山下達郎 PERFORMANCE 2010も11/8(月)の八戸公演で終わりましたね。
私も運よく11/5@NHKホールのステージをみることができました。
11月5日(金)NHKホールのライブで「11月9日以後はネタばれOK、煮るなり焼くなり、なんなりとどうぞ」との達郎氏ご発言がございましたので11月5日(金)のNHKホールライブについて、ちょいとご紹介しましょう。
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【追加情報!】
しもラッキさんのブログに追加公演:10月23日(土) 東京都中野サンプラザホール の紹介があります。
こちらも是非どうぞ! しもラッキさんのブログのノリ方、好きです.
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11月5日(金)のNHKホールの会場内は開始早々から熱気に包まれてました。
『実質、千秋楽ですので今日はやれるだけやります』 と達郎氏。
この言葉でますます会場はヒートアップしました
魂を込めた歌声、抜群のテクニックを持ったプロ・ミュージシャンの演奏、アナログ機材で最高の音質を生み出すPAスタッフ、別世界に引き込まれた舞台美術と照明・・・・・。
3時間のコンサートが終わると「いやぁ、ほんと最高。ありがとう」って気持ちになりました。
さて、その様子を、ちょいと纏めてレポートしましょう。
11月5日、満員のNHKホール。
オープニングSEが流れるまえから、観客の期待が高まって手拍子が鳴り始めた。
18時35分、オープニングのアカペラがPAスピーカーから流れ始めた。
A ray of for hope for you
A ray of Hope for me
A ray of hope for life
For everyone….
オープニングSEは「希望という名の光」の英語歌詞をアカペラでアレンジしたもの。
オープニング・アカペラの声の重なりが増すに従って、会場の照明が落とされていく。
どんどん、会場の高揚感が増していく感じ。
真っ暗な舞台にメンバーが現れた瞬間、会場は大きな歓声に包まれた。
オープニングは何度見ても、わくわくする光景である。
最後に達郎氏が舞台に現れてフェンダー・テレキャスターを抱える。
青いシャツにブルージーンズ、そしてニット帽。
メンバーが位置に着いた。
小笠原さん、スティックを手に取り、シンバルを片手でミュート。
伊藤さん、ベース抱えて、ちょっと腕組みしながら足元のエフェクタを確認。
コーラス・メンバーは、イア・モニターだろうか、耳につけていた。
ステージ上に置かれたアンプの赤いランプが綺麗だ。
達郎氏がステージ袖のモニタ・クルーにサッと右手を上げてスタンバイ完了の合図。
オープニング・アカペラが鳴りやんだ瞬間に達郎氏のギター・カッティングが響き渡る。
1曲目がスタート。
アンコール・ラストの曲までの23曲、達郎氏の歌が3500人の心に突き刺さる3時間を超すパフォーマンスだった。
アンコールのダウンタウン終了後、鳴りやまない拍手の中、達郎氏がメンバーを紹介。
『オン・ドラムス、小笠原拓海。
オン・ベイス、伊藤広規。
オン・キーボード、難波弘之。
オン・キーボード、柴田俊文。
オン・サックス、土岐英史。
コーラス、国分友里恵、佐々木久美、三谷泰弘!
メンバーに大きな拍手を!』
ギターの佐橋さん、残念! 紹介をとばされました!
土岐さんは、既にステージ袖に下がっていたので、呼ばれた瞬間、舞台下手からスッと登場!
すかさずピンスポットを浴びてました。さすが。
『PAスタッフに! 照明のスタッフに! 裏方の皆さんに!、トラックドライバーの諸君! そして、今日お集まりの皆さん、ありがとうっ!』
最後は「Your Eyes 」
アカペラがPAスピーカーから響き渡り、朗々と歌い上げる。
『今日は本当にどうもありがとう! 良い夜を! おやすみっ!』
ステージ中央で深く頭を下げて挨拶をする達郎氏。
「That’s My Desire」のクロージング・アカペラが流れると、舞台上手にゆっくりと歩いて客席に向かって挨拶。
最後は舞台下手に立って両手を合わせて一礼し袖へ向かう。
スポットライトが閉じられて、全てのプログラムが終了した。
セットリストを最後に掲載した。
11/7のサンソンで、達郎氏『全ての選曲は自分で行い、曲順やMCのネタも全て自分で考える』との話。
曲の入り方(イントロ)もアイデア満載で興味深い。
以前、2009年4月28日に放送されたNHK-FM「大貫妙子 懐かしい未来」で次のようなコメントがあった。
達郎氏:
『僕、イントロをカウントでとって出るのはすごくきらいな人間なので、だから、なるべくカウントないようにするんだけど、そすと、20曲あると、カウントが全然なくて1曲だけカウントがあると、今度それがすごく生きるのね。』
今回のツアーでボーカル・カウントで入った曲はなんだろう? と思いだしてみる。
”ワン・ツー、ワン・ツー・スリー・フォー”と達郎氏のカウントで入った曲は、ちょっと記憶が曖昧だが・・・
・LET’S DANCE BABY
・アトムの子
この2曲を思い出すと、イントロの達郎氏のボーカル・カウントが”これからいくぞー”って感じで、カウントがすごく生きてる!
そして、達郎氏のギターカッティングで刻みながら入る曲は
・HAPPY HAPPY GREETING
・SPARKLE
・DAYDREAM
・WINDY LADY
・砂の女
・SOLID SLIDER
・今日はなんだか
・RIDE ON TIME
・ダウンタウン
なるほど。
「カウントが全然なくて1曲だけカウントがあると、今度それがすごく生きるのね」ってのが良く判る。
以下、達郎氏がステージで話したMCトピックスをいくつか。
◎ ツアーとアルバム
昔はツアーはアルバムプロモーションだった。
80年代は毎年のようにアルバム出していたので、その度にツアーをやっていた。
最近はアルバムが6年おきなど、間ができたりして、ツアーができなかった。
メンバーも他のミュージシャンに取られたりして※、メンバーを変更した。
※
重実 徹(キーボード):MISIA「星空のライヴ」メンバに参加
青山純(ドラム):MISIA「星空のライヴ」メンバに参加
20代の頃は50歳なんて遥か地平線の彼方と思っていた。
50代になればライブ活動やろうと思っていたが、最近シングルのオファーが舞い込んで急に忙しくなった。
これからは『ツアーはツアー、アルバムはアルバム』として別のものとして考えている。
◎ シュガーベイブ
デビューから35年が経過した。
ミュージシャンとしての活動は37年くらいになる。
シュガーベイブは東京中心に活動していたバンドで、今で言うインディーズバンドだった。
当時のロックバンドは学園祭や野外音楽堂で演奏していたが、75年当時のバンドスタイルは、どうやって”客をのせるか”、どうやって”客を煽(あお)るか”だった。
関西は上田正樹とサウストゥサウス、金沢はメンタンピン、博多はメンタイロックのサンハウスなどが主流だった。
シュガーベイブは、そのようなバンドとは対極にあるバンドで綺麗なメロディ、複雑なリズムだったので、他とは違ったバンドだった。
お客さんからは『もっとノレる曲をヤレ』などのヤジが飛び、しまいには物をで投げつけられる始末だった。
なので、それが今でもトラウマとして心の中に残っている。
今年 レコードコレクターズ※1という雑誌の企画で日本のロック100選がありシュガーベイブが三位に入ったが、『それ、あの時言ってよ』って感じだ。
◎ Windy lady
シュガーベイブといえばダウンタウンなどの明るいポップなイメージがあると思うが、それは初期のサウンドで、途中からリズム変えたりした。それがバンド解散の引き金になったかもしれないが。
Windy lady はシュガーベイブとしては録音しておらず、達郎のソロアルバムであるサーカスタウンに収録したものである。
サーカスタウンのWindy lady は海外録音なのでシュガーベイブとは違うアレンジだった。
今日はシュガーベイブの完全コピーで演奏する。
◎ 17歳の時にノックアウトされた曲
今はアカペラというと”ハモネプ”なんていうのがあるが、僕が若いころは誰も賛同してくれなかった。
なので、一人多重録音で一人アカペラの世界を作り上げた。
生まれて初めてドゥーワップと出会ったのは17歳だった。
ラジオから流れてきたのは、The Moonglowsの『Sincerely』 。
この曲にノックアウトされて依頼、ドゥーワップにハマってしまった。
◎ Fender Rhodes
「潮騒」は「Performance 2010で聴きたい曲」のファンクラブ投票※2で一位になった曲。
この曲は”Fender Rhodes ステージ・ピアノ”というエレクトリック・ピアノで弾き語りで歌っていた。
しかし、このステージ・ピアノが90年代に壊れてしまい、メーカも倒産したので修復できなかった。
シンセ・ピアノでローズの音を再現するのもあるが、鍵盤を押してもすぐに音が返ってこないので、それが気になり、ついには歌詞を忘れたりして歌うことができなかった。
ようやくメーカーが再生し、ステージ・ピアノで歌うことができるようになった。
ちなみに、このステージ・ピアノは輸入第一号機。
◎ シーラカンス・バンド
達郎バンドは、Fender Rhodesのピアノ、難波さんのアコースティック・ピアノ、柴田さんのキーボードもアナログで、”シーラカンス・バンド”と呼ばれている。
「ワイヤレス・マイクは使わないのですか」と質問されたが、理由は簡単「ワイヤレスは音が悪い」。
佐橋君、伊藤君と僕(達郎氏)も楽器は全部ワイヤード。
完全に80年代の構成から、ひとつも変わっていない。
まるでシーラカンスのようだ。
これからも一生「ワイヤード」で音を追及する。
◎ 音楽家としての葛藤
1980年代、ツアーを始めた頃は、知名度が低いため会場は満員にならなかった。
ちょうど1階席のPAコンソール前くらいまでしか、お客はいなかった。
昔は冬のツアーがほとんどだった。
イベンターの話によると「北海道や東北地方は冬は娯楽が少ないので、コンサートを企画する」とのこと。
当時ツアー中は、ビジネスホテルに泊まったが、乾燥しきったホテルの部屋は喉の大敵。
バスタブにお湯を張ったり、床のカーペットにお湯を撒いたりして加湿したが大変だった。
デビュー当時、将来の自分はレコードプロデューサー、作曲家など、音楽の裏方の仕事をやってるだろうと考えていた。
まさか、57歳になってステージに立つとは、当時は思ってもみなかった。
自分の音楽は、いわゆるポップスのジャンルになるが、当時のポップスというカテゴリとはちょっと違う感じがあり、孤立感があった。
僕はテレビに出ない。
当時は「ザ・ベストテン」とか「夜のヒットスタジオ」とか歌番組がたくさんあったが、テレビに出ると、一般の人が僕を見る目は「この人、テレビに出てる人」だけの捉え方になる。
音楽家としての僕はそこには居ない。
なので、ひたすらテレビには出ないようにしてきた。
僕の音楽活動は”サブカルチャー”でもないし、”ザ・芸能界”で生きるなんて思ってないし、なかなか居場所が見つからなかった。
ただ音楽家としての唯一の救いは、竹内まりやの音楽プロデュースができたことだ。
これがなければ、音楽を続けてなかったかもしれない。
◎ I Only Have Eyes For You
この曲のタイトルを日本語に直訳すると「私は、あなたを見る目しか持ってない」。
”月が出ていても、星が出ていても僕の瞳には君しか映っていないんだ”
「あなたしか見えない」っていう事ですね。
◎ 今日はなんだか
この曲は、シュガーベイブでは、いつも最後に演奏していた。
このツアーでも最後に演奏しようと思ったが、シュガーベイブ時代のトラウマがあって、今回はやはりこの順番にした。
◎ NHKホール壊すなら、ちょっと暴れます
NHKホールは、まだ使い始めて10年くらいしか経ってない。
中野サンプラザは、もう30年近く使ってきた。
中野サンプラザは決していい音ではないが、融通がきくので使い勝手が良い。
というのも、僕のライブは3時間を超えるので、9時に電源落とされると困るが、中野サンプラザは、9時で電源切るなんてない。
大阪フェスティバルホールは一番好きだったホールだが、壊して建て替えているが、果たしてどんなホールになるか、お楽しみ。
NHKホールを壊す話が出ている。
ここNHK一体を移転する計画らしいが、もし、このNHKホールを壊すのなら「ちょっと暴れてやります」
◎ 来年もツアー!
来年はホールツアーとライブハウスツアーを行う。
今、57歳。
少なくとも60歳までは毎年ツアーを行う予定。
お客さんの殆どは、40代、50代で仕事などで大変忙しい世代。
平和でないと音楽ができない。
僕らは不幸になるために歳をとったのではない。
お互いに頑張って生きてゆこう!
◎ TATSURO YAMASHITA Performance 2010
山下達郎(Vocal,Guitar,Rhodes)
小笠原拓海(Drums)
伊藤広規(Bass)
難波弘之(Acoustic Piano & Rhodes)
柴田俊文(Keyboard)
佐橋佳幸(Guitars)
土岐英史(Saxophone)
国分友里恵(Background Vocal)
佐々木久美(Background Vocal)
三谷泰弘(Background Vocal)
セットリスト 11/5(金)NHKホール
01. HAPPY HAPPY GREETING
02. SPARKLE
03. DAYDREAM
04. DONUT SONG
05. 僕らの夏の夢
06. WINDY LADY
07. 砂の女
08. SOLID SLIDER
09. 潮騒
10. Most Of All
11. I Only Have Eyes For You
12. クリスマスイヴ
13. 希望という名の光
14. さよなら夏の日
15. 今日はなんだか
16. LET’S DANCE BABY
(おもちゃのチャチャチャ、真っ赤な太陽、大阪しぐれ
命くれない、天城越え、北酒場、東京砂漠、津軽海峡冬景色、ミーン・ウーマン・ブルース)
17. アトムの子
18. LOVELAND,ISLAND
<アンコール>
19. 街物語
20. RIDE ON TIME
21. いつか
22. ダウンタウン
23. Your Eyes
★ 最後に、管理人9thNUTSの未来の自分が・・・・
未来の自分が振り返って、こう言ってます。
「もうね、今はね、達郎さん、ライブやらないんだって。
だから、とにかく今、達郎さんのライブ・パフォーマンスを十分楽しんでおきなさい」
※1
レコード・コレクターズ
2010年8月号
【特集】 日本のロック/フォーク・アルバム・ベスト100(60~70年代篇)
http://musicmagazine.jp/rc/rc201008.html
1.風街ろまん(はっぴいえんど)
2.ジャックスの世界(ジャックス)
3.SONGS(シュガー・ベイブ)
4.泰安洋行(細野晴臣)
5.黒船(サディスティックミカバンド)
6.ナイアガラ・ムーン(大滝詠一)
7.紀元貮阡年(ザ・フォーク・クルセダーズ)
8.ほうろう(小坂忠)
9. バンド・ワゴン(鈴木茂)
10.センチメンタル通り(はちみつぱい)
※2 山下達郎 ファンクラブ会報 TATSURO MANIA No.74 2010 SUMMER
コメント
私も11月5日NHKホールにいました。
初めてのNHKホールでした。
管理人様は長崎からいらしたのですか。
私も遠くから行きました。
無理して行ったかいがありましたね。
お客さんも大人で品が良くてノリも最高で、このブログ読みながら、今ツアー終わってしまったんだな、とじわ~っときてしまいましたよ。
何度もライブを思い出しています。
最高のパフォーマンスをどうもありがとう、達郎さん、バンドの皆さん、関わったすべての方にありがとう。
またよろしくお願いします。という気持ちでいっぱいです。では。
sumireさん、コメントお寄せ下さいましてありがとうございます。
管理人の9thNUTSです。
11/5のNHKホールにいらっしゃったんですね。
達郎氏のライブは一人でじっくりみるも良し、友人と、夫婦・恋人と行くも良し・・・。
なかなか、長崎はツアーコースに入りませんので、思い切って長崎から江戸へ参りました。
至福の時間をありがとう!感謝・感謝・感謝です!
また、来年を楽しみに。
管理人さん、こんばんは。
仙台ライブ思い出しながら、拝見させていただきました。
自分なりに、セットリスト書き起こしていたものとほぼ同じだったので、安心(?)しました。
やっぱりアカペラも「Windy Lady」も良かったです。
来年もライブ楽しみですね。長崎も入ればよいですね。ライブハウスはどうなんでしょうか・・・長崎は。
前の記事にもありましたが、宮城県民会館の取り壊しの話もあるようですし・・・ライブハウスに収容できるものか、若干の不安もあります。
それでは。
sunday groove さん、コメントありがとうございます。
宮城県民会館も老朽化のため建て替える構想があるらしいですね。
HPをみると1600席程度で風格あるホール。
ステージと観客のエネルギーが一体になって、熱気に包まれ盛り上がりそうなホールですね。
達郎氏のオフィシャル・ライブ音源テイクに宮城県民会館を含むのも、なんとなく判ります。
来年のライブハウスでの演奏。是非行きたいものです。
長崎にもライブハウスがいくつかあります。
その一つ「Tin Pan Alley」は達郎氏のマネージャーをされてた長門氏(長崎出身)が関わっているライブハウスです。達郎氏と関わりのある吉田美奈子さんは、ここでオープン記念レセプション公演を行いました(確か2004年)。
まさか、ここでは・・・。でも、希望の光は持ち続けます。