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山下達郎さん NHK-FM『サウンドクリエーターズ・ファイル』2012年9月16日

山下達郎さん NHK-FM『サウンドクリエーターズ・ファイル』2012年9月16日

さまざまな世代のサウンドクリエイターが月替わりで登場、作品にまつわる秘話や影響を受けた音楽を、こだわりの選曲を交えて紹介するNHK-FM『サウンドクリエーターズ・ファイル』。
9月2日(日)  21:00 – 23:00
9月16日(日) 21:00 – 23:00
9月23日(日) 21:00 – 23:00

第2回(2012/9/16)のオンエアでは「POCKET MUSIC」のデジタル録音の話に、すごく力が入ってましたね。

このブログでは前半部分の一部をテキスト化しています。
誤字脱字は、ご容赦くださいませ。

第1回の前半部分は、こちらをご覧ください。

◎ 冒頭

達郎氏:

みなさんこんばんは。
山下達郎です。

サウンド・クリエーターズ・ファイル
この番組は様々な世代のサウンドクリエーターが月替わりで登場。
作品にまつわる秘話や影響を受けた音楽、こだわりの選曲を交えながら紹介するプログラムです。

9月は3回にわたりまして、私、山下達郎が担当させて頂きます。
今夜は1週おきまして2回目。
宜しく今夜もお願い致し申し上げます。

今日も、この方にお付き合い頂きたいと思います。

平田毅:

はい、NHKアナウンサーの平田毅です。
宜しくお願いします。

今年は達郎さんは、ソロデビューから35周年ということで、今月のサウンド・クリエーターズ・ファイル、シュガー・ベイブ時代もあわせまして37年間の活動期間を3つに分けて、当時のエピソード、曲作りについてお話を伺っていきます。

2回目の今夜はですね、1982年、昭和57年からですね1995年、平成7年までの13年間っていうことになります。
アルバムでいいますと『MELODIES』から『TREASURES』まで、ここのアルバムについてのお話を伺っていくと、いうことですね。

達郎氏:

ベストアルバム、DISK-2の分です。

平田毅:

今日はゲストに放送作家、鈴木おさむさんがいらっしゃいますので。
この前は、クリス松村さんで盛り上がったんで、楽しみですね。
鈴木さんから、どんな話が伺えるか。

達郎氏:

フフフ(笑)
濃そうですね(笑)

平田毅:

じゃまず、さっそくその曲を一曲聴いてもらいましょうか。

達郎氏:

ちょうどこの季節、ちょっと遅いかな。
「さよなら夏の日」

♪ さよなら夏の日

平田毅:

2日の日ですね、前回は1975年、昭和50年から1982年、昭和57年まで。
シュガーベイブ時代の2年を含めてご紹介したんですけど、今回はですね1982年から1995年と。

昭和57年から平成7年までを纏めてお伝えするということですね。

◎ MELODIES (1983年6月8日)

平田毅:

MELODIESっていうアルバムが83年に出るんですけども、ここでムーンレコードに移籍っていうのがありますよね。
歳も30歳になっていうことで。

達郎氏:

はい、ちょうど30ですね。

平田毅:

やっぱり、結構変わってきたなっていうのが、僕らの印象だったんですけどね。

達郎氏:

そうですね。
でも、ほんとにあの時代は、30歳になってロックとかフォークとか、どうやってやろうかって、そういうのが前例が殆どないので。

で、あとはアイドル歌謡が物凄くやっぱり勃興してたんですよね、あの時代はね。
聖子ちゃん、明菜さん。

そういうところもあったので、自分達は、どういう具合に方向とうろうかって、僕に限らずみんな結構、割と試行錯誤が始まってた時期なんです。

僕らの場合は、よりこう、何て言うのかな、大きいレコード会社だとやっぱり、いろいろ事業計画とかリリース出せとか、そういうのが束縛されたくないってのがあったので、もうちょっとちっちゃい、いわゆるインディーですよね。

そういう形でやろうっていうんで17人程で独立してレコード会社作って、そこでの第一弾かな、このメロディーズは。

平田毅:

やっぱり大きな決断ですよね。

達郎氏:

そうですね。

平田毅:

それまで、成功してたわけですから。

達郎氏:

んん・・・
でも、なんつったらいいかな・・・
変な言い方ですけど宣伝費とかそういうものが、むこうへ持ってかれますからね(笑)
我々働いても、全体的に会社の事業計画があって、そういうものが思う様にコントロールできない。
そういう不満が一番ありましたね。

平田毅:

それよりは自分でプランニングして音楽作ってアルバム出していきたいと。

達郎氏:

そうです。
その頃はレコード産業ってのが、今よりそんなに大きくないんですけど、回転するっていう意味では影響力が大きかったんですよ。

だから、なかなかビジネスのアレが違ってたんだけど。
そういう意味では、だから制作的なものに関しては、どこでやってもそんなに変わらない。
やっぱり流通させるということの独自性っていうかな・・・

やっぱり大きな会社だと演歌もあるし、アイドル歌謡もあるし。
フォークロックってのは、それよりはまだまだ負けてたので。

そうすとやっぱり、こう優先順位みたいなのがあるので、やっぱり面白くないからってのが一番独立した理由です。

♪ 悲しみのJODY

◎ 作詞 

平田毅:

達郎さんの中期、1982年から1995年を規定してますけども、アルバムが6枚ありましてね。
ベストでいいますと、ここには17曲がセレクトされてるんですけども。

アラン・オデイさんが書かれた「ビッグウェイブのテーマ」以外は達郎さんが全て詩を書いてると。

前回やりました75年から82年の7年間で17曲選んでるんですけど、こちらは実は達郎さんの詩が7曲、美奈子さんの詩が7曲。

ですから他の方の詩もあるんですけど、ここのあたりから達郎さんの詩が主なアルバムを占めるようになってくると。

この辺の変化というのは?

達郎氏:

よくまあ、昔から申し上げてるんですが、メロディーズで移籍してちょうど30歳だったという事と、ライド・オン・タイムでブレークしたのが80年なんですが、そこからメロディーズまで3年間の間ってのは、いわゆるリゾートミュージックって言いましょうかね・・・

ウォークマンとかカーステレオとか音楽をアウトドアに出ていった時代で、それが代表格みたいに、最初あって。
「夏だ、海だ、タツローだ」ってそういうものがあったんですが。

ま、そういうリゾートミュージックの代表にさせられるのだけは、ちょっと恐怖しましてね。

平田毅:

レッテル貼られてしまうみたいな・・

達郎氏:

あとは商品にされるんじゃないかってね。
そういうところが凄くあって。

なので、それは自分が望んだことでないんだけど。
勝手に「山下さんっていうと夏ですよね」って、どこの取材行っても言われて。
そういうのは、ちょっとこう・・・離脱しようかなと。

30歳になったということもあるんですが、結婚したっていう事もあるんですが。
お陰さまでだから、その3年間くらいの間を、いろんな事が上手く・・・20代の売れない頃とね(笑)比べて、レコーディングのお金の問題とか、スタッフの問題とか、ミュージシャンの問題とか、いろいろな問題がクリアされて、一つ一ついったんですよね。

だからレコード制作としては、理想に・・・自分が思ったような事にだんだん近づいてきたんですよ。
そうすと、欲が出てきて、何をこれから、これ以上向上させるべき事があるかと。

ツアーも上手く出来るようになったし。

やっぱり、何で自分が音楽始めたかっていう事を考えると、音楽っていうのは僕らの場合はお金儲けとか、そういうのよりも音楽を一つの自分の考え方の、要するに主張する事の表現手段っていいましょうかね。

自己表現の手段にしようと思ってアレしたので。

そうすると、やっぱりこれから、変えるべきところは何かなって・・
自分の考え方を、どれくらい音楽に込められるか。
音は・・・込められたんですけど、言葉でもそういう事がやれないかと思って。

だとすると自分で詩を書くべきだと。
男の人のロマンチシズムみたいなものをね、歌にしたいっていうのは昔から思ってたので。
そういう色々なファクターがあるので、そなると自分の考え方を歌に込めるので、開放的な音楽よりは、もうちょっと内省的な音楽っていうか。

本来のシンガーソングライターが、やってるような、そういう音楽に少しづつ変えていこうっていうのは、メロディーズの一番大きな制作・・・で。

平田毅:

ムーン・グローそれからライド・オン・タイム、フォー・ユーなどは、やっぱり、ある種の世界できましたけど、実はその前のシュガーベイブや初期の頃は、随分詩を書かれてましたもんね。

達郎氏:

そういう所にだんだん戻っていくという・・・
ほんとに、ライド・オン・タイムがブレークするまでは結構必死でしたから。
詩まで、とても頭がまわって無い。あと短時間でレコード作んなきゃなんないので。

平田毅:

この前の時代は、ほんとにどんどんアルバム出してますもんね。

達郎氏:

要求もありますし。
ほんとに、少ない予算と短い時間の間で、どう作るかってところだと、結局一番しわ寄せが来るのは詩なんですよね。

平田毅:

そうすると、自分でレーベル立ち上げて、そこに行って時間をかけるっていう所でいうと、詩の方に時間が費やせるようになったという事は大きい・・・

達郎氏:

実質的に詩が7割くらいですからね、時間。
7:3で曲より詩ですから。

ですから時間的余裕がないと出来ないんで。

そういう意味では吉田美奈子さんにお願いした時は、彼女に詩を全部アレしてる時に僕は編曲と作曲の方に集中できたので。

その頃はほんとに低予算、短時間でアレするんですけど、そういう意味では、ちょっと余裕が出てきたっていうかね、気分的に。
それが一番大きいですね。

◎ BIG WAVE  

平田毅:

このあと84年になりますとね、アルバムでBIG WAVE を作られますけど、これはどういう事で・・・

達郎氏:

これはサーフィン映画をスタッフが持ってきたんです。
BIG WAVEってサーフィン映画なんですが。
いろいろ理由があって(笑)、映画の出来がイマイチで(笑)
なんですけど、それのサウンドトラックをやろうっていう事になったので。

僕は実はその時代、シングルのB面にビーチボーイズのカバーをいつも入れてたんですね。
「高気圧ガール」のB面が「DARLIN’」っていう曲で・・・
そういうようなビーチボーイズのカバーをしかも一人多重で、ドラムからベースから全部自分で演奏してやってたんです。

ので、それに目を付けたスタッフが、じゃサーフィン映画で、そういうものをアルバム化しようと。
そういうことでBIG WAVEの企画持ってきたんですが。

映画は全然ヒットしなかった・・・って言ったらアレなんですけどね、何でかっていうと100%サーフィン映画じゃないんですよ。

それこそ、パラグライダーとかいろんな・・・輸出対策だったらしんですよね。
輸出するには90分以上ないとダメだとか、そういうアレなのでサーフィン以外のフィルムをくっつけっちゃたんで。

あれが純粋に70分くらいのサーフィン中心の映画だったら、それなりに締りがあったんですよ。
でもそれで、映画はあんまりヒットしなかったんですけど、アルバムはね凄くよく売れたんですよね。

今から考えると、全く想像もできない。
今は映画がヒットしなかったら、アルバムなんか成立しませんからね。

そういう良い時代だったんで、それまでのいわゆる夏のイメージっていうのも幸いして1984年ですけど、そんな中で、自分のアルバムではちょっと異色なんですが。

A面がビックウェーブとか悲しみのジョディの英語版とか、自分の作品で、B面がビーチボーイズのカバーと。
そういうような珍しアルバムですね。

でもこれは、今でも評判がいいアルバムで。
今でも夏になると、かなり・・・売れてます(笑)

平田毅:

ライブでも、かかると盛り上がりますよね。

♪ I Love you

◎ POCKET MUSIC  

平田毅:

このポケット・ミュージック、達郎さんのデジタルレコーディングの苦しみと・・・

達郎氏:

ここからデジタルになるんですね。

ご存知のようにアナログっていうのは昔のテープレコーダーで、デジタルは、それをこう時間軸で切ってアレするんですけども。

簡単に言いますとですね、デジタルは音がいいって言いますでしょ。
アナログはそれに比べると、ちょっと狭い、音域が狭い、帯域が狭い・・いろんな事を言われますけど、実はロックって歪の音楽なんです。

ロックン・ロールの良い音っていうのは、いわゆるクラシックの良い音とかと違って「ロックン・ロールの良い」ってのは「ガッツ」なんですね!

音のガッツっていうのを出すのにはデジタルってのは非常に難しいメディアなんですよ。

何故かっていうと、キャパシティがもの凄く大きいんです。
僕、いつもこの話する時には言うんですけど。

アナログってガラスのコップなんです。
ここにバケツの水入れるとあふれるでしょう?
これが、いわゆるガッツなんですね。

それに、比してデジタルって風呂桶だと思って下さい。
風呂桶にバケツの水入れても、ほんの何センチしか溜まらないでしょ。

風呂桶を溢れさす水いれるのは大変な作業なわけ。
これくらいの差があるんですよ、デジタルとアナログってね。

そうすると(笑)・・・
綺麗なんですけど・・・
根性が無い!

ドラムの音とか、ギターの音とか、声をシャウトするとか・・・・
ガッーッ!ていく、それがねデジタルだと、物凄く無くて。

あと、例えば昔だったらドラムとベースとギターとキーボードで演奏しますよね。
これにストリングスとか、コーラスとか、なんで入れるかっていうと、そこで表情変えるわけですよ。

サビになった時、ワーッってなった時にコーラスがファーって入ると表情が変わるわけです。
同じAメロと最初のメロディー2回続けても、1回目はリズム隊だけど、そこからストリングスが入ると、そこでまた表情が変わる。

表情が変わるっていうのは世界が変わるので。

あの・・・
そういうニュアンスの変え方っていうのを楽器を重ねていったり、楽器を変更することでアナログの場合にはガラッと変えられたんだけど。

デジタル変わらないんですよね。

何を入れても!
印象が変わらない!

平田毅:

変わったように聴こえない・・・

達郎氏:

聴こえない!

それもやっぱり、さっきの風呂桶で・・・
フフ(笑)

要するに、つまらない!んですよね。

平田毅:

音として単に記録されてるっていう・・・

達郎氏:

そういう事です。

今はそれが、要するにデジタルのプロセッシングがいろいろ発展してきて、今はかなり改善されてるんですけど、1986年当時ってのは、もう、まだデジタル・テープレコーダーってのが出来たばかりで、そんな事誰も考えてない。

みんな要するに「デジタルはアナログより音が良い」って、その幻想だけで。

平田毅:

機械としての音はいいけれど、という事ですか。

達郎氏:

ノイズが少ないとか、綺麗に出てるとか、分離がいい・・だから右の右で、左のものが左にきちっと分かれてるとか。

あとはワウ・フラッターっていってアナログのテープレコーダーって・・・
何て言いましょうかね、回転がムラがあるんです。
デジタルは理論的に回転ムラが無いので。

そういうようなものなんです。

で、確かにメリットもあるんですけど。
でもロックの音楽でイケイケでやろうと思うと、これちっとも力が無いんですよ、音にね。

それがだから、初めはスピーカー聴いてて、その時33だったので、やっぱ30過ぎると感動薄れるんだなぁってね・・・・思ってるんですよ。

一年くらいね、ああでもない、こうでもない。

ちょっと待てと!
これひょっとしてデジタルになったから、こうなったんじゃないかって、気が付くまで1年くらいかかって。

平田毅:

達郎さんでも・・・

達郎氏:

ほとんど周りの人は、そういう事言う人、誰もいなかったんです。

平田毅:

みんな機械良くなったって思ってましたもんね。

達郎氏:

それは、だからもう皆「いいだろう?、いいだろう?」って。
「いいね、いいね」って。
ちっとも良いと思わないのに(笑)

そうすと中断っていうか、そうなっちゃうでしょ。

平田毅:

何でこんな時間かかるんだと。
何で、やり直すんだと。

達郎氏:

ひと月一曲みたいな世界でしたからね。
テイク17個録ってみたいにね。

平田毅:

でもやっぱり、聴くには人間であって、聴くのは人間の耳ですものね。
そこで、届くかどうかと。

達郎氏:

もうその時代に、もう33くらいでしたから、もう30年近く前にやったアレのお陰があるんで、今やれてるんですね。

何回かそういう事が、テクノロジーが変化した時に何回か修羅場がありましたけど。
86年のポケットミュージックやってる時の苦労が、経験値となって蓄積されてるので、その後は驚かないで済んだっていうか。

平田毅:

実際そういう風に、言うユーザーがいたから変える方も何とかしようと思うし、ミキサーの人も何とかしようと思うし。
そこで全体が上がるっていう事もありますよね。

達郎氏:

ただ、そこまで機材の性能が上がって無い時に見切り発車してるんですよね。

僕たちLP,シングル、アナログのレコードだったですよね。
針置いて、溝ひっかいて、音出すっていうね。

あれよりもCDの方が音がいいって言われたでしょ?

ほんとはね、確かに良いとこもあるんだけど、でも本当にアナログからCDに変換した理由っていうのは、レコードプレーヤーとステレオっていうのが、完全に需要が頭打ちだったんですよ。

なので、これ以上の需要は見込めないと。

しからば、アナログLPを全部止めにしてCDしか出さなくすればCDプレーヤーが売れるでしょ。
で、当時から日本のレコード会社ってのは、ほとんどが電器会社の子会社だったので。

ハードを売るためのソフトを作る。
それのためのCDっていうのは、一種の噛ませ犬みたいなもんで。
一番日本で大きなレコードメーカ・・・一番大きな電器メーカーと同義なんですけど。

その当時の社長さんはCD売って利益あがらなくていいって言ったんです
CD売って利益出なくたって、それのCDプレーヤーの4万5千円で利益が出るんだから、いいんだと。

それがアナログからCDになった、本当の理由でね(笑)

それに・・見切り発車でも何でもいいんですよ、とにかく。
ハード売れればいいんだから。
それで・・・(笑)アレの怨念は大きいですよ。

♪ 風の回廊(コリドー)

◎ 僕の中の少年 (1988年10月19日) 

平田毅:

この前あれですね、クリスさんが、最後の方になって是非聴きたいと。
達郎さんの少年っていう言葉に込めた意味とか、全部聞いてましたね(笑)

達郎氏:

こわかったですね(笑)

平田毅:

この頃、あれですよね、お子さんも生まれたり。
いろいろと価値観も変わってきた・・・

達郎氏:

デジタルレコーディングとかハードのあれもありますし。
個人的にはやっぱり・・・
ずっとツアーやってきたんですけど、だんだん、だんだんツアーの周りの環境ってのが変わってきて。
レコ―ディング環境も変わってきましてね。

長く、いろんな人とやってるとスタッフ、ミュージシャン・・人間関係に微妙なきしみが出てくるんですよ(笑)

いろんな事がありますね。
一番大きいのは、やっぱり子供が生まれた事ですが。
ちょうど、そういう時のアルバムなので。

僕の全アルバムで日本語のタイトルって、これ一枚なんですよね。
「僕の中の少年」っていう。

その・・・特別な・・・アレだったんですよね。

平田毅:

この中に、達郎さんご自身・・ま、どれが一番ってことはないでしょうけど、とっても好きだという「蒼氓」が入ってますよね。

達郎氏:

ずーっと今日は申し上げてきましたけど、自分で詩を書くようになったのは何よりも、そういう自分のものの考え方っていうかね、そういうものを歌に込めたいっていう望みがあったんですけど。

この蒼氓って曲が80年代では、一つの到達点というか・・・
自分の思想って言ったら変ですけど、そういう価値観っていうか・・・
昔から匿名性にあこがれてたので。

知識人とか文化人とか、そういう言葉が嫌いだったので。
ポケットミュージックのアルバムは半文化人音楽とか、そんなことまで言ってたんだけど・・・

「僕の中の少年」、この次が「ARTISAN 」でしょ。
そういうものを、物凄く自意識として持ってた時代なんですよね。

なので「蒼氓」っていう、石川 達三の小説にありますけど。
無名の民のことを意味するので。
硬いタイトルですけど、これで作ったんですよね(笑)

♪ 蒼氓

◎ARTISAN (1991年6月18日) 

平田毅:

ポケットミュージック、僕の中の少年、ARTISAN と、やっぱり内省的になって・・・
でも達郎さんの価値観が現れているようなアルバムタイトルですよね。

達郎氏:

かなり個人的になってきましたね。
そういう意味では世の中のトレンドっていうか、そういうものと、どんどんかけ離れていく(笑)っていうか。

平田毅:

私は達郎さんとは 学年で5つですけども。
達郎さんの人生を追っかけるようにして歳をとってきたので、自分の中では、こういう風な年代になってきて聞くのにフィットする音楽が出てきたなって、しましたね。

達郎氏:

同世代音楽っていう・・・

平田毅:

あんまり無かったんですよね。

達郎氏:

ありませんね、うん。

平田毅:

そういうものが夏の時代もあって、ポップな時代もあって自分が30代に入ってきた時に、こういう音楽が出て嬉しかったなっていう気がしましたね。

達郎氏:

40になってね、ロックなんか誰も聴きゃしないって言われてたんですよ。
40になったら演歌だよって。

絶対そんな事ないって思ってたんですよ。僕ね。

平田毅:

僕らも戻りませんでしたからね。

達郎氏:

その通りですよね。
その当時の演歌がね、一体僕らの琴線にどれだけ刺激したかって、それは全く因果なので。

どうせ人間歳とっていくんだったら、歳とって考え方とか物の見方変わるんだったら、それに合わせて音楽作らなっくちゃいけないって僕は思ったんだけど、ほとんどは当時のトレンドはそうじゃなかったですよね。

今と違って、若年層っていうか10代、20代のマーケットの最大だから、そこの卒業する音楽を作らない限り売上落ちていくっていう。

僕はそれでも、それだたらしょうがないと思ったんですよね。

平田毅:

ただご自分のなさりたい事をやってたと・・

達郎氏:

やっぱり自分と同じ世代の人間が、聴く音楽が無くなるっていう事が一番よくないっていうか。
自分の10くらい下の人達が一番コアなリスナーだったんだけど、その人達がやっぱり結婚して子供生んで・・・就職して結婚して、子供産んで生きてる・・・

そういう人達がやっぱりハッと気が付くと、昔の僕の父とか母みたいに”今のヤツはガキのために作ってる音楽しかないじゃないか”って、それが一番問題だと僕なんか思ってたので。

自分と同世代の人間が40になったら40、50になったら50に聴けるような、そういうものにしなきゃいけないって。

それは今でも全く変わって無いですけどね。

平田毅:

僕らは同時代で嬉しかったんですけど、今日はこのあとね、放送作家の鈴木おさむさんお迎えしますので。
鈴木おさむさんは、私よりも15、歳が下で、こういう人がどういう風に聴くのか楽しみで、あとから聞きたいと思いますけど。

ではアルチザンから一曲お願いします。

♪ ターナーの汽罐車 -Turner’s Steamrollers-



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コメント

  1. いつも通り より:

    管理人様、こんにちは。
    第2回も達郎さんの熱っぽいお話が聞けて楽しかったです。
    特にアナログからデジタルレコーディングに変わる時のお話は、よほど思い入れが強いのか、熱っぽく話されていたのが特に印象に残りました。音作りにこだわる達郎さんにとっては、傍からは伺えないほどの大事件だったはず…。
    残り1回も楽しみですが、それが最後と思うとちょっと寂しい。

  2. 増井 典夫 より:

    風呂に入るときに録音ボタンを押して良し! で番組終了後聞こうとしたらテープがまわってなかった! (安物ラジカセの悲しさ、テープを裏返してなかっただけで…)
    聞き逃した部分を読めてとてもありがたかったです。
    今後もよろしく!

  3. 9thNUTS より:

    いつも通りさん、こんにちは。
    管理人の9thNUTSです。
    デジタル化の苦難の道のりを話す達郎さんの声が、すっごく大きくて・・・
    熱く語る姿が目に浮かびました。

  4. 9thNUTS より:

    増井さん、コメントありがとうございます。
    管理人の9thNUTSです。
    録音って、ほんとに大変なんですよね。
    私も昔、カセット・テープでアナログ録音してましたが、レコーダが壊れて・・・
    今はアナログからデジタル録音に変更しました!

  5. sumire より:

    いつもアップをありがとうございます。
    今回も、昼間子供の行事で出かけて疲れてしまい、僕の中の少年あたりから意識がなく、後半部分のアップを実は期待しておりました。
    いえいえ、催促ではありません。
    この放送で紹介されていたころの達郎さんの作品が一番好きなのに寝てしまった私が悪いんです。録音機器を持っていないので、石にかじりついてでも、いやラジオにかじりついてでも最後まで聞かなければならなかったのに・・・。
    でもアルチザンの部分がわかって嬉しいです。

    最近、サンソンはじめこういった放送は録音しておかねば老後の楽しみがなくなってしまうのではないか、という危惧を抱くようになりました(でも予算が付きません)。
    ではありがとうございました。
    きょうは大体聞くことができました。

  6. 9thNUTS より:

    sumire さん、こんにちは。コメントありがとうございます。
    管理人の9thNUTSです。

    日曜の夜のラジオ、それも2時間っていうのを"ながら"で聴くのはできないし、かといってラジオに向かってじっと聴くのもできないし・・・・。ということで録音して音楽カット版を作って朝の通勤時に聴いています。朝に達郎さんの番組を聴くと、何だか変な感じがしますけどね・・・。