NHK-FM 今日は一日“山下達郎”三昧 2011年9月19日(その3)
さてさて、9月19日(月)お昼12時15分からNHK-FMでオンエアされた「今日は一日“山下達郎”三昧」。
ここでは(その3)として20:10~20:40頃までの「山下達郎伝説」コーナーをご紹介しましょう。
2010年のライジングサンのお話・・・
in-situで体感したかった!!
まさに伝説!
(その1)はこちら
(その2)はこちら
(その4)はこちら
(その5)はこちら
それでは、誤字脱字はご容赦くださいませ。
出演:山下達郎 黒崎めぐみアナウンサー 平田毅(NHKアナウンス室 専任局長)
ゲスト:松尾 潔
◎ NHKアナウンス室 平田毅氏
黒崎めぐみ:
さあ、私もちょっと緊張して参りました。
隣に上司がおります。
ご自分で挨拶して頂きましょう!
平田毅:
NHKアナウンサーの平田毅(ひらた たけし)ですって名乗るのも、ほんと久しぶりですけれども(笑)
宜しくお願いします、達郎さん。
達郎氏:
こちらこそ。
NHKの男性アナウンサーで一番仲が良くて、一番古い・・
ほぼ同世代でして。
こんな10時間の長丁場ですので、どなたに手伝って頂きたいか?って言われたので”平田さん、宜しくお願いします”って。
そしたら、こんなに出世されてて!
こんなに偉い方だとは、夢にも思わずですね。
でも、ほんとに友達なんです。
僕、知ってる男性アナウンサーは彼一人しかいないので。
なので平田君に頼んで・・・
平田”くん”なのでね
黒崎めぐみ:
アナウンス室、ナンバー2で・・・
達郎氏:
だそうです!
凄すぎです!
平田毅:
聴いてる方はね、何でこいつが出てるんだって思われるかもしれませんけど。
達郎氏:
一番商品知識がある方です!
僕に対してのね!
古いので。
黒崎めぐみ:
ですから、0時15分からずっと私の横でチェックをしていました。
出会いは?
平田毅:
出会いは・・・
私アナウンサーやってまして、1980年、昭和55年にNHKに入ってですね、大学出てすぐアナウンサーになって。
青森放送局というところに行きました。
そこでFMリクエストアワーというのをやってたんですけどね、土曜日の3時間番組。
その他に、毎日、月~金で夕方6時から6時50分まで、青森は「こんばんわ6時です」っていうタイトルなんですけれど。
FMで50分番組があったんです。
これ新人が週に2回から3回やってましてね。
達郎氏:
全国そうですよね?
平田毅:
全国やってました。
もう好き放題、かけてた訳ですね。
そこにある日、達郎さんがお越しになったと。
達郎氏:
キャンペーンで行ったんです。
平田毅:
嬉しかったですね!
私、その前の年、79年にムーングロー買ったりですね。
もっと言うと、声が好きで、サイダーのCMとかコーラのCMとか、航空会社のCMとか・・・
同じ人がいるな、誰なんだろうって思ってまして。
“あっ この人だ”ってムーングロー買いまして。
その方が来てくれたので、とっても嬉しくてインタビューした記憶がありますね。
それがね、調べました。
81年3月20日
達郎氏:
凄すぎる!(笑)
黒崎めぐみ:
年表をノートに書いているんですよね。
四分割していて、何年に何があったか・・・
平田毅:
今日お聴きの方も作ると良いですよ。
皆さんのメールを拝見していたんですけど、自分の人生と達郎さんの曲、コンサートが絡まってるんですよね。
今日は、さすがに放送に出るのでノート、一日かけて作りました。
達郎さんのアルバム、コンサートツアー、私の実生活。
そしてまりやさんのアルバム。
じゃ、何で私が知り合えたかというと、実は私がいた80年から84年、青森に4年間いたんですけども。
ここの間、達郎さんの・・火山じゃないですけど・・・活動期だたんですね。
達郎氏:
活動期・・・(笑)
平田毅:
激しく活動されていましてね(笑)
私の大学4年間に、オリジナルアルバムを4、そして企画モノ1、5
そして青森の4年間はオリジナルが3、企画モノが3つで6枚!
これは史上最大の数なんですね!
達郎氏:
そうですね。
あの頃は、もう毎年自分のと、他の何か・・・
僕とまりやとか、村田君とか、そういうやり方で作ってましたからね。
平田毅:
ですから、ライドオンタイム、オンスト1、For youでしょ、グレーテストヒットでしょ、メロディーズとビッグウェイブ。
この6枚の間にキャンペーンにお越し頂いたんですね。
もしくはツアーでお越しになって。
そのたびにお会いして番組そのまま50分パッケージにしたりインタビュー録らして頂いたり。
とても幸せな新人時代でしたね!
今は、もうなかなか専門性低くなっちゃってますけど(笑)
とっても幸せです。
◎ 伝説~西武球場~
黒崎めぐみ:
普段の上司の顔とは違う顔でね、平田さんも話をしているんですが。
ということで何でも判るだろうということで、今日はラジオをお聴きの皆さんからも山下達郎伝説を募集しておりますし、いくつか来ているんですが。
平田さんにも、コレぞ!という伝説がありますか?
平田毅:
私はね、達郎さんと・・・
実際にお聞きした話なので、伝説じゃないかもしれませんけど。
82年にFor Youのキャンペーンでお越しになった時に、ずっと50分間番組を作りながらお話をした時に、For Youの中に入ってる曲に関係するんですけれども、テレビのリポーターが来て色々なスタッフがいるところで”山下達郎さん、どこですか?”って散々聞きまわったっていう話があるんですね。
ほんとは、その頃かなり有名な方だったんですけど、テレビのりポーターの人は何故か知らないで達郎さんはどこですか?何処にいるんですか、誰ですか?って聞きまくったという話があって。
これがきっかけとなって生まれたのがFor Youの「Hey, Reporter 」と。
ちょっとこの真相を!
達郎氏:
若干違いますね(笑)
「Hey, Reporter 」って・・・僕の奥さんと付き合い始めた時にレポーターに騒がれて、追っかけまわされた時があって。それで作った曲なんですけど。
1980年の7月の26日かな、西武球場でイベントがあったんですよ。
その前の日かなんかに、新聞で書かれて。
僕は西部球場でライブがあったんで・・・その時は放送曲のスタッフに毛布かけられてハイエースで裏口から入れられたんですね(笑)
荷物扱いですよ!
平田毅:
判らないように!
達郎氏:
それで表にカメラマンとかテレビの人がいたわけですよ。
僕のバンドのメンバーは表から普通に入っていったら、リポーターの人が
“山下さん誰っ? どこっ?、どれが山下さん?”
僕はテレビ出てないから顔しらないんですよ。
名前は知ってるけど。
平田毅:
でも、あの頃はね、80年でライドオンタイムのCMはまだですか?
達郎氏:
やってましたけど、たぶんテレビのレポーターは、そういうのに興味がないので。
要するに、歌番組に出てる人とか、そういう芸能人?と呼ばれるね。
たぶんテレビスターとか映画スターとか・・
僕もミュージシャンだから(笑)
そういうCMに出てるのと一致しないんでしょうね。
だから、僕はそういう場所に行ったらいかんなって、そういう・・・
一種の反面教師ですよね。
それ以来、だから、あんまりそういう所とはね、芸能界(笑)とか、あんまり、そういうところには行かないようにしようって努力して(笑)
黒崎めぐみ:
だからこそ伝説が生まれてしまうんですけれどもね。
平田毅:
以来ね、テレビっていうメディアにはあまり、殆ど出てないんですよね?
達郎氏:
出てないです。
平田毅:
ラジオメディアにずっと出られて・・・
達郎氏:
いわゆる歌番組とか、そういうのには出てないです。
ツチノコですね(笑)要するに。
雪男とかイエティ (yeti) とか・・・
平田毅:
80年って私のねNHKに入った年は、とても画期的な年で。
今お話したカセットテープのCM、ライドオンタイムでご出演されていた。
もう、バンバン出ていましたね。
僕らの年代は皆知ってます。
達郎氏:
あれ騙されたんです(笑)
平田毅:
騙されたって、どうやって騙されたんですか?
達郎氏:
あのCMの撮影スタッフとか、スクリプターとかクリエイターとか全部要するにCMやってる仲間なので。
僕CM沢山やってるので。
お前出ろってことになって(笑)
簡単に言えばそういう事です。
15秒で言えば。
あれよあれよって言う間にサイパンに連れていかれて・・・
◎ 伝説 ~日本レコード大賞~
平田毅:
80年でもう一つ。
この年末の12月31日の大晦日に達郎さんはテレビに出演されているんです。
日本レコード大賞、ベストアルバム賞。
達郎氏:
あれはね(笑)・・・
あの当時のスタッフがね、みんな地方出身者でしょ。
長野のやつが居たんですよ。そいつも大学中退して売れないハードロックのバンドのマネージャーやって食うや食わずでね(笑)
それでレコードプロモーターやってた訳ですけど、その時は。
“うちの親兄弟がね僕がやってるタレントがテレビ出てる、レコード大賞のベストアルバム賞とって、故郷に錦飾れるからお願いだから”って言われて、その時(笑)
その時YMOと長渕さんと僕と、3枚。
年に3枚だったんですよね、まだね、ベストアルバム賞は。
長渕さんは出なかったけど、僕とYMOと3人で・・・(笑)
平田毅:
達郎さん、ちなみに79年はムーングローですね。
黒崎めぐみ:
でも、それはほんとにレアな・・・
達郎氏:
レアですね!
あの時の映像ないんですよね。
平田毅:
ないですね!
私ね、カセットテープは実は最近ね、ネットで見ました。
黒崎めぐみ:
平田さんのように、あの手この手で達郎さんの情報を手にしようというファンの人は沢山いらっしゃるので。
平田毅:
ラジオの向こうの皆さんが”何でこいつ出てるんだ”って羨まれるかもしれませんが、ファン代表という事でご勘弁下さい。
平田毅:
平田君は、ほんとに僕が出て下さいってお願いした方なので。
NHKで一番山下達郎と親しいアナウンサーなんです。
どうぞご安心下さい(笑)
黒崎めぐみ:
今の文言だけ平田さん切り取って持ち歩くと思いますよ!
平田毅:
いやほんと。私も伝説ですね、今日は!
達郎氏:
だいたいね、関東とか、東京とかで生まれて入社したアナウンサーの方は、だいたい初めの何年かは、物凄く田舎に行くんですよ。
なかなか帰ってこれなかったんですよ。この人も。
平田毅:
会うたびに達郎さんに”平田君は東京こないね、帰ってこないね”って散々言われてましたが(笑)
あとは、曲いきましょうね!
♪ Hey, Reporter / 山下達郎「FOR YOU」(1982年)
◎ 伝説 ~ライジングサン・ロックフェスティバル
黒崎めぐみ:
伝説・・・
いろんな方から届いておりますので、真偽を確かめたいと思っておりまして。
達郎さん宜しいですか?
達郎氏:
お手柔らかに(笑)
黒崎めぐみ:
去年のライジング・サン・ロックフェスティバルでミューシャンの殆どの人が見に来ていて、サン・ステージ前方は業界人だらけだった・・・ですか?
達郎氏:
ですね・・・
黒崎めぐみ:
そいう時って歌う側は・・・
達郎氏:
やってる方は、判りませんもん!
だって初めて出たので。
楽屋がガラ空きになったって、後から伺いしまたけど。
そういう事もあるんだなって思ったら”そんな事はいままで無かった”って言われたので。
とっても有り難いことですけど。
PAやってる僕のスタッフが、周りがみんな他のPAマンだったって、凄く緊張したって。
そいつの方が緊張したらしいです(笑)
黒崎めぐみ:
まるで平田さんの横でしゃべる私みたいな感じでしょうかね(笑)
平田毅:
このライジングサンで、みんなで交流できる場でもあったのではないですか?
達郎氏:
とっても、だから良い時代になりましたよね。
昔はお互いに口何かききませんでしたからね!
今ほんと仲良くていいですね!
◎ 伝説 ~中古レコード~
黒崎めぐみ:
それから・・・
達郎さんが中古レコード屋を一軒まるごと買ったらしいという情報が・・・
達郎氏:
そんな事あるわけないじゃないですか!(笑)
僕の友達は、そういう人が何人かいるんですよ。
黒崎めぐみ:
買っちゃった?
達郎氏:
買っちゃったっていうか、中古レコード屋に入って”これ全部でいくら”って聞くんですって。
僕はそういう事は絶対にしません。
レコードって、そこで待ってるんですから、全部見て、それで欲しいやつ選んで。
そうしないと絶対ダメです。
だからね、そういうね”おひれ背びれ”付くんですよ!
◎ 伝説 ~アナログレコード~
黒崎めぐみ:
似たような伝説で・・
ある放送曲がアナログレコードを大量処分することになったら、達郎さんからお声がかかりトラック2台分ほど自ら選んで持っていかれたそうですが・・・
達郎氏:
嘘です(笑)
勝手に・・・・(笑)
あのぉNHKにしろ、民放にしろレコ―ドは一応資産なので、そういう事はできません。
必ず放出する時には、それなりの認可とか許可とか、そういうのが要る。
昔はね民放だと10円シングルとか100円LPとかいって、自分のバザーのイベントとかそういうのに出して売ることはありますね。
ありましたけど、それはね、やっぱり80年代前までですね。
今は、そういうこと絶対にないですよ!
◎ 伝説 ~ゴジラ~
黒崎めぐみ:
あとゴジラ伝説。
達郎さんのライブを最前列で見た方のお話で、ステージ上でゴジラを見たというお話を聞いたことがあります。
達郎氏:
ゴジラのフィギュアはいつも飾ってありますよ。
僕ゴジラ好きなんで。
アンプの横にいつも置いてあります。
黒崎めぐみ:
達郎さんはゴジラ好きですかっていうのは、そうなんですね!
達郎氏:
ライブにお出でになったら、開演前のステージをご覧になって下さい。
黒崎めぐみ:
『達郎さんのコンサートにいつもいるゴジラは何者ですか』っていう・・
達郎氏:
ラジコンのゴジラで、一番ね、僕が知ってる中では形のいいゴジラなんです。
ビニールのフィギュアでね。
このぐらいの30センチくらいの。
オモチャ、オモチャしたゴジラじゃなくて非常にリアルなアレで。
昔はRCでちゃんとリモコンで動いていたんですけど、最近具合悪くて動きませんけれど。
シッポも動くし、首も回るし、吠えたんですよね。
で、歩いて。
全ての機能が、もう今は退化してアレですけど、一応置いてあります(笑)
黒崎めぐみ:
一番好きなゴジラなんですね。
達郎氏:
素晴らしいゴジラです。
◎ 伝説 ~ライブ途中で中止・振替公演~
黒崎めぐみ:
神奈川県民ホールで声の調子が悪くて中断した伝説というのがありますが・・・
達郎氏:
昔はね、死のロードだったので、時々声の調子が悪くなった時があったんですよ。
そういう時は、いろいろやり方あるんですけど。
でも一番良くないのは、飲みつけない薬とかね・・・
その時、コーラスの女のこがね”達郎さん、これバッチリ効くから飲みなよ”って、台湾製だか中国製だか、怪しげな水薬を飲まされたんですよ。
そいで始めたら、Gから上が全然出なくなってね。
それが枯れて出ないんじゃなくて、薬飲んで出なくなったから、それね何頑張っても出ない。
一時間、七転八倒したんです。
結局、その日は止めて振替にしたんです。
それで、普通ね、声がガラガラだったり、僕に限らずいろんな人がいるでしょ?
そういう時はお客さんって”頑張って―”とかね”しっかりー”とかね。
僕の客違うんです。
“今日、会社休んで来てるんだから、ちゃんとやれ!”
血も涙も無いって、あのことでね!
一時間アレして、結局中止して、何日かあとに振替やったら、ちっちゃな子どもが沢山いるんですよ。
みんなお母さんが子供預けてきたのに、二回は預けられない(笑)
ま、いろいろありますけどね!
黒崎めぐみ:
でも、それはもう一回やるという公演、再公演は凄いライブでしたよというメッセージもね・・・
達郎氏:
慰めてくれなくてもいいです!
平田毅:
「律儀さを伺いました」というのもありますよ。
達郎氏:
あれは、だからほんとに大変でしたね。
今の方が、だからそういう意味で枯れませんね。
体調管理しっかりしてるから。
あとは、それほどタイトなスケジュールでやらないようにしてるので。
もう年なので(笑)
あの頃だって、三十五ですから。
それは、もうね・・・
地獄のロードでしたから。
黒崎めぐみ:
でも、それが伝説になって、そのライブに行ったんだぞっていうのが自慢だったりするっていう事はね、ファンの中ではあるんでしょうね。
さて、私が何故平田さんにも、この番組の進行を認めてもらえたかといいますと、94年のシュガーベイブのライブに平田さんと一緒に行ったということがあるかもしれません。
達郎氏:
の頃からの仲なんですね。
平田毅:
初任地の先輩だったんですよね。
黒崎めぐみ:
そのシュガーベイブの音源を持ってきて下さったということで。
ここで、ご紹介頂けますでしょうか。
達郎氏:
せっかくなので私の歌ってる方じゃなくて、大貫妙子さんが歌ってる方で行ってみたいと思います。
これはね、シュガーベイブの初代メンバーなんです。
レコーディングメンバーじゃなくて。
一番最初に結成した時のメンバーで。
1974年の池袋のシアターグリーンっていうライブハウスのライブなんですが。
これはSONGSの30周年記念で数年前に出した時に付けたボーナストラックです。
それをデータにして持ってきました。
1974年の・・・
日にち、かかってる時に調べます。
大貫さんのハツラツとしたねボーカルが楽しめます。
♪ いつも通り(LIVE VERSION 1974年) / SUGAR BABE
◎ 伝説 ~大貫さん~
メッセージ:大貫妙子さん
大貫妙子です。
シュガーベイブの一番最初をさかのぼって・・・
バンドというよりは、当然最初のバンドの頃は全く生活できないくらい仕事もないし食べられないっていう事で。
で、山下君がコマーシャルの仕事をどこかから探してきたのか(笑)、頼まれたのかは判らないけれども、持ってきて、それで私とか村松君とか、山下君でコーラスのね・・・・
仕事をやったことがあって、それはアオイスタジオっていうところだったと思うんだけど、その時にコーラス・・・なかなかハモんなくて。
それで・・・
途中で業を煮やした山下君が「音程が悪いっ!」って・・言われて(笑)
それでちょっと喧嘩っぽくなっちゃって(笑)
クライアントとかたぶん来てたと思うんですけど、スタジオの中で喧嘩になっちゃって(笑)
そんなような、確かあったよね?
そんな想い出があるんですけど(笑)
山下君は、ほんとに当時から声も大きくて声量もあって、歌うまかったんです。
それでやっぱりね、山下君に怒られてから、凄くトラウマになっちゃって(笑)
自分は音程が悪い・・と。
歌が下手だ・・・と。
というのがほんとにこびり付いてね、自分が四十超える位までずーっと、それに苛まれてて(笑)
だからレコーディングなんかはいいんですけど、ライブ、もうライブが怖くて・・・
自分は歌が下手だっていう気持ちから離れられなくて。
それがライブ嫌いの一つの原因でもあるんですけど(笑)
だからなかなか自分のライブは後から聴くこともできなくて。
聴く事もあったんですけど、それをやっと克服できて、気持をね。
近年は自分のライブも非常に客観的に音源を聴くことができるし、ちゃんと歌えるようになりました。
だけど、あのぉ・・・
ああいう風に言われたお陰で歌に対して向き合う気持ちが、凄く真剣にね。
自分にとっての歌うってことのハードルを結構高くしたので、それを越えて行くっていう事にもなったので。
心から感謝申し上げます(笑)
達郎氏:
大貫さん、すいません!
どうもすいません!
黒崎めぐみ:
覚えてらっしゃいますか?
達郎氏:
ほんとに、だって二十歳、二十一ですからね。
とんがってた時代です。
自分の事しか考えて無かった(笑)
でも今の「いつも通り」お聴きになれば判ると思うんですけど、ター坊二十歳で、僕二十一ですけど。
二十歳のボーカルですからね。
ハツラツとしたものですよ。
黒崎めぐみ:
でも四十を超えるくらいまで悩まされていたと・・・
達郎氏:
すいません!!
黒崎めぐみ:
そんな事は私たちは露知らずという感じですよね、大貫さんの歌声を聴いる立場からしますと・・・
達郎氏:
ほんとに、あのぉ・・・
何て言うのかな、シュガーベイブっていうのはね大変な時代だったので。
なかなか食えなかったし、やっぱりちゃんとした評価がもらえなかくてね・・・
そういう意味では、みんな結構辛い想いしましたから。
そういう意味では、あの時代の性というね、いろいろと想い出もありますが、今となっては、まあ・・・良い想い出でもありますし。
平田毅:
日比谷の野音でね、やじられたとかね。
達郎氏:
地方公演が、もっとね・・・
東京はまだいいですけど。
地方公演に行くと、それこそ結構変な、大変な想いがたくさんありますね。
黒崎めぐみ:
“山下君”って呼び方が何か同士な感じでいいですよね(笑)
ともにある時代、一緒に頑張ったんだぞって感じがしましたが、大貫さんならではの山下達郎伝説を教えて頂きました。
~まだまだ続く
(その4)はこちら
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