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山下達郎さん TBSラジオ『安住紳一郎の日曜天国』(2022年6月12日(日))にゲスト出演

TBS「日曜天国」そのほか
TBS「日曜天国」

山下達郎さんがTBSラジオ『安住紳一郎の日曜天国』(2022年6月12日(日))にゲストとして生出演されました。
安住さんと中澤さんの落ち着いたボイスが、達郎さんのお話を引き立ててましたね。
日曜日の午前中、心地よい時間でした。

ということで、このブログでは番組の一部を文字お越ししています。
誤字脱字は、ご容赦くださいませ。

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求める人がいればそこに行って歌を歌う!

安住紳一郎:

それでは今日のゲストを紹介します。山下達郎さんです。おはようございます。

達郎氏:

おはようございます。よろしくお願いします。

中澤有美子:

よろしくお願い致します。

安住紳一郎:

昨日、全国ツアーの初日を八王子で迎えて。夜9時過ぎに終わったんじゃないでしょうか。

達郎氏:

はい。そうです!

安住紳一郎:

それで・・・・。

達郎氏:

ご飯も食べずに帰って(笑)。9時に起きるなんて久しぶりですから。

安住紳一郎:

そうですよね。

達郎氏:

そうです!

安住紳一郎:

申し訳ございません。日曜日の朝に。

達郎氏:

いえいえ。安住さんほど忙しくないですから。大丈夫です。

安住紳一郎:

いやいやいや・・・・。

達郎氏:

働かされすぎですよ(笑)。

安住紳一郎:

ありがとうございます(笑)。
達郎さんも・・・ね、年金もらってもいいのに(笑)。

達郎氏:

前期高齢者ですから、もう。

安住紳一郎:

全国ツアーを・・
体力、持ちますね~!

達郎氏:

でも、例年よりは楽です。

安住紳一郎:

そうですか。

達郎氏:

もうちょっと詰まってましたけど。今年は割と間を空けてくれて。加齢に鑑みて。

安住紳一郎:

とは言っても6か月。11月まで。

達郎氏:

そうですね。

安住紳一郎:

週に2、3日は地方の都市に行ってコンサートをする。

達郎氏:

でも前までは、だいたい月に12、3本から15本ぐらいありましたけども。今年は10本程度で。

安住紳一郎:

そうですか。求められれば、求める人がいればそこに行って歌を歌うという。

達郎氏:

なんか、かっこよすぎるな(笑)。

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ライブは自分が観たいところでやりたいんですよ。

安住紳一郎:

いえいえいえ・・・そして、あのぉ・・ねえ。若い方は知らないかもしれませんが。山下達郎さんは音に大変強い・・やっぱり気持ちがあって。
たくさんチケット売れるんだから、大きな会場でやればいいんだけれども。
東京ドームとか、大阪ドームなどでは絶対にやらない。
これはもう決めてるんですね?

達郎氏:

そうですね。ハハハハ(笑)
自分が観たいところでやりたいんですよ。

だから東京ドームで見ても、なんか豆粒じゃないですか。
結局、そうするとビジョンのでっかいやつで、とか。
仕掛けでどうなるかとか。
火を吹くだとか、煙を吹くだとか・・・

そういうあれじゃないですか。
そういうのじゃ、なんかあんま面白くないなって。

安住紳一郎:

面白くない・・

達郎氏:

もう古いんです。考えが。

安住紳一郎:

自分の納得のいくコンサートホール、音楽ホールでやりたい。

達郎氏:

本当はライブハウスが一番ベストですけど。
本当は100人とかそんなもんでしょう。
そしたらもう、パフォーマンスで一番難しいのは1対1なんですよ。
僕があなたに相手にして一対一でやるのが一番難しいですけど。
でも、それができれば1万もできますけど。1万ができても100はできませんから。

安住紳一郎:

1万人相手にできる人でも、100人相手にするとちょっと滑っちゃう時はあるよっていう・・・

達郎氏:

だから100ができれば4万でもできるっていう。

安住紳一郎:

なるほど・・ねえ~。ただ、運営側は大変ですよ。

達郎氏:

っははは(笑)

安住紳一郎:

だってね、一度に20倍、30倍のお客さんで興行を打てるのに。

達郎氏:

でも、なんかなんていうのかな・・・
やっぱり1500とか2000とかのお客さんの方が、それだけ説得力があるじゃないですか。
だから絶対そっちの方が、だって聞いててあれですからね。どうせやるんだったら、そっちの方がいいですよね。

コンサートの回数は、アリスとかさださんとかに比べると・・・

安住紳一郎:

そして、東京、名古屋、大阪、福岡だけじゃなくて。本当に地方都市・・・・奈良とか島根とか熊本とか。しかも、あれですよね。福岡じゃなくて久留米とか。そういう県内第3都市、第2都市みたいなところまで足伸ばしてくれるのが・・・・。

達郎氏:

今は無理ですね。

安住紳一郎:もうやってませんか?

達郎氏:

年間50ぐらいが今、限界なんで。それをやると、やっぱり100本コースになりますからね。セカンドシティまで行こうと思うと。
スイマセン。それはちょっと、あれですけども。

安住紳一郎:

そうですか。でも、5年くらい前まではそうやってましたよね?

達郎氏:

そうですね。だいたい年間50ぐらい、平均で。80年代はもうちょっと少なかったんですよ。

アルバムを毎年出してましたんで。だからアルバムを作って、ライブやって、下手すると人の作品もやる・・・
たとえば竹内まりやのアルバムとか、年に2枚作って、ツアーをやっていた時代はやっぱり2、30本ぐらいしかできませんでしたからね。

今は、そういう・・もうちょっと・・・・ここ10数年は割とコンスタントにそれぐらい、できてました。はい。

安住紳一郎:

でもやっぱりファンの人、嬉しいですよね。私、何年前かな? 6年ぐらい前かな? 私、北海道出身なんですけど。

達郎氏:

そうですか!

安住紳一郎:

網走でコンサートをやってくださった時があって。

達郎氏:

っはははは(笑)

安住紳一郎:

ちょっとスケジュール表を見て、腰抜かしましたね。これはもう、網走の人は一生ついてくだろうなと思いました。

達郎氏:

北海道は、あと行ってないのは稚内ぐらいですね。

安住紳一郎:

ええっ? 他はじゃあ、もう?

達郎氏:

安住さん、帯広ですよね? 帯広、苫小牧・・・・19年には根室もやりましたし。旭川、函館。一通りはやってます。

中澤有美子:

すごいなー!

安住紳一郎:それは、達郎さんが意見を出すんですか?

達郎氏:

いや、イベンターです(笑)。
イベンターが、そういうところでやりたいって。
みんな、そういうところでやりたいんですよ。本当はね。だから、みんながやらないから。やれるうちにやっておこうって。でも、僕なんか全然比べものにならないですよ。それこそ昔のアリスとかね、ああいう人たちは300本コースですから、年間。

安住紳一郎:そうですか。

達郎氏:

100なんて、普通です。
だから、さださんとか、あの人たちはもう本当に、数が全然違う。僕なんかとは全然違いますからね。まあ、この歳になってそうやって細かくやるのが珍しがられてるっていうだけで。ガラパゴスですよ。

今の状況は夢にも思っていなかった。

安住紳一郎:

なのでそういう地方都市での公演がずっと続いたので。達郎さん、地方都市のホテルにやたら詳しくなったんですよね?

達郎氏:

(笑)若い頃はね、本当に予算がないので。
ビジネスホテル・・・・昔のホテルってだって、毛布1枚で、ユニットバスで、お湯がぬるいとか。あと、部屋が乾いてるんですよね。乾燥してるんです。
だから、もうしょうがないから、何ていうの・・フロアにお湯をまいて。
でも、朝になるとカラカラになってる。だから濡れマスクなんて、まだなかったですからね。タオルをこう・・巻いて・・・・。

安住紳一郎:

自分でやらなきゃいけないっていう。

達郎氏:

出張の時、そうだったでしょう?

安住紳一郎:

そうなんですよ。
だからその話を聞いた時に、すごくなんか親近感がわいて。「東横インがいい」とか「法華クラブがいい」とか(笑)。

達郎氏:

昔の話ですよ(笑)今はさすがに・・・・(笑)。

安住紳一郎:

今はさすがにTATSURO YAMASHITAが東横インでは・・・・(笑)。

達郎氏:

寄る年波がね(笑)。
若い頃はどんなところでも寝ていて。野宿だってできたんですからね。若い頃は。

安住紳一郎:

そして今も3時間近く・・・・?

達郎氏:

いや、もうダメです(笑)。
少しずつ、減らします。寄る年波です。

安住紳一郎:

そうですね。69歳。

達郎氏:

来年古希ですからね、私!

安住紳一郎:

ここまで・・・・ご自分でもまさか70になって全国ツアーやるなんて?

達郎氏:

夢にも思ってませんでした。やってるとしても、ライブハウスですよね。
2、3人でアコースティックで、なんかのんびりやってるっていう・・・そういう感じですよね。
こういうホール・ツアーでやれているとは・・・・ましてや、新譜を出せるとは、夢にも思っていませんでした。

誰かに肖像画を描いてもらうのが淡い夢だったんですよ。

安住紳一郎:

また、この新しく出した、6月22日ですか・・・発売になります『SOFTLY』というアルバムの話、後ほど詳しく聞きますけども。

これも、もう評判で。

というか、若い人にとってはちょっと信じられない形態での発売になっていて。
CDでの発売。さらにはアナログ・レコード。そして、これがぶっとびですよね! カセットテープでも発売するっていう。

達郎氏:

これは僕のアイデアじゃないですから。レコード会社ですから。これ、評判で好評をいただいていて。

中澤有美子:

このタイプ、まさかまさかと思ったら、カセット・・・・。

安住紳一郎:

しかも、あれですよね。肖像画が描いてあるので。
もうなんかちょっと、ベトナムのお土産のトランプみたいな感じですね(笑)。

達郎氏:

そうですね。メンコみたいなもんですね。ええ。

安住紳一郎:

で、この肖像画を書いたのが・・・・。

達郎氏:

はい。ヤマザキマリさんです。

安住紳一郎:

漫画家の。

達郎氏:

来週、いらっしゃるんですね?

安住紳一郎:

そうなんです。来週のゲストなんですよね。

達郎氏:

マリさん、元々はフィレンツェで、こういう画家の、絵の勉強をしてたんですよね。特にルネッサンス期のこういう肖像画の勉強を長い間、なさっていたので。
それを僕、知ってたので。
僕、若い頃からね、誰かに肖像画を描いてもらうのが淡い夢だったんですよ。

安住紳一郎:

そうですか。

達郎氏:

で、なんかそういうチャンスをずっと伺ってたんですけど。
今回、パッとひらめいて「そうだ。肖像画だ!」って思って。肖像画って言っても、なんかほら、社長室にかかっているような、ああいうのじゃダメなんで。
あと、ピカソみたいなのもダメなんで。

だからこういう・・・・これはキアロスクーロっていう「光と影」っていう、そういう。これ、結構様式的に厳密に指定されてるルネッサンス期の肖像の様式なんですって。
それで描いていただいて。とても、おかげさまで。ハイ。

安住紳一郎:

なんか歴史も感じさせつつ、新しいというか。

達郎氏:

そうですね。

中澤有美子:

とてもいいですねー。

安住紳一郎:

どうですか? 出来栄えは。

達郎氏:

なんか恥ずかしいですね。ちょっとこのへんがかゆい・・・・(笑)。

安住紳一郎:

でも、やってみたかったことなんですよね?

達郎氏:

やってみたかったです。本当に。
なんか、あるじゃないすか。どうですか?

安住紳一郎:

そうですね。私も生まれ変わったら一度、アメフトでプレーしたいってのはあるんですけど(笑)。

達郎氏:

クラブ活動はなんだったんですか?

安住紳一郎:

クラブ活動は中学まで野球をやってたんですけど。ずっと、アメリカンフットボールっていうスポーツは面白いなと思っていて。もしかしたらいつか、お金にあかせてやってるかもしれないですけど(笑)。

達郎氏:

もう遅いかもしれませんね。

安住紳一郎:

もう遅いかもしれませんね。

達郎氏:

あれ、若いうちじゃないと、鎖骨を折ったりするじゃないですか。
なんの話をしてるんでしょうね?(笑)。

TOKYO FM 「サンデー・ソングブック」について

安住紳一郎:

さて、山下達郎さんですが。
東京都のご出身で
1972年シュガー・ベイブを結成。
75年、『DOWN TOWN』でデビュー。
そして、シュガー・ベイブ解散を経てソロデビュー。
80年リリースの『RIDE ON TIME』がスマッシュヒット。

その後、『クリスマス・イブ』、『ヘロン』、『さよなら夏の日』などなど、数々の名曲を世に送り出します。

当代きってのレコード・コレクターとしても知られていまして、その膨大なコレクションを中心にオールディーズソングを紹介するTOKYO FM『サンデー・ソングブック』は今年10月で30周年を迎えます。

30周年・・・・『サタデー・ソングブック』から合わせると、それぐらいになるんですね?

達郎氏:

そうです。今年の10月でちょうど30年。

安住紳一郎:

ちょっと若い方はぜひ一度、聞いていただきたいなと思うんですけども。
もうかなり変わった番組ですけども(笑)。

達郎氏:

安住さんに「変わった」って言われたくないな(笑)。

安住紳一郎:

私に言われたくないですよね(笑)。
オールディーズを紹介するんですけども、最高の音質で、最高の選曲でという。

達郎氏:

あの・・日曜日のこれも番組じゃないですか。
日曜日って難しいじゃないですか。
特定の時間じゃないので。
ちょうど日曜日って、割と年齢層も広いし。

特に日曜の午後2時。
もうそれは行楽帰りの方。それから飲食店の仕込みの方とか・・もうすごい難しい時間帯なんですよね。

なんでそんなところね30年前にね・・・・

だけど、それはしょうがないんで。
いろんな方からお便りをいただくんで。
そういうことにこたえていたら、だんだんだんだんそういうことになってきて。

「かかっている音楽はなんにもわからないけど、しゃべってることが面白いから聞いてる」とかね。今でもそういう方がいらっしゃって。

他の新譜やEXILEに対して全然負けない音圧にしたかった。

安住紳一郎:

いやー、そうですよね。
なんといっても自分の家にあるレコードを持ってきて。
で、それを紹介してくださって。
しかも納得がいかない時は自分でなにか新しく録音してきたりとか。

達郎氏:

古い音楽をかけてるので。
それこそ50年代、60年代の音楽をかけてるんで。

それは今の新譜と比べると、いつも言ってるんですけど、僕が番組始めた時は僕の前の番組が木村拓哉さんで、後ろの番組がドリームズ・カム・トゥルーだったんですよ。

そうすると、みんなバリバリの新譜じゃないですか。で、僕のところだけね、バディ・ホリーとかチャック・ベリーとか、そういうのをかけるから。音圧が全然かなわないんですよ。

だからしょうがないんで、自分のところで、家でリマスタリングして、要するに音圧を上げて。
そうすると新譜でも、EXILEでも全然負けない音圧でとれるんで。それがどんどんエスカレートして今、デジタル・リマスタリングになってやってるんです。

中澤有美子:

じゃあ、ただ棚からひとつかみするだけじゃなくて、かなりの作業が・・・・。

達郎氏:

1日仕事ですよ、前日。

安住紳一郎:

すごいですよね。
だから前の番組と後の番組の新しい技術に見劣りして、色あせて見えちゃかなわないっていう。

達郎氏:

そうですね。

安住紳一郎:

ということで、愛ある作業をして・・・・
そんなアーティスト、いないですよね?

達郎氏:

いや、それはやっぱり音楽をかける時にそういう・・こうね、に考えると、そうなるんで。
別に必要に迫られてそれをやってるだけで。
そんなこと、初めから戦略的に考えてるわけじゃないんで。結果論です全部。

でも、それがこういうデジタルの時代の、自分のレコードのリマスタリングとか、そういうものにものすごく勉強になったんで。

世の中にムダなことは何もないっていう。

安住紳一郎:

後々に自分の仕事に役立ったという。

達郎氏:

役立ちました。本当に。

安住紳一郎:

でも本当に「音職人」と言われるくらいで。
とにかく、非常に・・まぁ・・うん。
ちょっと偏執的なぐらいな(笑)。

達郎氏:

すいません(笑)。
いや、上には上がいますからね。
僕なんか足元にもおよびませんからね。

聴力検査の話は、うちの奥さんが盛ったんです!

安住紳一郎:

前に噂で聞いたんですけど。

達郎氏:

あぁ~

安住紳一郎:

健康診断に行って、聴力検査のブースに入った時にヘッドホンをしますでしょう? 
で、「音が鳴ってる時はずっとボタン押してください」って言われるじゃないですか。
皆さん、やりますよね。

そしたら音職人TATSURO YAMASHITAは、もうヘッドホンをつけた時からボタン押しちゃうんですって。

それで「音が鳴ってからボタンを押してください、山下さん」って言われてるのに「いやいや、音が最初から聞こえる」って言ってボタンをずっと押しちゃうっていう。

あの話、本当ですか?

山下達郎さん サンデーソングブック 2017年8月20日『納涼夫婦放談 Part.1』

達郎氏:

いやいや、盛りすぎですよ、それ。
ただ、すごく老朽化したヘッドホンで、あれじゃあね3Kとか10Kとかね、ノイズに埋もれて聞こえ・・SNが悪いんですね。
SNって、わかりますね?

安住紳一郎:

シグナル(Signal)
ノイズ(Noise)

達郎氏:

要するに、ヘッドホンかけても昔は要するに「シャーッ」って鳴るんですね。
その後、向こうから、はるか遠くから「ピーッ」って聞こえるでしょう? 
「だからこんなSNじゃ聴力検査はできませんよ」って言ったんですけども。
でもそれ、いつも行っている人間ドックで。
もうそれを何回もやってるうちに僕が入っていくと「ああ、またこいつ、来た・・・・」っていう顔をされて。

中澤有美子:

ふふふ「面倒な人が来たぞ」って(笑)。

安住紳一郎:

年イチの恒例行事に(笑)。

達郎氏:

だからそれね、話を盛られているわけ。

安住紳一郎:

そうですか?

達郎氏:

そうです。うちの奥さんがそれをね、話をちょっと盛ったんです自分の番組で。
で、その隣がね、いわゆる肺気腫(肺活量)の検査で「吐いて、吐いて、もっと吐いて・・・・」って。僕、あの吐いて・・・・っていうのが全然ダメなんです。肺活量、全然ないんで。僕。

中澤有美子:

ええーっ?

安住紳一郎:

ありますでしょう?

達郎氏:

いや、ないんです。僕、3600しかないんです肺活量が。

安住紳一郎:

ええーっ? それでよくロング・トーン、できますね?

達郎氏:

それとこれはは別問題なんです。
だって、それだったらお相撲さんが一番ロングトーンができることに論理的にはなんじゃないですか。5000、6000・・・

安住紳一郎:

違うんですか?

達郎氏:

違うんですよ、全然。

安住紳一郎:

それはちょっと、あれですね。病院の人もがっかりですね。
「ちょっと山下達郎が来るから肺活量、見てやろう」って思いますよね?

達郎氏:

その人も「こんなの、やれないよ」ってやったら、またそこの部屋に2人、いるんですよね。
僕が入るとその2人が「ああ、また来た・・・・」ってね、そういう。

安住紳一郎:

くくくく(笑)

達郎氏:

別にいじめてるんじゃないですよ。
僕は全然そういうんじゃなくて。
だから、とんがってね、「こんなの、SN悪くて聞けるわけない!」とか、そんなことは言ってないんですよ。
だからだんだん盛るんですよ。話を。

安住紳一郎:

でも、ちょっとそれは着色した状態で後世に残していただけません? 
面白いんで(笑)。

中澤有美子:

レジェンドの・・・・(笑)。

安住紳一郎:

レジェンドらしいんで(笑)。

達郎氏:

やめてくださいよ、そういうの(笑)。

安住紳一郎:

ええーっ? 
だってヘッドホンしてSNが悪くて「シャーッ」っていっているから、もう音が聞こえてるっていうことでボタンを押すって・・・・。

山下達郎は「観客は客席で口ずさむな」なんて言ってない。

達郎氏:

そういうね、盛る話はたくさんあるんですよ。

僕のラジオのハガキのリスナーで、ご主人が僕のライブに来て一緒に歌ったら、隣の奥さんが「うるさい。聞こえない」って言われたと。
「これは、いけないでしょうか?」って来たんで、僕は「いけない」って言ったんですよ。

そしたら「山下達郎はライブで『歌うな』と言った」と。
それも盛りですよね?

安住紳一郎:

ああ、なるほど。
「観客は客席で口ずさむな」と・・・・。

達郎氏:

そうです。そういう風に言ったと。
でも、それは違うんですよ。
その旦那さんが、僕が歌って奥さんにそれを文句言われたので「これはダメでしょうか?」って聞かれたから「ダメですよ」っつったんです。

山下達郎さん サンデーソングブック 2017年9月17日『リクエスト特集』

安住紳一郎:

それは「夫婦間でやってください」っていうことですよね?

達郎氏:

そういうことを言ってるのに、盛るんです。
切り取りです、切り取り。

安住紳一郎:

そうですね。それはいけませんね。

中澤有美子:

それは心外ですね。

達郎氏:

この際ですから、強調しておきますけどね。

安住紳一郎:

切り取りはよくないと。

でもね、聴覚検査の話はね、ちょっとやっぱり面白いんで・・・・
ちょっと好きなようにやらせてください(笑)。

達郎氏:

もう、勝手にしてください(笑)。

安住紳一郎:

この話、本当に面白いんですよね(笑)。

達郎氏:

最近の人間ドックは改善されてるので、全然問題ないですよ。

安住紳一郎:

ああ、なんかヘッドホンがよくなりましたよね。

達郎氏:

よくなりましたね。
やっぱりエレクトロニクスのね、発展ですよね。
なんだ・・・・大丈夫なの? こんな話で?(笑)。

安住紳一郎:

最高ですよ(笑)。

本当は落語家になるつもりだった?

安住紳一郎:

あと、たぶん山下さんのおしゃべりを初めて聞くっていう方はこんなに饒舌だとは思ってないと思うんですけども。

達郎氏:

スイマセン・・・

安住紳一郎:

だって、あれですもんね。本当は落語家になる予定があって・・・・。

達郎氏:

いや、そんなことないです(笑)。

安住紳一郎:

違います?

達郎氏:

それも盛りです。

安住紳一郎:

それも盛り?

達郎氏:

あのね、僕には叔父がいましてね。
叔父が・・・・僕、落語が好きだったんですよ。
僕ら、ラジオ世代ですから。
まだ僕、小学校に入る時にはテレビ、なかったですから、家にね。

だからテレビがないんで、それまで全部ラジオじゃないですか。
そうすると落語、浪曲・・・・そういう時代でしたから。
落語はもう完全に僕らの世代としては基礎教養なんですよ。

安住紳一郎:

もう別に特別、古典芸能が好きとかではなくて・・・・。

達郎氏:

「寿限無、寿限無・・・・」とか言えますしね。今でも。

安住紳一郎:

で、その池之端のお師匠のところに弟子入りするっていう・・・・。

達郎氏:

ああ、それも盛りです。

安住紳一郎:

これも盛っている?

達郎氏:

盛っている話。
小学校4年ぐらいの時に『少年画報』だか『冒険王』だかの漫画で『よたろうくん』っていう漫画があって。
それとあと、テープレコーダーを買ったんです。

それにおまけで付いてたのが、小さん師匠とか圓生師匠の落語でね『湯屋番』とかね、そういうのが入っていたんです。

それを見よう見まねで真似したら、僕の叔父がいましてね自衛隊の人なんですけど・・叔父がいまして。

その人が懇意にしていたのが柳家三亀松師匠っていう都々逸の師匠で。
その人に「うちのおいっ子でうめえのがいるからお前、弟子にしてやってくんねえか?」って言ったんですよ。

で、そこから先、2説にわかれるんです。

「隊長さん、それはおよしなさい。私は清元7年、常磐津7年、長唄7年習って、そういうことをこれからの子供に苦労させちゃダメだ」って言ったのと

「清元7年、常磐津7年、長唄7年習う。それを親が負担するなら俺が弟子にしてやる」っていうのが2つ、説があるんですけども。

いずれにせよ、うちの親父が「冗談じゃない」って言ったっていう。

安住さん

断ったっていう・・

達郎氏:

だからIF、その時にあれしたら・・・
どっか向島かなんかで三味線を弾いていたかもしれなかった。

安住紳一郎:

そうですよ。
だから「盛っている」って言うけども、結構ギリギリのラインまで行ってましたよ(笑)

達郎氏:

運命の分かれ道(笑)。

安住紳一郎:

だってそれ、お父さんが「そうか。じゃあ、池之端の師匠のところにお世話になるか」なんて言っていたら、ほんとうに・・・・(笑)。

達郎氏:

いえいえ・・なきにしもあらずですけどね。
嫌いじゃなかったし。

安住紳一郎:

嫌いじゃなかった。
今も、あれですよね。オールディーズのレコードのコレクターとしても有名ですが、落語のレコードなんかもたくさんお持ちで。

達郎氏:

落語もまあ、ちっちゃい時からそうやって聞いてますから。
もう本当に古い、志ん生師匠とか圓生師匠とかですけど。
最近のも結構、正太郎さんとか志の輔さんは仲良しです。

安住紳一郎:

なのでちょっと音楽に詳しい人が「達郎さん、最近買ったレコード、なんですか?」って言って、ちょっとマニアックなイギリスのロックバンドとか出てくるのかなと思いきや、結構昔の大師匠の落語のレコードを出されて。ちょっとズコッとなったりとか(笑)。

達郎氏:

柳昇さんのCDボックスとかね。
ライブで夜、寝る時は必ず落語なんですよ。

安住紳一郎:

ええっ?

達郎氏:

だからそれを見てね、バンドのメンバーが「たっつぁん、なに持っているの?」って言って、全部落語で腰を抜かしたっていう、そういう話です。
それは盛っていないです。

落語を聞くと安眠できる。

達郎氏:

落語はいいんですよ。本当に言霊がね・・・・安眠できるんですよ。
特にやっぱりああいう志ん生師匠とか、ああいう人たちの声っていうか。
それは、アナウンサーの方は、よくおわかりになると思いますけども。

安住紳一郎:

いや、たしかにそうですね。
たしかに歌うように語るっていう落語家の方は本当にいらっしゃいますよね。

達郎氏:

だからアナウンサーの方はやっぱりそういうトーンが・・・・安住さんのトーンも癒されるなっていう。

安住紳一郎:

いやいや、そうなってるといいですけどね。

人生最大の分岐点「科学部に入るはずが・・・」

安住紳一郎:

さて、お話尽きないんですけども・・
早速、山下達郎さんの「RIDE ON TIME 走り出した時間」というテーマでお話を伺っていきます。
まずは、一気に紹介します。

その1 科学部に入るはずが・・・・。

その2 100枚の自主制作盤。

その3 CMソングの帝王。

以上の三つです。
ひとつ目ですが、科学部に入るはず・・・・がということで。中学校は池袋ですね?

達郎氏:

そうです。
池袋・・・・正確に言うと目白ですね。
高田中学校っていう、今ないですけど。
合併して、なくなっちゃってますけど。
目白の学習院にちょっと下の方の高田中学校というとこで、そこで・・

安住紳一郎:

で、部活動は科学部に入るんですね?

達郎氏:

最初はね。
小学校の頃はそういうのが好きだったんで。
なんか天文学者になりたいなみたいな、そういうのがあって。

安住紳一郎:

ああ~でもなんか、そんな雰囲気はあります。

達郎氏:

で、「科学部」って書いたんですね。
それで僕、席が一番後ろだったんで学校で。

学校、席が一番後ろのやつが紙を集めるじゃないですか。

安住紳一郎:

前へ順送りにして。

達郎氏:

希望の部活動、科学部って書いて。
それで集めたら、僕の前の列が2人いたんですよブラバンが・・・ブラスバンドが。

「こんなにいるんだったら・・・・」(笑)って。
それで自分の席に戻って、科学部を消して「ブラスバンド」って書き直したんですよ(笑)。

それで、ホームルームも終わって、放課後に音楽室に行ったら、僕のクラスで、僕の他、ブラスバンドはその2人だけだったんですよ!

これが僕、最大の人生の転換点で!

あの時、科学部って書いていたら、120%ミュージシャンにはなってないですね。

安住紳一郎:
なってない!

達郎氏:

はい。

安住紳一郎:

また上手に自分の列にブラバン希望が2人、そろってたんですね。

達郎氏:

いたんですよね。
そうなんです。

安住紳一郎:

”こんなにブラスバンドが人気あるんだったら、俺もやってみよう”って。

達郎氏:

軟弱でしょう?(笑)。

安住紳一郎:

いやいや(笑)。
でもやっぱり音楽に興味、少しあったんですね?

達郎氏:

小学校の音楽の先生っていうのはえこひいきの鬼なんで、どこに行ってもね。 

で、小学校5年までは全くひいきされなかったんだけど、6年生になって新しい新任の女の先生が来て。
この人がめっちゃくちゃ僕のことをひいきして。
で、「鼓笛隊に入れ」って言われて。

それで女子9人、男子2人。
でも、もう1人は大太鼓で。
僕はそれで小太鼓をやらされて。
それが初めてのパーカッション・・最初で。
それで、音楽クラブみたいなのをやらされて。
ボンゴとかコンガとか、ラテン楽器を一応習って。

それで中学でブラスバンドに入ってパーカッションをやったんですよ。
そこからだからずっ~と、僕は専門がパーカッションなんです。

だから本当はドラマーなんですよ、僕。

安住紳一郎:

へー!

達郎氏:

でもアマチュアバンドでドラマーだったんですけど。
プロになるって、ドラマーでリードボーカルじゃかっこ悪いんで、ギターを持って前に出ていったっていうだけなんで。

安住紳一郎:

楽器、何でもやりますけれども・・・・。

達郎氏:

いや、何でもできません(笑)。

中澤有美子:

最初はパーカッションだったんですね。

安住紳一郎:

一番先、ドラムなんですね。

達郎氏:

ドラムです。
それは、すごく助かりましたね。

だからアレンジする時、やっぱりロックンロールだから、やっぱりリズムセクションが一番大事なんで。
それの知識はもうなにものにも代えがたいですね。

で、ラテン楽器ってやっぱりスタジオミュージシャンを呼んでも高いので。
全部自分でやれば、それで予算が削減できるじゃないですか。
だから昔は全部、自分でパーカッションをやって。
だから、銀箱が三つぐらいありますよ。40何年かけて集めた。

安住紳一郎:

銀箱ってなんですか?

達郎氏:

銀箱ってジュラルミンのケース。

中澤有美子:

あ、しまってある・・・

ドラムの小笠原さんは厳しいオーディションを受けて選ばれた。

安住紳一郎:

楽器ケースが・・へ~! 
じゃあ、あれですね・・一緒にツアーを回るドラムの方のオーディションなんか、大変そうですね。

達郎氏:

ドラムは今、若いやつがやってますけど。
それは17人、オーディションをして。2007年ぐらいですけどね。

安住紳一郎:

17人、オーディションしたんですか?

達郎氏:

北海道のやつですけどね。

安住紳一郎:

小笠原さん。

達郎氏:

はい。札幌の。

安住紳一郎:

いや・・なんかだから、自分でドラムやってたからね。
オーディションを受けに来るドラムの人もちょっとね、緊張しますよね。

達郎氏:

フフフ(笑)。いや、でも僕がドラマーだって、知りませんから。

安住紳一郎:

そうですか。やたらドラムの人に対する目が厳しいっていうね(笑)。

達郎氏:

それは厳しいですよ(笑)。

100枚限定自主制作盤『ADD SOME MUSIC TO YOUR DAY』

安住紳一郎:

さて、続いてですが100枚の自主制作盤。
これは何ですか?

達郎氏:

中学から高校の仲間でアマチュアバンドを作ってたんですが。
一応、大学へ入って、全員。
それでアマチュアバンドを解散しようっていうところで。
じゃあ、記念に自主制作でアルバムを作ろうって。

今は自主制作のアルバム、簡単に作れますけど。
CDでね、焼けばいいだけなんで。
でもあの頃は、こういうアナログLPを作ろうと思ったら結構大変なんですよ。

安住紳一郎:

お金がかかる。

達郎氏:

「特販課」っていうところがあってね、レコード会社、どこでも。
小唄のお師匠さんが生徒に配るようなレコードを作ったり・・
そこにコネがある奴がいて。友達で。

そこで・・・・しかも東芝でね。
東芝っつったらビートルズ、ビーチボーイズ!
ビーチボーイズ好きだったから!

「ビーチボーイズと同じ会社だぞ!」って。
それで100枚プレスして。

それを・・・まぁ売るったって、売れませんからね。
友達みんなにタダ同然であげたんですけども。
それが偶然に、大瀧詠一さんのところに渡っていって。

あともう一個、ディスクチャートっていう四谷のロック喫茶でセッションやった人たちのところに回って。
そこからシュガー・ベイブができたんですよ。

だからこのアルバムがなければ、やっぱりそういうプロの道っていうのは、そういう形ではなってなくて。とてもそれは幸運だったですね。

安住紳一郎:

なんか大瀧詠一さんの書かれた文章に書いてありましたね。
高円寺かなんかの喫茶店に行ったら、「ビーチボーイズの曲かな?」と思ったら歌ってるのがビーチボーイズじゃなくて。

「これ、何なの?」って聞いたら・・・・。

達郎氏:

それを聞いていたのが伊藤銀次さんなんですよ。
伊藤銀次さん、当時大瀧さんのプロデュースしてるバンドのメンバーだったんで、福生に合宿してたんですよ。

それで大瀧さんところにそれを持っていって。
で、ちょうどそれが「はっぴいえんど」の解散コンサートだったんですね。
で、なんかもう一味、自分の大瀧さんのプロジェクトに欲しいっていうんで、僕らがコーラス隊で参加したのが大瀧さんの一番最初なんですよ。

安住紳一郎:

で、大瀧さんはそれ見て、連絡先をどうしてわかったんですか?

達郎氏:

それは、書いてあるんです。連絡先が。

安住紳一郎:

レコードに?

達郎氏:

レコードに書いてあったんです。

安住紳一郎:

「興味があったらお電話ください」って?

達郎氏:

そういうわけじゃないですけど。
要するにアルバムの制作の連絡先で。
それで売ってプロになろうとか、そういうんじゃなんで。

安住紳一郎:

思い出みたいな?

達郎氏:

そうです。思い出作りです。

安住紳一郎:

で、それを聞いた大瀧さんが「ちょっと仕事、手伝ってくれ」って言って・・・・。

達郎氏:

そうです。
でもその時にはシュガー・ベイブっていうバンドを作ってたんだけど。
大瀧さんにとってはこの自主制作とシュガー・ベイブと、初めは同じだったんですよ。

これがシュガー・ベイブだと思っていたんですけども。
まあ、そういうようないろいろ行き違いとか誤解はあるんですけど。
最終的にはそれでシュガー・ベイブが大瀧さんのナイアガラっていう作ったレーベルで、最初の第1弾でデビューするっていう、そういうきっかけになったっていう。

形にして出さないとダメだなって。

安住紳一郎:

だからこの自主制作、作ってよかったですよね。

達郎氏:

そうですね。やっぱりね、形にして出さないとダメだなって。
どんなに「俺は最高の音楽を作ってるんだ!」ってやっても、やっぱりきちっと形にして出さないとダメだなっていうのは、これ、19の時に作ったやつですけど。
それはすごく痛感しましたね。

安住紳一郎:

100枚、作ってるんですよね。
これ、手元に1枚は?

達郎氏:

1枚だけ、持ってます。
これのオリジナルの100枚は結構な値段しますけど。
その後、リイシューになって。
今、CDにもなってますから。

安住紳一郎:

きっと世の中で持っている人が何人かいるということですね。

達郎氏:

いますね。

安住紳一郎:

何枚ぐらい残ってるんでしょうね?

達郎氏:

わかりませんね。もうそれは書画骨董の類ですよね。

安住紳一郎:

いやー、たしかに。

達郎氏:

だってその頃はそんなもん、ぜんぜん・・・・(笑)。

安住紳一郎:

いや、そうですよね。

達郎氏:

つもりもないですからね。

安住紳一郎:

当時はやっぱり別にね、まだ山下達郎さんは何者でもないわけですから。

達郎氏:

そうです。

安住紳一郎:

本当に学生が作った・・・・。

達郎氏:

それで大学に行って、なんかちょっと僕らの時代は70年安保とかに引っかかってるんで。ここで結構ドロップアウトしちゃったから。

理系、全然無理なんで。
なんか著作権でも勉強して、音楽が好きだから、音楽出版社でも入ろうかな、みたいな。そういう時代だったんで。

安住紳一郎:

いや、そうなんですよね。
これもね若い人、聞いたらびっくりすると思うんですけど。

当時、東京は学生運動というと大学生のイメージありますが、結構意識の高い高校生が参加していて。

達郎氏:

そうですね。

安住紳一郎:

山下さんが通ってた学校、たぶん全校ストみたいなのが・・・・。

達郎氏:

うちは全国でただひとつ、全校ストをやったんですが。
それはね、教師の人たちが、補習費とか、そういうのでリベートを取ってたんですよ修学旅行費とかで。

それが新聞にバーッとでっかく載っちゃって。
それが69年ですから。
新宿騒乱みたいなのがあった年ですから。
それはバーッてなりますよね。

安住紳一郎:

だから高校がロックアウトみたいなことになってたから・・・
ちょっとね、自分自身で多感な時期、何をやっていいか右往左往というところなんですが。

そういう時代に自主制作を作ってたということで。
実はこれ、CD化されてると今、お話がありましたので。
1曲、その時の・・・・。

達郎氏:

そんなの、かけるの?(笑)。

安住紳一郎:

いいですか?

達郎氏:

いいですけど(笑)。

安住紳一郎:

一応、私たちの可能な最高な音質で出しますので。

達郎氏:

はははは(笑)
いや、これリマスターされてますから大丈夫ですよ(笑)。

安住紳一郎:

ビーチボーイズがカバーして・・・・。

達郎氏:

これ、エヴァリー・ブラザーズっていうアメリカのデュエットのグループですけども。

安住紳一郎:

ちょっとお聞きいただきましょう。

♪ Devoted To You

安住紳一郎:

これが高校生ですか?

達郎氏:

19(笑)。

安住紳一郎:

19歳。

達郎氏:

発音、悪い(笑)。

安住紳一郎:

スタジオで録ったんですか?

達郎氏:

これはね、僕の50年来の友達がいまして。
そいつが地主の息子なので。
その彼のはなれみたいな・・・・駐車場の上に彼の部屋があって。
そこでずっと曲を作っていたんで。
そこで録音して。

安住紳一郎:

19歳でこのレベルを友達と出せるっていうのもすごいですね。

達郎氏:

恥ずかしい(笑)。

安住紳一郎:

いえいえ。

CMソングの帝王~コマーシャルで本当にその困窮から脱せたんです~

安住紳一郎:

さて、山下達郎さんをお迎えしています。
続いてはCMソングの帝王。

達郎氏:

なにこれ?(笑)。

安住紳一郎:

これもちょっとね、意外に思ってる方、多いと思うんですけど。
実は実は山下達郎さん、デビューしてすぐはさほど、やはりお金に・・・恵まれず・・・・。

達郎氏:

いや、全然。
バンドも売れなかったんですけど入った事務所が給料をくれなかったり、いろいろなことがあって(笑)。
そしたら事務所が潰れたりして。

安住紳一郎:

入った事務所がすぐ潰れたんですか?

達郎氏:

すぐ潰れたんです。

安住紳一郎:

で、お給料をもらえず?

達郎氏:

もらえず。

安住紳一郎:

で、学校には行ってないし。

達郎氏:

そうですね。

安住紳一郎:

親からはいろいろ言われるし。

達郎氏:

そうです、はい。
もう大変でした。

安住紳一郎:

で、大瀧詠一さんとの関係があったので・・
大瀧詠一さんはずっとコマーシャルソング、精力的にやってたんで。

達郎氏:

そうですね。
いわゆる、それまでのコマーシャルっていうのは本当にコマーシャル作家っていう人たちがやっていたものが・・・・
大瀧さんは、だからそういうところに新しい切り口を出してきた方で。

それの後でいろいろ手伝ってるうちに「君もやってみるか」って言われてね。
それで・・・

あれがなかったらもう飢え死にしてますね(笑)。
コマーシャルで本当にそこから、困窮から脱せたんです。

『三ツ矢サイダー』コマーシャル曲のシングル化は頑強に抵抗しました。

安住紳一郎:

かなりの量、やったみたいですね。

達郎氏:

100本以上、やっていますね。

安住紳一郎:

100本ぐらい!

これもね、ちょっとTOKYO FMではかからないと思いますんで。
ちょうどこの番組、アサヒ飲料がスポンサーに入ってますので。

達郎氏:

あ、そうなんだ!

安住紳一郎:

ぜひですね、1976年の三ツ矢サイダーのコマーシャル曲。
山下達郎さんです。

♪ 『三ツ矢サイダー』コマーシャル曲

スタジオ:

Oh~
いい!(拍手)。
ステキ!

安住紳一郎:

これはいわゆる達郎さんの代名詞の1人アカペラが・・・・。

達郎氏:

1人アカペラが公に出た最初です。

中澤有美子:

へー!

安住紳一郎:

じゃあ、この三ツ矢サイダーをこうやって録ろうっていうのがひとつ、本当にあれですね。

達郎氏:

僕がアイデアを出したら、それをライターの人が乗ってくれて。
これ、この年だけ大瀧詠一さんが三ツ矢サイダーをやらなかったんで。
だから僕が代役でやったんです。この1年だけ。

安住紳一郎:

で、これはコピーも達郎さんですか? 作詞も。

達郎氏:

いや、作詞は違います。
作詞は伊藤アキラさんっていう有名なCMコピーライターの方で。

安住紳一郎:

へ~
なんか、どうですか? 二十三歳の時に・・・

達郎氏:

そうですね。二十三の時です。
ソロになったばっかりの時で。

安住紳一郎:

いや、でもなかなか自分に厳しい達郎さんですが。
さすが、これ聞くと「二十三の俺もなかなかやるな」って感じじゃないですか?

達郎氏:

いやいや(笑)。好きだったですからね。
こういうのがね。
ドゥ・ワップがもう、本当に没入してた時代ですから。

安住紳一郎:

逆にこれ、あれですね。
シングル・カットするっていう時代じゃないので。

達郎氏:

いや、「シングルにしろ」とか言われましたけど、頑強に抵抗して。
そういう安直なのは嫌だっていう(笑)。

ニューアルバム「SOFTLY」

安住紳一郎:

さて、そんな山下さんですが、いよいよ来週22日 水曜日に11年ぶりのアルバム『SOFTLY』が発売になります。

そこから1曲、お聞きいただきましょう。『RECIPE』。

♪ RECIPE

中澤有美子:

改めまして、今日の『日曜天国』はゲストに山下達郎さんをお迎えしています。

山下達郎さんのニューアルバム『SOFTLY』が6月22日 水曜日、ワーナーミュージックより発売されます。
初回限定盤は『サンデー・ソングブック』1500回を記念したアコースティックライブのプレミアムCDが付いて税込4400円。
通常版は税込3300円です。

詳しくは『SOFTLY』特設サイトをご確認ください。

そして3年ぶりのツアー『PERFORMANCE 2022』ですが、8月以降のチケットはこれから発売ということで。
こちらも詳しくは山下達郎さんのホームページをご覧いただきたいと思います。

中野サンプラザ「なんでも壊しゃいいと思ってるんでね」

安住紳一郎:

注目すべき、特筆すべきは8月19、20の中野サンプラザ。
明後日から先行発売ということですけども。
中野サンプラザは解体予定が決まってるので。

達郎氏:

これ、たぶん最後のサンプラザになると・・・・でも、わかりませんよ。
まだ。延々やっているんですから、それ。
まだわからないですよ。

安住紳一郎:

そうですね。「ひっくり返ったらいいな」っていう気持ちもありながら。

達郎氏:

なんか、ねえ。
なんでも壊しゃいいと思ってるんでね。本当にね。

安住紳一郎:

サンプラザ、本当に音がいいですからね山下さんのコンサート。

で、たまにマイクを使わずに、地声でちょっと、あの・・声を聞かせてくれる時もあって。

達郎氏:

いつまでやれますかね? 
昨日はなんとか乗り越えましたけど。

安住紳一郎:

マイクをオフにしてね。
「地声で歌いますから今から。」なんつって。
「一番奥の人、聞こえますか?」なんつって。

達郎氏:

安住さんって、カラオケとか行かれるんですか?

安住紳一郎:

カラオケ、たまに行きますけど。

達郎氏:

そういう時はなにを歌うんですか?

安住紳一郎:

ええと、浜田省吾さんとか、佐野元春さんとか。

達郎氏:

渋いですね(笑)。

安住紳一郎:

ありがとうございます(笑)。
何の情報ですか?(笑)。

エンディング

安住紳一郎:

10年ぶりにTBSラジオ出演、今日はありがとうございました。

達郎氏:

いやいや(笑)。
毎年出せば、毎年出していただけるんですけどね。
スイマセン・・・

安住紳一郎:

お願いします!
大沢悠里さんと懇意にされていたことは知ってるんですけどね。

達郎氏:

本当にお世話になって。

安住紳一郎:

一応、大沢悠里さんから私、担当を引き継いだと自負してますんで。

達郎氏:

なるほど!

安住紳一郎:

ぜひ。お願いします。

達郎氏:

よろしくお願いします。

安住紳一郎:

またぜひ、落語家ばりの楽しいトークをお願いいたします。

今日はゲストに山下達郎さんをお迎えしました。
ありがとうございました。

達郎氏:

どうも、失礼しました。

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