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山下達郎さん サンデーソングブック 2020年07月05日『初代ジャニーズの洋楽アプローチとアメリカ進出計画』(#1447)

山下達郎サンデーソングブック 

山下達郎さん サンデーソングブック 2020年07月05日『初代ジャニーズの洋楽アプローチとアメリカ進出計画』(#1447)

長崎市内は、7/4(土)は青空がひろがり、7/5(日)は曇ときどき小雨・・・
一方で長崎の近隣県である熊本県内で豪雨による甚大な災害が起こりました。
ニュース映像見るのが辛いです。

被災された皆さま、心よりお見舞い申し上げます。
一刻も早い日常への復帰を、心よりお祈り申し上げております。

今日のサンソン、初代ジャニーズの歴史を初めて知りました。
初代ジャニーズの米国レコーディング音源が全て発売されなかった理由とは・・

ということで、このブログでは山下達郎さんのサンデーソングブックのほんの一部をテキスト化しています。
誤字脱字は、ご容赦くださいませ。

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冒頭

達郎氏:

7月最初の日曜日でございますが。
今週も、今日もその週間予報を見ますと、やっぱり今週も一週間、雨がちで続くような感じでございますけれども。

梅雨でありますが・・
でも、梅雨というよりはですね、ほんとに、あの・・
本当にあの激しすぎるするという・・・

昨日なんか、風が強くてですね、台風かよっていう・・

で、水の被害が出ております。
南の方でございますけれど・・
また去年と同じかっていう・・・

本当に、被災された方が出て参りまして・・
本当にお見舞い申し上げます。
たいへんでございます・・

また雨が、そういう形でなって・・
それに加えて、相変わらずですね、ウイルスはですね、感染症がじわじわと増えてると・・・。

もう山のように、そういうようなですね、時節に関してですね、申し上げること、出てくるんですけども・・・

皆さん、考えてること、同じなので・・・
ですので、もう申しあげません。
こうなったら、ほんとうに・・
ですけど、毎週申し上げておりますけども、ワクチンできるまでの我慢なので。

ファイザーが、ワクチンの治験が始まったとか、そういう前向きなニュースも入ってきております。

ですので、本当に一人一人のですね、手洗い・うがい・マスク・・
自衛するしかありません。

で、やばいとこ行かないっていうですね。
そういう形でですね行くしかないので。
隣近所の人たちで助け合っていくしかないという・・
そういう感じでございます。

皆さんで引き続きですね、感染お気を付けください。

で、スタジオに戻って参りまして。
音の調整もですね、ほぼ、技術の丸山くんと結論が出まして。
テレワークと同等の音質でやれるようになりました。

だから、世の中無駄なものは何もない!
そういう感じでございますが。

7月入りましてですね、今週7月9日なんですが。
ジャニー喜多川さんの一周忌になります。

ジャニーさんが一番最初にジャニー事務所スタートされたのが、1962年で。
四人組のジャニーズというですね・・
初代ジャニーズと、我々は言いますけれども。

初代ジャニーズの結成でジャニーズ事務所が設立されて。
私、その当時、その初代ジャニーズが好きで、よく聴いておりまして。

1966年にジャニーズがアメリカへ行きましてですね。
ダンスのレッスン
ミュージカルの鑑賞とか・・
そういうの目的であったんですけども。

レコーディングをする機会に恵まれまして。
何曲か作品を録って来たんですけれど。

なぜなのか日本ではですね、発売するチャンスがありませんで。
その後、マスター紛失したり、いろんなことがありまして。
現存するマスターがありません。

大変残念なことなんですけども・・

でも、その中の曲がですね、後に他の人にカバーされて大ヒットしたりですね。
そういうような、先、枝葉が分かれまして。

そういうような、そしたジャニーズですね、その当時のレコーディングの歴史というものを、一度ですね特集してみたいと、ずっと前から思ってて。

色々と音源を集めたりですね。
そのカバーの作品を、いろいろと検証したりですね。
資料を、調べたり・・
ずーっとやって参りまして。

ちょうどジャニーさんの一周忌ですので、いよいよその機会が来たと考えまして。
今日はですね、そのジャニーズのレコーディングした現存する音源を中心に、そのジャニーズのレコーディングの作品をですね、是非とも皆さんにお聴きを頂こうと思います。

『初代ジャニーズの洋楽アプローチとアメリカ進出計画』という・・

なんか学術論文みたいなタイトルでお送りします。

非常にデータが錯綜しております。諸説もありますので。
私の知識と検索能力ですと、ちょっと力量不足なところもあるんですけども。
でも、音楽番組ですので、その音源についてのお話はできますので。

そういう意味では、日本でおそらく初めて電波になる音もあると思います。

そういう意味ではですね、ジャニースの一番最初の、初代ジャニーズの、そした、かかんなですね洋楽に対するアプローチを、少しでもですね、お聴き頂ければと思います。

山下達郎サンデーソングブック『初代ジャニーズの洋楽アプローチとアメリカ進出計画』

本日はですで、選曲は自信がございますけれども・・・
サンデーソングブックらしい選曲でございますけれども。
音質はですね、今日は本当に、ものすごく音の悪い(笑)ところからですね、音質補正して最大限の努力してやっておりますので。

最高の音質ではありませんけれども。
最高の音楽が、ここにお聴きをいただけると思います。

山下達郎サンデーソングブック、それでは今日も、お知らせの前はなしで、お知らせ挟みまして、早速始めます

~ CM ~

♪ Little Honda/The Johnnys

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初代ジャニーズ

というわけで、ジャニー喜多川さん、7月9日で一周忌を迎えられますので。
ジャニー喜多川さん追悼の意味で。
今日は、初代ジャニーズ。

ジャニーズの一番最初のグループ、四人組ですけれども。

あおい輝彦さん
飯野おさみさん
真家ひろみさん
中谷良さん

この4人の初代ジャニーズの、洋楽アプローチとアメリカ進出計画と題しましてですね、ジャニーズの海外レコーディングの音源をですねお気をいただきつつ。

そこの枝葉をですね色々とご説明したいと思います。

ジャニーズが形成されましたのは、1962年ですけれども。
ジャニー喜多川さんは、アメリカでお生まれになりまして、朝鮮戦争の時に日本へやって参りまして。

今の代々木公園と NHK のある場所にありましたワシントンハイツという、旧陸軍のですね場所ですけれども。

そこで、子供たちを集めて野球チームを作っておりまして。
そこから選ばれた四人がですね、ウエスト・サイド・ストーリーを観に行って。
それ感化されまして・・・

そういうの自分たちもやりたいって。

その4人のマネージャーとなりまして、ジャニーズ事務所を設立して、活動を始めたのはジャニーズで一番最初でございます。

その当時はですね、歌いながら踊る若い子というのは、そんなにいませんで。
ダンサーはダンサー、歌手は歌手という、そういうものだったんですけども。

それが、両方やるという・・アメリカンスタイルですけれどんもですね。
それの一番最初のアプローチでありました。

当時の、いわゆる歌謡曲・・
御三家なんて言われましたけど・・

橋幸夫さん
舟木一夫さん
西郷輝彦さん・・

そういうような、いわゆる既成の歌謡曲ではなくて、洋楽アプローチという・・
和訳ポップスですね、和製ポップスなんていいますけども。

そういうようなものを中心に、最初は活動をしておりました。

今、お聴きをいただきましたのは、ビーチ・ボーイズの「リトルホンダ」
アメリカでは64年に、ホンデルズのヒット曲としてベスト10になりました。

ホンデルズがヒットしましたので、本田技研工業がすね、プロモーション用のソノシートを作りまして・・・
リトルホンダのですね。

ソノシートというのが、1曲目がビーチボーイズの「リトルホンダ」で、2曲目が今お聴きいただきましたジャニーズの日本語歌詞の「リトルホンダ」

作詞 安井かずみ
作曲 ブライアン・ウィルソン
演奏 寺内タケシとブルージーンズ
という・・やつでございますけれども。

これにリ、トルホンダのブックレットに、これが挟まれまして。
裏面の解説は、高崎一郎さんがですね、書かれたです64年の販促物でございますが。

前にも1回サンデーソングで、かけたことがございます。

こういうようなのが、ジャニーズの活動ですけれども。
64年にレコードデビューをします。
「若い涙」という、これがデビュー曲ですけれども。

本当はですね、邦楽作品も紹介するべきなんですけれど、時間がとてもありませんのと・・
あと、作品がほとんど CD 化されてないです。

そうした芸能の裏面史という、そういうものにはですね、あんまり興味ないので。

CD出荷して欲しいんですけどね・・
名曲たくさんあるんですけど。

のちほど申し上げますけれど・・

まずは、このリトルホンダで始めまして。
テレビのバラエティーショーの時代でしたので、テレビのバラエティーショーにたくさん出まして。
だんだん人気が出てきまして。

1965年に紅白に出ます。
「マック・ザ・ナイフ」を歌いますけれども。

その時に、私の母親と父親が言ったセリフがをすごく覚えてんですけどね・・

「なんだ、こんなんなんか若造が「マックザナイフ」歌うのか」
というですね・・・

それが当時の、我々の父母の世代のですね、40ぐらいの人たちの意見だったんですけどでも。

でも、彼らは何を聴いたか・・
うちの父母は、ルイ・アームストロングを聴いたのか・・
ディーン・マーチンかな・・
サミー・デイビスかな・・
そんな感じがしますが。
それちょっと余談ですけれども。

Autumn Afternoon

達郎氏:

で、66年に、勉強のために渡米をするという。
アメリカへ行って、ダンスのレッスンとそれからミュージカルの鑑賞・・
そういうようなことを、するんですけども。

偶然にも、レコード・プロデューサーでありますレーベル、ヴァリアントのオーナーでありましたバリー・デヴォーゾン・・

これ、あの・・私の番組のリスナー方でしたら、お馴染みのございますけれども。

日本でバリー・デヴォーゾンつったら、コマネチのテーマね。
バリー・デヴォーゾンとペリー・ボトキン・ジュニア・・レンジャーですが。

後は スワット
リズム・ヘリティジ・・・あれの作曲とか。

バリー・デヴォーゾンはとにかく、ヴァリアントそのままワーナーに売却されますので。
宮治淳一さんの、ロック・ナゲッツにたくさん入っております。

宮地さんが来た時に、また面白い話を、お聞きをいただきますけども。
ちょっと話が長くなってすいません。

そんなわけで1966年の8月に渡米しまして。
レコーディングの機会に恵まれまして、レコーディングすることになります。

全部で16曲と言われておりますけれども。
現存する曲は9曲であります。

今日はそのうちの5曲ほど、お聴きいただきたいと思います。
全て1966年、アメリカはロサンゼルスでのレコーディングであります。

まずは「オータム・アフタヌーン」という曲を、お聴きをいただきましょう。

先ほども申し上げましたけども、音悪いです。
すいません。
それはご勘弁ください。

歴史的な録音ですので

♪ Autumn Afternoon/The Johnnys

ザ・ジャニーズ
初代ジャニーズ1966年の 「autumn afternoon」
いい曲ですね。

曲を作っておりますのはアドリシ・ブラザーズ
ドン・アドリシ & ディック・アドリシ、名曲たくさんございますけども。

ヴァリアントに特にたくさん残しております。

一番有名なのは、ご存知「ネバー・マイラブ」でございますけれど。

Autumn Afternoon/Teddy Neeley

達郎氏:

この Autumn afternoon ジャニーズのバージョンが発売されませんでしたので、後に曲がですね、売られまして。

他の人がやっているバージョンが出ました。

テディ・ニィリィという・・・
俳優、シンガーでございますが。

一番有名なのがのジーザス・クライス・スーパースターの映画の主演でございますが。

この人の1967年、翌年に出ました「オータム・アフタヌーン」
これはプロデュースしているスティーブ・ダグラス。

アレンジしているのが、ペリー・ボトキン・ジュニア
バリー・デヴォーゾンのパートナーですね。

で、スコアが同じですけど、演奏は違うような気がします。
イントロの・・からボワ~ッとドラムに入るところとかは、アレンジが同じですけれども。楽器が若干違う感じがしますが。
翌年のテディ・ニィリィ「オータム・アフタヌーン」を頂きましょう

♪ Autumn Afternoon/Teddy Neeley

お聴きをいただければわかりますが、アレンジがほぼ同じです。
ですので、ジャニーズのバージョンもですね、ひっとしたらペリー・ボトキンがやってるのかもしれません。
スコア書いてるかもしれませんが。

資料が全くございません(笑)

作曲者だけはっきりしております。

Autumn Afternoon/The Association

達郎氏:

実はですね、1967年にアソシエーションもこの曲レコーディングしてるということがですね2011年に出ました Association のアルバムのボーナストラックに、これが収録されていて。

アドリシ・ブラザースのコメントが載ってることで判明しましてですね。
これも一節をいただきましょうアソシエーション autumn afternoon

♪ Autumn Afternoon/The Association

Never My Love/The Johnnys

達郎氏:

そんなわけで、1966年の初代ジャニーズの LA レコーディングでですね・・
もっとも我々の間で、伝説的に語り継がれておりますが「ネバー・マイラブ」をレコーディングしたという・・

「ネバー・マイ・ラブ」は、先ほどの曲と同じようにアドリシ・ブラザースの作曲になりますが。

ドン・アドリシ & ディック・アドリシは、自分たちでアドリシ・ブラザースで一回出したんですけど、80何位ぐらいのチャートアクションで。

で、このジャニーズのレコーディングに繋がっていくわけです。

記念すべき「ネバー・マイ・ラブ」 のジャニーズレコーディングソースです

♪ Never My Love/The Johnnys

わりとあっさりしたアレンジでありますね。
たぶん、アルバムの中での曲で・・

シングル狙いじゃない、かなっていう・・・

そゆいう感じがいたします。

これが、翌年1967年、アソシエーションのところへ持ち込まれまして。
大ヒットソングとなる「ネバー・マイ・ラブ」にかわるわけでございます。

♪ Never My Love/The Association

I Remember/The Johnnys

達郎氏:

このジャニーズのですねレコーディング作品、全部お蔵入りになったかと思いきやですね、実は、アメリカで発売されている曲が2曲あります。

シングル盤として発売されたんですけども。

先ほど申し上げましたみたいに、このジャニーズのレコーディングをセッティングしましたバリー・デヴォーゾン・・

この人の持っていたヴァリアントというレーベルが、アソシエーションもデビューしましたレーベルですけども・・・

このレーベルをですね、67年に、ワーナーに売却します。

ワーナーはその大量のカタログが入ってきましてですね。
そん中でもアソシエーションに目をつけて、ワーナーに移籍して、ヒットもさらに大きくなるんですけれども。

そういう関係で、ヴァリアントのカタログが、何枚かですね・・
ワーナーのレーベルとして発売される。

その中に、ジャニーズが一枚入っております。

1967年のことですけれども。
そのシングル盤からお聴きをいただきますので、この曲と次の曲だけ、音が非常に良くなります(笑)
すいません(笑)

こちらの方がA面扱いになっております。
「アイ・リメンバー」という曲を。

♪ I Remember/The Johnnys

67年にワーナーからリリースされました、ジャニーズのシングルの A 面扱いでございますが・・・
I remember という。

なかなかのハーモニーで、ございましょ?

お知らせを挟みまして、裏面をお聴きをいただきますけれども。
こちらのも、なかなか良い出来でございます。

~ CM ~

来週

達郎氏:

ジャニー喜多川さん一周忌追悼の意味を込めまして、『初代ジャニーズの洋楽アプローチとアメリカ進出計画』と題しまして、一番最初のジャニーズ4人組の66年の海外レコーディングのソースをですね、お聴きを頂いております。

来週もやります。

来週は、ここの延長でですね・・
今日、は現存してる9曲のうち5曲を、おかけしますけど。

来週は、またそれの違う曲。

それで、フォーリーブスも同じトライでですね・・
海外レコーディングをしておりますので。

そこまでいって、みられればなと思っております。

でもまあ、ジャニーさんご存命でしたですね・・・

「達郎さん、そんなにならなくていいよ」
とか言うんですよ(笑)

ジャニーさんは、あのぉ・・有名な話で「Youね!」と、そういうあれですけども。
我々には、絶対にそういうことは言いません。

ちゃんと名前で呼んでくださいます。

Nothing Sacred/The Johnnys

達郎氏:

それで、先ほどの I remember とシングルのカップリングに入っております。
こちらの方がこの現存テープを知ってる人間の中では、評判がいいんですけれども。

「Nothing Sacred」という1曲でありまして。

曲を書いておりますのが、ボディ・チャンドラーとエドワード・マッケンドリという・・

この二人は、一番有名なのは、カスケーズの「ラスト・リーフ」
「悲しき北風」ですかね。
それが一番有名でございますけれど。

アレンジもボディー・チャンドラ、プロデュース・クレジット書いてませんけど、多分バリー・デヴォーゾンでしょ。

♪ Nothing Sacred/The Johnnys

Visit/The Johnnys

達郎氏:

初代ジャニーズのレコーディングで、最もですね我々がインパクトがあったのは、「ネバーマイラブ」もそうですけれども。

次にお聴きをいただく「 The visit」 という1曲でありまして。

これが、やはり翌年にですね、「サークル」・・・レッド・ラバー・ボールの「サークル」ですけども・
サークルの2nd アルバムの「ネオン」ってアルバムがあるんですけども。
これに収録されることになりまして。

こちらジョン・サイモンがプロデュースして、やってるやつですけれども。

この「ネオン」っていうアルバムはですね、細野晴臣さんがお持ちで。
大瀧さんが必死になって、それ探して・・・

我々も、それを聴かされて。
この「ビジット」って何ていう曲だろうってですね。

それで、必死になって探して。

なんとこれがですね、ジャニーズがレコーディングしていたという・・
その後で知ることになりまして。
それで私は猛然とですね、このジャニーズのここのレコーディングに興味を持って、今までずっと、音を探し続けてきましたけれど(笑)

そういうことで、御託は時はともかく。
そのジャニーズの the visit

♪ Visit/The Johnnys

今の人が聴くと、いわゆるソフト・ロック範疇でございますが。
でも、ちゃんとハーモニーも綺麗ですしね。

で、これを翌年サークルがカバーしたアルバム「ネオン」に収録されております the visit も聴いていただきましょう。

♪ ヴィジット/サークル

ザ・サークルのバージョンの the visit をお聴きをいただきました。

採算申し上げておりますけれども、今日のジャニーズの音源はですね、音が本当に悪いんですけども・・・
これしかございませんので現存してるのですね。
ご了承ください。

この visit という曲もボディー・チャンドラ、エドワード・マッケンドリという、先ほどのあの I remember という曲のコンビと同じ作曲ですけども。

ボディー・チャンドラとかバリー・デヴォーゾンも、特集したいんですけど・・
なかなか機会がございません。

できればいいかなって・・

米国で発売されなかった理由

達郎氏:

こうしたジャニーズの、この66年のですねレコーディングが、何で発売されなかったことに・・この諸説ありましてですね。

アメリカでは、やっぱり英語の発音に問題があったという見解が大多数なんですけど。

でも、今の耳で聞くと、それほど問題なんじゃないかっていう感じもいたします。
よくハモってますしですね。

あおい輝彦さんの声も、滑らかでとってもいい表現だと思うんですけど・・・

まあでも一言で言いますとですね、早すぎたんですね。
特に日本では。
66年ですから。

ドルが360円でした。
アメリカへ行くのには、500ドル以上持ち出せないっていう・・

500ドルというと360円ですから、18万円ですね。
当時のサラリーマンの66年のサラリーマンの初任給が4万円とか4万5千円とか、そういう時代ですから。

それでもそれしか出せなかったっていう・・
そういう、あの時代にアメリカ行ってですね、ましてやレコーディングするとか、そういうのは本当に大変なことでありまして。

かろうじて、まだ音が残っているというのは、幸運であります。

それが、少しでもですね・・
こうやって、お届けできるというのは、ラッキーでありますけれども。

来週も引き続き、そんな感じでやってみたいと思います。

フォーリーブスの、海外レコーディングもなかなか面白い音源がたくさんありますので。
そちらの方も、お聴きを頂ければと思います。

ジャニーズ伝説/A.B.C-Z

達郎氏:

で、私も今日申し上げてきましたこの初代ジャニーズの歴史に関して、ご興味お有りでしたら、2010年代に入りましてA.B.C-Zの皆様ですね、「ジャニーズ伝説」という日生劇場でやっておられます舞台がですね、DVDになっておりますので。

「ジャニーズ伝説2017」が一番詳細かな・・・
それをご覧になりますと、今日お聴きをいただきました「ネバー・マイ・ラブ」の部分とかですね、そういうのも聞けますし。

あおい輝彦さんが、ご自分でナレーションをされている部分もございますので。
興味ある方は是非どうぞ。

エンディング

達郎氏:

初代ジャニーズ洋楽アメリカ進出計画としてお届けしました。
今日の最後は、その渡米する直前にレコーディングされました TV版のバットマン。
これの主題歌を、ジャニーズがシングルカット致しました。

バックが、ブルーコメッツでありまして。
先ほどの、ブルージーンズのリトル・ホンダと違う、また味があります。
これ1966年のレコーディングでございます。

♪ Batman/The Johnnys

今週のオンエア曲

14:06 Little Honda/The Johnnys
14:13 Autumn Afternoon/The Johnnys
14:17 Autumn Afternoon/Teddy Neeley
14:20 Autumn Afternoon/The Association
14:23 Never My Love/The Johnnys
14:25 Never My Love/The Association
14:29 I Remember/The Johnnys
14:35 Nothing Sacred/The Johnnys
14:39 Visit/The Johnnys
14:41 ヴィジット/サークル
14:46 Batman/The Johnnys

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