山下達郎さん NHK-FM『サウンドクリエーターズ・ファイル』2012年9月23日
さまざまな世代のサウンドクリエイターが月替わりで登場、作品にまつわる秘話や影響を受けた音楽を、こだわりの選曲を交えて紹介するNHK-FM『サウンドクリエーターズ・ファイル』。
9月2日(日) 21:00 – 23:00
9月16日(日) 21:00 – 23:00
9月23日(日) 21:00 – 23:00
今回の放送でもデジタル録音の難しさを力説していましたね。
ゲストの東山紀之さんの話も、うむ、なかなか面白かった。
そして「仕事」についての達郎さんのコメントも説得力あります。
達郎氏:
『だから初めから仕事ってのは、ほんとに超一流の仕事がね、出来るわけがなくて。
僕らみたいにアンダーグラウンドから上がってきた人間は、初めはやっぱり正直言って、あんまり質の良くない仕事でもやらなきゃなんないわけですよ、食うためにね。
例えば、”こんな曲でな”って思うような事をアレンジしなきゃいけない、編曲しなきゃなんない時にも、そういう時はだから、何を考えるかっていうと、曲は酷かったけどアレンジは良かったとかね。』
このブログでは前半部分の一部をテキスト化しています。
誤字脱字は、ご容赦くださいませ。
第1回の前半部分は、こちらをどうぞご覧ください。
第2回の前半部分は、こちらをどうぞご覧ください。
◎ 冒頭
達郎氏:
みなさんこんばんは。
山下達郎です。
サウンド・クリエーターズ・ファイル
この番組は様々な世代のサウンドクリエーターが月替わりで登場。
作品にまつわる秘話や影響を受けた音楽を、こだわりの選曲を交えながら紹介するプログラムであります。
9月は私、山下達郎が担当させて頂いておりますが、
今夜は3回目。
私が担当をさせて頂く、いよいよ最終回になります。
宜しくお願い致し申し上げます。
今日も、この方にお付き合い頂きたいと思います。
平田毅:
はい、NHKアナウンサーの平田毅です。
達郎さんね、今年の夏、たいへん忙しかったんじゃないですか?
達郎氏:
この一年半くらいは、とんでもなかったですね(笑)
37年やってますけど、こんなに忙しかった一年間はありませんね。
平田毅:
シアターライブも非常に順調に・・・
達郎氏:
お陰さまで。
予想を大幅に上回る動員で。
平田毅:
去年はテスト的になさったですよね。
達郎氏:
あれは、要するにオマケみたいなもので。
販促活動ですね(笑)
平田毅:
今回はほんとに本格的に始まって大好評。
達郎氏:
お陰さまで。
平田毅:
これは、どうなんですか。
たぶん、もっとやってくれって声があると思うんですが。
達郎氏:
う~ん、ま、機会があれば、また。
ただ、結構大変なんですよ、構成とかね。
あとリマスタリングがね、たいへんなんで。
ものすごく時間が無い時にやってたので、少し詰めてやったので、もう少し、ちょっと色々とまた・・・
平田毅:
またあるかも・・・しれない
達郎氏:
はい。
平田毅:
それから、山中湖野外フェスティバル
達郎氏:
一昨年、一回やりましたんで、今年も。
なかなかね・・・
いつも3時間くらいやってるでしょ。今回65分だったんですけど。
そうすと、あんまりやった気がしない(笑)
平田毅:
やっぱり野外って感じが違うもんですか。
達郎氏:
お祭りですからね。
昔と違って、何て言いましょうかね、老若男女っていいましょうか・・・
家族連れとか、そういう方々もたくさんいらっしゃいますし。
僕にとっては・・・
野外ライブって若い頃たくさんやったんですよ。
あんまり、いい想い出がないんですけど(笑)
一昨年、北海道でやった時に、ほんとに時代が変わったなっていうか、皆、和気あいあいと聴いてくれてるので、
じゃもう一回やってみようかと。
今度は関東地区でいってみようか、と。
そういう感じでやったんです。
お陰さまで若い人も沢山、ご覧になって頂いたし。
いい時代になりましたね(笑)
平田毅:
それから、まもなく発表になるオールタイム・ベストアルバム。
これも選曲したり、リマスターしたりと、相当忙しかったんじゃないですか。
達郎氏:
そうですね(笑)
でも、一番ベストアルバムで大変だったのはノイズ取りです(笑)
バグ取りって言いますけど。
むかーしの、特にアナログ時代の音源っていうのは、ほんとに、LPの場合は溝に切って、それを針でひっかくでしょ。そんな判んなかったもんがデジタルで、物凄く音量が上がってるのでね。
そうすると例えば”さしすせそ”とか、あとリップノイズって、こういうヤツね、ピチャピチャってやつ。
これが物凄いんですよね。
ピチャっていうのはデジタル・リマスタリングするとバチーッってくるんですよね。
それを取る作業っていうか、それに一番時間かかりましたね(笑)
平田毅:
相当細かく拾わなきゃだめですね。
達郎氏:
そうなんです。
2トラックの出来あがってるマスターなので、やれる事限界があるんです。
あと、夜明けにミックスしてるんでシンバルがでっかいとか。
そういうようなものは、どうしようもないので(笑)
結構そういうものをリマスタリングで補正するっていう作業が苦労しましたね。
平田毅:
今年は達郎さんのソロデビューから35周年ということで、今月のサウンド・クリエーターズ・ファイルは、達郎さんのソロ35年プラス、シュガーベイブ時代2年。
37年の活動期を3つに分けまして、当時のエピソード、曲作りについてお話を伺ってます。
3回目はですね、今夜は1995年、平成7年から2012年、現在平成24年までの17年間。
達郎氏:
今回の3回はベストアルバムのディスク1,2,3、それに準じてやっております。
平田毅:
最初が7年間あって1975年から82年。
82年にムーンに移籍すると、いうとこからが一人になって。
最初は7年、13年、17年と。
達郎氏:
だんだん、だんだんインターバルが長くなってきましたね(笑)
平田毅:
さて、今夜のゲストは少年隊の東山紀之さんなんですけれども、まずは達郎さんと話を進めていきたいと思います。
最初の曲、ご紹介ください。
達郎氏:
ディスク3の一番頭に入っています。
『ヘロン』
♪ ヘロン
◎空白の数年間 「COZY」から「Ray Of Hope」
平田毅:
前回は1995年、アルバム「TREASURES」までの話を伺いました。
今回「COZY」から「Ray Of Hope」っていう事なんですけど、この17年間っていうのは達郎さんにとって、どういう時代・・・
達郎氏:
一番大変な時代っていうか(笑)
平田毅:
40代、50代っていうことですよね。
達郎氏:
「ARTISAN(1991)」作って「SEASON’S GREETINGS(1993)」っていうクリスマス・アルバムが出るんですが、その後にベストが出るんです。
ベストが出たあとに96年にアルバムを出そうと思ったんですが、ここから先がね・・・
数年間、なかなか上手くいかないところが始まるんですね。
自分では空白の数年って言ってるんですが。
いろいろな原因があるんですけど、主にレコーディング・メンバーとライブのメンバーっていうのが思う様に組めなくなってきて。
メンバー同士とか、あと健康状態悪化した人とか(笑)
色んな理由がありましてね。
そうすと、ちょうど40になった時なんですね。
1993年に40歳迎えるんですけども。
40代ってのはね、ミュージシャンにとって結構、いろいろな意味のターニングポイントなんですよ。
それまでのような作品を、どういう具合の継続していくかとか、イメージチェンジとか、体調が変わって来るとか、そうした人間関係が変わってくるとか。
これは非常に見えない、リスナーの方には見えないアレなんですけど・・・
スタッフが変わるんですよね。
スタッフが止めるとか、ビジネス的なものを支えるものってのは、結構変貌する時代なので。
40代ってのは、音楽的にもビジネス的にも色々な意味で日本でも国際的にもそうですけど、転換点になるんですね。
そこを、だから上手く切り抜けないと、なかなかそれから作品を思う様に作ったりライブをやっていくのが辛くなってくるんですね。
丁度そういう時期が40代のあたまくらいにあったので。
それで98年の「COZY」まで数年間なかなかアルバムも出来ないしライブも出来ないという、そういう状態が数年間続くんですが。
平田毅:
1995年までのところで、丁度20年あるんですよね。
20年経ってくると音楽的には達郎さんの・・凄く色んな人に受け入れられるようになって、したい事も出来るようになってきたと思うんですけど。
そういう中で、やっぱりこう・・・
40代になると少しイメージチェンジしようとかいう事も含めて・・・
達郎氏:
歌いたい事が変わってくるのと、デジタルレコーディングになってから、それまでのアナログレコーディングで作っていた音像が作れなくなると。
あとはテクノですよね。
マシン・ミュージック。
シンセサイザー、楽器の方も変わるわけですよ。
昔はだから普通のエレキギターとベースとキーボードも生キーボードで、ドラムで、ストリングス、ブラスだったのが、それにシンセサイザーが入ってきて、それがデジタルレコーディングになって、マシーンになって・・・
そういうような、色々な変化があるんですよ。
それに合わせて道具が変わるので、音楽も変わるわけですよね。
それをどう変えていくのか、自分の体質にフィットしてるのか、キャラクターに会ってるのか。
そういう事を皆、僕に限らずみんな悩んで作るわけで。
そういう事の変化が・・・
やりたい事が出来るようになってきてるのか、実はやりたい事がだんだん出来ないよにうになってきてるのか、難しところなんですよね(笑)
そういうところを紆余曲折、悩みながらやったのは90年代なので。
平田毅:
結果的に「ヘロン」は96年に出る予定だったのが98年に、2年経って出たと。
「COZY」の中にはヘロンが入ってたり、結構多彩な曲が入って、また新しい音になったなって感じが。
達郎氏:
7年ぶりのアルバムなので、どうしようもないですね、それは。
2年に1度くらい出していければアレなんですけど。
結局7年ぶりですから、ありったけ詰め込むしかないですし。
あと雑多な曲調になるのは、仕方がない。
何度も申し上げるように、楽器、レコーディング法がごろごろ変わるので、それに合わせる曲調とか、いろいろ模索してるんですよね。
“こういう曲調だったら、どうだろう”
“こういう曲調だったら、どうだろう”
って、そういうような模索の歴史ですね。
今は「Ray Of Hope」みたいなのは、そういう事が一段落してますからアレですけど。
「COZY」は特に、そういう意味では「GO AHEAD!」に近いですかね。
楽曲主義っていうか。
平田毅:
逆に苦しんだ4年間があったから、また今の「Ray Of Hope」に繋がってるという・・
達郎氏:
そうですね、でも一番苦しんだのは2000年代かもしれませんね(笑)
平田毅:
「COZY」からもう一曲お送りしましょう。
♪ DREAMING GIRL
◎「RARITIES」2002年
平田毅:
98年「COZY」から2002年「RARITIES」というアルバムが出ますけれども、この企画というのは、いろんなものが入ってきたアルバムですよね。
達郎氏:
あのですね・・・・ま、はっきり申し上げて・・・
レコード会社の事業計画なんですよね。
とにかく出さされまくったんです。
ほんとはだから、オリジナルアルバム制作してたんですけど、毎年なんか出せと。
そういう時代だったんで。
しょうがないので、それまでのシングルのB面とか、レア・アイテムですね。
なので「RARITIES」っていうんですけど。
ほんとは、だから、これを出さないでオリジナルアルバム出したら、もうちょっと早く「SONORITE」よりも前に出せたんですけど。
そうやって、こう・・・毎年毎年要求されるので。
だんだんネタが無くなってきたという(笑)
ですから、これに入ってる「君の声に恋してる」とか、そういうシングルアイテムがあれば、もうちょっと違う形で作れたんですけど。
まあ、そんな事今頃言ってもしょうがないんですけど(笑)
平田毅:
ただ、これまで聴きたかったけど、アルバムに入って無かった曲が入って嬉しいという声が随分ありました。
ああ、ようやく出たかというかね。
達郎氏:
これもチャートNo.1でしたからね。
こういので大丈夫なのかなと思いましたけど(笑)
平田毅:
「君の声に恋してる」っていうこの曲は、どういうシチュエーションでお書きになったんですか?
達郎氏:
これは、要するに遠距離恋愛の歌なんで。
携帯電話というか、そういう携帯電話を使った遠距離恋愛の歌なんですね。
「君の瞳に恋してる」ってありましたけど、それの”もじり”ですけど。
でも、声だけでコミュニケーションとらなきゃなんない、遠距離恋愛の恋人たちっていうものの、一つのツールとしての携帯電話っていうものの・・・歌ですね。
自分じゃ結構気に入ってるんですけど(笑)
ちょっと・・・携帯電話というインフラの近代性にはちょっと曲調がレトロ過ぎたっていうのが自分の反省ですけど。
こういう曲調が、もうね、そろそろ出来なくなるんじゃないかって。
「DREAMING GIRL」なんかも同じなんですけど。
こういう曲がもう、レコーディングしても、こういう音像が出来なくなるんじゃないかって恐怖感が物凄くあって。
平田毅:
携帯電話は別にしても、遠距離で恋し合ってる男性と女性の素直な気持ち・・・
なんとなく、色々言いたいけど言えないような感じってのは、曲調によくあらわれているように、私なんかは思いますけどね。
達郎氏:
もうすぐ50なので、なんか言葉いじるのが段々つまらなくなってくる。
単刀直入な感情表現っていうんですかね、そういうようなのが、やりたいっていう。
だから非常にシンガーソングライター的なアレかもしれないんですけど。
職業作家みたいな、そういう詩の作り方だと、なんか疑問が・・昔からあったんですけど。
そういうのが歳とってきて強くなってきたっていうかね(笑)
そういうことですね。
さっきの40代どうするかっていうのと同じで50代に、そういう自我っていうのが出てくるので。
非常によく反映してます。
メロディー的には、すごい好きなんですね。
編曲的にもね。
なんですけど、なかなかね・・・
やっぱり、その時代の趨勢に合わないっていうか、そういう感じは今聴くとしますけどね(笑)
曲に罪はないので。
平田毅:
前回、2回の時も、鈴木おさむさんと詩の話を、ちょっとしましたけど。
私がはじめお会いした1981年、2年頃は達郎さん、”詩は苦手だし。自分の感情出すのはカッコ悪いな、恥ずかしいな”ってこと仰ってましたけど。
やっぱり年代とともにストレートにそういう出せる余裕というか・・・
どういう事なんでしょうね。
達郎氏:
でも、やっぱり詩は難しいですよね。
詩はね、内容で済むんだったら、そんな楽な事はないんですよ。
どんな事を歌いたいかって、それで作れるならアレなんですけど。
どうはいかないんですね。
サウンドってのが、あくまであって、どういうアレンジで、どういうサウンドにするかっていうのが、あっての詩なので。
だから、しばしば全く合わない言葉つけちゃったりすると、それはサウンドと合わないが故に、物凄く違和感がでるんですよね。
だから一番重要なのは、歌っててサウンドに溶け込む言葉の世界っていうか・・
内容じゃない、実は。
何にも言ってないのが、ほんとはいいんですけど。
でも、何にも言わないような歌よりも、なんか言ってる歌の方がいいやっていうのが、歳をとるっていう事なので。
平田毅:
トータルで達郎さんは詩を書き、曲を書き、自分で歌ってアレンジをして。
しかもマスタリングまでされるわけですから、トータルで表現できるわけですよね。
そこが強みなんじゃないですか。
達郎氏:
でも詩は最後です。
デモテープ作った段階では”ラララ”で、なるべくオケがアレンジ的に完成すれば、するほど、そこのところまで詩を待ちたいという。
そうすると、その音世界っていうのが、色合いっていうのがね、トラックの色合いっていうのが見えて来るので。
それに、どういう言葉を乗っけるかっていうのが一番フィットするかっていう。
フィット感なんですよ!だから。
平田毅:
最初にでも、お書きになる時には、漠然とテーマはおありになる。
達郎氏:
漠然とありますけどね。
平田毅:
こういう感じのものを書きたいと・・・
達郎氏:
でも、それが全然ダメだったりもしますからね。
付けてみると。
そう簡単には・・・
で、そういう漠然としたテーマに合わせて編曲とか、そういうのは努力しますけど、ダメな時もあります(笑)
平田毅:
この「君の声に恋してる」は、ピタッと詩が入ったんですか?
達郎氏:
比較的。
でも・・・もう半音上げてもよかったなって、ボーカルを(笑)
♪ 君の声に恋してる
◎「SONORITE」2005年
平田毅:
続いては2005年、アルバムの「SONORITE」ですけども。
これオリジナルアルバムとすると「COZY」から7年
達郎氏:
そうですね。
平田毅:
このころのファンとすると、ゆったり待つ気持ちになってましたね。
10年にいっぺんでも出てくれば嬉しいなというような気持で待ってましたね。
達郎氏:
ほんとに、目に見えないところで、いろいろねゴターとね・・・
そうするとね、モチベーションさがりますよね(笑)
平田毅:
「SONORITE」というのはフランス語で”共鳴”という意味なんだそうですが、これはどういったメッセージなんですか。
達郎氏:
「SONORITE」って音楽の時の響きなんですよね。
“いいソノリテしてるね”って、言うんですよ。
それは要するに楽器同士の共鳴がいいとか、声がいいトーンだとか、響きが綺麗な時に”いいソノリテだ”って言うんです。
それは昔から「SONORITE」っていうタイトルを考えてたんです。
そういうのを、書きとめて持ってるんですが、今回はそれを使おうと。
平田毅:
相当、この頃は機材で苦労したと。
さっき仰ってましたけど。
達郎氏:
そうですね。
Pro Toolsっていうハードディスクレコーディングですね。
それまではテープレコーダーだったんですけど、それがハードディスクになったんですけど。
それがまあ、あの・・・実は凄く・・・
それまでのテープレコーダーは一個で3千万円とかね。
レコーディングコンソールみたいなのが、それこそ一台で1億円みたいな、そういうものが、非常に高価な・・レコーディングスタジオってのは高価な機材がないと出来ないという時代がずっと続いたので。
それこそレコーディングスタジオみたいのがプロじゃないと使えない所だったんですけど、それがPro Toolsって非常に安価なね、ん百万円くらいの初期投資で出来るものなので。
それこそマンションの一室でレコーディングが出来る時代が来たんですよ。
ほんとの意味でのデジタルが・・・スペックが、性能が向上してきたので。
性能が向上するってのは、果たしていいことか・・・どうかっていう。
ハイエンド・オーディオってよく言いますけど、今だったら、例えばクラシックなんかがね、いかにそれでいい音かってあるんですけど。
ロックの場合は、いい音が必ずしもグッとこないんですよね。
いってみれば優しいっていうか、ガッツがないっていうかね、音にね。
そういうようなアレがあるので、それまでの自分たちがやってきたレコーディングで聴こえる音と、全然違うんですよ。
平田毅:
綺麗になっちゃう感じですね。
達郎氏:
なので、それが物凄く違和感があって。
ほんとはだから、3年か5年早く導入すれば良かったんですけど。
どうしても昔の拘り、昔の経験則につかざるを得なかったので。
それでちょっと導入が遅れたので、更に墓穴を掘った(笑)
「SONORITE」ってアルバムね、曲はね、全然別に、愛着ある曲ばっかりなんですけど、それがレコーディングするとちっとも・・・それまでの感じにならないんですよね(笑)
それがほんとに大変でね(笑)
で、50代の頭なので、どういう具合にこれから先やって行くかって、新しい基軸とかね。
年齢に合った曲調とか、そういうようなものも考えちゃうでしょ。
それは、やっぱり20代の・・・がいやだから・・・
そういう事を考える(笑)
だからグチャグチャになって(笑)
ほんとに大変でしたけどね。
それがなければ今のアレがないので。
自分がね。
平田毅:
機材をなんとか上手く使っていい響きの音も出来た。それから先ほど仰ったようなスタッフの事とか、ミュージシャンの事とかレコード会社のこととか、もろもろあった事が何となく解決してきていい響きが出てくるというメッセージ・・・が「SONORITE」
達郎氏:
ま、そう言いたくてアレしたんですけど。
現実的にはなかなか、こう・・・
「POCKET MUSIC」っていうアルバムの時は、一回ミックス全部しなおしたんですけど。
これは、もう一回全部やり直してもいいかなと思ってたんですけど。
でも歳ですね。
今はもうそういう事はしない方がいいやと、前向いて進もうって。
だからもう10歳若かったら全部やり直して、もう一回同じもの作りますね。
平田毅:
でもその時に固定化された音っていうのは、愛おしい部分もあるでしょ。
達郎氏:
ん~
でもこの時、でもやっぱり、そういう悩んだ記憶の方が大きいので。
そういうのがうず高に積ってるっていうかね(笑)
平田毅:
「SONORITE」から一曲お願いします。
達郎氏:
この曲は、ほんとに50歳になった時に、いつまで声が持つかって考えたんです。
明日出なくなんじゃないかって、不安になって。
声が出てるうちに、歌える曲を今やっとかないとダメなんじゃないかと。
昔からねカンツォーネやってみたかったんですよね。
しかもマイナーメロディーのカンツォーネ。
ジャンニ・モランディみたいに。
カンツォーネだって思って・・・
だけど、なかなか機会がなかったんですけど、NHKでアガサ・クリスティの名探偵ポワロとマープルっていうアニメの主題歌を書いてくれって。
これダーッと(笑)
超異色の曲なんですよね。
自分じゃ、結構気に入ってるんですけど、やっぱりキャラがね、今聴くとやっぱり僕のキャラでは歌いきれてない。
平田毅:
詩をまりやさんにお願いしてましたよね
達郎氏:
こういう曲、詩かけませんもん、自分で。
だから、まりやに頼んで詩書いてもらったんですけど。
カンツォーネぜんとした歌手の方に歌ってもらったらね、もっといい。
完全に作家的な曲です。
正直言ってロック歌手の自分では歌いきれてないってのが自分の本音です。
♪ 忘れないで
達郎氏:
平田さん、もうアレですね、私のファンの方達に名前が浸透してますね、これでね。
2年続けて。
平田毅:
実は去年の三昧の時も、羨ましいという声がね、たくさんあったんですけど。
これ、3回出ると、なかなか皆さんからね、怒られそうだな(笑)
ソロデビューしてからの35年プラスシュガーベイブの時代の2年あわせて37年ありますけど。
念の為、ご紹介しておきますと、
初期と称するのは1975年、昭和50年から1982年、昭和57年までの7年間。
中期と称するのは1982年、昭和57年から1995年、平成7年まで。
そして今日お送りしている後期は1995年、平成7年から2012年、平成24年現在まで、
と言うことになります。
◎「Ray Of Hope」2011年
続いては昨年の「Ray Of Hope」ですけども、これは「SONORITE」から6年ぶりのアルバムと。
これは、あれですよね。
アルバムの発売を少し遅らせて「Ray Of Hope」にタイトル変えたですね。
達郎氏:
「WooHoo」ってタイトルだったですけど。
平田毅:
達郎さんご自身、こういう経験はない・・・
達郎氏:
無いです。
前代未聞です。
でも、私だけに限らず、日本の全体の・・・
日本人全員が、やっぱり前代未聞の経験ですからね・・・
2011年はね・・・
平田毅:
アルバムが遅れて出てきて「Ray Of Hope」って聞いた時に、凄くフィットした感じがしましたね。
達郎氏:
でも、幸運だったのはライブを再会して続けてましたから。
お客さんの空気ってのが、直にね・・・
それまでは、しばらく出来てなかったんですけど、6年くらい出来てなかったんですけど。
それがしかも2008、9、10とずーっと持続して感じられてたので。
それがやっぱり、判断がね、即決できた一番大きな理由ですね。
平田毅:
受けての方の顔を見えて、そちらの空気も見えて、ああ「WooHoo」じゃないなと。
達郎氏:
そうです。
僕の場合は特にお客さんと割と距離が近いので。
なので、そういうムードってのが、こりゃダメだってのがパッと判るんですよね。
だから、それがほんとに、このアルバムに関してはいい結果でしたね。
平田毅:
小屋もコンパクトな小屋が多いですから、見えますよね、空気感もね、良く判りますもんね。
「Ray Of Hope」ってあとから見てみると、非常にフィットしたタイトルだったなって思いますけどね。
達郎氏:
ああいう時代は、それしかないと思います。
平田毅:
もう昨年のアルバムですから、近い曲が多いんですけど。
最近となると、作品はどうですか。
昔と比べて変わってきたと仰るのもありますけど。
達郎氏:
そうですね・・・
結局だけど・・・、タイアップがね、僕の場合テレビ出ないのでタイアップが多いので。
タイアップが、バラード指向が・・・
全体に僕に限らずバラード指向が多いんですよね。
平田毅:
世の中がそうなってるですかね・・・
達郎氏:
やっぱり疲れてる時代だからでしょ。
なので、今回のアルバム、バラードが凄く多いんですが。
でも、何て言うのかな、そうしたコラボレーションっていうか、ドラマにしろ映画にしろ、凄く僕にとっては、いい出会いがあるので。
作品的には結構自分でいいものが出来たと思ってるんですけど。
出来ることなら、もうちょっとアップが増えないかなとは思ってますけど。
でも、それくらいにようやく体制が立て直せたから、そんな事言ってるんでね。
それまでは、それどころじゃ無かったですからね。
ここから先は、ライブ、コンサート出来るようになったり、バンドも固まってきたので、そうした先祖がえりっていうか、そういうような70年代の先祖がえりっていうか、そういう事ができればなっていう概念は持ってるんですがね。
♪ 街物語
平田毅:
ついに2012年、最新作になりますが、この曲はドラマの・・・
曲ですよね。
達郎氏:
そうですね。
平田毅:
達郎さんの中に、ご自身でお書きになったり、オーダーされてお願いされる事あると思うんですけど。
やっぱり、だんだんと自分だけじゃなくて、オーダーされると世界拡がるっていうのもあるんじゃないですか。
達郎氏:
もちろんそうですね。
タイアップとか、そういうものってのは相手の方も表現者なので。
例えば脚本家、演出家、CMだったらCMプロデューサー、そういうような方の感性ってのがあって。
僕がコラボですよね、そういうもので作ると相手の作品が優れてると、触発される訳でね。
細田守さんのサマーウォーズなんてのも、湧いてくるんですよ(笑)
あれくらいの映画になったら、こっちが自然と勝手にメロディーが出てくるような。
そういうとこもありますから。
ただ自分で歌を作って、自分の考え方を何かに乗せようとか思う時には、例えば蒼氓みたいな歌とかね。
あとクリスマスイブみたいなのは、完全に要するに自分がクリスマスイブの歌を書こうと思って書いたものなので。
あれはタイアップでも何でもない訳で。
逆にだから、それがあとからそうした具合にタイアップで利用されると、ま、すおした下心がない(笑)分だけね、ピュアに聴こえるっていうか。
そういうのが色々と噛みあわさってるんですけど、基本的にはでも、自分は作曲家とかそういう者になりたかった人間なので、作家的な意思っていうのが、凄くあるのでね。
今日なんかも、ほんとに、それこそ「忘れないで」とかそういう「DREAMING GIRL」とかNHKのドラマとか、そういうものの主題歌なんかでも、そういう座付き作家ですね。
一番の最新曲も完全に座付き作です。
ミステリードラマっていうか推理ドラマなので、人間の業のドロドロしたヤツのね、最後にこう、ある程度の・・
一抹のポジティブシンキングで終わらして上げたいっていうか、そういうペシミズムじゃないものの、オプティミズムで終わらしてあげたい、そういう意思ですね。
平田毅:
だんだんと歳を重ねてくると、自分の好きなものだけやるっていう方もいらっしゃいますけども。
逆に言うと、色んな方とコラボするのは面倒くさいという方もいらっしゃいますけど。
達郎さんは、どんどん色んな方と接触して、むしろそれを刺激にして、いい作品、新しい作品を出すっていう。
達郎氏:
運命ですね。
でも、この先判りませんね。
結局、自分の世界に入って行く可能性もありますし、それはもう流れのままでしょうね。
ほんとはだから、50過ぎる頃から、そうやってタイアップみたいなものは来ないだろうなって、僕もスタッフも感じてたので。
だったらどういう具合に、これからやるかって思ったら、じゃライブに生きていこうかって。
ライブ始めたら、逆にそういうタイアップのオファーが昔より増えたっていうかね(笑)
それも、まあ・・・運命ですね。
平田毅:
本人はしたいと言っても市場の動向ありますからね。
ニーズが無ければ・・・
達郎氏:
無理やりごり押しでやってもしょうがないですから。
平田毅:
そこは自然にと・・・
達郎氏:
そうですね。
平田毅:
もともと、最初の頃CMなんかも随分お書きになってたんで。
相手のニーズに応えるって事もなさってましたもんね。
達郎氏:
だから初めから仕事ってのは、ほんとに超一流の仕事がね、出来るわけがなくて。
僕らみたいにアンダーグラウンドから上がってきた人間は、初めはやっぱり正直言って、あんまり質の良くない仕事でもやらなきゃなんないわけですよ、食うためにね。
例えば、”こんな曲でな”って思うような事をアレンジしなきゃいけない、編曲しなきゃなんない時にも、そういう時はだから、何を考えるかっていうと、曲は酷かったけどアレンジは良かったとかね。
酷い曲だったけど、コーラスは凄く良かったとか。
そう言われるようにしようと。
自分のパートだけは、そういうアレンジをしようって。
それじゃないと、だってやれないじゃないですか。
だから仕事に対する・・・初めはあまり恵まれなかったがゆえに(笑)
そういうような考え方でやってきたのが、逆に言うと手抜けない性格だから。
それが結局自分を結果的には救ってたんですよね。
若い頃に。
それで、それを見えないところで見てくれる人がいて、それで、そういう人が僕に仕事持ってきてくれるとか、そういうような事が凄くあったので。
それは、結局この年になっても変わりませんね(笑)
平田毅:
35周年、シュガーベイブからいうと37年。
達郎氏:
おそろしい(笑)
平田毅:
その最新曲です。
♪ 愛を教えて
達郎氏:
さて、この後は、本日のゲスト、少年隊の東山紀之さんの登場です。
どうぞ、お楽しみに。
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