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山下達郎さん サンデーソングブック090621「モータウン特集・アーカイブス第1回目」

「モータウン特集・アーカイブス第1回目」
今週から4週間 モータウン特集アーカイブ 短期集中講座です。
達郎さんの「モータウン講義」は始めて知ることが多かったので、テキスト化してみました。
間違いあるかもしれませんが、ご了承ください。

私が昔、バンドで演奏していた「Heat Wave」。
達郎さん曰く「モータウンソングの中で私が一番好きな曲」というのは何とも嬉しい限りです。

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モータウン特集というのは私にとりましても、その時が初めてのことだったんですけど、私、個人的にはモータウンよりもどちらかというとサザンソウル、スタックス・ボルトといった南部のリズム&ブルースの方が好きで、当時高校生の頃はそうだったんです。

なので、スタックス・ボルトを先にやろうかなと思ってたんですがサンデーソングブックを始めて数年たったあたりから、当時のリスナーから「モータウンって一体どういう音楽なのか?恥ずかしながら不勉強のためにわからない。できれば特集か簡単な説明してもらえないか」そうした内容のハガキが多くなってきた時代でした。

当時はいわゆる40周年という時代だったので、そういう本なんかも増えていたんですけども、そいういう、まあモータウンって何だ?ドゥーワップって何だ、スタックス・ボルトって何だ? その果てには専門用語を使わないでくださいって、そのようなですね、先ほど申し上げましたような雑誌、ま、女性誌、メディアでですねモータウンとか言葉が飛び交っていたんですが、実はそれほど明確なですね、ビギナーにも判るような説明がされてないという、ようなことを感じましたので、ビギナーのためのモータウン特集ということを企画したわけであります。

モータウンというのは一言で申し上げますとレコード会社です。
ベリー・ゴーディーという人物が創設したレコード会社であります。
それが、まあ、一つのレコード会社という枠だけではありませんでですね、アフリカンアメリカン、黒人の手によるアーティストだけではなく、スタッフも全員黒人、経営陣も全部黒人のレコード会社です。

これは、1960年当時としては非常に画期的な出来事でありました。
60年代のブラックミュージックということだけでなく、アメリカの黒人文化のあり方というのを大きく変えた音楽以上の役割を果たしたという意味で大変大きな足跡を残したレコード会社であります。

レーベル自体は今でも存続しております。
13年前のこの特集やった時には、まだボーイズ・トゥ・メンとか現役のミュージシャンがたくさんいましてですね、ブラックミュージックの名作をまだたくさん出し続けておりましたが、モータウンといいますと60年代がこの絶頂期であります。社会現象までなりました。

ですので、この特集も70年代初頭まで、モータウンがデトロイトを離れましてロサンゼルスに本拠を移すところで終わっております。あとはお釣りです。
60年代のモータウンサウンド、同時代はもとより、その頃ミュージシャンやプロデューサー、レコード会社といった同業他社にも多くの音楽的影響を与えました。

かく言う、日本に住む我々もその影響から、なかなか逃れられない。そうした大きな存在でありました。それでも最初はベリー・ゴーディーという、一人の人の手によって立ち上げられたレコード会社であります。

なにしろ、星の数ほどヒットがありますので、とても1曲1曲完奏してると何週間たつか判りませんので、とにかくメドレー、メドレーで、どんどん行くような形になります。
そこのところだけ予めご了承・ご理解いただきまして4週間を予定してモータウン特集お付き合いいただきたいと思います。

ただいまお聴き頂いておりますのはマーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師、アフリカンアメリカン、アフリカ系アメリカ人の公民権運動の指導者の演説であります。
1968年4月にマーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師が暗殺された、その翌月にモータウンレコードのレーベルでありますゴーディ―というレーベルから、ゴーディ―7023というレコード番号でシングル化されまして全米でチャートにも入りました。
「I Have a Dream」という彼のとても有名な1963年6月23日デトロイトでの演説をそのままシングルにして発売したものでありました。

こうした黒人の公民権運動というものにベリー・ゴーディーという人は非常に深くかかわっておりました。
アメリカの60年代、モータウンレコードが生まれた1960年前後というのはですね「富めるアメリカ」、黒人にとっては人種差別と戦う公民権運動、音楽的にはJazzとロックンロール、また、この時代はガール・グループをはじめとしたアイドルブーム。その後ろには、そうしたレコード産業を支えるオーディオ技術の革命的な進歩でありますとか、音質向上、楽器が電化されていく電気楽器の革命ですね。

いろいろな要素が重なり合った時代に生まれた一つの形の中でモータウンという会社があった。
それをまず最初にちょこっとだけ頭に入れておいて下さい。

先ほども申し上げましたようにベリー・ゴーディーという人がモータウンレコードをスタートさせました。
このベリー・ゴーディーという人はデトロイト生まれのミドル、中流な環境で育った黒人の人なんですが、もともとボクサーになりたかったり、実家を手伝ったり、いろんなことをしていたんですが、音楽が好きで50年代の末期にデトロイトの事務所でレコード制作を関わるようになりまして、曲を書いてプロデュースしたりする中で、十数曲のヒットソングを生むことになります。

ベリー・ゴーディーという人、モータウンの創始者、生みの親のモータウン以前の活動っていうのをちょっとだけご紹介しておきたいと思います。
モータウン以前というのはですね、黒人音楽の流れというのは、はっきり変わっていきますが、その立役者でありますベリーゴーディーのモータウン以前の活動について、まずはちょっとだけ、まずは触れておく必要があると思っております。

ベリー・ゴーディーが関わった仕事で最も成功しましたのはジャッキーウィルソン。
この人は50年代の末から60年代頭にかけて、シカゴとかデトロイトあたりで一世を風靡した黒人シンガー、大スターシンガーであります。

ベリー・ゴーディーはこのジャッキーウィルソンのヒット曲を何曲か手がけて、その何曲かはミリオンセラーの大ヒット曲となりました。そのジャッキーウィルソンの最も代表的なナンバー、1959年初頭、全米7位まで上がりました「Lonely Teardrops」という、超有名な1曲から始めたいと思います。

続いてお聴きをいただきますのが、マーブジョンソンという名前の、やはりデトロイト出身の黒人のシンガーですけど、ベリーゴーディーが作詞作曲をしている1960年の、これもベストテンヒットです「I Love The Way You Love 」。

そして、後にベリーゴーディーと切っても切っても切れないパートナーになりますスモーキーロビンソン。彼のグループ「ミラクルズ」の最初期のレコード。これもベリーゴーディーが制作に加わっております1959年のミラクルズとしてチャートに入った初めてのヒットソング「Bad Girl」、3曲続けてさわりだけお聴きをいただきましょう。

01_14:12 Lonely Teardrops (Jackie Wilson)
02_14:13 I Love The Way You Love (Marv Johnson)
03_14:14 Bad Girl(The Miracles)

ジャッキーウィルソン1959年初頭の大ヒットナンバー「Lonely Teardrops」、どこかで一度くらいはお聴きになったことがあるんじゃないかと思います。

その次は、マーブジョンソン、1960年のベストテンヒット「I Love The Way You Love 」、これはベリーゴーディーの作詞作曲であります。

そしてただいまお聞き頂きましたのはスモーキーロビンソンのいたミラクルズの記念すべき初ヒットナンバー、1959年の「Bad Girl」でございました。

どの曲も60年代的というのは多分に50年代的でありまして、ミラクルズの編曲なんていうのは、ほとんどドゥーワップであります。
こうした60年前後という時代は、アメリカが経済的にもピークの時代でありまして、豊かなアメリカ、ジョン・F・ケネディが大統領に選出されますのが1961年であります。そういったアメリカンドリームが頂点を極めた、そういう時代にベリー・ゴーディーはレコードビジネスを始めたわけでございます。

アメリカでは1950年代末あたりまでは、白人コミュニティと黒人コミュニティとでは聴く音楽が明確に違っておりました。黒人音楽はこの時代のほんの少し前までは、レイス・ミュージック、レイスというのは人種という言葉ですが、非常に差別的な言われ方をしておりました。

白人の聴衆は黒人向けの音楽を殆ど聴くこともなかったのですが、次第にそうした人種間の文化的クロスオーバーというのが始りまりまして、それが全米の枠を超えて全世界に広まっていったという、そういう始まりが1960年前後のことであります。

ちょっと話が脇道にそれましたが、ベリー・ゴーディーという人は、こういう形で地元デトロイトで曲を作ったりプロデュースしたり、いろいろなことをやっていたわけですが、このジャッキーウィルソの「Lonely Teardrops」などはミリオンセラーで大ヒット曲だったんですが、ベリー・ゴーディー自信に全然印税が入ってこなかった。

これは、どうも搾取されているのではないかと、そういう風に感じたベリー・ゴーディーは自分でレコード会社を設立することになりました。1959年の8月に、それまで稼いだ印税とか、人からの借金で700ドル、それを元手に「タミ―」というレコード会社を設立いたしました。

このタミ―という社名はデビー・レイノルズという当時の白人アイドル俳優兼シンガーでありますね、一番有名なところではシンギング・イン・ザ・レイン、あの映画の主演女優であります。
このデビー・レイノルズの全米No.1ヒットは大変有名な曲ですが、ターミー、っていう曲がありますが、この曲にちなんでレコード会社の名前を付けたんですが、版権の問題で名前が使えなくなりまして、それで「タムラ(Tamla)」という会社に改名致しました。1959年からレコードの発売を開始するわけであります。

これが、後にモータウンレコードとなるわけでありますが、記念すべき初ヒットは1960年に生まれました。
バレット・ストロングという人が自作自演いたしました「Money」という曲で、金が一番欲しいんだという即物的な歌であります。

日本ではビートルズのバージョンで圧倒的に有名ですが、それのオリジナルであります。
1960年、このバレット・ストロングの「Money」。
これが会社設立1年でようやく出たヒットであります。
ここからタムラモータウンの歴史が始まるわけであります。

このタムラレーベルの8枚目のシングル、先ほどのミラクルズの作品になりますが、「Shop Around 」という曲が、これが1960年に全米2位まで上がりました。そういう意味では、これが記念すべき初大ヒットナンバーであります。

1960年に入りましてタムラというレーベルに続いてモータウンという、これはデトロイトという自動車産業のメッカでした。そこから「モーター・シティ」、それよりもこうちょっとカジュアルな感じが欲しいということで、モーターシティでなくて「モーター・タウン」にしようと、それを縮めて「モータウン」、タムラに続いてモータウンというレーベルができます。

その4枚目のシングルがヒット曲となりまして1961年、これはメアリ・ウェルズという、初期のモータウンを支えた女性シンガーでありますが、この人のヒットシングル「Bye Bye Baby」、

3曲続けてお聴きをいただきましょう。

04_14:20 Money (That’s What I Want) (Barrett Strong)
05_14:21 Shop Around (The Miracles)
06_14:22 Bye Bye Baby (Mary Wells)

当時テンプテーションズに貢献することになりますが、そのバレット・ストロングの1960年のヒットソング「Money」。我々の世代にはスタンダードナンバーであります「That’s What I Want」。

つづきましてミラクルズの「Shop Around」。これは大変おもしろい詩でございまして、「確かにお前は男の仲間入りをしたけれども、若いお前だから判らないこともまだいくつかあるだろう。あわてて恋をつかんじゃだめよ。できるかぎり長くフリーでいなけりゃダメ。ママはそうやって私に言った。あちこち良く見て買い物するのよ。女は良く見るのよ」そういうような内容の歌詞ですが、スモーキー・ロビンソンならではという1960年のミリオンセラー、ミラクルズ「Shop Around 」。日本ではカーペンターズのカバーが大変有名であります。

そして、メアリ・ウェルズ。
メアリ・ウェルズは日本では殆ど無名でありますが、初期のモータウン、ダイアナロスとスプリングスが出てくるまではモータウンを背負ってたった看板女性シンガーでありました。
メアリ・ウェルズ、1961年のヒットナンバー「Bye Bye Baby」。

3曲続けてお届けを致しました。
普段は、この55分の番組、7、8曲しかかからないのを今日は倍かけようという根性ですから、もう大変な事でございます(笑)。

さて、お知らせの前に、もう2曲ほど、こうした初期のモータウン、モータウンが軌道に乗るまでのヒットソングをお聴きいただきたいと思います。

1959年に会社設立して2年足らずで全米No.1ヒットが生まれます。
当時の1960年代初頭のアメリカンポピュラーミュージック界というのは、いわゆる、先ほども申しましたがアイドルブームでありまして、特にガールグループ、ガールシンガー、カワイ子ちゃんシンガーが一世を風靡した時代でありました。モータウンもその例に漏れずに、ガールグループ、ガールシンガーがたくさんいたんですけれども、やはりNo.1ヒットはそうした中から生まれました。

マーベルズ。1961年の全米No.1。これもビートルズのバージョンで世界的に有名でありますが、それのオリジナルバージョンであります。「郵便屋さん、彼からの手紙まだ?」という「Please Mr.Postman 」という1曲であります。

続きましては「タムラレーベル」、そして「モータウンレーベル」に続きまして「ゴーディー」という3つ目のレーベルが設立されます。1962年のことでありますが、そこからの最初のヒット曲であります。
日本ではベーブ・クラーク・ファイブであまりにも有名なシングルであります。
いかにイギリスのミュージシャン達がモータウンを良く聴き、また良く演奏していたかというのが良くお分りになると思いますが、コントワーズという黒人グループの1962年、これも全米3位まで上がる大ヒットとなりました「Do You Love Me」。

2曲続けてどうぞ。

07_14:26 Please Mr.Postman (The Marvelettes)
08_14:27 Do You Love Me(The Contours)

1961年のNo.1ヒット、マーベルズの「Please Mr.Postman 」。そしてコントワーズの1962年全米3位まで上がりました、この曲はベリー・ゴーディーの作詞作曲とクレジットされております「Do You Love Me」。

2曲続けてお送りいたしました。

こんな具合に短期間にたくさんヒットが出るようになって、モータウンレコードがだんだん軌道に乗って勢力が大きくなってまいりました。
これには、それまでデトロイトには、そういう大きな形で音楽を制作していた団体というのが、どこにも無かったという背景があります。従いまして、ミュージシャンもスタッフも全部デトロイトなんですが、それまでデトロイトで、いろいろなところで群雄割拠(ぐんゆうかっきょ)という、そういう勢力が次第に集まってくる。ベリー・ゴーディーの傘下にだんだん集まってきて次第に大きくなっていうくという、そういう背景がございます。

デトロイトというのは黒人の比率が大きい街でありまして、そうしたソウル・ミュージックを生みだす土壌が十分に調整されていた、そうした60年代初頭、モータウンの生まれたころのお話でございます。

~CM~

(プレゼントお知らせ 割愛)

というわけで、ベリー・ゴーディーによって設立されましたモータウンレコード。ベリー・ゴーディーという人はデトロイト生まれで少年時代はボクサー目指してやっていたんですけども、あきらめました。

音楽が好きでレコード店やって失敗したり、いろんな事するんですが、やがてフォードの自動車工場で働きながらソングライターとしての仕事のチャンスをうかがっていく中で、ジャッキー・ウィルソン、シンガーと出会いましてジャッキー・ウィルソンのヒット曲をきっかけに他の人にも曲を書いて、それなりのヒット曲が出るようになったんですが、印税が全然入ってこなかった。

じゃ、自分で権利を管理しようと考えましてレコード会社を立ち上げた。このベリー・ゴーディーがモータウンに託した夢が全世界に拡大していくわけであります。

それまで、デトロイトというのは地場産業としての音楽業界という意味では、しっかりしたものがありませんでした。小さなインディー・レーベルがたくさんあったという、そういう、”そこ・ここ”で活動していたソングら―ターとかミュージシャン、そういう人たちが次第にモータウンという組織に結集あるいは、吸収されていくという、これが60年代前半の物語であります。

今日は第1回目でありますので、モータウンが全米から全世界へ飛翔する前夜の時代の作品の数々をご紹介しております。今まで、ずぅーっとメドレーばっかりでありましたので、ちょっと疲れますので1曲くらいは完奏してみようと思います。

後半の最初は初期のモータウンソングの中で私が一番好きな曲を聴いていただきたいと思います。
1963年、全米4位まで上がりました。
マーサ・リーブ & バンデラスで「(LOVE IS LIKE A) Heat Wave」。

09_14:34 (LOVE IS LIKE A) Heat Wave (Martha & The Vandellas)

設立して4年弱、ヒット曲も順調に生まれるようになりまして、だんだん組織が整理されて参ります。
モータウンはもともとインディ・レーベルでありまして、レコード制作、作曲、編曲、レコーディングといった現場の作業から、アーティスト・マネージメントとか、ツアーの管理、お金の管理、つまりレコードに関する全てを自分たちで賄おうという、そのような方針でベリー・ゴーディーが始めました。

それまでデトロイトの色々な場所で活動していたミュージシャン達もだんだんと集まって参りまして、ロックンロール、リズムアンドブルースですから、もちろん若い人ばっかりであります。
才能ある若いシンガー、ソングライター、そしてプレーヤー、そういう人材がだんだん集まって来まして、次第に音に一定の「型」というのが出てまいります。

我々が現在モータウンサウンドと呼んでいるのが、だんだんと確立されるようになって参りました。
63年あたりからの話であります。今、お聞き頂きました63年の全米4位にまで上がりましたマーサー&バンデラス、「Heat Wave」、これをお聞き頂きますと、我々がモータウンサウンドと読んでる原型が十分出来上がっていることが判ります。

スタジオミュージシャンも、だんだん演奏メンバーが固定して参ります。
中でも有名なのが、ベニー・ベンジャミンというドラマー、それからジェーム・ジェマーソンというベーシスト、アール・バンダイクというアレンジも担当していたキーボード・プレーヤー、それからすうにんのギタリスト、ブラス・セクションといった、この人達は後にファンク・ブラザースという総称を得るようになりますが、2004年に日本で公開されました「永遠のモータウン」という映画でですね、そのファンク・ブラザースの面々の色んな話を聴くことができます。

当時は全く、そういうクレジットも無かったので、匿名の中で演奏していた人達でありますが、そういう人達がモータウンサウンドの特色というのを、だんだん作っていくわけであります。

そんな1963年、13歳の盲目の黒人の少年が一人、モータウンレーベルからデビュー致します。
この少年は歌の他にもハーモニカがとてもうまい人で、やがて人気者になっていくわけですが、その音楽的才能はそれだけにとどまらずに、歌とハーモニカだけではなくて、後には天才的な作曲能力を発揮し始めまして、60年代、70年代、文字通りモータウンの顔となっていくわけであります。

リトル・スティービー・ワンダーという名前で最初はデビューを致しました。
弱冠13歳の全米No.1ヒット、スティービー・ワンダーの1963年の「Fingertips Part.2」。

そして、先ほどのメアリ・ウェルズがついに全米No.1を獲得致しましたのが1964年の話でありまして、全米No.1ソング「My Guy」。

2曲続けて、お聴きをいただきましょう。

10_14:39 Fingertips Part.2(Little Stevie Wonder)
11_14:40 My Guy(Mary Wells)

というわけで、ライブ・バージョン、ライブ・レコーディングで全米No.1になった初めてのシングルレコードだそうであります。このライブが録音されたときは12歳。
リトル・スティービー・ワンダー、1963年の全米No.1、「Fingertips Part.2」。

そしえメアリ・ウェルズの、これはもう我々の世代にはスタンダードナンバーでありますが、はっきりとモータウンの音になっております。1964年の全米No.1「My Guy」でございました。

そんな訳で、いよいよその後のモータウン全盛期を代表するアーティストが続々と出てまいります。
この人、モータウンの顔でありますが、70年代に入りますと、とりわけ誰にも真似のできない世界を構築した、ご存知マービン・ゲイ。

この人ベリー・ゴーディーのお姉さんと結婚したくらいですから、ベリー・ゴーディーと大変親しい関係でありました。ムーン・グローズのリードシンガー、ハーベイ・フークアに見出されましてモータウン入りをした人であります。

今回の特集のプレゼントとなっております「マービン・ゲイ物語」で是非バイオの詳細をご覧いただきたいと思います。

シンギング・スタイルという意味では、後のリズム&ブルースのシンガーに多大な影響を与えた人であります。いまだにミュージシャンの間ではマービン・ゲイNo.1という人がたいへん多い。
このマービン・ゲイの1963年の3作目のヒットソング、全米10位「Pride & Joy」。

そして、このグループもデトロイト周辺でずいぶん長いこと活動していたんですが、なかなかヒット曲がでなくてモータウンに移籍してきて、ようやくヒットが出たという。
その後は順調にキャリヤを重ねまして、文字通り名門中の名門ボーカル・グループ、ソウル・ミュージックを代表するボーカルグループでありますテンプテーションズ。1964年のデビューヒットシングル「The Way You Do The Things You Do」

2曲続けてどうぞ。

12_14:44 Pride & Joy(Marvin Gaye)
13_14:45 The Way You Do The Things You Do(The Temptations)

マービン・ゲイの1963年のトップテン・ヒット「Pride & Joy」。
そしてテンプテーションズ、1曲の中で全員がリードを交代して歌う、非常に革新的な、一人に1本のマイクがあてがわれまして、それを皆でマイクチェンジをして踊るという。ダンスはアメリカンミュージックで重要な要素なんですが、黒人ボーカルグループ分野に、歌とかダンスの概念を大きく進化させたテンプテーションズ。
1964年の記念すべきデビューヒットシングル「The Way You Do The Things You Do」という曲でございました。

有名どころが、そろそろ出てくる頃になりまして、いよいよモータウンがデトロイトの一インディーズレーベルから全米、そして全世界へ影響を及ぼしていく1964年という時代がやってまいります。

それまでは、わりとまだ50年代ブラック・ミュージックみたいな、泥臭いテーストも残っていたんですが、それがどんどんソフィストケートされていきまして、それで白人向けのマーケットにもどんどん食い込んでいって成功を収めるという、今日は、そういったモータウンの爆発的な成功を収める、その前夜のあらすじでございました。

1964年にひとつの女性グループが登場いたします。
それがモータウンのイメージをさらに決定づけていくという、その名はダイアナ・ロス&シュプリームス。
最初はシュプリームスから始まりまして、フォー・トップス、ミラクルズ、テンプテーションズ、キラ星のごとく大ヒットソングが登場いたします。

来週もお楽しみに。
というわけで、今日のモータウン特集・アーカイブス第1回目、これにてお開き。



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コメント

  1. misty より:

    この間はたまたま聞けなかったので助かります!あの時間の中でこれだけ喋り、音楽をかける、いつも以上に密度の高い放送だったんですね。音楽も聴けたらなぁ・・と無い物ねだり(^^;
    しっかり勉強して次回の放送の予習します。

  2. 9thNUTS より:

    mistyさん、こんにちは。コメントありがとうございます。

    「モータウンって何だろう?」私もよく知らない事が多いので、自分のためにテキスト化しておきたいと考えた次第です。
    音楽もお聞かせしたいのですが、残念ながら著作権の問題がありますので・・・・。
    ちなみに、このテキスト化自体も著作権に触れる可能性がありますので、ご指摘された場合は真摯に対応致します。
    しかし、弱冠13歳のスティービー・ワンダーの歌声は感動モノでした。
    こうやって、テキスト化してると判るのですが、番組台本がしっかり作り込まれているな~という印象です。