山下達郎さん サンデーソングブック 2010年09月12日「ジャック・ケラー特集 Part.1」
放送された内容を、ちょいと纏めてテキスト化しました。
今日の特集は、ジャック・ケラー。
「世界でもこんな特集は無い」と達郎さんは言ってましたが、たしかに、幼少期のエピソードも含めての番組は、おそらく他にないでしょうね。
◎ 冒頭
達郎氏:
9月も中旬にさしかかってまいりましたが、私は相変わらず番組が前倒しでございまして。
9月は、随分ツアーをやってきましたが、結構今までで一番タイトなスケジュールかもしれません。
9月は東京へ帰るのが数日しかありません。
ひたすら地方をまわっております。でも、頑張ってやってる、はずでございます。
先週は新潟、仙台とまわってまいりまして、今週は広島に入ってまいりまして、広島、火、水、14、15とですね、広島のALSOKホール、旧郵便貯金。
ええとぉ 週末、土日は神戸国際会館でございます。
今週は、広島と神戸と、お待ち申しあげております。
昨日、一昨日と仙台やってるはずでございます。いかがだったでしょうか。
いつまで続く・・・10月に入ったら、もうちょっと詰められてくるので、9月はもうどうしようもないので、ご勘弁ください。一生懸命ツアーやっております。
ので、9月は、そういう訳でですね、リクエストとか「棚つか」とか、そういうところで、音源を調達するだけで時間がアレなので、なんか、纏まったことをやると、こういう時はいい!と。
こういう時は、もうサンソンらしく、ソングライター特集でいってみます。
今まで、いろんなソングライター特集をやってきましたが、今回はですね、ジャック・ケラー。
アルドン スクリーン・ジェムズ。
アルドン スクリーン・ジェムズのソングライターで今までやったことがありますのは、バリー・マン&シンシア・ワイル、それからキャロル・キング、ジェリー・ゴフィン、そしてヘレン・ミラー。
スクリーン・ジェム関係は4弾目になりますが、ヘレン・ミラーなみにジャック・ケラーも日本で今一知名度がありませんけれども、この曲聴くと、”あぁ この曲はジャック・ケラーの曲だった”そういうような驚きが、たくさんある事と思います。
ジャック・ケラーはですね、ほんとにキャロル・キングやバリー・マンと比べると知名度が圧倒的にないんですけど、色々な理由がございましてですね、それは、番組の中でご説明しますが、一番大きな理由は、やっぱり100%完璧な作品とパートナーが得られなかったこと、これが原因だと思います。
そういう意味では、ヘレン・ミラーとよく似てますが。
世代はヘレン・ミラーよりはるかに下でバリー・マンとかニール・セダカとか、そういう人たちに近い。
ブルックリン生まれのニューヨーカー、ジャック・ケラー。
偉大なるポップのソング・ライターでございます。
3週間使って、ジャック・ケラーの全貌をお聴きを頂きたいと思います。
おそらく世界でも初めてだと思います。
サンデーソングブック、自信を持ってお送りいたします、ジャッ・ケラー特集、今日からスタート致します。
なので、ツアー中でございますので、お便りとか、ほとんどチェックができない状態なので、そういう訳でソングライター特集になります。でも、その方が、本来のサンデーソングブックの目的にかなうかな、という感じでございます。
さっそく、始めてみたいと思おいますが、ジャッ・ケラーの作品で日本で一番有名なのは、おそらくコレだと思います。
1959年、ニール・セダカの「おゝ!キャロル(Oh, Carol)」のB面に入っておりましたこの曲。
One Way Ticket(To The Blues) / Neil Sedaka
◎ ~1958年
達郎氏:
ニューヨークはブルックリン生まれ、1936年の11月11日に生まれた人でございます。
父親は大学卒の会計士の人でしたが、夜はアコーディオンミュージシャンとして、ニュージャージーのダンスバンドで働いておりました。
その後、会計士やめて、ミュージシャンに専念します。
なので、そうした音楽のお父さんなので、ジャック・ケラーも11歳からピアノを学び始めますが、1952年、彼が15歳のときに、父親が急逝してしまいます。亡くなってしまいました。
彼は15歳だったんですけれども、学校のあと、カメラ修理屋で働くというように、ちょっと苦労しましてですね、父親の急逝がミュージシャンの道を選ばせたという背景があるそうです。
彼の友達にポール・カウフマンという人がいます。
この人も、後に作曲家になります。
一番有名なのはジョニー・ティロットソンのポエトリー・イン・モーション。
このポール・カウフマンにですね、ジャック・ケラーはアコーディオンを教えて自分はピアノで合奏してですね、16歳の時、1953年、私が生まれた歳ですね、ダンスバンドのピアノ弾きで、週給15ドル、これが音楽の商売のはじめだそうです。
この時代にポール・カウフマンと二人で作曲を始めたと。理由は金になりそうだった、ヘッヘッ(笑)。
1955年、ひとの手をだくって、かの有名なブリル・ビルディングへ、当時の作曲家の殿堂でございます。
アルドン スクリーン・ジェムズもここの中にございました。
ブリル・ビルディングに出入りするようになりまして、曲の売り込みが始まる。
その時に紹介されましたキャシー・リンという作詞の、女性がですね、この人と組みまして、書いた作品が、1957年に白人の4人組のコーラスグループ”The Chordettes”。
『ミスター・サンドマン』 で有名ですが、The Chordettesに取り上げられまして、これが記念すべき初ヒット、全米8位というですね、なかなかのヒットになります。
1957年の話になりますが、『Just Between You&Me』という曲でございました。
このヒットをきっかけでプロのソングライターとして生きていこうと決めてますが、このプロのソングライターとしての心得を教えてくれた最大の恩人がですね、ノエル・シャーマンという人で、この人はジョー・シャーマンとノエル・シャーマンと兄弟で、たくさんヒットをもっておりました。
一番有名なのは、ナット・キングコールの『ランブリン・ローズ』。
我々の世代ですと、ビーチ・ボーイズで有名な『グラディエイション・デー』なんてのがありますが。
ジョー・シャーマンとノエル・シャーマンは、この時代、仲が悪くてですね、作詞を担当してたノエル・シャーマンは、他の作曲家をいろいろ物色しているところにジャック・ケラーという若者が出てきまして、このジャック・ケラーを自分の弟のようにかわいがって、毎日、オフィスにジャック・ケラーが通いまして、作曲のノウハウを学びました。
一年半で20曲以上のレコード化されましたが、その中から、今日は、私ジャック・ケラーの初期の最高傑作だと思います、ほんとにいい曲です。
Perry Comoの1958年、シングル『ムーン・トーク』のカップリングとして発売されました『Beats There A Heart So True』という、まだロックンロール以前の香りが残っておりますが、ほんとに素晴らしい作品です。
という訳でジャック・ケラーの出世作、1957年全米8位のザ・コーデッツ『Just Between You&Me』。
そして、ペリー・コモの1958年の『Beats There A Heart So True』、2曲続けてお聴きを頂きましょう。
Just Between You&Me / The Chordettes
Beats There A Heart So True / Perry Como
◎ 1959年~1960年
達郎氏:
ティーン・エイジャーの文化はロックンロールの全盛期でございまして、この頃、バディ・ホリ―とか亡くなりまして、エルビスが入隊しまして、ロックンロールが急速に終焉していくわけですが、大人は、まだこういう、ちょっと一時代前の音楽を聴いていたということがよくわかります。
さて、1959年に、そのブリル・ビルディングに出入りしていたジャック・ケラーは、アル・ネヴィンとドン・カーシュナーが経営するアルドン・ミュージックという会社と契約をいたします。
1959年のことでございますが。
この時代から、いわゆるロックンロールからアイドル歌謡へと急激に出てまいります。
このアイドル歌謡の作品を一手に引き受けて大成功を収めたのが、このアルドン・ミュージックという会社でございます。
ちょうどこの時期に、先ほどお聴きを頂きましたニール・セダカの『恋の片道切符』、ええハンク・ハンターという、やはりアルドン・ミュージックの作詞家ですが、この人と組んだ作品でございますが。
このニール・セダカという人は、いわゆるシンガー・ソングライターで作曲家でもあるんですが、自分で歌ってヒット曲をたくさん出し始めますので、この人のパートナーであります作詞家のハワード・グリーンフィールドはニール・セダカがツアーに行ってる間、暇になってしまいます。
なので、ハワード・グリーンフィールドは他の作詞家以上に、いろいろな人に詞を提供するんですが、中でも一番成功したのは、ジャック・ケラーとのコンビです。
1960年に記念すべきジャック・ケラーのNo.1ヒットが2曲立て続けに生まれます。
Connie Francisに提供しました『Everybody’s Somebody’s Fool 』。
もう一曲、『My Heart Has A Mind Of Its Own』
どちらも全米No.1、2週間続けたジャック・ケラーとハワード・グリーンフィールドのコンビになる2曲でございます。
Everybody’s Somebody’s Fool / Connie Francis
My Heart Has A Mind Of Its Own / Connie Francis
◎ 1961年~1962年
達郎氏:
1960年のConnie Francisの2曲のNo.1ヒット『Everybody’s Somebody’s Fool 』、『My Heart Has A Mind Of Its Own 』。
”私の心は、それ自体が意思をもってる、彼なんかいらないって言ってるんだけど、私の心は違うって言ってる”そういうような歌でございます。
なかなか、難しい詞ですね。
どちらもハワード・グリーンフィールドの作詞、ジャック・ケラーの作曲でございます。
今の曲何かは、ちょっとカントリーっぽいニュアンスがあります。
アイドル歌謡のとっかかりですが、まだ十分にカントリー&ウェスタンの要素がヒットにつながるという時代でありました。
さて、ジャック・ケラーにとってハワード・グリーンフィールドと同じように重要なヒットソングを生んだ作詞家がキャロル・キングのパートナーでありました、ジェリー・ゴフィンでありました。
ジェリー・ゴフィンと組んだ。この曲が1961年、全米No.2でございます。
Bobby Veeの『Run To Him 』。
B面がキング&ゴフィンの『Walkin’ with My Angel』という贅沢なシングルでございます。
翌1962年に Bobby Veeの曲『Please Don’t Ask About Barbara』という、これは”ブキャナン”と書いてあるクレジットがありますが、このビル・ブキャナン、いわゆるブキャナン&グッドマン(Buchanan & Goodman )
ザ・フライング・ソーサーの人ですね(笑)。
その人とのコンビの一曲でございます。
62年全米15位という『Run To Him』、『Please Don’t Ask About Barbara』、 Bobby Veeで2曲つづけてどうぞ。
Run To Him / Bobby Vee
Please Don’t Ask About Barbara / Bobby Vee
◎ ブルックリン生まれ
達郎氏:
全盛期のBobby Veeの作品はキング&ゴフィン、ジャック・ケラーそれからハワード・グリーンフィールド、そしてヘレン・ミラーという、ヘレン・ミラーのチャームスというヘレン・ミラーの特集の時にお聴きを頂きました、あれもハワード・グリーンフィールドの詞ですから、すごいですね。
ちなみに、ジャック・ケラーは1936年生まれで、ハワード・グリーンフィールドも同じ歳です。
そのほかのソングライターの生年をみますとですね、ジェフ・バリーが38年生まれですから2つ下ですね。
ニール・セダカ、バリー・マン、ジェリー・ゴフィンはみんな同い年で39年生まれ。
シンシア・ワイル、エリー・グリニッチが40年。
そしてキャロル・キングが最年少で42年。
ほとんど全員ブルックリン生まれという、この時代のブルックリンのパワーというのは凄いものだということが判りますが。
いわゆるアイドル歌謡勃興期といいますでしょうか、アメリカン・ポップス全盛期の音楽でございます。
その中で活躍をいたしましたジャック・ケラー特集、今週から始めました。
今週は代表的なヒットソングをお聴きいただく1時間でございます。
◎ ~1970年 大瀧詠一さんの「風立ちぬ」
達郎氏:
1962年の、このベストテンヒットは日本でも大変有名な曲、Jimmy Clantonという白人男性シンガーの歌います『Venus In Blue Jeans』。
「ブルージン・ビーナス」という邦題がついております。
1962年全米7位という大ヒットソングですが、ところがですね、このシングルが出た時にはエース・レコード、出たときには作家のクレジットがニール・セダカ、ハワード・グリーンフィールドになってりました。
長いこと、これはニール・セダカの曲だと思われて、ずーっときてたんですが、実はジャック・ケラーの作品だと。これは、原因はいまだに判ってないんですけど、たぶんレコードの担当がハワード・グリーンフィールドって書いてあったので、これはニール・セダカと思いこんで、そうクレジットを書いたんではないかというのが通説でございますけど、
今ではジャック・ケラーの作曲、ハワード・グリーンフィールドの作詞のものだとして出版登録がちゃんと書き換えられておあります。
Venus In Blue Jeans / Jimmy Clanton
大瀧詠一さんの「風立ちぬ」の、元のアレでございますが、大瀧詠一さんは、まさにこのコニー・フランシスの「エヴリバディ・サムバディ・フール」あたりからですね、このアルドン スクリーン・ジェムズで育ってきた方で大瀧のソングライティングで一番影響を与えたのがジャック・ケラーとエリー・グリニッチじゃないかと私は思っておりますので、当然の成り行きなわけでございます。
えぇ それはともかく。
もう1曲、1962年のヒットソングでございますが、エバリー・ブラザースに提供いたしました、これもジェリー・ゴフィンの作詞でございます『How Can I Meet Her?』。アップテンポのいい曲でございますが。
1963年にドン・カーシュナーはアルドン・ミュージックをコロンビアに売却します。
ここで、スクリーン・ジェムス・コロンビアという出版社に名前が変わりまして、これが、きっかけとしましてですね、ジャック・ケラーはニューヨークからロサンゼルスに居を移しまして、こっから、ヒットソングよりはテレビ番組の音楽、テレビ番組に深くかかわるようになっていきます。
従いまして63年以後、こうしたアイドル歌謡のヒットが、ガクッと減る訳です。
そのかわりに、そうしたテレビ番組の中で、かなり実績を積んでいきます。
日本からは、そういう事が伺い知れないので、非常にヒットが減ったように感じられますが、忙しかった訳でございまして、そんな中で、人に提供した何曲かのうちの一曲。
1965年、全米77位、、The Sapphiresというギャンブル・ハフの特集やった時に出ました、男女混成の黒人3人組のボーカルグループ。The Sapphiresに提供しました『Gotta Have Your Love』というこれはトニー・パワーズという、やはりスクリーン・ジェムスのスタッフ・ライターでございますが、ジェリー・フィショッフ、
トニー・パワーズというコンビで有名でございますが、トニー・パワーズとの共作でございます。
という訳で”The Everly Brothers”の1962年の『How Can I Meet Her? 』。
そして、”The Sapphires”『Gotta Have Your Love』、2曲つづけてお聴きを頂きます。
How Can I Meet Her? / The Everly Brothers
Gotta Have Your Love / The Sapphires
今回の特集をするにあたって、いろいろと資料をみておりますと、ジャック・ケラーという人は、あんまり欲が無いといいますか、平和な家庭で育った、ということなので、特にLAに移ってテレビ・ショーの音楽を担当してから、そんなにガツガツ、ヒット曲を出そうという感じでもありませんし、
80年代になりますと、ナッシュビルに移りますが、自分が、そうしたヒットソング・ライターだという事を、声高にアピールをしていないというよううな事が資料に書いてありますので、割と自分の成功というか、身の丈というか、そういうのに満足してたという感じがいたします。
今週はそういう訳で、彼の60年代の代表作というものを、とは申しましても、だいたい代表作が60年代集中するんですが、ざっとお聴きを頂きました。
来週は、それの補足と、その先の、私が選んだジャック・ケラーの名作を古い順に、どんどんお聴きを頂いていこうと思っております。
来週も引き続き、ご期待ください。
先週、今週とですね、ツアーやってるアレなので、活舌がですね、今一アレなので、番組のプレイリストを是非、山下達郎のホームページをご覧下さい。
彼の書いた大ヒット作、最後の一作となります。
これも日本では大ヒットした一曲を、今日は最後にお聴きを頂きたいと思います。
1970年、全米9位まで上がりました。
我々の世代には懐かしいBobby Sherman、代表作『Easy Come, Easy Go 』。
Easy Come, Easy Go / Bobby Sherman
今週のオンエア曲
14:04 One Way Ticket(To The Blues) / Neil Sedaka
14:11 Just Between You&Me / The Chordettes
14:13 Beats There A Heart So True / Perry Como
14:18 Everybody’s Somebody’s Fool / Connie Francis
14:21 My Heart Has A Mind Of Its Own / Connie Francis
14:25 Run To Him / Bobby Vee
14:27 Please Don’t Ask About Barbara / Bobby Vee
14:36 Venus In Blue Jeans / Jimmy Clanton
14:40 How Can I Meet Her? / The Everly Brothers
14:42 Gotta Have Your Love / The Sapphires
14:46 Easy Come, Easy Go / Bobby Sherman
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