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NHK-FM 今日は一日“山下達郎”三昧 2011年9月19日(その4)

NHK-FM 今日は一日“山下達郎”三昧 2011年9月19日(その4)

さてさて、9月19日(月)お昼12時15分からNHK-FMでオンエアされた「今日は一日“山下達郎”三昧」。
ここでは(その4)として21:10~21:40頃までの「他のミュージシャンに提供した楽曲」コーナーをご紹介しましょう。

そしてラスト1hは(その5)として、また後日。

(その1)はこちら

(その2)はこちら

(その3)はこちら

(その5)はこちら

(その5)はこちら

それでは、誤字脱字はご容赦くださいませ。

出演:山下達郎 黒崎めぐみアナウンサー 平田毅(NHKアナウンス室 専任局長)
ゲスト:松尾 潔

◎ KinKi Kids

黒崎めぐみ:

さあ10時45分まで生放送でお送りしております。
アナウンサーの黒崎めぐみと、先輩の・・・

平田毅:

NHKアナウンサー、平田毅

黒崎めぐみ:

そしてもちろん山下達郎さんにスタジオお越し頂いております。
この時間は、ほかのミュージシャンの方に提供された楽曲をお送りしていきたいと思います。

まずは、キンキキッズ行きましょうか。
98年の作品です。

♪ ジェット・コースター・ロマンス / KINKI KIDS

コメント:KinKi Kids

こんばんはKinKi Kids です。

堂本光一:

ジェット・コースター・ロマンス聴いて頂きましたけども、私たちはデビュー曲「硝子の少年」という曲で山下達郎さんにね、お世話になって。

今聴いていただいたジェット・コースター・ロマンも山下達郎さんの楽曲ではあるんですが。

当時レコーディングの現場にも達郎さんが・・・

堂本剛:

来てくださって

堂本光一:

そのままディレクションを

堂本剛:

ディレクションをして下さいましたね!

堂本光一:

僕らとしては”緊張するやないか”と・・
いう感じではあったんですけど。

でも逆に安心感もあって。

堂本剛

当時僕は、好きで飲んでたお茶があるんですけど、それを段ボール一杯持ってきてくれて。
“これ好きなんでしょ”みたいな。

すいませーんなんて、それを頂いたりしてですね。

確か、ドラマか何か忘れたんですけど、何か仕事してて体調崩しちゃったんです。
鼻声で・・・。

これ、ちょっと申し訳ないなと思って行ったんですけど”風邪だったら、もう体休めた方がいいよ。今日このあと何もないんでしょ”って言われて、ハイ何も無いですって言ったら”じゃ、ここ飛ばしちゃったら休めるんでしょ”って言ってくれて。

そうではありますけど・・・って
“いいよ。じゃ今日休みにしなよ”って、一回休ませて下さいました。

休みをね、あれだけジャニーズ事務所の力をもっても休みが無かったのにね、山下達郎の力をもって一日オフにしてくれたっていうエピソードがありまして。

それで休ませてもらって。

堂本光一:

達郎さんというミュージシャンが故の、歌は体調が良い時が歌うのがいいんだと。

堂本剛:

いいんだよって。
それでまた、後日申し訳なかったんですけどスケジュール調整して頂いて。
それでパパパパと録って頂いて、お疲れ様みたいな。

堂本光一:

今回KinKi Kids、『K Album』というアルバムを制作しているんですけど、その中で今回、達郎さんの楽曲「いのちの最後のひとしずく」という曲を僕がカバーさせて頂くことになりまして。

レコーディングはまたこれからなので

堂本剛:

これからなんですけれども・・

堂本光一:

ちょっとね・・・
責任を持って、歌わさせて頂かなきゃいけないなと。
いう風に思っております。

堂本剛:

ん~、ちょっとね・・・これ、やばいんですよ。

堂本光一:

難しいよね?

堂本剛:

難しんですけど

堂本光一:

達郎さん独特のこぶしも入ってるというか・・

堂本剛:

こぶしもありますし・・
とにかく、何ともサウンド感がやっぱりね、ハンパないですね。

山下達郎というアーティストが・・・作り出していく・・
この、バランス?

メロディとベースラインと全てにおいての、なんかバランスがですね、ヤバイなってやっぱり思いながら聴いてました。

堂本光一:

その曲を聴いただけで”ああ、ここに山下達郎がいるわって”感じになりますからね。
責任もって歌わさせて頂きましょう。

堂本剛:

ありのまま、素直に歌いたいと思ってますので。
その後の、コメントなんかを・・・
ちょっとお手柔らかにお願いしたいなと(笑)

堂本光一:

ハハハ(笑)
そうですね。

という事で達郎さん、今後とも宜しくお願い申し上げます!

堂本剛:

宜しくお願い申し上げます!

KinKi Kidsでした!

◎アイドルが三十代になっても歌える歌

黒崎めぐみ:

はい。お二人からのメッセージがありましたが。

達郎さんの曲を、これからレコーディングされるんですね?

達郎氏:

そうですって。

黒崎めぐみ:

お手柔らかにと、仰っておりましたが。

平田毅:

達郎さんみたいにね、歌のうまい方がスタジオにお越しになって歌入れするの、厳しいでしょうね。

達郎氏:

私は、でも「歌入れの山下」って言われてますからね、昔からね。
歌入れは上手いんです。
自信があります。自分でも。

平田毅:

助言したり、良い環境作ったり?
達郎さん、どんな事仰ってるんですか?

達郎氏:

んん~ 人によって全部違います。

平田毅:

例えば「硝子の少年」の時にキンキキッズに何か仰いました?

達郎氏:

この曲は、だから、あなた達が30になっても歌える曲だから、そんなに要するにテンパッってやらなくていいからって・・・

いう具合に言いましたね。

平田毅:

「ガラスの少年」の時?

達郎氏:

はい。

黒崎めぐみ:

喉を休める時間もとり・・・

達郎氏:

歌が上手い、下手ってのがあるんですけど。

歌が上手い、下手ってのは、だいたい音程とかリズム感とか、そういう事になりがちですけど。
でも感情表現というのは、それとは全然別なので。

音程悪くてもね・・・
あのぉ・・何ていうのかな・・

それを補って余りある、切迫感とか・・
アイドル歌謡は、それ抜きには全く語れないので。

僕はアイドル歌謡ってのは承認するわけじゃないんだけど、でも歌を歌うっていう衝動ってのは、どこでどう捕まえて、どこでどう録音するかってのはね、アイドル歌謡の一つの重要なとこなんですよね。

たとえばフランスのシャンソンみたいなのは、そういうところが良く判ってて。
そんなに音程悪い人はいなくて、シャンソンの歌手なんかはね。

でも、もっと要するにあふれ出る感情表現とか、そういうようなものを重要視するじゃないですか。

日本の場合、やっぱりねヨーロッパ音楽の悪影響っていうか、音程・リズム感?
言い過ぎなんですよね。

今みたいにピッチ全部直しちゃう世界だと、ほんとそういう所が、ほんとにいいのかなって思うんですがね。

そういう意味では、アイドルは殆ど・・・
女性アイドルは一回もやったこと無いんですよね。
男の人しかやった事ないので。

平田毅:

その人のパッションみたいなとこを引き出すと・・

達郎氏:

それしかないです。

平田毅:

確かにね・・・三十代になってもって言われるとね。
なるほどこの歌、大事に歌おうって思いますよね。

黒崎めぐみ:

実はこのテーブルに松尾潔さん、我慢しきれず同席されているんですが(笑)

平田毅:

プロデューサーとしてはどうですか?
今の発言どうですか。

松尾 潔:

いや、ま、ちょっと一つでも生なお話を盗もうと思って、すーっと入ってきたんですけど(笑)

今の話の中で一番大きいのは、僕にとって大きいのは、やっぱり、そのぉ・・・
細かいピッチ、音程ですとか、いわゆる技巧的な歌のうまさにとらわれ・・・過ぎになりがちだっていうのは、ほんと耳の痛い話でして。

どうしてもスタジオっていう密室に居ますとね、そういう考えに陥りやすいですし。
やっぱり、曲が外に出て、いろんな方がお聴きになる絵を想像しなきゃいけないのに、どうしても同業者の顔を思い浮かべたりとか、してしまうんですけど。

達郎氏:

フフフフ(笑)

松尾 潔:

達郎さんのように、これだけ長い活動されてるのに、常にニュートラルな感覚をね、保ってらっしゃるってところに、感嘆せずにいられませんね。

普通の生活っていうのを心がけていらっしゃるから、なせる技なのかなって気がしますけどね。

平田毅:

三十代になっても歌える歌だからっていう、とても素敵なメッセージですね。

松尾 潔:

基本的なメッセージでもありますよね。

達郎氏:

アイドル歌謡は特に短命ですからね。

だから男の子はやっぱり十六の時に歌った歌が、出来ることならば四十六でも歌えるような方がいいじゃないですか。

それはでも、僕のビジネスパートナーがいるんですが、彼がキンキとかマッチとか全部やってるんですが、僕らの考え方なんですよね。

アイドルってのは、早ければ十四歳、十五歳。
で、二十歳になったらもう、人間陰るとか、そういうような側面があるんだけど。
楽曲がそこを、どうフォローできるかっていうのが凄く重要な問題で。

出来ることなら三十代になっても四十代になっても普遍的な彼の男としての輝きみたいな、その曲に新しいね、アレで加味されていけば、そういう事が少しでも軽減できるんじゃないかと。

そういうことは二人で話し合いましたから。

平田毅:

ということは、達郎さんはKinKi Kidsの二人を楽にする意味でもあるけど、自分の楽曲に対する自信でもありますよね。

達郎氏:

でもそういう楽曲を作ろうという努力は、やっぱりしましたね。
「硝子の少年」はとにかくデビュー曲なんですけど、あの時代のやっぱり、凄くレコードが物凄く売れてた時代じゃないですか。

だから初登場一位とか、そういうのを超して、初登場でとにかくミリオン達成するっていうのが至上命令だったので。

黒崎めぐみ:

すごい命令ですね(笑)

松尾 潔:

たまんないですね(笑)
しびれますわ!

達郎氏:

人生に一二回はそういう事があるので。

そういう時にどうするかですね。

松尾 潔:

アイドル歌謡っていうのは特に顕著ですけど、やっぱりポップミュージックって常に、時代にガチンコでぶつかんなきゃいけないっていうか、タイムリーであることが常に求められてますけど。

結果として、それがタイムレスな表現だったって言えるかどうかは、時の淘汰に耐えられるかどうかって事なんですけど。

現に今、聞きながら”そうだなぁ、三十代になったKinKi Kid歌ってるなあ”と。

◎ 近藤真彦

黒崎めぐみ:

そういう事を表しているのかもしれません。
今のお話にありましたが、マッチの曲いきましょう「ハイティーン・ブギ」

これ82年の作品なんですが、これマッチが90年代に入ってセルフカバーしているバージョンでお聴きを・・

達郎氏:

うっかりしててね「ハイティーン・ブギ」ってね、ちゃんとしたオフィシャルな形でCD殆ど出てないんですよね。

だいたいリレコか・・・
リレコって新しいセルフカバーってのはね、昔、リレコっていうんですけど、録音、再録音。

そいうバージョンしかない。

僕うっかりして。

ほんとは持ってこれてオリジナルバージョンでお聴きいただくのがベストなんですけど。
今日はこれしかないので。

NHKにはこれしか無かったので(笑)

♪ ハイティーン・ブギ / 近藤真彦

コメント:近藤真彦

近藤真彦です。

達郎さんご無沙汰しております。
達郎さんが長い時間、こうしてラジオに出てるなんて、珍しいんじゃないかなって思っておりますけど。

僕はですね、十七歳、十八歳くらいの時に達郎さんには「ハイティーン・ブギ」という曲を書いて頂きました。
その他にもですね、いろんな曲を書いて頂いたんですけども、一番初めに書いて頂いた曲が、映画「ハイティーン・ブギ」の主題歌だった「ハイティーン・ブギ」なんですけども。

そうですね・・・

特音してる時に達郎さん来られてて、録音30分くらい前まで、そのスタジオにあった卓球台でですねディレクターと卓球をやってたという記憶がありまして。

それで、じゃ録音やるよって言ってら、ヘイヘイ・ゼーゼー俺がいってて、これじゃ録音にならないだろうって言って(笑)

うちのディレクターが達郎さんに”録音前にお前マッチに卓球なんかやらせてんじゃねーよ”って言われちゃったというようなエピソードを覚えているんですけども。

それと達郎さんとは、今現在も公私ともにお世話なっておりますが。
そうですね、ちょっとこうワインが入ると・・・

“あなたに作った曲のハイティーン・ブギは、とにかく俺見せてやりたいよ。大学ノート何冊あると思ってんだよ”
っていうね・・
達郎さんが僕の音域だとか「あ・い・う・え・お」「か・き・く・け・こ」の何が得意かだとかっていうのを全部の曲を聴いて調べて、それを大学ノートに全部収めてて。

そのデータに基づいてハイティーン・ブギを作ったっていう話をね、達郎さんがちょっと酔うと毎回聞かされるっていうね(笑)

そういう落ちもあるんですけども(笑)

ほんとに親身になって曲を書いて頂けたんだなとほんとに感謝しております。

そして最近では、もうちょっと前になりますけど、一緒に25周年の時かな?
雑誌で対談をさせて頂きまして、プライベートじゃないところでは雑誌で対談をさせて頂いた時に”新しくこんな曲が出るんです”っていうと・・

“歌がうまく歌えたかとか、下手に歌っちゃったとか、そんな事じゃなくて、もうあなたは、あなたの歌がマッチの歌なんだと、だから上手い下手は関係ない。とにかくマッチが歌えば、みんないいんだ!恰好いいんだ!”

って言ってくれた事を思い出します。
そんな事で、僕が歌う歌は近藤真彦の歌なんだと、自信を持ってこれからも頑張っていきたいと思います。

また機会ありましたら、ワインでもご一緒させて下さい。
そしてお仕事でも、またチャンスがあれば、いい曲を是非僕にも書いて頂ければと思います。

まだまだちょっと達郎さん、長くご出演なさる思いますけども、長いこと頑張って下さい。

近藤真彦でした。

◎ 私は劇団の座付作者

黒崎めぐみ:

というマッチからのメッセージでしたが。

達郎氏:

立派な、大人の・・・

黒崎めぐみ:

だいぶ研究されたみたいですね!

達郎氏:

それはね、あの時はね、そういうアイドル歌謡の・・・
その前の6曲が全部、筒美京平さんの曲でしたからね。

平田毅:

私がね、82年に青森で達郎さんからお話を伺った時に、マッチの話になって、ハイティーン・ブギの話になって。

達郎さんはね”私は劇団の座付作者のように、この曲を作った”と仰ったんですよ。
ですから、俳優さんに合わせて脚本書くように、マッチの得意なところを全部研究されたんですってね?

達郎氏:

そうですね。

平田毅:

マッチが歌いやすいように、マッチが一番格好いいところをメロディーラインにしながら曲を作ったと。

達郎氏:

一番ピッチが安定するところは、どこかとかね。
選んで書いた曲なんですけどね(笑)

黒崎めぐみ:

それで、しかも格好良く作るってところが、また凄いなと。
私なんか素人なので思ってしますんですが。

達郎氏:

若かったですから。
まだ二十九です。

平田毅:

たいしたもんですね。
上から降りてくると・・・マッチが格好いいってね!

達郎氏:

上から下へ降りてくると「ドシラソファミレド」って降り続けるんですよねメロディーがね。
そうすると比較的安定で。
「ドレミファ・・・」って上がって行くとちょっと不安定になるので。

降りて、降りて、降りまくるメロディーっていうね。
それだけじゃないですけど、色々あるんですが。

絶対音っていって本当の・・・別に譜面読んで歌ってるわけでもなんでもないので。

イメージで歌ってる。
声帯がどこで歌うっていう絶対ピッチっていうのがあるんですけど、そこでどこが不安定とか、それは
生理的なものなので。

生理的なものさえ判明すれば、一番安定するところが見つかるでしょ。
というようなアレですけどね。

あの頃はほんとに、なんていいましょうかね、歌謡曲っていうもの殆ど書いたことないので。
だけどやっぱり、マッチは初登場一位をずっと続けてるし。

レコード大賞の新人賞とった次のシングルですから。

松尾 潔:

僕は、筒美京平さんともお仕事させて頂いた経験があるんですけども、今平田さんのお話をお伺いして、達郎さんがその時、82年当時ですか? 当時に”僕は座付作者だ”と 。
あたかも俳優に合わせて「当て書き」をする脚本家のようなスタンスでお話されたということですが、それは常に京平先生が仰ってることでもあるんですね。

で、僕は京平先生と、ある時に「お書きになったメロディーが歌い手が歌えない時って、どうするんですか。歌えるようになるまで何度も練習させたらいいんですかね」って話をしたっら、「それは歌い手に合わせてメロディー変えなきゃだめだよ」って、あっさりと仰った事があって。

達郎氏:

中村八大さんも同じこと仰ってましたね。

松尾 潔:

それ、達郎さん、京平先生、中村八大さん。
皆さん、音楽的な執事は違いますけども、山の登り方は違っても、やっぱり同じ景色見てらっしゃるんだなっていう風に思いましたね。
黒崎めぐみ:

その中で、それぞれの作り手の個性も出すわけですものね。

達郎氏:

それが職業作家の役目ですから。
だって歌う人がスターなんですもん。

平田毅:

あの時、なんでインパクトあったかというと、あの当時ニューミュージックって言われ方してましたけど、自分で自分の曲作ってアルバム作る方が、人に提供した時にね「座付作者」って達郎さん仰ったうえに・・・
筒美さんは、そういう意味じゃプロの・・・

松尾 潔:

職業作家の帝王でらっしゃるから

平田毅:

ところが達郎さんだと、もっと自分の世界を作って、それをマッチに提供するのかなと思ったんですよね。
すごい曲だなと思いながら聴きながら、ムーングローとかねライドオンタイムとかそういう世界の中でFor You書きながらマッチに提供した時には、実は相手の側に立って提供し・・

なるほどなと思ってね・・・
「座付作者」っていうのが、今でも残ってるのは、そこなんですね。

松尾 潔:

うがった見方になりますけども、達郎さんに曲の発注があった時点では、もしかしたら山下達郎サウンドの中で、あくまで達郎さんが歌いそうな曲調のなかでマッチを遊ばせてみたいというのもあったんじゃないですか?

あえてそれを理解された上で裏切られたんじゃないかと。

達郎氏:

ああいうロックンロールの曲って自分でも書いたことないですからね。
逆に言うと。

8ビートは殆どやってないですね。
自分で歌えない曲を書くのが作曲家なんですから。
自分で作れない曲を歌うのが歌手でしょ。

そういう分業が昔はあったわけで。

自分で歌えない曲を書けないと・・・
歌手の方が作曲家より歌うまいのは当たり前なんだから。

だから、ああいうティン・パン・アレーのね、アメリカの昔の時代の人は、作曲家がそうやって”こういう曲をお前歌えるか?”って歌手にやると彼ら”こんなの簡単だよ”って。

それの丁々発止で名曲ができ、スタンダードナンバーができるわけでしょ。
あと名匠がね・・
そういうアレじゃないですか。

シンガーソングライターは自作自演っていうもので、今はそれが主流になってますけど。

悪い言い方をすると自作自演っていうのは、要するに自分の得手だけで作れるわけでしょ。
不得手なところはごまかして・・・ごまかしてっていう言い方は失礼だな・・

得手を伸ばして、不得手をリカバーするんですよね。
そういうのがシンガーソングライターのプラスでもあり。

逆にそうすると楽曲としての、要するに拡がりがどれくらいあるか、とかそういう事もあるわけでしょ。

黒崎めぐみ:

凄く素朴な疑問なんですけれど、アイドルの方に曲を提供する時にデモテープで達郎さんが歌われるんですか?

達郎氏:

勿論です。

黒崎めぐみ:

それ結構、一生懸命歌っちゃうと、あまりに・・・

達郎氏:

例えばキーの・・・低いので、つまんなくなるんですよ。
だからマッチの仮歌は、僕のビジネスパートナーのディレクターがいるんですけど小杉くんってね。
彼が歌います。

彼の方が切迫感がでるから。
僕が歌うの全然つまんないですよ。
楽に歌えちゃうから。

黒崎めぐみ:

やはり切迫感って大事ですか

達郎氏:

切迫感って大事です。
だから必ず、仮歌屋さんみたいな人がいるんですよね。今はね。

そういう人には絶対頼みません。
そうするとアイドル歌手が、必ずそれを真似するので。

重要なのは切迫感なので。

だからディレクターみたいなことやってる音楽的に接近してる人の、あんまり上手くない人って(笑)
言いたい事判るでしょ。

無難な歌を彼らに聞かせても絶対だめなので。

黒崎めぐみ:

一生懸命耳で聴いて音に慣れて歌うわけですものね。

達郎氏:

平田君は「座付作家」についての感想を述べられたけど、僕は本当はそうやって職業作家になりたかったんですよ。その時代、まだ二十九でしたから。

まだその時代は、自分でシンガーソングライターみたいな形で時分のアルバム出し続けて、ずっとやり続けていくとは夢にも思ってなかったので。

松尾 潔:

89年にもですか?

達郎氏:

もちろん!

黒崎めぐみ:

あんなに一杯アルバム出してる時ですよね?

達郎氏:

もちろん!

平田毅:

あの頃、最初まずね「僕はシンガーだ」と仰ったのね。
その次はプロデューサーと仰いました。

達郎氏:

今でも結局はシンガーとしての時分を、どうやって座付で自分が書くかってことで考えてやってますから。

ちょっと、ねじれてますけどね。
自分がシンガーとして歌いたい曲とか、そういうのよりもこの歌手にこういうの歌わしたらどうなるか、とかそういう作家的な視野っていうか・・・

じゃないと、忘れられない曲なんて全然かけませんからね。
シンガーソングライターは。

平田毅:

シンガー山下達郎を遠くで見ているプロデューサー達郎がいると。

達郎氏:

常にプロデューサーとしての自分が、こういうの歌えって命令してるような事で、もう三十年以上やってますね。

黒崎めぐみ:

だからこそ長くされてるのかもしれないですけど・・・

達郎氏:

良いことか悪いことか判りませんけど、僕にはそれ以外、ちょっと出来ないので。

松尾 潔:

音楽的に多重人格でいらっしゃるっていうところが・・・
この長い活動を・・・リスナーとしての立場からすると、飽きさせずに・・

達郎氏:

変則的ですよね。ある意味(笑)

◎ 鈴木雅之

♪ Guilty / 鈴木雅之

コメント:鈴木雅之

こんばんは、鈴木雅之です。

達郎さんとの出会いの話をしますと、もうアマチュア時代まで遡らなければならないという。
そういう時間を今ここで使えるのかどうか。

そう思うとですね、そこはちょっと割愛させて頂きますけども。

達郎さんとはですね、鈴木雅之にとって2枚目のソロアルバムですね「Radio Days(1988)」
このアルバムをプロでユースしてほしい、そんな想いでですね、達郎さんに頼んで。

あれは1988年くらいでしたかね。
ほんとうに何か二人でスタジオワークをですね・・
最初にやった曲で三カ月かかって、うちのスタッフが全員、アゴをサンバウンドさせたというね、そんな想い出ばかりではありますけども、俺にとってはですね、今お送りした「Guilty」や「MISTY MAUVE」、そしてもちろん日本の和製ドゥワップですね「おやすみロージー」・・・

達郎さんとコラボレーションをしてもらったお陰で鈴木雅之のボーカリストとしての方向性っていうのがハッキリ見えたような気が、すごくしてます。

そういう意味ではね、俺はドゥワップの同士であるとともに、一人のボーカリストとしてはですね、いつも私たちの先を走り続けている達郎さんの背中を追いかけながら、自分なりの音楽を歌い続けて。

そして今年で三十一年。
ソロとしては25年を迎えることができました。

ほんとにベーシックに達郎さんとの出会いがあったからこそだと、今でも感謝してます。

今回達郎さんはですね、今までにない一番長いツアーになるってことも聞いてます。
ほんとにですね、体に気を付けて、是非ツアー乗りきって下さい。

どこか時間を作れたらですね、顔みせますので、素敵なステージを是非頑張ってほしいと思ってます。

鈴木雅之でした。

平田毅:

鈴木雅之さん、僕とっても声が好きなんですけど、声の話していいですか。

達郎氏:

はい。

平田毅:

達郎さんが好きだって中にはね、もちろんメロディーも好きだ、達郎さんの語りも好きだ・・・
ま、いろんな好きな人がいると思うんですけどね、声が好きだっていう人が凄く多いと思うんですよね。

黒崎めぐみ:

多いですね。
メッセージの中にもたくさんありました。

平田毅:

81年にお会いした時もね、達郎さんがファルセットで歌う男性があまり少なかったので”七色の声してるな”なんて言ったことがありますけど。

私、30年ずっと好きなのは、達郎さんの声なんですね。

声の持つ力というか支配力というか。

松尾 潔:

大きいですよね。

達郎氏:

今でもアンケート、あれするとお陰さまで、何が一番好きかっていうと、やっぱり声ってのが一番多いですね。
ただし、声って好き嫌いが激しいので、逆にいうと声が嫌いだという人も沢山いますね。

ひとの好き嫌いは非常に声が分かつものが多いので。

黒崎めぐみ:

感覚に響きますものね、声って。

達郎氏:

響く人と全然響かない人って極端ですね。

松尾 潔:

理屈じゃないところに訴えかける分野ですよね。

達郎氏:

超常現象ですからね(笑)

平田毅:

達郎さんに質問しますとですね、達郎さんの好きな声っていうのは、どういう声なんですか?

◎ 僕はシャウターが好きなので

達郎氏:

声ねぇ・・・

僕は、どっちかというと”しゃがれ声”が好きなんですよ。
ですから、まぁ、えぇと、オージェイズとかデルスっていうシカゴのボーカルグループのマービン・ジュニアとか、この人もスーパーしゃがれ声ですけれど。

究極はジェームス・ブラウンですね。
男はJB女はアレサっていう時代が随分長かったですけど。

日本の人で、どうかって言われるとね・・・
どっちか言うと、やっぱシャウターが好きなので、eastern youth(イースタンユース)の吉野さんとか、チバさん?

松尾 潔:

チバ ユウスケさん

達郎氏:

とか・・・
そういうやっぱり切迫感っていうか、甲本さんとか、ロック系のシャウターの方が好きですね。

eastern youthなんで好きかていうと、結局声なんですよね。
絶叫で”ドァワ~”っていうのが好きだから、いつも買っちゃうんですよねCD(笑)

歌ってる内容って、勿論詩も好きですし、曲も好きなんだけど。

でもやっぱり、こう・・”シャウト”するあそこんところが!
そういう感じですかね・・・・

平田毅:

さっきのマッチのハイティーンブギの仮歌をね小杉さんに入れてもらうのも、あれでしたけれど。
声の、本人の出る極・極のところがお好きだって仰ってますよね。

達郎氏:

そうですね(笑)
ハイトーンでも・・・
例えば女性でもアルト、ソプラノありますけど、やっぱり上に行くところがねポップスっていうかロックンロールですかね。

ロックンロールはやっぱり・・・
結局ロックンロールって上まで、どんどんハイトーン行って、出なくなるとどうするかって、シャウトするんですよ。

平田毅:

だから、達郎さんのライブ行くと”ガーン”と受けるんですよね

達郎氏:

でもフィジカルに出てる間ですから、出なくなったら終わりですから。

松尾 潔:

好きな楽器が、好きな音を鳴らしてくれてるっていう気持ちにさせてくれますよね。

平田毅:

そうですね。

ライブもそうですし、車の中ね。
車の中で達郎さんのライブとかかけながら行くと、ある種空間を支配してるわけですよ。
その声が。

これはとても幸せ。

松尾 潔:

平田さん、車の中でも、ずーっと歌ってらっしゃる。

平田毅:

ええ、歌ってますね(笑)

達郎氏:

怖いですね(笑)

黒崎めぐみ:

鈴木雅之さんのアルバムのプロデュースも松尾さん・・・

松尾 潔:

ええ、だからそうなんです。
鈴木さんのプロデューサーとしても達郎さんの後輩にあたる訳ですけれど。

一言言わせて頂きますと、達郎さんがマーチンさんのアルバムに3曲提供されたわけですけれども、その3曲に要した時間も、費用も、私アルバム一枚で、そんなに使っておりません(笑)

達郎氏:

あの時はね、とにかく鈴木君とはね、曲を選ぶんですよ、あの声。
物凄く。

自分は、この曲、こんな感じだなと思って作ってた曲が全然ヒットしないです。
8曲くらい書いたのかな。

で3曲OKで。

15曲くらい書きゃ10曲入りできるなって思ったんだけど。
レコード会社のスタッフにそんな予算かけられないから、ここで止めて下さいって言われて、3曲しかできなかったんですけどね。

平田毅:

でもそれはマッチなんかにピッタリの曲を作る達郎さんが、どうしてなんですか、それは。

達郎氏:

彼に対する思い入れがあるんでしょうね。
若いころ、知ってるじゃないですか。

やっぱり、ドゥワップ仲間で。

ある種の僕の先入観が悪かったんでしょうかね。
もうちょっと、だから、それを試すトライ&エラーの時間が欲しかった。

松尾 潔:

その3曲というのは、ほんとに未だに歌い継がれていますから。
ほんとに、タラレバの話だったんですけど、88年の時点でマーチンさんのアルバムをフルで達郎さんがプロデュースされてると、日本のR&Bのその後の歴史っていうのも、大袈裟に言うと、ちょっと地図が違ったのかなってという気さえしますね。

達郎氏:

ビジネスなのでバジェットっていうのはね、予算にちゃんと合わせて作るっていのはプロデューサーの一つの義務でもあるんですけど。

でも事と次第によってはバジェットオーバーしてもその分、売れゃいいじゃないかって。
いいもの出来れば、それでいいじゃないかって。

かなかな、それがね通用しないんですよ、この業界。
しょうがないですけど、まぁ、その時は範囲で頑張るしかないですけどね。

黒崎めぐみ:

最初の一曲目の三ヶ月間って凄く密度が濃かったんでしょうね
なんとなく、やいのやいのとお二人でやってる姿が、なんとなく想像ができますが(笑)

達郎氏:

それは、まぁ、狂気というか、そういう話ですよ(笑)

◎ 竹内まりや

黒崎めぐみ:

楽曲提供といいますと、この方を忘れてはいけませんよね。
竹内まりやさん。

達郎氏:

最初の数年間は、いわゆる歌手だったので。
人の曲を歌ってアルバム10曲入ってると7曲くらいは人の曲で3曲くらい自分の曲という。

詩だけとか、曲だけとかありますけど。
そういうアレなんですよね。

ファーストアルバムに曲書いてくれって言われて。
珍しく、作詞作曲やってるの、これ(笑)

黒崎めぐみ:

そうなんですよね。
78年のファーストアルバム「BEGINNING」から。

達郎氏:

ロスアンジェルス、レコーディングなので向こうにディレクターに電話で歌詞送ったんです。
“まなつの”とか言って(笑)

松尾 潔:

読み上げたんですか

達郎氏:

読み上げたの(笑)

黒崎めぐみ:

では、まず曲からお聴きを頂きましょう。

♪ 夏の恋人 / 竹内まりや

コメント

竹内まりやです。
私が山下達郎さんに初めて楽曲を提供してもらったのはデビューアルバムの時ですので、もうかれこれ33年も前のことになります。

オリジナル曲以外は、全て他の作家の方々に曲を発注して書いて頂くという形をとったアルバムだったので、sの作家陣を誰にするかっていう希望の中で、当時のプロデューサーに一番最初に名前を挙げていたのが、他でもない山下達郎でした。

同じRCAというレーベルだったこともあって、すんなりと楽曲提供を快諾して頂きまして、作詞作曲をしてもらったのが「夏の恋人」という作品でした。

たぶんあの頃、達郎は他にも色んな歌手の方に作品を提供していたとは思うんですけれども、自分自身で作詞まで担当した作品は殆ど無かったんではないかと思います。

弾き語りのデモテープが届いて聴いた瞬間に凄く感激したことを今でも良く覚えています。

いかにも彼らしい洗練されたコード進行とメロディ、そしてそこに乗っかった女性言葉の歌詞が凄く新鮮で、今でも個人的に大好きな作品です。

その後3枚目の「LOVE SONGS」というアルバムの「さよならの夜明け」という作品で初めて二人で共作をしまして。

彼のメロディーに私が歌詞をつけましたが、作詞家として私自身が他の作家の方と組んだのは、これが第一作目だったということに、今回資料を見て初めて気が付きました。

つまり作詞家としての私のデビュー作品のパートナーは山下達郎だったという事実に今更ながら運命を感じております(笑)

それから今日に至るまで、公私ともに彼にはお世話になりっぱなしですけれども。
私が一番音楽的な意味で彼が凄いなと思うのは、その引き出しの多さとアレンジ能力の高さでしょうか。

作詞作曲はもちろんですけれども、楽器演奏、歌唱というような才能も含めて、これだけの事を同時に全てできるミュージシャンというのは、ほんとに他にいないような気がします。

手前みその話で恐縮ですけれども、一番近くで長い間彼の創作を見てきている私は、本当にいつもそう思っています。

そして最新アルバムのRay Of Hope を聴いて感じたのは、やはり彼の音楽の持つ幅広さと深さというか、この年齢まで積み重ねてきたからこそ、滲み出てくる人間的な成熟というようなものが見事に合体していて、ある種彼の生き方を象徴するようなアルバムに仕上がっていると思います。

と言う訳で、今後とも益々素晴らしい作品を届けて下さい。

私のアルバム制作は、後回しでも結構ですので自分の思う存分、ライブもレコーディングもずっと長く続けていって欲しいと願っております。

竹内まりやでした。

黒崎めぐみ:

いいコメントですね・・・
愛情があふれる・・・

松尾 潔:

ほんとですね。

黒崎めぐみ:

私のは後回しでもいいから、たくさん作品作って下さいって仰ってましたが。

達郎氏:

へへへ(笑)

そういう訳にもいかないでしょ(笑)

黒崎めぐみ:

もう満面の笑み!

平田毅:

でもあれですよ。
ファンはね、達郎さんはアルバムが出ないでしょ。

もう、長いことなるの、判ってるので。

まりやさんのアルバム聴いて、アレンジ聴いたり、バックの声聴いたりして楽しむようになってきた(笑)

私なんかそうですよ(笑)
そういう人多いんじゃないですか(笑)

達郎氏:

もう、あのぉ、80年代から交代でやってるでしょ。
で、彼女の曲は僕のアルバムと作風が全然違うので。

それで編曲的なものはかなり鍛えられるところがあるんですよね。

そもそも、だから何でも出来るっていうのは・・・・
大元ただせば、予算削減の手段だったんですよね。

だから予算、そんなにアルバム作らないから、何でも自分でやるとね。
パーカッションひとつだって、呼べば時間8千円とられるんですから、スタジオミュージシャンね。

だって自分でやれば、ただでしょ。

とにかく自分でやると経費節減になるんですよ(笑)
ギター自分で弾いて、キーボードでもなんでもやる。
そいでコンピュータが出てくれば、まさに自分で出来るようになるから。

みんな、だから小さな部屋で一人でトラック作ってるんだけど、その元祖みたいなもんですよね、僕は(笑)

黒崎めぐみ:

でも、音への拘りがおありですから、それぞれもっていくっていうのが大変ですよね。

達郎氏:

逆に、それがなんてのかな、こう自分でしかやらないので、それが一つの差別化っていうか個性化にもつながるんですよね。

10、アーティストがいて、それが全部同じギタリストだったら、全部同じ音じゃないですか。
でも、その中で一人だけ全然違うミュージシャンにした方が、他と差別化作るでしょ。

だからスタジオミュージシャン・ミュージックってのは、そんなに昔から、そういうこう、好きじゃなかったのは、差別化ができないでしょ。

松尾 潔:

とは言えね、お言葉ですけども・・・

達郎さん、やっぱり、ほら”音楽聴き”としても、相当なレベルでいらしゃるわけだから、自分でやれば予算削減いなりますよってサラッと仰いますけども、その鳴らす音が自分の耳に耐えれるかどうかっていう、そこのせめぎ合いっていうのは、どうなんですか。

達郎氏:

バンド上がりってのは、そんなに超絶テクニックがあるわけじゃないでしょ?

だから、フュージョンバンドなりヘビメタバンドなり、いわゆるギターの、それこそ目に止まらぬね、そういうような音楽じゃないので。

シュガーベイブの時から演奏は、割と心もとないので、それをどうするかって。

一つ一つは簡単なリズムなんだけど、それを五つなり六つなり重ねてポリリズム作るっていうかね。

そういう発想でいくので、技術的なものをリカバーできるっていう、そういうのを二十一くらいから、ずっとやってたので(笑)

それが自分にとってはプラスになってるという。

松尾 潔:

達郎さんのギターカッティングとか、これだけで食っていけるじゃんって思いますけどね、正直(笑)

達郎氏:

そんな事ありません(笑)

黒崎めぐみ:

松尾さん、首をかしげながら”とは言っても・・・”といような(笑)

松尾 潔:

なんか、回りくどい謙遜されてるなって(笑)

達郎氏:

ちょっと待って!ちょっと待って!(笑)

平田毅:

でも大きな穴つくるんですが、深い穴掘りますからね。
その分、時間とってますね(笑)

松尾 潔:

山下達郎って人は、含羞の人でもあるんですよね!

これだけ雄弁なんだけど、一番大切な事はそっと胸にしまうみたいなところが、おありですからね。

達郎氏:

タペストリーみたいなヤツですね(笑)

◎ 円道一成

黒崎めぐみ:

楽曲提供された作品を、またご紹介しましょう。

ちょっと珍しいですかね。

達郎氏:

いっこ飛ばしません?これ。
コメントあるやつ、先に行きましょう。

(ページをめくる音が・・・)

あああ、そうでもないんだ!
このあと、アレなんですね?

黒崎めぐみ:

円道一成さんで行きましょうよ。

達郎氏:

これ僕のリクエストなんですけど。

どうせ人に書いた曲だったら、これがいいなって。
これ、すごく自分でね気に入ってる曲なんです。

84年にね、円道一成さんって神戸生まれのシンガーの方なんですけ、ウィルソン・ピケットが大好きで。

クリスチャンでもあるので、そういうこうリズム&ブルースが凄く好きな方でね。
神戸の港町で育った方でもあるので。

アルバム何枚か出してるんですけど、彼のために2曲ほど書いたことがあるんですが。

これ山川啓介さんが作詞して、僕が曲作って編曲してるんですけど。
84年当時の、僕ほんとに、これ自分じゃね、色々な人に聞かれたんだけど、お気に入りだと思うんで。

いわゆるR&Bで僕には歌えない曲なんですよね、逆にね。
このタイプの曲は僕には、ちょっと歌えないし、山川さんとの、ちょっとこう・・・
場末のね! 哀愁が漂う歌詞の世界とか。

こういうのは僕には全く歌えないので、こういのは結構あこがれなので。
この時、円道さんの歌唱とかね、そういうのも含めて。

黒崎めぐみ:

お聴きを頂きましょう。

♪  酔いしれてDeja Vu / 円道一成

黒崎めぐみ:

円道一成さんで「酔いしれてDeja Vu 」でした。
良い感じですね、やっぱり。

達郎氏:

自分が好きなだけ(笑)

◎ フランク永井

黒崎めぐみ:

山下達郎さんが楽曲提供したリクエストの中で、とっても多かったのがフランク永井さんの「Woman」なんですよ。

達郎氏:

あら!

黒崎めぐみ:

ほんとに沢山来てまして、この曲が楽曲提供したもので一番好きですっていうコメントがとってもあって。

達郎氏:

82年ですから丁度ハイティーンブギと同時期なんですね。
あの当時の、そういうこの、世代の断絶ってのがあってね。

ロック以前、ロック以後みたいにね。
昭和歌謡と日本のフォークロックみたいな断絶があって。

そういうの、埋めることが出来ないかって思って・・・

ちょうど僕がいた会社の・・・制作担当してる方が昔担当してらっしゃったんですね。
フランクさんにお願いしてレコーディングしたんですけど。

一番困ったのは、詩でね。

職業作家の方に3人ぐらい頼んだんですけど、やっぱりフランク永井さんっていうイメージが、バーの止まり木で昔は良かったみたいな、そういう・・・そういう歌じゃないって、いくら説明しても、そういう詩が出てこない、そういうんじゃ無い詩がね。

しょうがないんで、自分で詩を書いたんだけど。
この頃は作詞みたいなもの、きちっとやれてないので、そういう意味では心残りではあるんですけど。

それも、まあ歴史ですね(笑)

黒崎めぐみ:

最初に詩を見てから曲を作ろうかと思われたんですか?

達郎氏:

違います。

曲作って、それに合わせて詩書いてもらってるんですけど。
全然、あのぉ自分の思う様な詩を書いて下さらなかったので(笑)
いわゆる既製の職業作家の方が書いて下さったので。

松尾 潔:

サウンドのイメージっていうのは、始めから纏まったものがおありだったんですか?

達郎氏:

フランクさんはバリトンの人なので。
ルーローズのような・・・路線ですよね。

松尾 潔:

時代的に言うとルーローズが・・・
ルーローズっていうシンガーがいるんですけどね。
それこそフィラデルフィア・ソウルっていうのの偉人の一人ですけど。

ニューヨークに出向いて、ニューヨークのエムトゥーメイとか、そういう若手の人と一緒に・・・

達郎氏:

ちょうどその頃ですね。

松尾 潔:

若返りを図った時期がありますよね。
ああいうの、ちょっと横目で睨みながら意識されたんですか。

平田毅:

フランクさんは元に戻ったっていうことですよね。

演歌歌手っていうイメージになってしまったのを・・・

松尾 潔:

もともとフランクってお名前付けられるぐらいだから、ハイカラな方だった訳ですよね。

達郎氏:

16ビートに物凄く恐れを抱いていて。
やっぱり、その・・・
胃が痛くなって病院に入って歌入れ逃げようかってね(笑)
思ったって、あとで仰ったけど。

16ビート恐怖症っていうのが物凄くおありでね。
なんだけど、それ色々説明して”ラテンですよ、これ”って。
ラテンでスネアが半分になっただけなんですからって。

そう言ったら”あぁそうか”って言われて。
“それだったら良く判るわ”って。
それで結構、あの・・大丈夫だった。

その頃40代なんですよね、フランクさん。

松尾 潔:

そのお年を超えちゃいましたね。

達郎氏:

今の松尾くんと同じくらいですよ。
もうちょっと上ですけど。

それはやっぱり、それの時の・・・
今の僕がね、ヒップホップに物凄く恐怖心を抱いて、僕が歌手だとして、ヒップホップのオケでトラックが出てきて”あなたの新曲、これだよ”って言われて、”へぇ、俺、こんなの歌えないよ”って言うような感じですよね。

松尾 潔:

それ判りやすいですね!

黒崎めぐみ:

さあ、そのフランク永井さんのWomanお聴きいただきましょう。

♪ Woman / フランク永井

まだまだ続く、怒涛のラスト1hへ。

(その5)はこちら



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