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【村上春樹】カタルーニャ国際賞スピーチ ノーカット全文 

【村上春樹】カタルーニャ国際賞スピーチ ノーカット全文 

2011年6月9日、村上春樹氏はカタルーニャ国際賞を受賞しました。
受賞スピーチの様子(ノーカット)がANNnewsCHで公開されていましたので、スピーチ全文をテキスト化してみました。

村上春樹氏の本は良く読んでました。
数年前、仕事でアメリカに行った時のこと。
飛行機の隣の席に座った若い外国人男性がHaruki Murakamiの本を読んでいたのをみて感動したのを覚えてます。

誤字脱字はご容赦下さい。
※改定履歴
(2011/6/14)初版
(2011/7/23コメント感謝!)改定1:無情⇒無常

◎村上春樹氏 演説 1/4(11/06/10)

この前 僕がバルセロナを訪れたのは
2年前の春のことでした。

サイン会を開いた時
たくさんの人が集まってくれて
1時間半かけてもサインしきれないほどでした。

どうして、そんなに時間がかかったかというと
たくさんの女性読者が、僕にキスを求めたからです。

僕は、世界中のいろんな所でサイン会を開いてきましたが、
女性読者にキスを求められたのは、このバルセロナだけです。

それ一つをとっても、バルセロナがどれほど素晴らしい都市であるかが良く判ります。

この、長い歴史と高い文化を持つ美しい都市に戻って来ることができて、とても幸福に思います。

ただ、残念な事ではありますが、
今日はキスの話ではなく
もう少し深刻な話をしなくてはなりません。

御存じのように、さる3月11日、午後2時46分
日本の東北地方を
巨大な地震が襲いました。

地球の自転が僅かに早くなり
1日が100万分の1.8秒短くなるという規模の地震でした。

地震そのものの被害も甚大でしたが、
その後に襲ってきた津波の残した爪痕は、すさまじいものです。

場所によっては、津波の高さは39mの高さにまで達しました。

39mといえば、普通のビルの10階まで駆け登っても助からないことになります。

海岸近くに居た人々は逃げ遅れ、2万4千人近くがその犠牲となり、
そのうちの9千人近くが、まだ行方不明のままです。

多くの人々は、おそらく冷たい海の底に今も沈んでいるのでしょう。

それを思うと、
もし、自分がそういう立場になっていたらと思うと
胸が締め付けられます。

生き残った人々も
その多くが、家族や友人を失い

家や財産を失い
コミュニティーを失い、生活の基盤を失いました。

根こそぎ消え失せてしまった町や村もいくつかあります。

生きる希望を、むしり取られてしまった人々も数多くいらっしゃいます。

日本人であるという事は
多くの自然災害と一緒に生きていく事を意味しているようです。

日本の国土の大部分は
夏から秋にかけて
台風の通り道になります。

毎年必ず大きな被害が出て、
多くの人命が失われます。

それから、各地が活発な火山活動があります。

日本には現在
108の活動中の火山があります。

そして、もちろん地震があります。

日本列島は、アジア大陸の東の隅に
4つの巨大なプレートに乗っかるような恰好で
危なっかしく位置しています。

つまり、いわば、地震の巣の上で生活を送っているようなものなのです。

台風がやって来る、日にちや道筋はある程度判りますが、地震は予測がつきません。

ただ一つ、判っているのは・・・・
これがお終いではなく、
近い将来、必ず大きい地震が襲ってくるだろうという事です。

この20年か30年の間に、
東京周辺の地域をマグニチュード8クラスの巨大地震が襲うだろうと、多くの学者が予測しています。

それは、明日かもしれない、1年後かもしれないし、明日の午後かもしれません。

にも関わらず、東京都内だけで、1300万の人々が、普通の日々の生活を今も送っています。

人々は相変わらず満員電車に乗って通勤し、高層ビルで仕事をしています。

今回の地震の後、東京の人工が減ったというのは耳にしていません。

「どうしてか?」と、あなたは尋ねるかもしれません。
どうして、そんな恐ろしい場所で、それほ多くの人が、当たり前に生活して居られるのか。

日本語には”無常”という言葉があります。
この世に生まれた、あらゆるものは、やがては消滅し
全ては、とどまる事無く、形を変え続ける

永遠の安定とか、不変、不滅のものなど、何処にもない
という事です。

これは仏教から来た世界観ですが、この無常という考え方は宗教とは少し別の脈絡で日本人の精神性に強く焼きつけられ、古代から殆ど変わることなく、引き継がれてきました。

全ては、ただ過ぎ去っていくっていう視点は、いわば諦めの世界観です。

人が自然の流れに逆らっても無駄だ、という事にもなります。

しかし日本人は、そのような諦めの中に、むしろ積極的に美のあり方を見出してきました。

自然について言えば我々は、
春になると、桜を
夏には蛍を
秋には紅葉を見れます。

それも、習慣的に、集団的に

いうなれば、そうする事が自明のことであるかのように、それらを熱心に鑑賞します。

桜の名所、蛍の名所、紅葉の名所は
その季節になると人々で混み合い
ホテルの予約を取るのも難しくなります。

どうしてでしょう?

◎村上春樹氏 演説 2/4(11/06/10)

桜も、蛍も紅葉も、
ほんの僅かな時間のうちに
その美しさを失ってしまうからです。

私たちは、その一時の栄光を目撃するために遠くまで足を運びます。

そして、それらがただ美しいばかりではなく
目の前で儚く散り
小さな光を失い
鮮やかな色を奪われて行くのを確認し

その事で、むしろほっとするのです。

そのような精神性に自然災害が
影響を及ぼしたかどうかは、僕には判りません。

しかし、私たちが次々に押し寄せる自然災害を
ある意味では、仕方ないものとして受け止め
その被害を集団的に克服していくことで生き延びてきたことは確かなところです。

あるいは、その体験は私たちの美意識にも影響を及ぼしたかもしれません。

今回の大地震で
ほぼ全ての日本人は激しいショックを受けました。

普段から地震に慣れている我々でさえ
その被害の規模の大きさに
今尚、たじろいでいます。

無力感を抱き、国家の将来に不安さえ抱いています。

でも、結局のところ、我々は、精神を再編成し復興に向けて立ち上がっていくでしょう。

それについて、僕はあまり心配してはいません。
いつまでも、ショックにへたり込んではいけない。

壊れた家屋は建て直せますし、崩れた道路は補修できます。

考えてみれば、人類は、この地球という惑星に勝手に間借りしてるわけです。
“ここに住んでください”と地球に頼まれた訳ではありません。

少し揺れたからといって、誰に文句言う事もできない。

ここで今日、僕が語りたいのは、建物や道路とは違って、簡単には修復できない物事についてです。

それは例えば、
倫理であり規範です。

それらは形を持つ物体ではありません。
いったん損なわれてしまえば、簡単には元通りにはできません。

僕が語っているのは、具体的に言えば、福島の原子力発電所の事です。

皆さんもおそらく御存じのように
福島で、地震と津波の被害に遭った6基の原子炉のうち3基は
修復されないまま、今も周辺に放射能を撒き散らしています。

メルトダウンがあり
まわりの土壌が汚染され

おそらくは、かなりの濃度の放射能を含んだ排水が海に流されている。
風はそれを広範囲にばら撒きます。

10万にも及ぶ数の人々が原子力発電所の周辺地域から立ち退きを余儀なくされました。

畑や牧場や、工場や商店街や港湾は無人のまま、放棄されているのです。
ペットや家畜も、打ち捨てられています。

そこに住んでいた人々は、ひょっとしたら、もう二度とその地に戻れないかもしれません。
その被害は日本ばかりでなく、誠に申し訳ないのですが、近隣諸国に及ぶ事になるかもしれません。

どうして、このような悲惨な事態がもたらされたのか。
その原因は明らかです。

原子力発電所を建設した人々が
これほど大きな津波の到来を想定していなかったのです。

かつて同じ規模の大津波がこの地方を襲った事があり、安全基準の見直しが求められていたのですが、電力会社はそれを真剣には取り上げなかった。

どうしてかと言うと
何百年に一度、あるかないかという大津波のために、大金を投資するのは営利企業の歓迎するところではなかったからです。

また、原子力発電所の安全対策を厳しく管理するはずの政府も
原子力政策を推し進めるために、その安全基準のレベルを下げていた節があります。

日本人は何故か、もともとあまり、腹を立てない民族のようです。

我慢することには、長けているけれど、感情を爆発させる事には、あまり得意じゃない。

そういうところは、バルセロナ市民の皆さんとは、少し違っているかもしれません。

しかし、今回ばかりは、さすがに日本国民も真剣に腹を立てると思います。

しかし、それと同時に私たちは、そのような歪んだ構造の存在を、これまで赦してきた、あるいは黙認してきた我々自身をも糾弾しなくてはならないはずです。

今回の事態は、我々の倫理や規範そのものに深く関わる問題であるからです。

御存じのように、私たち日本人は
歴史上唯一、核爆弾を投下された経験を持つ国民です。

1945年、8月

広島と長崎という二つの都市がアメリカ軍の爆撃機によって原爆を投下され、20万を超える人命が失われました。

そして、生き残った人の多くが、その後、放射能被爆の症状に苦しみながら、時間をかけて亡くなっていきました。

核爆弾がどれほど破壊的であり
放射能が、この世界に
人間の身に
どれほど深い傷跡を残すものか

私たちは、それらの人々の犠牲の上に学んだのです。

広島にある原爆死没者慰霊碑には
このような言葉が刻まれています。

『安らかに眠って下さい
過ちは繰返しませんから』

素晴らしい言葉です。

私たちは被害者であると同時に加害者でもあるという事を、それは意味しています。

◎村上春樹氏 演説 3/4(11/06/10)

核という圧倒的な力の脅威の前では
私たち全員が被害者ですし

その力を引き出したという点においては、
また、その力の行使を防げなかったという点においては
私たちは、全て加害者でもあります。

今回の福島の原子力発電所の事故は
我々日本人が歴史上体験する、二度目の
大きな核の被害です。

しかし、今回は誰かに爆弾を落とされたわけではありません。

私たち日本人自身が、そのお膳立てをし
自らの手で過ちを犯し

自らの国土を汚し、自らの生活を破壊しているのです。

どうして、そんな事になったのでしょう。

戦後長い間、日本人が抱き続けてきた核に対する拒否感は、いったい何処に消えてしまったのでしょう。

私たちが一貫して求めてきた
平和で豊かな世界は

何によって損なわれ
ゆがめられてしまったのでしょう。

答えは簡単です。「効率」です。
「efficiency」です。

原子炉は効率の良い発電システムであると電力会社は主張します。
つまり、利益が上がるシステムであるわけです。

また日本政府は、特にオイルショック以降、原油供給の安定性に疑問を抱き、原子力発電を国の政策として推し進めてきました。

電力会社は膨大な金を宣伝費としてばら撒き

メディアを買収し
原子力発電はどこまでも安全だという幻想を国民に植えつけてきました。

そして、気がついた時には
日本の発電量の約30%が、原子力発電によってまかなわれるように、なっていました。

国民が良く知らないうちに
この地震の多い、狭く混み合った日本が
世界で3番目に原子炉の多い国になっていたのです。

まず、既成事実が作られました。

原子力発電に危惧を抱く人々に対しては、
「じゃあ、あなたは電気が足りなくなってもいいんですね、夏場にエアコンが使えなくなってもいいんですね」という脅しが向けられます。

原発に疑問を呈する人々には「非現実的な夢想家」というレッテルが貼られて行きます。

そのようにして、私たちはここにいます。

安全で効率的であったはずの原子炉は、いまや地獄の蓋を開けたような惨状を呈しています。

原子力発電を推進する人々の主張した
「現実を見なさい」という現実とは
実は現実でもなんでもなく

ただの表面的な「便宜」にすぎなかったのです。

それを、彼らは「現実」という言葉に置き換え、論理をすり替えていたのです。

それは、日本が長年にわたって誇ってきた「技術力神話」の崩壊であると同時に、そのようなすり替えを許してきた私たち日本人の倫理と規範の敗北でもあります。

『安らかに眠って下さい
過ちは繰返しませんから』

私たちは、もう一度その言葉を
心に刻み込まなくてはなりません。

ロバート・オッペンハイマー博士は
第二次世界大戦中、原爆開発の中心になった人ですが、

彼は原子爆弾が広島と長崎に与えた惨状を知り、大きなショックを受けました。
そして、トルーマン大統領に向かって、こう言ったそうです。

『大統領、私の両手は血にまみれています。』

トルーマン大統領は、綺麗に折り畳まれた白いハンカチをポケットから取り出し、言いました。

『これで、拭きたまえ』

しかし、言うまでも無い事ですが、それだけの血を拭えるような清潔なハンカチなど、この世界のどこを探してもありません。

私たち日本人は
核に対する『NO』を叫び続けるべきだった。

それは僕の個人的な意見です。

私たちは
技術力を総動員し、
英知を結集し、
社会資本をつぎこみ
原子力発電に代わる有効なエネルギー開発を国家レベルで追及するべきだったのです。

それは、広島と長崎で亡くなった多くの犠牲者に対する私たちの集合的責任のとりかたとなったはずです。

それはまた、我々日本人が、世界に真に貢献できる大きな機会となったはずです。

しかし、急速な経済発展の途上で「効率」という安易な基準に流され、その大事な道筋を私たちは見失ってしまいました。

壊れた道路や建物を再建するのは、それを専門とする人々の仕事になります。

しかし、損なわれた倫理や規範の再生を試みる時、それは私たち全員の仕事になります。
それは、素朴で黙々とした、忍耐力を必要とする作業になるはずです。

晴れた春の朝、一つの村の人々が、揃って畑に出て、土地を耕し、種を撒くように、みんなが力を合わせて、その作業を進めなくてはなりません。

その大がかりな集合作業には、言葉を専門とする我々、職業的作家たちが進んで関われる部分があるはずです。

我々は、新しい倫理や規範と、新しい言葉とを連結させなくてはなりません。

そして、生き生きとした新しい物語を、そこに芽生えさせ、立ち上げていかなくてはなりません。

それは、私たち全員が共有できる物語であるはずです。

それは、畑の種まき歌のように、人を励ます実動を持つ物語であるはずです。

◎村上春樹氏 演説 4/4(11/06/10)

最初にも述べましたように、私たちは「無情」という、移ろい行く儚い世界に生きています。

大きな自然の力の前では、人は時として無力です。

そのような儚さの認識は日本文化の基本的イデアの一つになっています。
しかしそれと同時に、そのような危機に満ちた脆い世界にありながら、それでもなお生き生きと生き続けることへの静かな決意、

そういった前向きの精神性も私たちには具わっているはずです。

僕の作品がカタルーニャの人々に評価され、このような立派な賞をいただけたことを、僕にとって大きな誇りです。

私たちは住んでいる場所も離れていますし、話す言葉も違います。依って立つ文化も異なっています。

しかしなおかつ、私達は同じような問題を背負い、同じような喜びや悲しみを抱く、同じ世界市民同士でもあります。

だからこそ、日本人の作家が書いた物語が何冊もカタルーニャ語に翻訳され、人々の手に取られるということも起こります。

僕はそのように、同じひとつの物語を皆さんと分かち合えることを、とても嬉しく思います。

夢を見ることは小説家の仕事です。
しかし小説家にとってより大事な仕事は、その夢を人々と分かち合うことです。
そのような分かち合いの感覚なしに、小説家であることはできません。

カタルーニャの人々がこれまでの長い歴史の中で、多くの苦難を乗り越え、ある時期には苛酷な目に遭いながらも、力強く生き続け、独自の言語と文化を護ってきたことを僕は知っています。

私たちのあいだには、分かち合えることがきっと数多くあるはずです。

日本で、このカタルーニャで、私たちが等しく「非現実的な夢想家」となることができたら、そして、この世界に共通した新しい価値観を打ち立ていくことができたら、どんなに素敵だろうと思います。

それこそが近年、様々な深刻な災害や、悲惨きわまりないテロルを通過してきた我々の、ヒューマニティへの再生への出発点になるのではないかと、僕は考えます。

私たちは夢を見ることを恐れてはなりません。
理想を抱くことを恐れてはなりません。

そして私たちの足取りを、「便宜」や「効率」といった名前を持つ災厄の犬たちに追いつかせてはなりません。

私たちは力強い足取りで前に進んでいく「非現実的な夢想家」になるのです。

最後になりますが、今回の賞金は、全額、地震の被害と、原子力発電所事故の被害にあった人々に、義援金として寄付させていただきたいと思います。

そのような機会を与えてくださったカタルーニャの人々と、ジャナラリター・デ・カタルーニャのみなさんに深く感謝します。

そしてまた、先日のロルカの地震で犠牲になった人々に、一人の日本人として、深い哀悼の意を表したいと思います。



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