる曲ですから。
明日、原発爆発するとか、そういうような情報が入ってる中で作ってますからね。

西村直子さん:

大丈夫だよ、じゃないですけど・・・

達郎氏:

自分ですら、判りませんから。
友達は関西逃げてるやつもいるし。

そういう中で、でも自分仕事あるから、六本木いるしかないわけですよね。
そうなると腹が据わって来るっていうか。

西村直子さん:

戦っていかなきゃ、いけないっていう事ですよね。

達郎氏:

僕ね、そいうパニック意外と強いんですよ。
自分で思うんですけど。

割とね、若いころは凄く気弱でね、僕、どっちかいうと脆い性格だと自分では思っていたんですけど、五十数年生きてきて、パニックになると結構クールになってくるんですね。

西村直子さん:

大丈夫だ、みたいな・・・

達郎氏:

そうです。
自分でそれが、自分で不思議なんですけれど。
いざ、そうなってくると結構そうなってくるんですね。

でも、それは神様が与えてくれたアレだと思ってますけれど。

何の話してんだろう(笑)

◎「クリスマスイブ」と「希望という名の光」

西村直子さん:

『Ray of Hope 』アルバムのタイトルになっていますけれども、これは、もともとニューアルバムに収録されている「希望という名の光」の中から、とられたという事で。

この「希望という名の光」は震災後多くのラジオ番組でオンエアされたっていう一曲になっていますけれども。
これは、作品が世に出た後、リスナーの想いによって達郎さんにとっても特別な一曲になったのではないかなという意味ではですね、クリスマスイブに似てますよね。

達郎氏:

クリスマスイブの時には、完全に狐につままれた気分でね。

あの曲はね、発売されてからチャートの一位になった最長記録を持ってる曲なんです。
六年なんか月っていう。

西村直子さん:

六年六カ月と私はメモしてます。
ハイ。

達郎氏:

その前の記録は「Love is over」の”四年なんぼ”だったんですよね。

西村直子さん:

これは、嬉しいですよね。
長い時間をかけて、広く長く知られるっていうのは。

達郎氏:

でも、あの時は、コマーシャルのタイアップに選ばれて。
で、古今東西、三百曲くらい候補が上がったんですって、代理店でね。

それで選ばれたのがクリスマスイブなので、それ一週間くらいかかってて皆で聴いて、クリスマスイブを最終的に決定したんです。

最初からクリスマスイブありきのプロジェクトだったんです※。
だから、それはもう、ヒットソングになることはね、そこで運命づけられたっていうか。

でも、こっちはね、完璧に狐につままれた(笑)
なんで、こんなに(笑)

※BS朝日で2010年12月7日(火)にオンエアされた「うたの旅人」で、クリスマスイブがJR東海のCMに抜擢された経緯が紹介されました。その内容の一部を「山下達郎氏 クリスマス・イブ」としてテキストアップしていますのでご参照のほど(by 9thNUTS)。

西村直子さん:

でも、嬉しいですね。

達郎氏:

ありがたい事ですね。

西村直子さん:

実は、オープニング、”夏だ、海だ、達郎だ”なんて、私はお話しましたけれど、本当のところはですね私は達郎さんのイメージって冬のイメージなんですよ。

やっぱり、あのぉ、幼い頃に聴いた達郎さんと出会った音楽の一曲っていうのが、まさにクリスマスイブで渋谷に流れていた。

冬になると、達郎さんの声が聴こえてくると、”あ、冬だな。クリスマスだな”っていうのを季節感を凄く感じていて。

大人のクリスマスはなんか楽しいだけじゃや無いみたいだなって(笑)
なんか、あるらしいなって(笑)っていうのを・・・

達郎氏:

ハハハ(笑)
寂しい歌ですからね、あれね。

西村直子さん:

だから、小さい時はあまり深く意味まで判らなかったですけれど、だんだん歳を重ねると、なるほどねと。

達郎氏:

ハハハハ(笑)

西村直子さん:

達郎さんが言ってた事、こういう事だったんだって。

達郎氏:

自分のイメージって人が決めることなので。
ただ、僕、決められた事に関して別に僕は嫌悪感が無いのでね。

どっちも自分が作ったものだから。
自分が作った作品が世に出ると、全くそうやって、人の心がそこに集まって来るんですね。

人がその曲をどう解釈するかって、自分が作った意図と全く違うものが出てくるのでね。
それを、だから無碍に拒否しちゃダメなんですよ、もの作る人間はね。

これは、俺がアレしてた意図じゃないって、よくあるでしょ。
そういう事で作ったんじゃないんだけど、そうなっちゃったとかね。

そういう事は一度もありません。

全て自分が作ったものだから、そうれは、そういう・・・人が、そういう具合に使ってくれるんだったら、それで・・・なんていうのかな。

西村直子さん:

自分が思う山下達郎像というか、作ったものとファンが受け入れる印象というのが、たとえギャップがあっても、それはそれで大丈夫ってことですよね。

達郎氏:

それは、人が決めた事ですから。
そうやって、やっぱり、人の心が決める以上、人の心にやっぱり寄って行くっていうのがポピュラーミュージックは、僕は義務だと思ってるのでね(笑)

僕は別にアーティストじゃ無いのでね。
芸術家じゃないので。

だから、ろういう、いろんな全国にたくさんの人がいて、働きながら音楽聴いて、その音楽でリラックスしたり、癒されたり、酒がうまいと思ったり、そういう事がなってくれば、それでいいので。

西村直子さん:

ハッピーっていう事ですよね。

達郎氏:

そうですよね。

西村直子さん:

先ほど、お話にも出たナンバーをお送りしましょう。

達郎氏:

希望という名の光

◎バラード

西村直子さん:

『Ray Of Hope』ニューアルバムの中から「希望と言う名の光」、山下達郎さん、お送りしました。

こちらには、さいたま市のKさん。
『私の住むさいたま市は、いつも通りの夏を迎えましたが、被災地でこの夏お過ごしのエールとしてリクエストします』と。

他にも、神奈川県のKちゃんから、他、沢山の方からリクエスト頂きました。
ありがとうございます。

さて、今回のニューアルバム、バラードが数多く収録されていますよね。
私の中で、達郎さんのバラードって、印象で言うと、ドラマチックだなって。

達郎氏:

はっははは(笑)

西村直子さん:

映画監督もやったらいいんじゃないかなと(笑)

達郎氏:

映画は、やっぱり共同作業なので。
あれは複合芸術なので。

ミュージシャンって一人でできますからね。

西村直子さん:

なるほど、そうですね。

達郎氏:

映画はとても無理!

西村直子さん:

いやぁー、出来るんじゃないかなと私は勝手に思ってしまったんですけど。

だからこそ、物語のワンシーンを自分で映像化できるような詩の世界、バラードだったりとか、どこかで自分が主人公になっている感覚になるっていうのが、凄く心地よかったり、切なかったりするなっていう印象が凄くあるんですが。

達郎氏:

音楽はね、文学よりむしろ映画とか、そういう絵画に近いものがあるんですよね。
抽象的だったりとか。

西村直子さん:

二十代、三十代、四十代と、キャリヤをずっと重ねてこられたと思うんですけども。

達郎氏:

歳とってきたなって(笑)

西村直子さん:

重ねられてきたと思うんですけども、バラードという一つのジャンルというか、個性ですよね、曲の作り方は年代によって変わりますか?

達郎氏:

やっぱり、その時代、その時代のバラードの在り方ってのがあるんですよね。
なんですけど、まぁ、四十過ぎたくらいから、自分の型っていうが決まっちゃうので。

作曲技法とか・・・

好きな響き方ってあるんですよ。
僕、いつも、イデアって言ってるんですけど。

西村直子さん:

イデア?

達郎氏:

観念的なそういう自分の中の頭の中で描いている漠然とした音世界っていうのがあるんですよね。
全ての音楽家って、そういうものを実際に音として具現化するために努力する訳だけど。

最近は逆で、サイコロふって、たまたまやったのが面白いから行こうっていう。
そういう、ま、ヒップホップなんかそういうのが多いですけど。

でも僕らは、まだ古いタイプの人間なので。
こういう曲を書いたら、こういうカラオケにして、こういう世界っていうかな、したいって漠然としたものがあるんですけど。

そういう音像って言うんですけどね。
ぼくらの言い方では。

音像を、どういう形・・広くとるとか、狭くとるか。
そういうようなのって、結構趣味なんですよ、やっぱ個人的な。

自分の聴いてきた傾向とか。

あとアナログレコ―ディングの頃は、割とワイドな。
音の世界はアナログはデジタルに比べてダイナミック・レンジっていう、低音から高音までの幅が狭いので。

そもその分だけ奥行きを作れるっていうかね、抽象的に作れるんですけど。

デジタルは、物凄くそういう幅が広いので。
逆に、こう、物凄く音が全部前に来るっていうか。

そういうハードウェアの差は凄く大きいんですよ。

だから、デジタルレコーディングになってからやっぱりバラードの音像の作り方っていうのがね、ある程度固定されちゃったきらいがあって。

それはもうアナログには戻れないので。

だから、ま、何が言いたいかって、いろんなハードウェア、ソフトウェア、後は世の中の傾向、いろんなファクターが重なってバラードっていうのは変わって行くんですけど。

なんですけど、僕の場合、四十過ぎたらもう、好きな響きがだいたい決まってきたので、そういう作り方でしかしてません。

もうワンパターンです。
ガラパゴス状態です。

西村直子さん:

そういう意味では四十代から固まってきたと。
二十代、三十代の時はどうだったんですか。

達郎氏:

そういうベタなバラード嫌いでしたね。

西村直子さん:

恥ずかしい?

達郎氏:

恥ずかしいっていうかね、歌手としての、要するに自分にそれほどのポテンシャルがあるっていうか、どっちかいうたら歌が楽器に近いアプローチで作ってたんですよね。

西村直子さん:

歌が楽器っていうのは、どういう事なんですか。

達郎氏:

要するにサウンドの中での歌の役割っていうのが、言葉とか・・・

何ていうのかな、メッセージしたり、そういうものじゃなくて、歌も一つの楽器としての響きで全体的なオケの中でどういい位置を示すかとかね。

ま、FOR YOUとかRIDE ON TIMEとか、あの時代はそういう作り方してたので。
あんまり人間歌うのも嫌いだし。
人間の生活とか、特に狭いテリトリーでの生活で作ったのが、あまり好きじゃなかったので。

都会の、まぁ・・・

都会でも季節があるよね。
雨が吹いたり、雨が降ったり、太陽が照ってたりするじゃないですか。
その中での、心象風景っていいますけど、そこの中での人間のそこはかとない喜怒哀楽っていうのかな。
そういうものを歌うのが好きだったので。

でも、だんだん歳とって来ると、色んな人間が見えてきて(笑)
逆にそういうものが面白くなって来るというものがあるんです。

そうするとね、バラードもね音楽的にも、ちょっと作方を変えないとダメなんですよ。
だから、ま、今回は典型的なんですよ、そういう、こう「ずっと一緒さ」とか「希望と言う名の光」とか。

ま、「氓蒼」っていう歌があるんですけどね。
三十五の時に書いた歌なんですけど。

西村直子さん:

大好きなんですよ、私・・・

達郎氏:

ああいう歌は、ああいう音じゃないと無理なんですよね。
だから、もっとエコーが少なくて、チマチマ・・だからギターの弾き語りじゃ、そういう説得力出ないので。

やっぱり、静かに始めて、だんだん盛り上がって行く。
そういう、要するに時間の経過っていうのがないと、ああいう曲は作れ・・・
要するにね、上手く機能しないので。

それが、編曲法も変えなきゃなんないし。

西村直子さん:

纏めて、いろんな事を相対的に考えないとバラードは・・・
他の曲もね、もちろんそうだと思うんですけど。

達郎氏:

僕は運がいいことに、詩曲、編曲、全部一人でやれるので。
アレンジが出来るっていうのが凄く自分にとってはラッキーでね。
それで、まあ、長いこと出来てるんですけど。

編曲家っていうのは、でも、流行すたりが凄く激しいんですよ。
だから80年代に活躍した歌謡曲の編曲家の人は、ほとんど今いないし。
それは、やっぱり時代のニーズに応えられない。

西村直子さん:

難しいですね。

達郎氏:

難しいんですよ。
僕はシンガーソングライターなんで、そういう意味では運がいいので。
自分だけのアレンジでやっても別に文句言われないし。

これが職業編曲家だと、そういう訳にはいかないですよね。
あらゆる事、やらなきゃいけないから。

◎「ずっと一緒さ」

西村直子さん:

続いてお送りしたい曲はどんな想いで・・・

達郎氏:

これは、3年前にテレビドラマのテーマソングで来たんですけど。
野島伸司さんの脚本なんですよね。

香取慎吾さんの主演で。
野島伸司さんって、ちょっと暗めなドラマなので。

西村直子さん:

そうなんですよね。

達郎氏:

実は最初に書いた曲じゃないんですよ。
初めに一曲書いたのはメロウでね、悲しげな曲にしたんです。

そしたら演出家の人が”200回聴いたけど、これじゃないんだ”と

西村直子さん:

“200回聴いたけど、これじゃないんだ”と

達郎氏:

“ドラマが暗めなので、もうちょっと曲明るくしてドラマ救ってやってくれ”って言う訳ですよ。
で、これ2曲目に書いた(笑)。
書きなおした。

西村直子さん:

それを想像しながら、皆さんも聴いてほしいなと思います。

達郎氏:

だから明るい曲なんです!
「ずっと一緒さ」

♪ずっと一緒さ  

西村直子さん:

シングルとしては2008年にリリースされました。
山下達郎さんで「ずっと一緒さ」をお送りしました。

◎ プロデューサとして

西村直子さん:

さて、自分をプロデュースし続けるという事も、ひとつあると思うんですけども。
やっぱり自分の事を客観的に分析しないと、なかなか人って分析できませんよね。

達郎氏:

できませんね。

西村直子さん:

どんな人間なんだろう。
どういう風に見られてるんだろう。
どういう風に見せたいんだろう。

それは、子供の頃から、やっぱり冷静というかインドア派だった達郎さんの性格が影響してるんですかね。

達郎氏:

ものを作る点では、かなりの妄想家ですけどね。
夢想家っていうか、おんなじ客観性は無いです。

ただ僕は、いわゆる歌手になろうと思って始めた人間ではないので。
最終的にはレコードプロデューサーを目指して始めたんですよ。
だから、バンドを始めた時に、僕は別にそうやってバンドでスターになりたいとか、そういう事全然考えてないし、なれるとも思わなかったので。

特に、当時は日本のロックとかポップとか全然マイナーだったから。
歌謡曲の歌詞のみたいな、そういう事やれないし。

で、まぁ、出来ればだから最終的にはレコード・プロデューサーとかレコード会社のA&Rって言いますよね、そういうものとか、例えば作曲家とか編曲家とか、そういう裏方になりたかったの。

西村直子さん:

そうでしたか・・・

達郎氏:

自分が歌手でそうやって長いこと出来るなんて夢にも思ってなかったし、20代ではね。
どっちか言うと自分の中で無から有を生むっていうような事よりも、人の才能にプラスαするっていう事、人の才能を、どう引き出すとか、そういうのが自分は才能があると思ってたんです。

今でも実際にそう自分では思ってるんですけど。
ただ運よく生き残ってこれたので。

ぼくの奥さんの竹内まりやってのがいますけど、彼女のプロデュースを84年から、もう27年くらいになりますけど。

彼女の、そういう作品で僕のプロデューサーとしてのアレはフィードバックされている・・。

西村直子さん:

やっぱ嬉しかったですか?

達郎氏:

まりやをやるまではね、色んな人をプロデュースしたんですよ。
プロデューサーになりたかったから。

ただ自分にとってジレンマはね、すごく偉そうに聞こえるかもしれないけど、全然そんな事ないんですけど、どんな人プロデュースしても自分の売上越えられないんですよ。

それは、凄く自分にとってプロデューサーとしてのジレンマだったんですけど。
1987年に彼女のリクエストってアルバムが出て、それが初めて僕の売り上げ越えたんですよね。

その時に僕は、これで名実ともにプロデューサーになれたって思ったんですけど。
でも、例えばスポーツ新聞の記者なんかは”お前、奥さんに負けて悔しいんだろうな”ってそういう、それが芸能界の発想でしょ。

僕は全然違ったの、それは。

西村直子さん:

嬉しかった!

達郎氏:

凄く嬉しかった。
これで、要するに自分がなりたいプロデューサーの方向性が見えてきたって思って・・・

西村直子さん:

夢も叶ったって事ですものね。
ずっとデビューから思い描いていたっていう・・・
そうなんですね・・・

◎ 作詞家

西村直子さん:

歌詞の世界も聞いてみたいなと思うんですけど。

例えば、強い気持ちだったりとか、自分がこう思うっていう信念を、達郎さんの言葉は淡い言葉っていう印象を受けるので。

達郎氏:

歌の文句っていうのはね、あんまり具体的に突き詰め過ぎると、しばしば響き邪魔するんですよ。
歌っていうのは、あくまでも、曲と言葉のコラボレーションなので、どっちも勝ってもダメなんですよ。

だけど日本の場合はやっぱり国語教育っていうのは、キチッと皆、小学校の頃からやるので。
日本のポピュラーミュージックに対する解釈力っていうのは70%詩に向けられてるんですよね。

これを小学生の頃から国語教育に費やす人的、経済的な労力を、おんなじ労力を音楽教育に費やしてたら全く違う結果が出てくると思うんだけど。

残念ながら音楽教育はそこまで出来ないので。
結局やっぱり日本は音楽といったら詩なんですよね、7割は。

西村直子さん:

7割は詩・・・んん~

達郎氏:

ほんとは、専門的な音楽の解釈力が要求されるクラシックやジャズの場合は、大量な動員が望めないので、そういう事なので・・・言葉が無いのでね。

どんどん、やっぱりボーカル・オリエンテッドっていうか、ボーカルミュージックが主体になってきてるでしょ。
ここ10年、特にそうですけど。

僕はプロの作詞家じゃないのでね。
それほど技巧的な詩書ける人間じゃないので。
僕、詩がとにかく一番ストレスなので。

詩さえなければ、この世は天国っていう(笑)

西村直子さん:

そうですか!

達郎氏:

詩書きが一番つらいですよ。

西村直子さん:

一番後から悩むところですか?

達郎氏:

そうです。
もう、詩書きがね全制作時間の何十パーセントっていう世界ですから。

ただ、どんな稚拙な言葉でも自分の中から出てきた言葉じゃないと、やっぱり人に伝わらないってのがね。
不思議な事にそうなんですよね。

職業作曲家の人にも何人にも頼んだことあるし。
そういうものだとね、僕のリスナーはね官能しないんですよ。
やっぱり自分が書いた詩の方がいいって言ってくれるんですね。

長い歴史の間に、いろいろトライしたんですけど、それが結論で。
じゃ、どんなに苦労しても(笑)、苦しくても自分で書くしかないって。

で、すごく不思議なデータなんですけど、今、例えば五十代以上で現役でずっと古くから続けてる人って、全部作詞できる人なんですよね。

全て作詞作曲家なんですよ。

これ、日本で凄い面白いことなんだけど、あんまり、ちょっと具体的な名前言っていいのか判んないけど。
それこそ、小田さん、ユーミン、桑田君、長渕君、浜田省吾・・・
要するに作詞家を頼んでるシンガーっていうのは、基本的に途中からパワーダウンしてくるんですよね。
それが何故だか判んないだけど。

きっとその、音楽と人間がどっかでリンクするって事を望むんでしょうね。おそらくね。
その人が考えてる言葉が、その人の歌にのるっていう事がリアリティっていうか、そういうものなんだと。
と、僕は解釈しますけど。

つたない詩なんだけど、自分で、詩、まがりなりにも書けてるので。
それで、まぁシンガーソングライターっていうね、一つの矜持っていうか(笑)、そいうのが保ててるかっていうね、思いますけど。

◎ ホールツアーへのこだわり

西村直子さん:

さて、デビュー36年を迎えられたって先ほども仰ってましたけれども、これまでの活動はやっぱり自分のペースで来るっていうのは、ある意味忍耐強いのかなって思うのですが。
どうですか?

達郎氏:

山谷沢山ありましたからね、ほんとに。

西村直子さん:

その中でもハイペースだなと、自分のペースを保ちつつもハイペースだなと思うのが、近年のコンサートツアーだなと思っているんですが。

達郎氏:

30代は毎年やってましたからね。

西村直子さん:

コンサート会場にも拘りを持ってらっしゃるって聞いたたことあるんですけど

達郎氏:

僕はアリーナのライブはやらないので。
ホールツアーしかやらないので。

西村直子さん:

それはやっぱり、音だったりとか・・・

span style=”color:#0000ff”>達郎氏:

そうですね。自分が観たくないところでは、やりたくないっていう(笑)

西村直子さん:

ご自分のレパートリーをオリジナルキーで歌えるっていう事も聞いたことあるんですけど、これ本当なんですよね。

達郎氏:

お陰さまで(笑)
まだオリジナル・キーでやれてます。

西村直子さん:

その秘訣は?

達郎氏:

それはね、もう運です。完全に。
その人、その人の天性のものですよね、

どんなに努力してやっても、ボイストレーニングだなんだって、やってても出なくなる人は出なくなりますし。
遊んで暮らしてでも出る人は出てますよ。

それは全くの運。

西村直子さん:

今日初めて達郎さんにお会いして思ったのは、スタイルがとてもいいなと。
デビューからジーンズのサイズとか変わってますか?

達郎氏:

いや、それは、一つ二つは変わってますよ(笑)

西村直子さん:

食べ物も気を付けてますか。

達郎氏:

あんまり、やっぱり沢山は・・・
でも、僕、大酒のみなのでね。
そういう意味では休肝日とか、そういうの設けるようにしてますけど(笑)

西村直子さん:

コンサートツアーが予定されていますが、ある意味、全国にエールを送って行こうっていうステージになると思うんですけども、ご自身ではどのように考えていらっしゃいますか?

達郎氏:

2008年にコンサートツアー再開したんですが、それまで6年間できなかったんですね。

いろいろ考える事があって、五十代の後半で、あと2年で還暦なので、それまではやっぱりライブ主体でやって行こうかなって思って始めたんですけど。

お陰さまで3シーズン目で、去年と一昨年の2シーズンやってお陰さまで、だいぶ調子が出てきたので。
ようやく今回は64本っていう、30代くらいのペースでやれるようになったので。
いよいよ本格的にコンサートツアーがやってますってレベルになりました。

西村直子さん:

詳しい情報は、山下達郎さんのオフィシャルホームページでチェックしていると思いますけれども、待ってると思いますよー!
ほんとに楽しみにしてる人、たくさんいらっしゃると思います。

では、こちら一曲いきましょうか。

達郎氏:

はい。

これは去年のシングルでしたけれども、

♪街物語

◎ エンディング

西村直子さん:

たくさんの方からリクエストありがとうございました。
山下達郎さんで「街物語(NEW REMIX)」お送りしました。

私も人形町はよく行くので、この曲を聴くとぱっと流れてきますね。
たくさんのリクエストありがとうございました。

この番組を聴いての感想もお待ちしています。

宛先は、
〒150-8001
NHK FM 「ジャパニーズ・ゴールデンポップスの係」

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今日一部聴き逃したのいう方、もう一度じっくり聴きたいという方、8月18日(木)午後4時から再放送が予定されています。
是非チェックしてくださいね。

さあ、ジャパニーズ・ゴールデンポップス、エンディングの時間となりました。
ほんとに今日はありがとうございました。

達郎氏:

こちらこそ。

西村直子さん:

実はですね、昨日はですねマーチンさん、リーダー鈴木雅之からの伝言がありまして。
「久しぶりにドゥ・ワップの話をしたいです。
そしてツアー、体調に気を付けてのりきって下さいね」という。

達郎氏:

そのままお返しします。

西村直子さん:

判りました(笑)
なんとかして伝えておきます!

私実は、今年で32歳でして。
達郎さんというと私の父親世代なんですね。

達郎氏:

親子ですね。

西村直子さん:

歳の差というかギャップを・・・良い意味でですよ、あんまり感じなかったです。

達郎氏:

ふははは(笑)
人間、20年や30年で、そう変わりませんから。

西村直子さん:

どこかに少年の心とか、20代、30代、40代の心を持ち続けている、その感覚が、たぶん今の音楽作ってるのかなって思いました。

達郎氏:

とっちゃん坊やですからね。

西村直子さん:

今日はほんとに有難うございました。
最後はこの曲聴きながらお別れしたいと思います。

達郎氏:

それでは、NEVER GROW OLD

西村直子さん:

“決して古びない”という達郎さんの理想をタイトルにした曲なのかなと

達郎氏:

なりたいですね、そう。

西村直子さん:

NHK-FMジャパニーズ・ゴールデンポップス、お相手は西村直子と

達郎氏:

山下達郎でした。

♪NEVER GROW OLD



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