山下達郎さん サンデーソングブック 2015年03月01日『ジミー・ウェッブ特集 Part 1』
日曜日の午後、ようやく晴れてきました長崎市内。
今週のサンソンで達郎さんの少年時代に影響を受けた楽曲って、ジミー・ウェッブの曲だったんですね。
ということで、このブログでは山下達郎さんのサンデーソングブックのほんの一部をテキスト化しています。
誤字脱字は、ご容赦くださいませ。
◎ 冒頭
達郎氏:
3月に入りました。
あっという間でございます。
えぇ、私、2月4日が誕生日でありますが、免許の書き換えがちょうど今年であります。
優良免許なので、これでまた5年間、書き換えしないでいいと。
ということは、今62歳になりましたので、次書き換える時は67かよ!って・・・
ぞっとしたりしまして。
眼鏡使用でもなく、なんとか迎えられております。
免許書き換える時とか、そういうこう・・しみじみ思ったりも致しますが。
このサンデーソングブックという番組は、私が20年以上やってる番組ですが。
私、いわゆるソングライターが好きなので、ソングライターの特集って随分たくさんやって参りました。
バリー・マンから始まりましてキャロル・キング、リーバー・ストーラー、ブルース・ジョンストン、デビット ゲイツ、 トム・ベルにギャンブル&ハフ・・・
そうしたR&B関係ですが、随分たくさんやって参りました。
昔からやってみたかったのがですね、ジミー・ウェッブ。
私の青春の時代に一世を風靡したソングライターで、その後シンガーソングライターに転じましてですね、自分の作品もたくさん出しておりますが。
ジミー・ウェッブの作品をやてみたいと思って、ずーっといたんですが、この2年位、妙に忙しかったのと、それからジミー・ウェッブは作品がものすごく多いのでですね。
チェックを仕切れないというか。
なかなか昔のヤツが手に入りにくいという、そういうこう難しい人でございまして(笑)
随分長いこと、うんうんやっておりましたが、ようやく機会がやって参りました。
今日から3週間の予定で、ソングライター、ジミー・ウェッブの特集を致したいと思います。
今日はそのパート1でございます。
60年代の中期から活動を始めまして、今でもバリバリ現役でございますけれども。
今はどちらかというと自分で歌うシンガーソングライターとしてのスタンスの方が大きい人でありますが。
それこそ、67,8,9くらいはもう、文字通り一世を風靡したソングライターでありました。
キラ星のごときヒット曲が並びます。
その次代を中心にして60年代から70年代にかけてのですね彼の作品を中心に、3週間の予定でジミー・ウェッブ特集、行ってみたいと思います。
ヒット曲、レアもの、いろいろと取り混ぜてですね、お楽しみ頂ければと思います。
久しぶりにサンデーソングブックが、らしいプログラムをお届け出来る喜び。
日曜日の午後のひととき、3週間ほどジミー・ウェッブの素晴らしい作品で、お楽しみ下さい。
最高の選曲と最高の音質でお楽しみいただきますジミー・ウェッブ特集。
今日はさっそくいってみたいと思います。
~ CM ~
◎自分史の中から見たジム・ウェッブ・・
達郎氏:
というわけで、久しぶりのソングライター特集でございます。
今日は、私の大好きなジミー・ウェッブ。
60年代、70年代、一世を風靡しました天才ソングライター。
その後はシンガーソングライターに転じまして、たくさんソロアルバムを出し続けてバリバリの現役でございます。ライブも精力的にやってる人ですが。
私が高校に入るくらいからジミー・ウェッブ、当時はジム・ウェッブと言っておりましたが。このジム・ウェッブの作品がFENとか、そういうところでですね流れだして、何て素晴らしい作家なんだろうというですね。
そういうことを高校から二十歳過ぎるまでですね、私のほんとに大好きな作家で。
その頃はソングライターでございましたので、ジム・ウェッブの、その書いた作品を一生懸命ですねレコード集めたものでございますが。
そうした自分の記憶、自分史の中から見たジム・ウェッブのソングライターとしての、いろいろな作品群をですね、素晴らしさ、お伝えできればなと。
今週から3週間の予定でお届けします。
今週は、最初期のですね、隠れた作品から、ヒットが出来るようになって、超一流の作家になっていくその過程。
来週は、そうしたヒットソングの主だったもので。
再来週はレアのも、それからソロ作品というですね、シンガーソングライターに転じていくところのソロ作品の重要処。
そのようなものを、駆け足でございますけども、お聴きを頂きたいと思います。
◎ジミー・ウェッブ
達郎氏:
ジミー・ウェッブ、1946年8月15日生まれですから、今68歳でございますね。
オクラホマ生まれの人です。
1964年に家族がカリフォルニアに移住しまして。
サンベルナディーノ、南カリフォルニアに来まして。
65年に大学へ入りましたが、お母さんが死にまして、お父さんは教会の宣教師だそうでございますけども。
この人はオクラホマに帰ってしまいましたが、ジム・ウェッブは一人でカリフォルニアに残りましてですね。
音楽が好きだったので、レコーディングスタジオの雑用から、モータウンの出版社の作曲契約をして曲を書いたんですが、なかなか目が出なかったという。
そういう苦難の10代後期から20代頭くらいのですね、下積み生活を経ております。
その時に一生懸命書いてる曲が、後に採用されて花開くわけですが。
そうした彼の最初期の作品、何曲か、まずお聴きを頂きたいと思います。
◎Take Marion For Example/Millie Rodgers
達郎氏:
最初にモータウンの出版社に作曲契約をした、というのが本人のインタビューでありまして。
その時に初めてレコーディングして印税をもらった曲がシュープリームスのですね、マイ・クリスマス・ツリーという、シュープリームスのクリスマス・アルバムに入っておる曲だと、本人のインタビューでしゃべっておりますけれども。
それが65年の話なんですけど、実はその前に64年に発表された曲というのがあります。
これが一番最初にレコード化された曲ではないかという、最近の研究では、言われております。
全くヒットしませんでした。
シングルのB面でしたので、更にそういう事なんですが、本人、あまり気に入ってないので語りたがらないのかもしれません。
よくある話ですけれども。
アルティマというレコード会社から発売されまして、ミリーロジャースという女性シンガーが歌っております。
シングルのB面に収められております。
1964年のジム・ウェッブの作品。
作詞作曲、ジム・ウェッブ。
♪ Take Marion For Example/Millie Rodgers
◎下積み時代
達郎氏:
この64年から65年にかけては、まだ下積み時代でありますので、先ほど申し上げましたみたいにモータウンの出版社で、ジョべテというのがありますが、そこで下働きをやって、時々曲が採用になって。
そうした採用になった曲というのが今でも残っておりまして。
そんな中から2曲ほど、お聴きを頂きます。
まず、白人ボーカルグループ、4人組の白人ボーカルグループ、ザ・コンテッサズ。
1965年に出しましたシングル。
A面、B面ともジム・ウェッブの作詞作曲、アレンジ、コンダクト、一人で全部やってるという。
インディにちょっと毛が生えたプロダクションでございますが。
これ聴きますと、さっきのミリーロジャースと声、似てるんですよね。
同じじゃないかというアレもありますが、判りません。
ザ・コンテッサズ、1965年の「I Keep On Keeping On」
それから、同時期ですが、やはり1965年。
これ、ビップですからモータウンのレーベルですが。
こっから出ておりますダニーデイという、こちら男性シンガーですね。
これもジム・ウェッブ、作詞作曲、1965年の「The Time Last Summer」
2曲続けてお聴きを頂きます。
♪ I Keep On Keeping On/The Contessas
♪ The Time Last Summer/Danny Day
当時のジム・ウェッブの年齢が、18,9ですから、この時代に、そうしたモータウンの環境の中でですね、色々とアドバイスを受けて、たぶん曲の作り方を勉強していく過程といいましょうか。
そうしましても、初期のこの3曲、ジム・ウェッブでなくてもいいんじゃないかと、そういうような感じですが。
◎ジョニー・リバース
達郎氏:
なかなか芽が出なくてですね、本人のインタビューですとホームレス同然の生活をした時に拾ってくれた人がですね、ジョニー・リバース。
ジョニー・リバース自身、非常に苦労してスターの座を手に入れた人なので、なかなか人を見る目がありまして。
ジム・ウェッブの作る作品を気に入りまして、一曲採用します。
当時、ジョニー・リバースは、それまでのロックンロールシンガー、クラブシンガーから脱皮を図っておりました。
1966年に作ったアルバムが「Changes」という、まぁ要するに路線変更という、それですが。
スタンダードがたくさん歌っている中にですね、1曲採り上げたのがジム・ウェッブの「By The Time I Get To Phoenix」という。
この曲はもともとモータウンの出版で働いてる時にポールピーターソンのために作ったんですが、はっきりしたフックが無いというのでボツられたそうです。
そういういきさつを持った曲ですが、ジョニー・リバースがこの曲、非常に気に入りましてですね。
ジム・ウェッブのその才能に目をつけまして、自分のところに連れてきました。
いろいろな曲をかかしたり、持ってる曲を使ってやったり、そういうことをしますが。
その中から生まれましたのが、The 5th Dimension。
The 5th Dimensionはもともと黒人の5人組のボーカルグループですが。
もともとはヴァーサタイルズ(Versatiles)というグループで、その時代にジム・ウェッブはモータウンの下働きをしてる時代から知り合ってたそうでございますが。
このThe 5th Dimensionは、プロデュースしておりましたのはジョニー・リバースと、それからエンジニアリングが ボーンズ・ハウという、この人は有名なエンジニアですが。
アソシエーションやって、すごく有名だった時代ですが。
このボーンズ・ハウがジム・ウェッブにいろいろなオーケストレーションとかですね、そういことをアドバイスしまして。
ま、言ってみればジム・ウェッブの世にでる恩人というのは、もうまさにジョニー・リバースとボーンズ・ハウ、このふたりであります。
その二人によって育てられましたジム・ウェッブはですね、全面的に作詞作曲、編曲を手掛けましたThe 5th Dimensionの作品が「Up, Up And Away」という1曲でございます。
67年に発売されまして全米7位の大ヒットになります。
The 5th Dimensionはこれでブレイクするわけですけれども。
その年のグラミーをとってしまうという。
たいへんラッキーな運命が待ち構えているわけでございます。
♪ Up, Up And Away/The 5th Dimension
◎偶然なんだか必然なんだか
達郎氏:
プロデュースしておりますのはジョニー・リバースとマーク・ゴードン。
資料みますとモータウンのLAの出版部門はマーク・ゴードンが代表だったそうです。
The 5th Dimensionのマネージャーもやってた人なので。
そうした仲立ちという・・
ここにルー・アドラーも絡んできます・・・そういう話は今日はしませんが。
非常にラッキーな拾われ方をしたという。
だいたい人の出会いというのは、なんか私もこの歳になりますとですね、こう・・偶然というか、偶然なんだか必然なんだか、よく判りませんが。
それで一挙に運命が開けるという。
そういうことを数多く、いろんなところで見聞きしておりますけれども。
これによってジム・ウェッブは一挙に人気作家になります。
ちなみにこの「Up, Up And Away」という曲も、学生時代にですね、サンベルナディーノの大学行ってた時に、友達と映画を作ろうということになって。
地球の映画を作ろうということになって。
結局、その映画はボツったんですけども、その時に作った曲だそうです。
それが、ずっと温めていてThe 5th Dimensionのレパートリーとして花開いたという。
そういう逸話も残っているそうであります。
◎By The Time I Get To Phoenix/Glen Campbell
達郎氏:
先ほどのジョニー・リバースが採り上げた「By The Time I Get To Phoenix」
66年の暮れにジョニー・リバースの「Changes」というアルバムの1曲目として披露されましたが。
これをGlen Campbellがカバーしまして。
1967年に全米26位になりますが。
この曲もまたグラミーをとってしまう。
2年連続してグラミーを獲得してしまうという。
いきなり時代の寵児にジム・ウェッブが踊りでる。
これもあまりに有名なGlen Campbell、1967年の「By The Time I Get To Phoenix」
♪ By The Time I Get To Phoenix/Glen Campbell
オクラホマ生まれのジム・ウェッブがガールフレンドと別れた体験をもとに、フェニックス、アルバカーキ、そしてオクラホマと帰っていくという、その時間経過とともに彼女の行動を想像するという。
そういうような歌でございますが。
”僕がフェニックスに着く頃は彼女は目覚め
僕が残していったメモを読んで笑うだろう
なぜなら 僕は今まで何回もそうやって
彼女の元 離れたことがあるから
アルバカーキに着くころは
彼女はランチタイムで
僕の家に電話をするだろう
でも彼女が聴くのは
壁で 虚しく電話が鳴り続ける音だけ
僕がオクラホマに着くころには
彼女はもう寝ているだろう
彼女は寝返り打ちながら
僕の名前を読んで
そして 僕がほんとに去っていったということを
知って泣くだろう
でも彼女は 僕がほんとに去っていくことが判っていなかっただけなんだ”
という、非常にこうストーリーテリングみたいな歌であります。
中3の15歳の山下達郎少年が、この詩を見て、ほんとに感動しましてですね。
ジム・ウェッブって凄い人だと。
しかも作詞作曲ですからね。
作詞作曲の話はあとでしますけれども。
アメリカの作家
達郎氏:
アメリカの作家っていうのは、だいたいチームを作っておりまして。
作曲専業、作詞担当、そういうようなグループ作っているのが殆どなんですが。
作詞作曲やってソングライターやる人というのは殆どいないんですね。
その中で、詩も素晴らしいし、アレンジ、オーケストレーション、全て出来るひと、非常に珍しい。
ちなみに作詞作曲、編曲で全部でグラミーとったことがあるのはジム・ウェッブひとりだそうです。
そんなような話ものちほどしつつ・・・
~ CM ~
◎世界的に人気の高い
達郎氏:
ジム・ウェッブは、とにかく世界的にものすごく人気が高いソングライターでありますので。
もう今は、世界中で研究が行われております。
資料も沢山ありますのでですね。
私みたいな半端なファンですと、特に初期、最重点ファンですとですね、いろいろと異論もございましょうけども、あくまでソングライター・ジム・ウェッブの特集でございますので。
彼のソロ作品は、あんまり、たぶん触れられないと思います。
誰か他の人に頼んでください。
今ほんとにネット、たくさんありますので、資料がですね。
そのへんを併せてご覧いただけれると有難いと思います。
ま、来週、再来週、だんだん濃くなってまいりますのでですね。
ご期待下さい。
◎リスナーからのお便り(宇都宮市のT.Yさん)
『いつも楽しく拝聴しております。
3月からのジミー・ウェッブ特集、楽しみにしております。
ただひとつ気になることが。
サウンドストリートの時・・・』
達郎氏:
三十数年前のNHKでレギュラーしたやつですね。
『サウンドストリートの時、86年2月20日にジミー・ウェッブ特集があり、その一ヶ月後にサウンドストリートは終了となりました。
今回も同じ年度末の特集なので、もしやと思ったりもしますが、スポンサーも増えたこともあり、そんな事はないと思っております。
これからも末永く続けて下さい。』
達郎氏:
心配性の方がたくさんいましてですね。
3月になると、そういうお便り「新年度は大丈夫なんでしょうか」と。
大丈夫です、え。
当分大丈夫です。
ご安心ください!
引き続き、へへへ(笑)
◎カバー曲
達郎氏:
只今お聴きを頂きました「Up, Up And Away」「By The Time I Get To Phoenix」
この連続グラミー受賞で一挙にジミー・ウェッブが踊り出ますが。
いい時期で、カリフォルニアの、LAのですね、スタジオミュージック界というのが、レッキングクルーと言われるハル・ブレイン、ジョーズ・ボーンをはじめとするですね、素晴らしいリズムセクションのスタジオミュージシャンたちのお陰で素晴らしい作品がたくさんできます。
その時代性無しには、このジム・ウェッブのThe 5th Dimensionをはじめとする素晴らしいオーケストレーションも無かったわけでありまして。
しかして、そのカリフォルニアのスタジオシーンの助けだけかと言いますと、そんなことはありませんでですね。
ジム・ウェッブの作詞能力、作曲能力、そういうものがですね、多くのカバーを生むことになります。
そこからヒット曲が生まれていくという、そういう好循環といいましょうかですね、そういうのが始まります。
そうしたものの代表的な一例が68年に生まれます。
The 5th Dimensionの「Magic Garden」というアルバムの中に入っておりました「Worst That Could Happen」
これも自分のガールフレンドが他の男と結婚してしまうというですね。
”君にとって最高のことだろうけど
僕にとっては最悪の出来事だ”
という、そういう歌がありますが。
これが同じ年にニューヨークのブルックリン・ブリッジ、ジョニー・マエストロというドゥ・ワップグループ、ザ・クレスツのリード・ヴォーカリストですが。
この人がリードボーカルとりました。
これも結構大所帯バンドなんですが。
ブルックリン・ブリッジがこの曲をカバーしまして1968年、全米3位。
69年の春にミリオンセラーにしました。
これは正にジム・ウェッブのそうした作曲能力、作詞能力・・
歌のですね、ペシミズムと言いましょうかですね。
感動したわけですね。
高校1年の山下達郎少年がですね(笑)
♪ Worst That Could Happen/The Brooklyn Bridge
◎イタロ・アメリカン
達郎氏:
このジョニー・マエストロという人は、先程も申し上げましたみたいにドゥ・ワップ出身のイタロ・アメリカンでありまして白人のシンガーでございますけども。
僕は、そうしたイタロ・アメリカンの、フォーシーズンズ、フランキー・ヴァリはじめ、そうした人にものすごく影響受けましたのでですね。
その当時、高校生でしたけれども。
一生懸命、レコードと一緒に歌いましてですね。
この一番の最後のクライマックス・・
一生懸命やりましたので。
今でも、こういう歌が一番得意なんですけども。
でも、日本の通信カラオケにはブルックリン・ブリッジなんて入ってございませんのでですね。
歌いたくても、歌えないと。
ですので、向こうのCDのカラオケかなんかで、またサンソンの夫婦放談の時にやってみたいなと、思っておりますが。
◎エンディング
達郎氏:
この続きは、また来週でございます。
来週は69年に入ってまいりまして、また引き続きヒット曲、名曲の数々でございますが。
1968年、私が高校1年の時に、初夏くらいだったと記憶してますけども、期末テストとか、そんな感じですね。
深夜の1時とか2時のFEN、そこでなんだかやたらと長い曲がかかるんですよ。
しかもバラード仕立てで始まるんですが、途中から思いっきりアップテンポになってインストが始まるんですね。
それでまた歌に戻る。
これが毎晩かかるんです。
いったい何なんだろうって思っておりましたのが、それがリチャード・ハリスンのマッカーサー・パークという曲で。
これがジム・ウェッブの作詞、作曲、そしてアレンジ、オーケストレーション、ピアノまで弾いてるというですね。
それが当時ビクターレコードだったんですが、シングルを買ってきましてですね。
LPが出ないんです。シングルしかないんですが。
LPが出るのも70年が過ぎてからの話なんですけども。
これが私にとってジム・ウェッブのファンというか、それを決定づけた、なんちゅー凄い人がいるのかなと。
まさに天才であると。
しかも作詞作曲、編曲・・
それを決定づけたこの曲。
7分24秒という、当時のシングル盤の常識を覆したですね。
もともと、アソシエーションに提供したんですけれども、アソシエーション、このレコーディングに断ってしまって。
ジム・ウェッブは、この曲を持ってイギリスに、リチャード・ハリスと仕事をしに行った時に、リチャード・ハリスがこの曲を気にいって、レコーディングをしまして。
初めはどこのレコード会社も引き受けてくれなかったんですけども、ダンヒルレーベルが、これを発売したところ全米2位の大ヒットになったという、曰く付きの今ではお若い方はドナ・サマーとか、そういうカバーの方が有名でしょうけども。
誰が何と言おうと、Mac Arthur ParkといえばこのRichard Harrisのオリジナルバーションが白眉でございます。
今日は最後にこの7分24秒をお聴きを頂きましてジミー・ウェッブ特集パード1。
また来週。
♪ Mac Arthur Park/Richard Harris
今週のオンエア曲
14:08 Take Marion For Example/Millie Rodgers
14:12 I Keep On Keeping On/The Contessas
14:14 The Time Last Summer/Danny Day
14:20 Up, Up And Away/The 5th Dimension
14:24 By The Time I Get To Phoenix/Glen Campbell
14:34 Worst That Could Happen/The Brooklyn Bridge
14:40 Mac Arthur Park/Richard Harris
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