山下達郎さんが、オールナイトニッポン55周年を記念して46年ぶりに『オールナイトニッポン』パーソナリティを務めました。
「あなたのこの11年」「聞いてよ達郎さん」というテーマでした。
リスナのすてきなお便りやコメントに対する達郎さんの温かい想いが伝わってきます。
そして音楽家として過去と未来をクールに眺める思考が拝聴できて、すてきなプログラムでした。
ということで、このブログでは『山下達郎のオールナイトニッポンGOLD』の一部を文字お越ししています。
誤字脱字は、ご容赦くださいませ。
- 冒頭
- いつもはFMでレギュラーをやっておりますけども
- こういう平和が続くことを願いつつ
- 46年前、毎週毎週プロデューサーに呼ばれて「誰でも知ってる曲をかけてくんないと、困るんだって!」
- シュガーベイブのバンドのデモテープを一番最初に録音した場所
- ふつおた「あなたのこの11年」「聞いてよ達郎さん」
- 非常に感慨深いお便り
- やれるだけの事は努力して突っ走ってください
- 年老いた両親へ
- 一所懸命ほんとうに生きてる方がAMラジオのメールから見えます
- この11年、一番大きかったのは東日本大震災
- 達郎さんの落ち込んだときのリフレッシュ法
- 竹内まりやさんは、お家でどんな方ですか?
- 「人力飛行機」~若い人に対する応援歌として聴いていただければ~
- ニッポン放送で思い出すのは「レコード室」
- アルバム「SOFTLY」のジャケット
- ニッポン放送のレコード室~アナログ盤を守ってきた諸先輩方~
- ニッポン放送の上でアルバムのスコアを書いていた
- ビーチボーイズが本当に好きで
- 1976年オールナイトニッポン2部 一番記憶に残っているのは~勝新太郎さん~
- ドラム・シンバルのみそ漬け!
- 両親が僕にずっと言ってたこと
- ライブのチケットがとれない!
- オールナイトニッポンやってるとき・・
- 歌って楽しいな!と思ったことは一度もないので
- 街の声「自分がどう日本に貢献できるか」
- 大瀧詠一さんからのご縁
- 私もこの11年色々なことがありました
- 音楽活動の過去と未来を語る~メディア、ライブ~
- 「アルバム」の持つ意味に向き合った11年間
- この先、あと何枚制作できるか
- 達郎さんが日常のルーティンで長い間で続けていること
- 木村拓哉さんのニューアルバム『Next Destination』
- 「硝子の少年」から25年!KinKi Kids新シングルは山下達郎&竹内まりや提供
- エンディング
- オンエア曲
冒頭
達郎氏:
皆さんこんばんは山下達郎です。
有楽町ニッポン放送、地下イマジンスタジオ
歴史的スタジオでございますが。
そこにおります。
オールナイトニッポンGOLDでございますが。
私、実に46年ぶりのオールナイトニッポンでございます!(笑)
今を去ること46年前、1976年1月からですね、私はオールナイトニッポンの2部、3時~5時ですね22歳の時ですね。
2月生まれですから、22から23にかけてオールナイトニッポンを担当したことがあります。
ありますが、クビになりました。
色々理由はたくさんありますが一番大きな理由は、選曲がマニアックすぎるというですね・・そういうことになりました。
で基本的にはオールナイトニッポン55周年の歴史でほ、とんど顧みられることがなく、ほとんど抹殺に近いですね(笑)
歴史の痕跡をとどめないという、そういうアレでございますけれども。
で46年ぶりに(笑)ここのイマジンスタジオに帰ってくると・・
46年ぶりのオールナイトニッポン、大々的にですね、もう社長さん、役員さん、現場の
プロデューサー、ディレクターの方々皆さんですね・・
赤絨毯こそ、ありませんけどですね、皆さんで出迎えていただきまして。
まるで、あの美空ひばりなったような気が・・しますんですけれども・・
でも昔はそうじゃなかったです・・・
というような話をですね、色々と今日はさせていただきたいと思います。
ニッポン放送はシュガーベイブで、僕が22歳の時に、1975年にシュガーベイブというバンドでデビューしましたが。
その時が今のフジパシフィックというPMPというニッポン放送系の出版社で契約してデビューしましたので、ニッポン放送はおなじみであります。
実は仲間もたくさんいたんですけど
今はもう上柳さんくらいしか残っておりませんけれども。
でもまあそういう出自でございますので・・
色々と縁は深いので、色々と申し上げる思い出もたくさんございますので。
オールナイトニッポンも今まで色々と出さしていただきました。
そういうの話も含めつつ、今日はメール、コメント・・
色々とリスナーの皆さんから頂いております。
そういうものにも助けられつつですね2時間がんばって参りたいと思います。
55周年のうちの46年ぶりのオールナイトニッポンでございます。
なんか緊張しますね。
それでは参りましょう!
山下達郎オールナイトニッポンGOLD
いつもはFMでレギュラーをやっておりますけども
達郎氏:
いつもはFMでレギュラーをやっておりますけども。
AMラジオだとやっぱりAM的に喋らなきゃいけないというですね・・・
これも長年のですね、このキャリア47年で培ったですね、色々と技でございます。
だけど「Bittersweet samba」をバックにですね「はい、こんばんは」というのはですね、実は2回目なんです。
オールナイトニッポンの2部はですねオープニングテーマは「Bittersweet Samba」使ってもらえなかったので。
一度だけ一部に出たことがありまして生で。
その時に一回やったっきりでありました。
そういう感じであります(笑)
で、実はですね、今日岡山でコンサートやっております。
ですので・・録音!(笑)
だいたいツアーが始まって・・・実は明日、私11年ぶりのニューアルバム
オールナイトニッポン46年ですから、大したことありません!
11年ぶりのニューアルバム明日発売でございます。
それで今日オールナイトニッポンを出させてていただくというスケジュールでございますけども。
ツアーをやっている時にアルバムを出すというのはですね、42年ぶり
「ライド・オン・タイム」のアルバム時以来でありまして。
普通はですね、今はアルバムを作って、それでそのプロモーションを行って、
で、そっからツアーのリハーサルを始めて・・
それで、アルバムが出て、それでツアーの本番が始まる。
アルバムを引っさげてツアーとか・・・全然書けないんですよ最近。
ですのでツアーの準備をしながら取材をしてるという・・
いったいこれは何なんだという・・
私、来年で齢(よわい)70歳ですよ!
古希ですからね!
前期高齢者ですからね!
どれだけ働かせるんだという・・
働けど、働けど・・・ま、いいです。
すいません話が長くなりまして。
いいんですAMだから(笑)
そういう感じでございますので。
ひっちゃかめっちゃかになっております。
何を話ししようかというようなこともあるんですけど。
そうしましたら、色々メールをスタッフの方々がですね集めてきてくださいまして。
さすがにAMラジオのでラジオネームの方がほとんどですけども。
いいんですAMだから!
こういう平和が続くことを願いつつ
達郎氏:
埼玉県のMさん
『この11年、ずっとニューアルバム待ってました。
オールナイトニッポンで2時間パーソナリティを務めてくれるなんて!
とっても嬉しいです。
これからの活躍楽しみにしています。』
東京練馬区はSさん。
『聞いてください達郎さん。
僕は30代半ばですが、山下達郎さんの曲をよく聞く話をしたり、ライブに行った話をすると、ほとんどの人は「渋い」と返事します。
僕は山下達郎さんと山下達郎さんの曲は渋くないと思います!!!!
むしろ「かっこいい」が合うと思います!!!!
どう思いますか?』
30代半ばで、それは渋い趣味ですよ、あなた。
私が30代半ばの時に69の人と言うと、ほとんど生きていませんからね。
私が20の時にバンドを組んで、21ぐらいの時にCMの仕事を始めましたけども。
その時に一番年上だった人が37歳でしたから。
そういう時代でした。
いわゆる太平洋戦争は、そういう意味では文化的にすごく断絶したので。
親子の断絶とか、そういうこと僕らの世代は言われたのは、太平洋戦争があったので・・
もしそれがなければですね、もうちょっと文化はスムーズに継承されてたと思うんですけども。
日本は、まがりなりにも70数年平和だったんで。
そういうSさんみたいに30代半ばでも私みたいな音楽を聴いていただけるという。
ありがたい時代でございます。
できることなら、こういう平和が続くことを願いつつ。
武蔵村山市、東京都 K.Kさん
『達郎さんこんばんは。
そしてはじめまして。
私は来月の7月7日でちょうど30歳であります。
達郎さんの曲を初めて聴いたのはフジテレビで放送していたポンキッキーズ中で
流れていた「パレード」でした。
その当時の私は幼稚園に通う前でしたのでなんとなく聞いていた記憶しかありませんでした。
歳を重ねていく力に達郎の曲を聴くと、なんて素敵な歌声なんだと思うようになり
今年の癒しになり、仕事の疲れがなくなってしまいます。
今では毎日のように達郎さんの曲を聴いています。
ちなみに好きな達郎さんの曲は「ライドオンタイム」と「ずっと一緒さ」と「よなら夏の日」です。
これからも達郎さんのご活躍を期待しています。
お体にお気をつけてお過ごしください。』
ありがたいお便り!
といいようなメールをたくさん頂きました。
ありがとうございます。
がんばって行ってみたいと思います。
おしゃべりばっかりしてると、なんですので一曲。
なんか明日ニューアルバム発売なのに
はやく曲かけろって、そういうあれ・・
埼玉県富士見市 K.Kさん
全国ネットだもんな・・・
でも自分の番組だって全国ネットだもんね・・
気分が違うような感じがするな・・
AMの方が、メジャーだという感じがするんですよ(笑)
僕の年代から言うと。
FMは、その後ですからね。
なんかFM・・色々言ったってね、やっぱりニッポン放送ですからね!
昔はニッポン放送と文化放送が、ステレオ放送みたいにやってた時代から聞いてますから。
まだテレビのない時代からラジオ聞いて・・
いいんだって、はい!
K.Kさん
『逹瑯さん
まさかオールナイトニッポンに出演されるとは驚きです。
ネットでニュースで見たときは、とうとう古巣へ戻るのかと感慨無量です。』
古巣じゃありません。
ちょっとだけ、顔出しただけです。
『毎年ライブに参戦していますが、アルバムに入っている「ミライのテーマ」を主人がえらく気に入ってまして。
ライブで歌われた時に、達郎さんが、
Cute! Cute!
って歌う時に、一緒に振付してます。
あんなに嬉しそうに踊る主人、近年見ていません。
是非かけてください。
主人もラジオの前で踊ります。』
踊ってください!
6月22日発売、私の11年ぶりのアルバム
「SOFTLY」から2018年
細田守監督のアニメ「未来のミライ」から「ミライのテーマ」
♪ ミライのテーマ
46年前、毎週毎週プロデューサーに呼ばれて「誰でも知ってる曲をかけてくんないと、困るんだって!」
達郎氏:
山下達郎のオールナイトニッポンGOLDをお送りいたしております。
明日6月22日
私、11年ぶりになりますアルバム「SOFTLY」
いよいよリリースの運びとなります。
ツアーに重なってやっておりますので。
ほんとは生でやりたかったんすけど前倒しで録音でお届けしておりますが。
がんばっていきたいと思います。
先ほど申し上げましたが、オールナイトニッポンGOLDは、吉田拓郎さんのオールナイトニッポンGOLDに出させていただいたことがありますが。
オールナイトニッポン自体は46年前に、私、レギュラーやっていたと申し上げましたけども。それ3時の2部の方でありまして。
それが生まれて初めての、ラジオの、いわゆる今だったらパーソナリティ、昔だったらDJディスクジョッキーって言ってましたが。
初めてラジオで喋る一番最初のラジオレギュラーだったものですから。
まあ本当に22歳・・・
何も知らない(笑)少年でありましたので。
こうやって喋っているとですね、ディレクターの私の先生の佐藤輝夫さんというですね、大御所がいましてですね。
「おい!説明が長い!」
毎回厳しく厳しくやられまして。
それのおかげで少しラジオのですねノウハウが分かったという一番最初のあれですけども。
とにかく、私、いわゆる10代の頃は音楽オタクでありまして。
オールナイトニッポンでも音楽関係のものしか聞かなかったんです。
高崎一郎さん
糸井五郎さん
亀渕昭信さん
それで他局の文化放送とかですね、TBSでもですね、音楽特化した番組しか聴かない。
いわゆるバルバラエティ系というのは一切聞かない少年だったので。
福田一郎さん
中村とうようさん
八木 誠さん
TBSですと
宮内鎮雄さん・・・超マニアックなアナウンサーがいましてですね。
そういうようなものしか聞かなかったので。
そういうところが、裏目に出ると言いましょうかですね・・・
ミュージシャンであるから、それでそういう自分の好きな音楽かけられるんだって、ラジオでしかも全国ネットでかけられるんだって・・・
行きましたら、毎週毎週プロデューサーのひとに呼ばれましてですね。
(プロデューサー)「君の番組はちょっとマイナーすぎるんだよ」
「10曲かけたら、7曲は誰でも知ってる曲をかけてくんないと、困るんだって!
これは公共放送なんだから」って。
(達郎さん)「誰でも知ってる曲って何ですか」
(プロデューサー)「それは、例えばビートルズとかそういうもんだよ!」
(達郎さん)「僕はミュージシャンなので、やっぱ自分はそういうかける曲が自分のアイデンティティにつながるって・・」
(プロデューサー)「それは理屈だろ!ここは公共放送なんだから!」
そういうことですね。
ずっとそれが繰り返されまして・・
結局「今月でもう結構」っていうことになりました。
それで今46年ぶりにまた復帰しておりますけれども。
今日は何をかけてもいいというですね(笑)
世の中は変わったな!って・・
十年一昔ですから五十年五昔・・ということになりますね。
生まれた人がもう46になるという、恐ろしい世界でございます。
でも、ありがたいことでありますが。
シュガーベイブのバンドのデモテープを一番最初に録音した場所
達郎氏:
ニューアルバムが出るという、そこの前振りですね、前景気といいましょうかですね・・
景気づけで前日に出して頂いております。
まぁほんとにですね・・
拝んでしまいました!イマジンスタジオというですね・・・
鶴瓶さんとここでなんか対談をしたことがありますが(笑)
昔は銀河スタジオってのが上にありましですね。
そこでシュガーベイブのバンドのデモテープを一番最初に録りました。
続に「LFデモ」と言われる4曲でありますが。
その時に録ったのは先ほどメールいただいた方のポンキッキーズでお聴きになった「パレード」って曲だったりしますけれど。
あれから48年後の今日、まだ「パレード」っていう曲のタイトルがですね放送に乗るという・・・
ありがたい!
今日はありがたいことばっかりですね!
明日のニューアルバムのプロモーションというあのあれですけど・・
いいんです、別に。
オールナイトニッポンGOLDなんですから、オールナイトニッポンGOLDのプログラムにしようと。
そういうあれでございます。
後で、そういう意味ではニューアルバムから何曲か、お聴きを頂きたいと思いますが。
ふつおた「あなたのこの11年」「聞いてよ達郎さん」
達郎氏:
アルバムリリースが11年ぶりということにかけましてですね、オールナイトニッポンのスタッフの方々が「あなたのこの11年」という・・・
そういうテーマを考えてくださいました。
それから、
「聞いてよ達郎さん」
「ふつおた」・・・
「ふつおた」って何ですか?
初めて聞いたよ!
「ふつおた」・・普通のオタクかなと思ってですね・・
俺は普通のオタクなのかなって・・・
すいません!
ついていけないです!
この二つのテーマ
「あなたのこの11年」そして「聞いてよ達郎さん」
「ふつおた」・・メモメモ!!
非常に感慨深いお便り
達郎氏:
この二つのテーマで事前にメール頂いておりますので早速ご紹介したいと思います。
でもさすがにAMラジオでありましてですね、
なんと言いましょうか・・
生活者の方々の一生懸命生きてる生活の様子がですね、垣間見える・・
非常に感慨深いお便りがたくさんございます。
できるだけご紹介していきたいと思いますけど。
お住まい書いてない。
S.Nさん
『達郎さんの前のアルバムを発売されたのは11年前の8月ですが、その頃は今と違う仕事をしていました。
営業の仕事していて、その年の11月に退職し、母が入院し、4ヶ月後に他界しました。
しばらく家の片付けをしてると、近所の人の紹介で介護の仕事をすることになりました。
介護福祉士の仕事を取り現在に至ります。
達郎さんがFM番組の中で医療従事者や介護、保険関係で働く方々に対して労いの言葉をかけてくださっていた時、本当に嬉しく、頑張ろうという気持ちになりました。
ありがとうございました。
そんな感じです。
素晴らしい番組なることをお祈りしています。』
私のFM番組をお聴きを頂いていた方ですけども。
もう本当に、あのコロナの騒ぎの時には大変であります。
特にやっぱり医療従事者の方のご苦労は、本当にニュースその他でですね、心痛むものがあります。何もできませんが、せめてですね番組でお声掛けするぐらいしかできませんけども。
引き続きよろしくお願いします。
まだまだ予断を許しませんので。
やれるだけの事は努力して突っ走ってください
達郎氏:
この方も、お住まい書いておりませんが。
しんべえどん・・・どういうあれか?
『私のこの11年間はずっと夢を追いかけていた11年でした。
ジャッキーチェンに憧れて自分もアクション俳優になりたいと思い、言葉も分からないまま単身中国に渡りました。
その後、中国で映画やドラマに出演し役者として活動を続けてきました。
しかし当初目指していたアクション俳優にはまだ慣れていません。
この11年を振り返ってみると、本当にただがむしゃらに夢に向かって、突っ走ってきたなと思います。
途中何度も諦めかけたり、日本に帰国して別の職に就いたりもしましたが、やはり自分は役者の仕事が好きなんだなと思いました。
人生は何か目標や生きがいがあっても楽しいし、充実した日々を過ごせると思います。
達郎さんの音楽を聴いて25年ぐらいなりますが、毎回新作を聞くたびに達郎さんも新たな挑戦を続けられていて感服します。
今後も素敵な音楽を作り続けて行ってください。』
おいくつぐらいの方でしょうね・・
やっぱりそしたアクション俳優、役者さんとか、そういうものは競争率がものすごく高いので。
あと、怪我とか、そういうものと隣接してる不可分ですので、リスクも大きいです。
僕の場合は、実を言うと歌手っていいましょうか、シンガーソングライターといいましょうか・・・
自分の作品を作って世の中で活動し続けたいと、初から思ってなかったんで実は。
本当は裏方志向でですね、レコード・プロデューサーっていいましょうか・・
それでなければ、作曲家とか・・
まレコード会社のA&Rとか。
こういうところでの音楽出版社とか、そういう仕事に就きたいなと最初は思ってたんですけども、大変幸運なことに自分の歌が世の中に出ていくことが出来まして。
来年で古希になりますけれども、まだ新譜が出せております。
でもまだ努力とか、そういうものとは別のまた運、不運というものがありまして。
チャンスとかそういうものがありますので。
そうしたアクション俳優の世界とか、そういうものでもですね、なかなか思ったようなですね自分のスタンスに立てなかった場合に、長くやっていくとですね、必ずやっぱりそうやって壁にぶち当たったりしますけども。
それを活かして同じ職場の中で違う・・例えばそのインストラクターとかですねコーディネーターとか、そういうような道もありますし。
可能性は狭めないで、なるべく広くですね取って。
それが20年後、10年後・・・
そういう時に良かったなと思えるような、そういうフレキシビリティてましょうかですね・・
柔軟さというのがあると、何というのかな・・
あまり、こう・・深刻に考えられなくて、いいんじゃないかなと。
いう具合に、僕なんかは逆の立場からそういう具合に思いますけど。
でも、やれるだけの事は努力して突っ走ってください。
がんばってください。
年老いた両親へ
達郎氏:
熊本県の嬉し涙じゃじゃ丸さん。
皆さん、ラジオネームというのを考えますね・・
『私のこの11年は、私の家族になってくれた動物達とのお別れの期間でした。
犬のメイ
インコのピー
2匹のシマリスのぐりとぐら
長年楽しく暮らしておりましたが、命あるもの年老いていくものです。
歩けなくなり、寝返りもできなくなり、
食事も流動食となり、毎日点滴を打つ日々。
介護は大変だったけれど、命というものと、こんなにも向き合えた事は、とても貴重な経験でした。
今両親が高齢となりました。
本人たちは「誰の世話にもならない」と、「あの世へ行く」なんて言っておりますが、そんな簡単に済むわけがありません。
これから迎えるであろう日々もまた大切な期間だと今の私にはそう思います。
私の家族になってくれた大切な動物たちが教えてくれました。』
すばらしいお便りですが・・
私も一人っこでありますので、両親二人とも看取りましたけど・・・
年寄りは、しばしばですね、そういう意固地になるんで、それはなかなか大変ですけども。
「親の心子知らず」とか「子の心なんとやら・・」と言いますが。
最後は、心を通じ合うようにできてるものだと思ってですね接してあげてください。
私も、さんざんっぱら、母と一所懸命やりあいましたけど(笑)
最期は平和に送ることができましたので・・
それで自分の記憶に、そういうものが残っておりますので。
犬も二匹飼って、旅立って行きましたけど・・
そういう自分の記憶の中に残っている美しさとか、そういうものは大事にできるのかな、と自分でじゃ思っております。
あんまり参考になりませんけども(笑)
一所懸命ほんとうに生きてる方がAMラジオのメールから見えます
達郎氏:
松山のチコリーヌさん。
『待ちに待ったニューアルバム発売本当に嬉しいです。
前回の「Ray Of Hope」から、もうそんなに長い月日が流れたんだなと改めてびっくりです。
私は10年前から二人の孫達、当時小1の女の子、幼稚園年中の男の子の、お母さん代わり
をすることになりました。
当時の私は実の子供たちが巣立ってから20年余り経っており、再び子育てをすることになりました。
そんな二人も、この春でお姉ちゃんが高校生に、弟も中2に成長。
2回目の子育ては大変ながらも、たくさんの楽しさも与えてくれるものです。
今回達郎さんのアルバム「SOFTLY」は穏やかに流れる日々に寄り添い、安らぎを与えてくれそうです。』
素晴らしい!
素晴らしいお便りであります。
一所懸命、ほんとうに生きてる方が、AMラジオのメールから見えます。
ほんとうに勉強になります、この歳になって。
この11年、一番大きかったのは東日本大震災
達郎氏:
この方は、お名前をドリオさん。
『山下さん、こんばんは。
11年前というと、やはり東日本大震災を思い出さずにはおれません。
私はあの日、大阪市内の某電機メーカー本社で仕事をしていました。
それから4か月が過ぎ、会社で被災地支援ボランティア募集があり、私は一週間、暑い夏の岩手県大槌町に入りました。
手作業で革のゴミや、家屋から流された家財を救い、支援の電化製品を仮設住宅に運びました。
あれから11年、私にも色々なことがありました。
リストラで会社を解雇され、仕事をいくつも変わりました。
当時小学生と幼稚園だった二人の娘も今では大学生と高校生になりました。
それでもまだ11年前の、あの暑い夏を思い出します。
被災地で汗を流した経験が自分を変えました。
自分の努力だけでは変えられない運命というか、苦しみや悲しみというものがある。
苦しい辛いと思って逃げたくなる時は、あの夏の日のことを思い出すようにしています。
11年という時間は自分や家族のただ年をとるだけではなく、長いようであり、また短くてあっという間に通り過ぎる通勤途中の電車から見た風景のようでもあります。
達郎さんにとっての11年はいかがだったでしょうか。
これからもずっと長くアルバム作り続けてください。』
スタインベックの小説のような文書でありますが・・
やっぱり、この11年、一番大きかったのは東日本大震災と思います。
私も、長い間ラジオのレギュラーやってましたけども、他の要因で番組を中止にしたのは、これ一日だけでありましたので。
感慨が深いですけれど。
これから先の11年というか、今までの11年と同じように、またこれから先の11年って、何が起こるかわかりませんけども。
こういう形でですね・・
みんなで助け合って、
励まし合って
労わり合って
やっていきたいと思う、今日この頃であります。
皆さんメールありがとうございました。
~CM~
達郎さんの落ち込んだときのリフレッシュ法
達郎氏:
有楽町ニッポン放送からお送りいたしております山下達郎オールナイトニッポンゴールド。
今日のメールのテーマ「あなたのこの11年」&「聞いてよ達郎さん」
これをスタッフがニュース番組のインタビュー映像でもよく登場する有楽町駅前で外録して来て頂いたそうで、ちょっと聞いてみましょう。
『Yと申します。30台です。
僕の11年で一番印象的だったのは一人でインドに行った時の事です。
5年前ですね。
インドのガンジス川で沐浴をしました。
他にもいろんな文化の違いとか死生観の違いとかを目の当たりにして自分の凝り固まった人生観みたいなものが解けました。
すごい自由になって、それをきっかけに転職もして、今はその仕事が順調に続いてます。
仕事で疲れちゃって、もう何も考えられない時とかがあるんですけど。
達郎さんは疲れきって何も考えられない時はどうやってリフレッシュしてますか。』
『50代です。
この11年の間に、息子がいるんですけれども。
息子がえーとちょっと癌になって、半年間闘病生活を送ってました。
でも今はもう元気になって、回復して過ごしてます。
せっかく助かった命なので、なんかいろんなことに挑戦して頑張って行って欲しい。
前に進んでいってほしいなって思います。
達郎さんも人間なので、落ち込むことがあるかと思うんですけど、そうした時の何か校リフレッシュさせる方法って何ですかって聞いてみたいです。』
あの・・・色んなメディアが世の中にありますけれど。
久しぶりに、こうしたAMラジオのですねパーソナリティの椅子に座って、こうした外録の皆さんのお声をですね、直接伺うと・・・
皆さん前向きというかですね、非常にやっぱり一生懸命生きてるなっていうことが、本当にひしひしと伝わってきます。
30代の方は、模範的な目標っていうかそういう方であります。
50台のこの方も、この息子さんに対する愛が、本当に伺えますが・・
お二人とも、何も考えられなくて落ち込んだときのリフレッシュ方法は、と・・
私に聞かれてもですね、すごく偏った答えしかできないの辛いんですけど。
私は音楽家なので。
やっぱり長いこと生きてきて、何で音楽をやってるかと言いますとですね、音楽だけは自分のことを裏切らなかったんですね。
人間関係とか、やっぱり色々な事が十代から二十代
三十代、四十代
五十代、六十代・・・ずっと続いてきますが。
音楽だけは自分を裏切らなかったので。
基本的にやっぱ自分本当に落ち込んだ時に、自分を癒してくれる音楽というのが、
いくつかありましてですね。
そこへ逃げ込みます。
そんなに重くない時はレコード棚を整理すると、気分転換ができます。
全ては音楽がらみで生きてきました。
そういう意味ではだから演奏したり歌ったりという、行為する表現する立場ではなくて。
聴取者として聴くく立場の音楽というものは、自分にとっての最大のリラクゼーションになっております。
人によっては例えば、アスリートの方とかですね下半身浴とか、ヨガとかですね、ピラティスとか、そういういろんな方いらっしゃると思います。
僕は元が音楽が全てです。
音楽が常に自分のこと、信じてくれてるとか・・そういうものなので。
音楽に逃げ込みます。
あんまり参考にならなくて、すいません(笑)
ん~ なかなか難しい!
竹内まりやさんは、お家でどんな方ですか?
達郎氏:
続いて街の声を伺ってみましょう。
『いつこです。七十代です。
私のこの11年で印象に残ったことは、孫が生まれたことです。
まだ7ヶ月です。
何かとても・・こんなに・・幸せになれるのかなっていう感じがしました。
一緒に、そうですね・・
私スキーをやってましたのでスキーに行けたらいいなと思っております。』
『あやねです。二十歳です。
この11年で、2年前にフクロモモンガを飼い始めて。
最初は一匹だけ買うつもりだったんですけど・・・
そっから2匹と増えて。
今はその子たちが赤ちゃんを産んで6匹になりました。
結構鳴き声でコミュニケーションをとるので、鳴き方で感情が分かるのがすごい可愛いです。』
『よしえです。50代です。
私のこの11年の間、孫が二人産まれました。
3歳と、こないだ5月に二人目が生まれました。
達郎さんの奥様は、すごく素敵な方だと思っていて。
竹内まりやさんのCDは結構持ってます。
あの歌声も素敵ですし、あの表現力も素晴らしいと思っていて、
大好きな竹内まりやさんは、お家でどんな方なのかなっていうのが、とても気になります。』
っふふ(笑)
誰だ、選んだの、これ(笑)
お孫さんが可愛いという、70代の方と50代の方
お子さんよりお孫さんが可愛いというのは、責任がないからだという・・ま、そういう一般論があります。
新しく生まれてくる生命っていますか、そういうものに対する愛情は、どなたもお持ちなので。
やっぱ10代から20代の頃、自分がまだ一人もんだった時は、子供がなんか泣いたりアレするのが、なんか嫌だなと思ったんですけど。
自分の子供だと、なんか気にならないというか(笑)
一般的な話ですけども。
そういうのと同じです。
この七十代の方、大きくなったら一緒にスキーに行ってみたいと。
本当にお体ご丈夫な証拠でありますので、ぜひそこまで長生きしてください。
二十代の、このフクロモモンガのね(笑)
答えようがありませんけどね(笑)
動物の方が、ある意味で、人間よりもコミュニケーションをとりやすい面もあります。
私も犬もずいぶん長いこと飼っておりまして、そういうことがよくわかります。
可愛がってあげてください(笑)
うちの奥さんが、どういう人ですかって(笑)
普通の人間ですよ。普通です(笑)
なんか夜中になると、油舐めるとかうことありませんので(笑)
普通です。
・・・勘弁して!(笑)
「人力飛行機」~若い人に対する応援歌として聴いていただければ~
達郎氏:
というわけで今日のメールのテーマ
「あなたのこの11年」&「聞いてよ達郎さん」
外録版でお届けしましたが。
自分のレギュラーより疲れる!
すごいなんか・・ドッキリカメラとまでは、いいませんけどですね。
何が出てくるかとか、ドキドキ、ハラハラ、ビクビク・・
なんか、シャバっ気が戻ってこない、今日この頃(笑)
11時台も引き続きお届けしますので。
もうまな板の鯉状態でございますが、お楽しみにお待ちください。
それではここで明日6月22日発売
私のニューアルバム「SOFTLY」から1曲お聴きを頂きたいと思いますが。
あの・・お若い方の・・なんて言いましょうかですね・・
こういう頂いた外録もメールもですね、
こうやっぱり前向きに一生懸命生きていこうと、そういう意志が感じられる素晴らしいアレでしたけども。
今回のアルバムに入っております1曲で「人力飛行機」という曲がありまして。
若い人が、まだ何も始まってない若い人が、これからどうやって上へ上がって行こう・・という。
世の中で何をやろうかと、そういうような希望を歌った歌なんですけど。
昨今のいわゆるそのAIといましょうか、機械がそういうものが人間とって変わるという・・
そういうのものの一辺倒主義と言うか。
そういうものに対するも違和感というか。
そういうようなもの歌にしまして。
「人力飛行機でペダルを踏んで空を飛ぶんだ」
と歌い出しますけども。
若い人が、自分の力でですね、どこまで夢を実現できるかっていう・・
そういうような歌であります。
今の時代を反映したもので、若い人に対する応援歌として聴いていただければと思います。
「SOFTLY」から「人力飛行機」
♪ 人力飛行機
ニッポン放送で思い出すのは「レコード室」
達郎氏:
どんな番組になるかといって、恐る恐る来たんですけど。
完全にいじられるっていう感じがいたしております。
スタッフ総勢で、いじられて・・・
そういう感じがいたします。
さて、ニッポン放送と言って、私が思い出しますのは、何て言ったってレコード室でありまして。
レコード室から色々レコード出しちゃかけているという・・そういう。
まだ旧社屋の頃であります。
5回か6階にありましたレコード室、今はもう地下1階に・・・
地下4階か!
になっておりますが。
あの頃はまだ、特に輸入盤なんての思うように入らなかった時代ですので。
もう放送局のレコード室というのは夢の宝庫でありました。
だいぶ最近までニッポン放送でゲストで出るときは、レコード室行って眺めるのが好きでしたけども。
鶴瓶さんの番組で、新社屋になってから、もう一度お邪魔したことがあります。
こんな機会でございますので、せっかくですので。
二つ下の地下4階に降りまして、これからちょっとレコード室を久しぶりに見学してみたいと思っております。
えー私は今、ニッポン放送の地下4階レコード室におります。
ここはですね、
LP 約6万枚
EP 約6万9千枚
ジャケットだけ、別保存なんですよ。
お皿だけしか置いてないです。
あとCDシングル 2万2千枚
埼玉県内の倉庫にもSP盤含めレコードほか・・
オーダーすると
2,3日で箱ごとレコードが来るという。
最近の放送局は、みんなそういうシステムです。
でもニッポン放送は、ちゃんとそういう資産を保管してあります。
某放送局は64年以前は、全部廃棄してるとか、そういうところもありますけど。
ここは、音楽好きな方が、諸先輩が多いのでですね。
ちゃんと保管してあるんですが・・・
いわゆる分類カードってのが、あるんですよ。
箱に中に紙の分類カードがありましてね・・
これが、僕が46年前にですね(笑)やってたときと同じなんです(笑)
もうこの、これ欧陽菲菲さんの、アレですけど・・
もう、とにかくにその・・なんて言いましょうか・
インデックスのなんて言いましょうか、このベロが出てるやつですけど。
これがもうとにかくもうヘロヘロになって・・ベロっていうよりもヘロっていう感じです(笑)
すごいなこれ!
大山のぶ代「ぼくドラえもん」
そうか!カードも同じなんだ!昔と。
これ・・・
鶴瓶さんの時から全部デジタルになってると思ってたのに。
ここ邦楽の棚ですね。
こっち移ると・・・お見せできないんのが残念ですけども。
そういうことになってんだ・・・
こっち、CDシングルね!
なるほど!
で、ここで何をするかと。
何か選んでかけろっていうんですよね。
でですね、昔は分類カードっていうのが全部紙だったので。
それで自分が夢中になってそれを、俺がレギュラーを始めた時に調べたんですけど。
やっぱりその・・先ほども申し上げたように、その頃はレコードというものが思うようには手に入らない時代だったし。
今はもうデータになってますからSpotifyとか・・
本当に昔だったら本当に超レアなんですね。
輸入盤しかない。
日本で発売されてないものでも簡単に聴けるんですけど・・
当時はとんでもないです。
日本版で発売するという判断も、レコード会社が決めるものなので。
アメリカ、イギリスはさておき
イタリアとかフランスとか、そういうものになったら日本版では全くことができないってことで音源がたくさんあるんですけども。
そういうのも放送局なので、全てとは言いませんけど・・
めぼしいものは、例えばシャンソンとかカンツォーネのヒット曲で目ぼしいものは、置いてあるんですよね。
アメリカのトップ40でも、日本で出てないシングル、アルバム・・
っていうのが、山のようにあるわけです。
それを引っ張り出して自分の番組でかけると
先ほど言ったみたいに、プロデューサーに文句言われると。
そういう世界だったんですけど(笑)
私が一番印象に残っている、ここでオールナイトニッポンをやってて
一番自分がかけて印象に残ってる一枚となりましてですね。
1968年のエタニティーズ・チルドレンという・・
いわゆる今でいうとソフトロックっていうか
そういう系統に入るグループなんですけど。
このグループが1曲だけだしたヒット曲でミセスブルーバードっていう曲がありまして。
これ カート・ベッチャーっていうコーラスアレンジとして非常に有名な人がいて。
アソシエーションとかミレニアムとか、我々の世代のおなじみの、そういう抗―ラスアレンジをしてる人のプロデュース作品なんですけど。
これのオリジナル・シングルがありますっていうんですよ(笑)
やってて、一番・・オンエアしてうれしかったシングルです。
「ミセス・ブルーバード」
エタニティーズ・チルドレン
♪ ミセス・ブルーバード
かけたのはCDのステレオ・バージョンのリマスタリングしたやつです。
悪しからずご了承ください。
オリジナル・モノラルじゃないです
アナログブームっていうのは最近あるので。
結局、何度かニッポン放送でもアナログ盤をどうしようかって、廃棄処分にしようかっていう試みあったんですけども。
やっぱり諸先輩方が、断固ダメだって!
あったおかげで、アナログがかけられる状況に、また続いていると。
それはもう、非常に諸先輩方に感謝しないといけません!
明日リリースの(笑)
6月22日発売のニューアルバム
私の「SOFTLY」もアナログLPを同時発売で発売しておりますので、よろしくお願いします。
ジャケットが綺麗です。
ジャケットが私の肖像画で頂いたのはテルマエロマエのヤマザキマリさんに、
素敵な肖像画を描いていただきました。
LPで見るとまた格別です!
アルバム「SOFTLY」のジャケット
達郎氏:
戻ってまいりました。
地下4階レコード室からまたイマジンスタジオに戻ってまいりましたが。
えーと今回は私のジャケットなんですが。
ジャケットなんと肖像画でありまして。
私、若い頃から肖像画描いてもらうのがすごくほのかな憧れがありましてですね20代の頃から。
ずっとなんか肖像画描いてほしいなって、そういうようなことを思っていたんですが。
今回の肖像画を描いていただいたのはヤマザキマリさん。
「テルマエロマエ」コミックそれから映画でも大ヒットしましたけれども。
テルマエロマエの原作者の漫画家であってエッセイストとしても非常に優秀な方ですけれども。
実はヤマザキマリさんという方はですね、17歳の時にイタリアに渡りましてイタリアの美術大学で絵画を勉強されて。
特にルネサンス期の肖像画を七年間ほど勉強されまして。
それと美術史を勉強された方で本職は画家なんですけれど。
画家では全然食えなかったので漫画に応募したらそれから漫画家の道が開けてきて。
それでテルマエロマエのダイエットにつながるという
そういう経歴の方でありまして。
ずいぶん長い付き合いさせていただいてますけれど。
数年前にそういう経歴なんだったらじゃあ肖像画そのうちに描いていただこうかな
と思っていたんですけども。
今回のアルバム作る時、「そうだ肖像画だ!」
それで今回のジャケットになりました。
これは非常にルネッサンス期のキアロスクーロ 光と影という技法の非常に様式的な肖像画なんですけど。
非常に自分ではですねありがたい素敵な肖像画描いていただいて。
これをジャケットに今回ニューアルバム「SOFTLY」プロモーションに励んで
おります。
ニッポン放送のレコード室~アナログ盤を守ってきた諸先輩方~
達郎氏:
それと先ほども申し上げましたがアルバムシングルとかLPとか、いわゆるビニルですね
VynilがCDになった時にもうそういうメディアがなくなるという判断でアナログ版というものもかさばりますし、そういうものを全部廃棄しようというそういうような動きがですね90年代から2000年代にかけてありました。
でそれを実際に廃棄した放送局もありますが。
ニッポン放送はやっぱり音楽好きな方がいらっしゃって、そういうことを断固駄目だということで今でもレコード室がちゃんと機能しております。
そういうものは、ものすごく大事で今になってやっぱり先人の慧眼(けいがん)ということがですね・・・
あの余談ですけれども私が所属しているワーナーミュージックもですね洋楽のオリジナルのアナログマスターを全部保管してあります。
レコード会社によってはもう全部それをCD-Rに焼いて、オリジナルマスタそれからマルチトラックそういうものを全部廃棄してるところもあります。
そういうところはリミックスがもうできなくなってるとか、そういうところがありますけれども。
今もう今になって後悔しても、もう戻ってこないということですね。
歴史の資産というのはいかに大事にしなきゃいけないかと、そういうようなことを地下4階へ行って改めて思い知らされる今日この頃で。
なんでもそれですが・・・
ニッポン放送の上でアルバムのスコアを書いていた
達郎氏:
ほんとにオールナイトニッポンという名前で思い出すことがたくさんありますけれど。
人に曲を書いたりアレンジしたりする時にですね、昔は実家にピアノがありませんでですね・・・20代のことですけれど。
練馬に住んでた実家をですね木造モルタル2階建てだったんで
2階の私の部屋の3畳間にピアノが置けない、と。重さが足りなくて・・・
アップライトも置けないと言われまして。
しょうがないんでストリングスアレンジとかブラスアレンジをやるときはニッポン放送の一番てっぺんにPMPっていう今のフジパシフィックの出版社がありまして、
そこの応接室にピアノがあるんですね。
で、そこに行って(笑)。
夜中に鍵かけられて、朝に社員の方々が出勤するまでの夜中の間使って
そこでスコアを書いて(笑)
「SPACY」のアルバム
それから「IT’S A POPPIN’ TIME」のアルバム
それから「GO AHEAD!」のアルバム
ぐらいまで続きましたね。
それでそのフジパシの会社が六本木に引っ越したんで
こんどは六本木に移ってですね六本木の応接室で「MOONGLOW」のアルバムとか
それから、まりあの「ユニバーシティストリート」
あの「涙のワンサイデッド・ラヴ」とか
あの辺のアレンジをそこで夜中にやった記憶がありますね(笑)
そういうことが、だんだんだんだん思い出されてきます。
そういう仕事がまた続けられればなと思っておりますが。
最近はそれがコンピュータでできますので
本当にいい時代になったと思います。
ビーチボーイズが本当に好きで
達郎氏:
オールナイトニッポンは46年前にやっていた時はビーチボーイズが本当に好きで
ビーチボーイズを全曲かけた記憶があります。
なので、オールナイトニッポンの自分の思い出というともうビーチボーイズが朝の三時半とか四時にですね電波で飛んだというその思い出と、すごく密接に関わり合っていますので。
今日は一曲ビーチボーイズをお聴きを頂きたいと思います。
1964年のビーチボーイズのアルバム「ALL SUMMER LONG」から「Hushabye」
♪ Hushabye/ビーチボーイズ
お聴きをいただきました1964年のビーチボーイズのアルバム「ALL SUMMER LONG」
に入っておりますビーチボーイズ「Hushabye」でございました。
山下達郎がお送りいたしております
オールナイトニッポンGOLD
明日発売のニューアルバム「SOFTLY」のプロモーションというアレに全然なっておりません!
いいんです!
この後11時台はライブ音源も含めていろいろとご用意しておりますので引き続きどうぞお楽しみに。
ニッポン放送をキーステーションにお送りしています
山下達郎のオールナイトニッポンGOLD
1976年オールナイトニッポン2部 一番記憶に残っているのは~勝新太郎さん~
達郎氏:
大体一時間が経ちましたが自分の番組より全然疲れるという・・・
何が来るか分からない!怖いな怖いな!という・・・
で、だんだん・・・えーとそういうレコード室とか行って、だんだんだんだん記憶が蘇ってきましてですね。
1976年オールナイトニッポン 3時からの2部やらせていただきましたけれど。
一番記憶に残っているのはとにかくそのマイナーの曲かけるなって言われておりましたけれども。
ビーチボーイズをですねデビューアルバムからその時点で出てるアルバムまで全部ご紹介した「Love You」までかな・・「15 Big Ones」かな
全部全曲、何か月かかけて、かけまして。
その当時のリスナーの人たちが今でもですね、放送局の、今はもう役員になられた方もいますしレコード会社の役員になられた方もいますし。
僕の同世代の方々、そういう方が今でもいらっしゃいましてですね、そういう話をしてくださいます。
なんかTシャツプレゼント当たった方とかそういう方がフジテレビの役員の方にもいらっしゃったりします。
オールナイトニッポンってのは本当にあの何と言いましょうかね、あの我々のレコード出る時に必ずどっかにゲストに出していただくとか。
それこそタモリさんのところとかですね、ナイナイの岡村さんのところとか、そういうとこにだいぶ出していただきましたけども。
オールナイトニッポンでゲストで出して頂いた中で一番強烈に記憶が残っております
のは、1980年のですね日本テレビ系で『警視-K』というドラマがありまして。
勝新太郎さんの主演して監督もされてるドラマなんですけども。
これの僕、音楽をやりまして。
それである日勝新太郎さんがオールナイトニッポンを担当されるというので呼ばれて行ったんですね。
昔の旧社屋 ありまして・・
そうしましたら、わりと狭いなブースだったんですけども。
壁にずっとこう・・いわゆる銀座の綺麗どころかですね、ずらっと並んでおりまして。
「あぁ、よく来た!よく来た!」
で、しばらくこう、話しておりまして、3時過ぎたぐらいですね、
まああの、勝新さんですから、お酒召し上がりながら、やってるんですけど・・
スタジオの片隅にコンガ置いてあったんですね。
「山下君、じゃ、コンガお前が叩け。俺は机でいいよ」
「オレがなんかやるから お前はこたえろ!」
勝新さんが「トントト・トン・・(机をたたく)」
「やれ!」って・・
こっちがコンガで「トントト・トン・・(机をたたく)」
向こうが「トントト・トン・・(机をたたく)」
そういうふうに、ずーっと、それををやると・・・
夜中の2時過ぎに何をやってんのかなっていうですね。
それで「あぁ!今日は面白かった!」
「これから飯を食いに行こう!」
3時からですねご飯を食べに連れてかれるんですけど。
金色のロールスロイスなんです!
こんなもんあるんですね!世の中に!
これに乗っけられて。
で三時過ぎでも開けてくれるお店があるわけですね。
勝先生でしたらですね。
そこでもう朝まで飲んで食って・・
「今日は楽しかった!」って。
あれはすごかったですね。
やっぱりあの当時の・・やっぱり日本の芸能界って言いましょうか、映画界の凄さというのを思い知らされました。
まだ27ぐらいの世界ですから。
あれはオールナイトニッポンといえば勝さんのゲストという、それが一番強烈にありました。
ドラム・シンバルのみそ漬け!
達郎氏:
で・・・ふふふ(笑)
今日のメールのテーマ
「あなたのこの11年 引き続き聞いてよ達郎さん」
色々頂いておりますがちょっと面白いお便りを、メールご紹介したいと思います。
北海道の「ラジオネームですいません」三十代
『達郎さん、こんにちは。いやこんばんは。
シンバルを土に埋めたら音がビンテージぽくなるという都市
伝説をやってみたくてドラムレッスンの先生に聞いてみたところ・・・』
あの・・・シンバルの新品だとですね音が硬いのでそれをこう鈍らせるために
土に埋めるという・・これよくやるんですけど。
『味噌につける人もいるという話をしてくれたので味噌をスーパーで買ってきて
持っているシンバルを、あるだけ漬け込みました。
今日、このメールは六月三日に打っているのですが、おそらく放送日には洗って取り出して少しヤスリで削る作業をし始めていると思います。
重量を減らすため。
こんなおバカなことをして達郎さん、さぞドン引きでしょうが、良い音になった際は
興味なんてさらさらないでしょうが勝手にFM番組で報告したいです。
よろしくお願いしますです。』
ま、別に悪いことじゃないと。
要するに腐食さえすればいいんですね。
シンバルは真鍮なので、腐食するので。
だけど普通に、なんていうのかな空気で腐食させるには時間がかかるので。土に埋めるとかですね、そういうことをやります。
なんでそういうことをするかというと特にハイハットって言って、
あのーハイハットを知らない方はネットで調べてください。すみません。
ハイハットは特に新品は硬くてですね、なかなかあのーうるさいので、それを鈍らせるという、そういうこう緑青が浮くような、そういうハイハット・・・これはビンテージで
いいんです。
それを短時間で成功させようという、そういうこう物として・・・味噌に漬けるって凄いな。やっぱり・・・
さすがドラムの先生ですね。
これなかなか今日は面白いやつでした。
両親が僕にずっと言ってたこと
達郎氏:
もう一ついってみますかね。
オーストラリアから頂きました。
Y.Dさん。
『達郎さんこんにちは。
突然ですが相談があります。
僕は高校を卒業して大学に入らずオーストラリアに留学した18歳の男です。
今僕の通っている語学学校には大学を卒業して、この後に何をして何になりたいという明確な夢を持った人ばかりです。
僕の場合何かになりたいという確実なものを持ってなく、例えるならば進む方向もわからず、くねくねと寄り道をして歩いているような感じです。
学校生活は楽しいのですが周りの人達との違いをとても感じます。
よかったら達郎さんにアドバイスをして頂けると嬉しいです。
「SOFTLY」楽しみにしています。これからも頑張ってください。』
18! あの・・・18なんで、まだ何も決まってませんから。
いくらでも可能性ありますから。
さっきの「人力飛行機」じゃないですけどね迷って迷って決めてください。
ただ、僕なんかは、僕はあのぉ・・いつも申し上げているように高校ん時にはドロップアウトしてですね。
まあ大学行ったけど何ヶ月で辞めてバンドを作ってやっておりましてですね。
親から勘当寸前まで来ましたけれども。
親はまあ基本的には、だから最終的には何も言わなくなりましたけれど。
でも両親が僕にずっと言ってたことは、30までは何をやってもいいけど30ぐらいになったら”これが自分の一生の仕事かな”ということを選べと。
なぜかと言うと、うちの両親は三十過ぎて新しく仕事を起こして、それで失敗してわりと苦労したので。
そういうことを僕にサジェスチョンをしてくれました。
意外と僕はそれがサブリミナルで入ってたので、そういう三十までに何とか目途つけよう
と思って、まあそれなりにがんばったという20代の記憶がありますので。
18ぐらいだったらまだまだですね選ぶことができません。
これが逆にそれが一生の仕事だとあんまり信じすぎると、それが崩れた時にですねあの大きいので。
そういうところはやっぱり割と柳のように緩やかに考えた方が僕はいいと思います。
そういうような感じです。
頑張ってくださいね!
ライブのチケットがとれない!
達郎氏:
えーと・・今ライブが始まっておりまして。
ライブ関係の特にチケットが取れないという、そういうお叱りの・・匿名、お住まい
書いてない。
『達郎さんのラジオで名前を呼んでもらったこと、結婚式の日の名古屋公演が当たったこと、ラッキーなことが続いていたので7月1日の大阪公演も当たる自信しかなく、申し込みしたら、先行も一般も外れました。
大阪で一泊して次の日は頭に行く予定だったのに、世の中いいことばっかりじゃないって痛感しました。
でもまだ諦めません。
静岡か、また大阪を狙って申し込みます。
46年前、達郎さんがオールナイトニッポンをしていたことすら知らなかった私ですが今回とても楽しみにしています。
そしてツアーを健康に無事完走できるのを願っています。』
なんて言いましょうか・・
どうしてあげることもできませんがですね。
ご健闘・・(笑) 何も力添えできません(笑)
同様のこれは大阪府茨木市のN.Mさん
これ僕のFM番組よくいただく方ですね。
『聞いてよ達郎さん!』
いいなこれ(笑)
『6月11日の初日公演から7月31日の福島公演まで
14公演先行予約一般予約全て外れました。
28連敗中。
阪神の連敗よりひどい。
達郎さん、あなた様のライブチケットの当選倍率、宝くじで1億円当たる以上になっていませんか!
子育ても落ち着き一人で大人買いできる少しの余裕ができ今年は山下達郎ライブ全国行脚をと思っていたのですがあと33公演も全てエントリーさせていただきます。』
っふふふ(笑)
何も、あのー私が自分で福引みたいに選んでるわけじゃないんで。
すみませんね。
でもね当たる人は当たるんですよ。
全部当たったっていう人がいましてね、そういう方もいらっしゃるので。
それくじ運としか言いようがないので・・私からすみません
だったら全員が来れるようにしろとか、そういうんじゃ、こっち死ん
じゃいます。すいません
この何と言いましょうかねヤマアラシシンドロームと言いましょうか・・
あんまり関係ないか・・
えーとね、あのーだからバランスっていうか、そういういいところの妥協点と言いましょうかですね・・
グズグズ言ってないで次やれって・・すいません(笑)
曲が全然かかってないみたい(笑)
明日発売のニューアルバム「SOFTLY」これから・・・
オールナイトニッポンやってるとき・・
達郎氏:
ニッポン放送はフジパシフィック音楽出版でありましてですね。
だったらフジパシフィック関係の権利がある楽曲のほうがメリットがあると、オールナイトニッポンやってる時は常にそれを言われました。
とにかく管理楽曲が何曲かかってるから、しょうがないからレコード室行ってリトルフィートとかですねドゥビー・ブラザースとか、管理楽曲を調べたらオンエアしていたという46年前を思い出します。
2016年のフジテレビ系の『営業部長 吉良奈津子』
松嶋菜々子さんの主演の主題歌です。「CHEER UP! THE SUMMER」
♪ CHEER UP! THE SUMMER
明日に6月22日発売になります
私、山下達郎そのニューアルバム「SOFTLY]から。
これは大人への応援ソングという僕たちの夏はまだ終わらないというそういうような歌であります。「CHEER UP! THE SUMMER」お届けしました。
山下達郎のオールナイトニッポンGOLD、この後
また外録をお聞きをいただきます。
歌って楽しいな!と思ったことは一度もないので
達郎氏:
山下達郎のオールナイトニッポンGOLD
今日のメール・テーマ「あなたのこの11年&聞いてよ達郎さん」
これをスタッフが有楽町駅前で外録してきました。
10時台に続きましての外録インタビューまたちょっと伺ってみましょう
『Hです。四十代。
私のこの11年は色々紆余曲折があって、ようやく結婚もできて。
もっと自分を精進しなきゃいけないなというまだ発展途上のところですね。
聞いてみたいこと・・
曲を作るときに詩が先なのか
曲が先なのかそれを聞いてみたいです。
一番好きな曲が「ゲット・バック・インラブ」かな。
中学生から小学生の時に聞いた曲かな。
それが一番インパクトありました。』
女性
『20代です
えーこの11年は福岡県から東京に引っ越してきて福岡と東京の違いにすごい驚いて
毎日が楽しいです。
五年前です・・
地元福岡の一番好きなとこは食べ物がめっちゃ美味しいとこです。
東京は家賃とか食べ物とか高すぎるんでもうちょい安い方がいいなと思います。
達郎さんに聞いてみたいこと・・・
今まで、ずっと歌を歌ってきて何が一番楽しかったですか。』
みんなすごいな・・20代の人も・・
僕が20代の時に69の人に質問・・・
知りませんよ、そんなの・・・
好きな曲とか言って、40代だって知りませんよ。
そんなの・・・すごいなみんな。
だけど本当に今日のこういう、どの方のコメントを伺っても、スタッフのかたも選んでるからかもしれませんけど、非常にネガティブなことが少ないですね。
本当にみんなポジティブですね。
未来に関してはいろんなこと考えてると・・・
最初のHさんですが、曲を作るのは、もう90%曲が先です。
曲が先と言うか、リズムトラックが先、というか(笑)
あとででメロディを考えるとか、そういうところまで、やっておりますが。
でも大体曲を作ってレコーディングをして曲の色合いが見えたところで詩を考えると。
それに合う詩を考える。
そういうようなやり方でやっております。
一番好きな曲は「ゲット・バック・イン・ラブ」ね
中学生ね・・・歳、感じるな~
この20代のIさん
博多と東京は違いますからね。
やっぱり東京来て「なんばしよっとか!」って言いませんからね
福岡・・おいしいですよね。
私ラーメン、もう圧倒的に”とんこつ派”なので
博多ラーメンでございますけどね。
「今まで歌を歌ってきて、何が一番楽しかったか」って。
47年やってきて何が一番楽しかったかって。
終わった後に食う飯がうまかったとか、そういうこと言ってほしいのかもしれませんけど・・・そうは、言いませんね。
あの・・プロで・・
こういう時に真面目になっちゃっ、ダメなんですよね~
だから僕、AM向きじゃないんですよね・・・
音楽をやっている、特にやっぱり仕事としてやってる場合は、楽しんでやってはいけないんだっていうのが僕の主義で。
やっぱり
”花の命は短くて苦しきのことのみ多かりき”
古すぎる!
やっぱり何ていうかな、ある程度のやっぱり批評性とか、そういうものが・・
楽しいな!歌って楽しいな
と思ったことは一度もないので。
だからあんまり面白くない答えなので、初めからお断わりしておきますけど、
何が一番楽しかったかというと、やっぱり自分が作った例えば明日出すアルバムですけど、そういうものはリスナーの皆さんに聞いていただいて、それで何か好意的な感想を頂ける
っていう時が、やっぱりなんか報われる感じがします。
すご~く平凡!
街の声「自分がどう日本に貢献できるか」
達郎氏:
はい、続いて街の声伺ってみましょう。
『えー名前はDと言います。
年齢は三十代です。
航空関係で飛行機の整備をしております。
「あなたのこの11年」ということで一番印象に残ってることは、私2011年入社で、やはり、日本がすごい落ち込んでる時の入社だったので少し社会人になって、日本にどう貢献できるかみたいなことを迷いながら新入社員を過ごしたことが一番この11年間の印象に残っていることです。』
Mさん
『Mです。30代です。
私のこの11年間はフランスに仕事で行く機会が何度かあって。
絵の仕事なんですけど、それで・・なんだろうな
フランスで生活するようなことがあったんですけど。
パリに住んでいて、パンは美味しいし、景色きれいだし。
人が美しいんですよね。
それがすごい人生観が変わることで。
達郎さんに伝えたいことは、アレンジしてる曲が何個かあるんですけど、その中の大瀧詠一さんでしたっけ・・・の曲を山下達郎さんが歌ってるんですけど。
それが、すごくもう完全に山下達郎さんの歌になってて。
すっごくどっちもいい曲なんですけど完全にオリジナル曲で、すごい、いい曲の別の曲になってるのがすごい好きです。』
をありがとうございます(笑)
まったくもって・・・
人生見えるよな・・
航空関係、飛行機の整備。
いいないいぁ~飛行機の整備。
飛行機乗れたら、なんか操縦したかったなあ・・
でもちょうど2011年入社でそれから自分がどう日本に貢献できるか考えた!
素晴らしいですね。
まだまだ、あれですね。
日本も大丈夫ですね。
このMさんのインタビューに出てきました
大瀧詠一さんの曲、何でしょう「君は天然色」ですかね。
大瀧さんの曲、何曲かカバーしてますが本格的にやったのはそれなので。
後ほどおかけしましょう。
~ジングル~
大瀧詠一さんからのご縁
達郎氏:
しかしこのジングルでの選曲はかなり私情が入ってると見ましたけど。
山下達郎オールナイトニッポンGOLD。有楽町
ニッポン放送からお送りいたしております。
大瀧さんの曲を一曲おかけしたいと思いますが。
ニッポン放送は僕はとても縁が深くて、ニッポン放送のフジパシフィックと出版会社とシュガーベイブが契約していたという関係もあります。
それは大瀧詠一さんからのご縁なんですけれどもシュガーベイブで一番最初にデモテープを録ることになりまして。
それニッポン放送の「銀河スタジオ」というですね旧社屋の。
そこはその頃まだ4トラック4チャンネルのテープレコーダーがありましてそれでデモテープを録りまして。
それをエンジニアが大瀧詠一さんでありましてですね。
1974年のことです。
それで、その時に
「シングルで出せるような曲書いてこい」って。
で、家でですね書いたのは「パレード」という曲でありまして。
その時に4曲レコーディングしましたのが、俗に言う「LFデモ」と言われる・・
その後、シュガーベイブのリマスターCDが出た時にボーナストラックで収録しておりますけれども。
その辺から始まって74年、75でソロになってからもニッポン放送の音楽出版で契約して。80年の「Ride On Time」シングルまでずっと続きます。
70年代は、ずっとだからお世話になってきました。
ですのでその時にまいろいろデモテープとか作りまして。
それがいろんな所で後からシングルになったり、いろいろな事がありますが。
マザーグースなんて言うですね金沢の3人組の女の子がグループにいまして。
それのプロデュースなんかもこのフジパシフィック関係の仕事でやらせていただきました。
「貿易風にさらされて」
作詞:金田真由美、作曲:京田由美子、編曲 · プロデュース:山下達郎
マザー・グース:Vocal & Background Vocals
林立夫:Drums
細野晴臣:Bass
山下達郎:Electric Sitar & Percussion
鈴木茂:Acoustic Guitar
坂本龍一:Keyboards
浜口茂外也:Percussion
あとCMも、ずいぶんありますし、一番あの印象的だったのは「ライドオンタイム」のヒットした直後にですね西武球場で「80’sジャム」というのがありまして。
そこでライブをやったという、そういう記憶もあります。
全ては一番最初に大瀧詠一さんと、1973年ですからもう49年になりますが・・
73年にお目にかかってハッピーエンドの解散ライブでコーラスとして参加したのが大瀧さんとの一番最初の出会いであります。
当時はですね日本のフォークとロックという、ムーブメントというのが、新しいムーブメントがあったんですけども。
基本的に日本のロックというのは一番とっかかりがベンチャーズから始まったものですから、どちらかというとボーカリストよりもインストルメンタルで楽器を弾く人の方が偉い
という感覚がずっと続いておりまして。
今の若い人から見れば信じられないと思いますけども、ギタリストの方がボーカルよりも偉かったんです。
一番うまいリード・ギタリストがリード・ギタリストで、その次はサイド・ギターでベースでドラムとキーボード別ですけど、何にもできないボーカルという。
それが続いたんで・・ボーカルの非常に日本は弱い形式が続いたんですけども。
そんな中で大瀧さんのボーカル力っていうのは傑出しておりまして。
僕もやっぱりボーカル・オリエンテッドな人間だったので大瀧さんと、なんかこう・・
だんだんクロスになるっていうのは必然だったんですけども。
そんな関係でナイアガラ・レーベルというのを大瀧さんが立ち上げたときにその第一弾としてナイアガラからシュガーベイブとしてデビューしたのは1975年のことであります。
以来ずっと大瀧さんとは、CMの手伝いとか、それから彼のアルバムの手伝い・・
僕はブラスアレンジとかストリングスとかやったものもあります。
「夢で逢えたら」もそうですけれどその中でずっとお付き合いをして参りましたけど。
大瀧さん、惜しくもですね急逝されてしまいましてね。
大瀧さんの事を色々な所で色んな語られ方しておりますけれども。
私もまぁまぁ私なりに色々と考えて、なんか彼の曲をカバーしてあげるのが一番供養になるかなと思いまして。
2019に「君は天然色」をツアーでカバーしまして。
それから機会があれば、引き続きそれまでも何度かやってるんですけれども。
機会があればずっと続けていきたいなと思っております。
この大瀧さんの歌ってのは簡単そうで難しいです。
これがとっても・・・
ですので、その時にも申し上げましたけれども、彼の歌を、なかなか歌い続けることは難しいので、そういうところでですね、やっていければなと。
一番歌いやすいといえば、歌いやすい歌なんですけども(笑)
演奏が難しいので大変なんですけれど今日はそれを聴きを頂きましょう。
これ2019年の9月24日 名古屋センチュリーホールでの、俗にPAアウトと言いますが。
PAの回線を横から録音して録ったったもので、これの信号を出すことによってPAから音が出てくるという。
そこから出した音なので、正式なミックスではありませんので、そこだけご了承ください。
「君は天然色」ライブバージョン
♪ 「君は天然色」2019年の9月24日 名古屋センチュリーホール
~CM~
私もこの11年色々なことがありました
達郎氏:
♪ SPARKLE/山下達郎 2019年6月14日 岩手県民会館 live
山下達郎のオールナイトニッポンGOLD
有楽町ニッポン放送イマジンスタジオからお送りしております。
ただ今お聴きをいただいておりますのは、2019年6月14日の岩手県民会館での先程と同じPAアウト、PAからの音でございます。
「スパークル」
おなじみのやつでございます。
ツアーではいつもやっております。
今年もやっております・・よろしくおねがいします。
もうツアーが始まっております(笑)
冒頭から申し上げておりますけれども、録音なのがちょっと心苦しいですけど。
一所懸命やって終わります!
明日6月22日発売の私のニューアルバム
「SOFTLY」が11年ぶりのアルバムだということなので。
今日は「あなたのこの11年」というテーマで色々な方からですね。メールそれからコメントいただきました。
私もこの十数年色々なことがありましたけれども。
でもあの・・おかげさまで。
私はそれ程の何て言うますかね・・
自分の生活としては、わりと穏やかにですね11年過ごすことができまして。
音楽活動の過去と未来を語る~メディア、ライブ~
達郎氏:
その前の数年間といいましょうか。
2000年入ってからぐらいの時、いろいろやっぱり出来事がありまして。
まあ自分の音楽という仕事の中で、特に70年代、80年代・・・
デビューして今年で47年になりますけども。
前半の半分ぐらいは音楽活動といったらレコードということなので。
すべてレコードを中心に回っていて、レコードを出してプロモーションをして
それからレコードを出して、それをひっさげてツアーをやって、曲をご披露して。
それでまたレコードにつなげていくという・・・
そういうようなものがレコーディング、シンガーそれからミュージシャンというそういうような人間の活動形態だったんですけども。
だんだん、だんだん、CDというものが、メディア・・いわゆるパッケージメディアというんですね・・フィジカルなんていう言い方しますけど。
そういうものがだんだんなくなってきて。
配信、それからサブスクリプション、そういう形のないものにだんだんなってきてまして。
特に2000年代の中頃からそういうものを急激にですね、世界中で拡大してきまして。
このままで行くと、CDというか、そういうものがなくなってしまうという・・・
そういうような予感がしまして、2006,7年の話ですけども。
それまでは、私にとっては活動っていうのはレコーディング全てだったんですけども。
それで言いますと、それまでのような音楽で生活をしていくということが、わりとできなくなってくるんじゃないかと、そういうまあ危機感とか恐怖感が出てきまして。
それで、まぁ、だその時50代だったですから・・
その中でどうやっていくかということをいろいろ考えた結果、じゃライブ・・・ライブ80年代たくさんやってきましたし、シュガーベイブ時代もライブはそれなりにやっておりましたので、ライブに戻ろうと。
元々初めはライブから始まりまして、それでレコードができるようになったと、作れるようになったと・・
そういう経歴ですから、ライブに戻ってやっていこうと。
そういう具合に考えて2008年の終わりからツアーを、それまでしばらくできなかったんですけど。いろんなその理由があるんですけども・・・
ツアーを再開して2019年まで10数年続けました。
そしたらコロナになってしまいまして、2020年2021年とですねライブができなくて、今年ようやくまた再開するということになって。
その間ずっと年間50本ぐらいのライブ活動を続けておりまして。
「アルバム」の持つ意味に向き合った11年間
達郎氏:
さすがに60歳過ぎて寄る年波で体力的な問題もありますので。
アルバムを一枚仕上げるということがなかなか体力的にきつくて。
もともと怠け者なので、だらだらやっておりましたら11年も経ってしまいましたけども。
まあその間にあのーシングルが何枚も出してきまして。
最前も申し上げた通り、今の時代アルバムという観念がもうだんだん希薄になってきたんですよね。
僕らは、もうアルバムっていうのは、当然こう例えば10曲15曲そういうものだと思っていますけど。
お若い方でしたら、もうああいうスポティファイみたいなサブスクリプションで1曲1曲がランダムにこう出てくるという、そういうようなものが当たり前の時代になってきてますから。
そういう概念的なギャップってのは物凄い悲しくなってきているわけで。
だからアルバムにそれほどの意味がなくなってくるのかな、ということも思いつつ。
そういう意味では、あと何枚こういう「アルバム」というですねものができるかな、ということを考えて、今回の「SOFTLY」というアルバムを作っておりました。
でも、私の世代は、再三申し上げたように、そういう「アルバム」というものが非常に価値のあった時代でしたので、こうしたアルバムという形で明日晴れて発売の人を迎えることが出来ました。
今回は、この11年間に発売しましたシングル含めて、純粋な新曲も含めて15曲入っております。
私、元々色んな曲のパターンがありますので。
割と五目味というか、いつもの感じであります。
明日の発売は初回盤はボーナスCDが付いておりまして。
昨年の12月に私のレギュラー番組の1500回記念でやったアコースティックライブの音源をボーナスディスクで初回盤に入っております。
それと、いわゆる通常はレギュラーサイズのやつ。
それから今回はアナログLPが作りまして。
なんとカセットまでできまして、4種類4アイテムあります。
お好きなやつをお選びいただければと思います。
この先、あと何枚制作できるか
達郎氏:
この先あと何枚やれるかという、もうそういう年齢になってきてます
来年で70になりますので。
できるだけ活動してきたと思いますけども、とりあえず11年ぶり(笑)
でも11年ぶりってあの意外といるんですよね他の人・・・
26年ぶりみたいな人もいますしですね。
ま、あのぉ・・・下を・・そんな事言っちゃいけない!
きりがない!上も下も!
そういうあれですので(笑)
色々な技術的な話は申し上げませんけれども、11年間の私のいろいろ考えていることっていうか、そういうことが・・・一応シンガーソングライターですので、
そういうことが詰まったアルバムになっておりますので、是非とも明日発売日でございますのでよろしくお願いしたいと思います。
えー今回の「リード曲」と言いましょうか・・・
レコード会社の「イチオシ」!そういう何が「イチオシ」かよくわかりませんけども。
最近聴いてる、いわゆるグローバル・チャートっていう世界中の音楽を聞いておりますと、、世界的なシーンのですね、空気感みたいなのが伝わってきます。
そういう空気感をですね自分の作品に取り入れて今の時代の空気を、なんかちょっと吸ってみたいという・・・そういうような目的で書いた曲がですね、このアルバムの二曲目に入っております。
♪ LOVE’S ON FIRE
というわけで山下達郎オールナイトニッポンゴールド東北放送でお聞きの方とは、ここでお別れです。
東北もツアー伺います。
よろしくお願いします。
その他の局でお聞きの方、もうしばしお付き合いください。
達郎さんが日常のルーティンで長い間で続けていること
達郎氏:
ツアーが始まっております。
始まっているのにアルバムはまだでないという・・頭の3本ぐらいが・・
それもまた楽しい・・というアレですけども。
ツアーは今年は47本
6月の11日八王子から始まりまして11月の沖縄の最終公演まで全47公園続きます
お出でになられる方お待ち申し上げております。
この方は私のFMの方の番組の超常連ですが。
全然あの読まれないんですが・・
こっちの方に来ると選ばれましたよ!I.Hさん、
『60歳になり2月1日から毎日5000歩いています。
職場まで歩く、休みの日は家の中を歩、くコツコツと続けています。
達郎さんが日常のルーティンで長い間で続けていることは何ですか。』
枚挙にいとまがありません。
まず「半身浴」ですね、腰湯
これはもう35年ぐらいやってます。
あとは「ビタミン類サプリメント」
これは若い頃から・・
「パワーブリーズ」と言いまして。
もともとあの老人の呼吸器の強化に使うんですけども最近アスリートも
使っております。
シンガーの人もたくさん使ってる人がいますが。
これも必ず朝晩やっております。
「ウォーキング」は最近ちょっとサボり気味ですけども。
ライブが始まりましたのでウォーキングまめにまた再開しております。
そんなことアレしたら、たくさんそういうのはあります。
ラジオ体操をやりましたけど途中で挫折したりしてますが。
無理のない範囲で皆さん続けましょう。
木村拓哉さんのニューアルバム『Next Destination』
達郎氏:
この間おかげさまで、人に曲を書く仕事とかが、わりといただきまして。
一番楽しかったのは木村拓哉さんのニューアルバムに3曲ほど提供いたしました。
これ、わりと自信作であります。
歌詞はクロマニヨンズの真島さんとコラボしまして、すごい異色ですけども。
僕ブルーハーツの大ファンなので、真島さんに頼んで詩書いてもらいました。
「硝子の少年」から25年!KinKi Kids新シングルは山下達郎&竹内まりや提供
達郎氏:
で、今年はですね、実はもうすぐ出ますけれども。
7月27日に発売になりますキンキ・キッズのニューシングル
キンキ・キッズ今年で25周年を迎えます。
僕の書いた「硝子の少年」以来25年になりますけども。
それを記念してキンキ・キッズに7月27日のニューシングルに僕、曲を書かせていただきました。
キンキ・キッズの2人の作詞で、僕の作曲になります。
「Amazing Love」という一曲であります。
今日ちょうど発表の日なので、お気をいただきましょう。
7月27日に発売になりますキンキ・キッズニューシングル「Amazing Love」
♪ Amazing Love/KinKi Kids
キンキ・キッズ、ニューシングル、25周年記念シングル「Amazing Love」
ちなみにカップリングは、竹内まりや作詞作曲「Midnight Rain」
よろしく!
エンディング
達郎氏:
有楽町ニッポン放送のイマジンスタジオからお送りして参りました「山下達郎
オールナイトニッポンGOLD」いかがでしたでしょうか(笑)
この年になってですね、オールナイトニッポンGOLD出させていただくとは夢にも思いません。
まぁ、この年になって本当にアルバム出して、ツアーやって、人に曲書けて、本当にありがたいことであります。
体に気を付けて頑張っていきたいと思っております。
えー番組の感想などいただきたいので是非!
■番組メールアドレス:tatsuro@allnightnippon.com
■番組ハッシュタグ:#山下達郎ANNG
いや(笑)
っふふっふ(笑)
AMはすごい!(笑)
それがもう偽らざる感想であります!
そんなわけで本当にあの二時間ありがとうございました。
なかなか難しい時代ですけども、番組の中で申し上げましたけれども
みんなで、助け合って、励まし合って、いたわり合って
この時代に乗り切って参りましょう!
それではまたいつかニッポン放送でお耳にかかりましょう!
ありがとう!
山下達郎でした。
オンエア曲
ミライのテーマ/山下達郎
人力飛行機/山下達郎
Mrs. Bluebird./Eternity’s Children
Hushabye/The Beach Boys
CHEER UP! THE SUMMER/山下達郎
君は天然色/山下達郎 (※ライブ音源・大瀧詠一カバー)
※2019年9月24日の名古屋センチュリーホール公演よりPAアウト音源
SPARKLE/山下達郎 (※ライブ音源)
※2019年6月14日の岩手県民会館公演よりPAアウト音源
LOVE’S ON FIRE/山下達郎
Amazing Love/KinKi Kids (※作曲:山下達郎)
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