山下達郎 OFFICIAL SITE

山下達郎さん サンデーソングブック 2020年07月12日『続・初代ジャニーズの洋楽アプローチとアメリカ進出計画+フォーリーブス』(#1448)

山下達郎サンデーソングブック 

山下達郎さん サンデーソングブック 2020年07月12日『続・初代ジャニーズの洋楽アプローチとアメリカ進出計画+フォーリーブス』(#1448)

長崎市内は、先週から雨が続いています。
これからの1週間も雨の天気予報で、もう雨は勘弁して・・。

今日のサンソン、あらためて現代ジャニーズのルーツを知ることができました。
日本人の海外進出の難しさは、昔も今もきっと変わらないんでしょうね。

ということで、このブログでは山下達郎さんのサンデーソングブックのほんの一部をテキスト化しています。
誤字脱字は、ご容赦くださいませ。

スポンサーリンク

冒頭

達郎氏:

水害が・・今雨の被害が出ております。
九州地区それから岐阜、長野、中部地区もですね被害が出ております。

今週の週間予報を見ましたら、また雨がちの全国的なですね、予報が出ておりまして。

この番組、直近で、最近はですね、なるべく録っておりますけれども。
それでも、1日2日でですね、情勢がすごく変わるという・・・
非常に来予断を許さない天候状況でございます。

被災された皆様、心よりお見舞い申し上げます。

こういう時は、テレビ、ネットよりもラジオの方がですね、有効なメディアである場合もありますので。
私の番組は、音楽番組ですので、そうした具体的なことはできませんけれども。
少しでもですね、心の癒しに使っていただければと思っております。

ハガキを復活しましたので。
久しぶりに、ハガキがたくさんいただきました。

札幌市の超常連、S.Eさん。

『久しぶりにハガキを書くので、手が震えています。』
ゆっくりやってください(笑)

本当に、ウイルス騒ぎの中で、またこの水害騒ぎ・・大変でございます。
本当にあの・・いろいろと・・
年寄りなので、申し上げたいことは、たくさんあるんですけども。
それだけで時間が経ってしまいますので(笑)

本来、この番組の本意では、ございませんので、今日は、触れませんけれどもでも。

毎週申し上げておりますようにですね・・
自分で自分の身を守るという・・・
うつさない、
うつされない、
それで、親類、友人、隣近所でですね、助け合って、みんなで頑張ってまいりましょう。

で、先週ジャニー喜多川さんの一周忌でございまして。
『初代ジャニーズの洋楽アプローチとアメリカ進出計画』
長ったらしいですね、プログラムでお届けしましたが。

大変ご好評いただきまして。
私が想定していたよりも、はるかに大きな反響をいただきました。

たくさんメール、お便りを頂きまして。
そもそも初代ジャニーズご存知ない若い方、それからジャニーズ聴ていた私と世代の方々・・・
色々な方から、色々な反響を頂きました。

気を良くしております。

今週は、それの続編でございます。
『続・初代ジャニーズの洋楽アプローチとアメリカ進出計画+フォーリーブス』
と題しましてですね・・

先週、お届けいたしましたジャニーズの5曲でございますけれど・・
先週お聴き頂きました5曲は、作曲者それからレコーディングもそのデータ。
それから例えば、そのその後に曲が売られてヒットした・・・そうした経緯ってのがはっきりしてる曲だったんですけども。

今日、お聴き頂きます4曲がですね・・
私、二十数年間調べておりますけども、版権が全くはっきりいたしません。

誰が書いたかという・・まず作曲クレジット。
そして、これがジャニーズの録音で終わったのか、他に流れたのかも、一切はっきりしない4曲でありますけれども。

作品的には優れておりますので。
この残りの4曲、おそらく日本で初オンエアだと思います。
というか、世界で発オンエアでございます。

史上初オンエアかと、思います。

前半は、続・初代ジャニーズの1966年のレコーディングをお聴きをいただきつつ。
後半はですね、その後、ジャニーズが解散した後ですね・・
フォーリーブスが同じトライアルをするんですが。

やはり、海外でレコーディングしてレコード発売するという・・・
トライアルをしておりますので。
それをお時間まで、お聴きを頂きたいと思います。

山下達郎サンデーソングブック、日曜日の午後のひととき、先週に引き続きまして
『初代ジャニーズの洋楽アプローチとアメリカ進出計画』の続編・・

『続・初代ジャニーズの洋楽アプローチとアメリカ進出計画+フォーリーブス』

ジャニーさんの一周忌でございますので、そうした、先週今週2週間お届けすることにいたします。

今日も先週と同じでございまして、音源が非常に音が悪いです。
できる限りの補正をしておりますけれども、ご了承いただきたいと思います。

最高の音質ではありませんけれども、最高の選曲でお届けします。
山下達郎サンデーソングブック
それでは今日もお知らせ挟んで、早速始めたいと思います。

~ CM ~

スポンサーリンク

That’s When Happens

達郎氏:

先週に引き続きまして、ジャニー喜多川さん一周忌の特集でございまして。

初代ジャニーズの洋楽アプローチとアメリカ進出計画の続編+フォーリーブスの海外アメリカ進出のトライに対してのですね・・・
ご説明しつつ今日は、55分間お届けしたいと思います。

先ほども申し上げましたみたいに、今日はそのジャニーズの1966年のロサンゼルスでのレコーディングの、残りのものをご紹介したいと思います。

先ほど申し上げましたみたいに、この4曲は完全に私・・作者も分からなければですね、録音した音が大変の音質の悪い状態ですけども、残っているというですね・・・

戦前のサイレントムービーのような・・
そういうような感じです。

あくまで完パケ・オケではないんですね。
途中の仕掛だと思われます。

完全なミックス・ダウン終わった程度でもございませんけれども。
曲の感じは、よく伝わってきますので・・

今日は、その残りの4曲をお聴きいただきたいと思いま。
すまずは短めの曲から。

「That’s When Happens」

というタイトルの曲。
ザ・ジャニーズ 1966年のレコーディング。

♪ That’s When Happens/The Johnnys

「That’s When Happens」
初代ジャニーズの1966年のレコーディングでございます。

先週も、お聴き頂きました、例えば「Never My Love」ですとかですね・・
サークルのヴィジットとか・・
そういうようなものオリジナル・バージョンとしてのジャニーズの録音に、非常に皆さん驚きを持ってですね・・

特にお若い方はですね、本当にソフトロックですごいなーっていう・・
あれなんですけども。

ジャニー喜多川さん自身はですね、多分このアプローチに、わりとこう・・カルチャーショックを受けたと言いましょうかですね・・

すごく新しい・・当時は音作りの捉え方で・・
今、我々もソフトロックと呼んでますけれども。

66年ですから、ベトナム戦争が激化はじめた時に、そした Middle of the road Music がすごく流行りかけていた時代の、この後に、たとえばフィフス・ディメンション、アップ・アップ・アンド・アウェイとかですね。
それこそアソシエーション・・いろんなもの出てきますけども。

そうした中の・・ま、バリー・デヴォーゾン・・
そうした割とリーダーシップとってた人なので。

だけど、ジャニー喜多川さん自身はですね、あのウエスト・サイド・ストーリーが好きで。ですので、ひと世代前の方なので。

どっちかいったら、ロカビリー以前のビング・クロスビーとかフランク・シナトラとかフレッド・アステアとか、そういう人たちが、ジャニーさんにとっては憧れだったので。

最終的なジャニーズ4人組ですけれども、あの4人のそうやって歌って踊れるボーカル・グループという形で、例えば、あわよくばラスベガスに進出することとか・・
そういうようなことを目論んでたんですけど。

そういう視点から見ると、こうした音楽がですね、わりと、もっと新しい・・
そういうことで、ジャニーさんに伺ってみたかったんですけど。
なかなかこう・・お話を濁される(笑)
そういう感じでございますが(笑)

Tell Her I Love Her/The Johnnys

達郎氏:

ちょっと話が長くなりましたが。
もう1曲。

お次は「テル・ハー・アイ・ラブ・ハー」というタイトルが付けられたザ・ジャニーズのレコーディング。

♪  Tell Her I Love Her/The Johnnys

「Tell Her I Love Her」という曲でございました。

おそらく4トラック・レコーディングだと想像できますが。
よくハモってます。

4トラックですから、そんなにダビングが、たくさんできるわけでもありませんのでですね。

ちゃんと歌のトレーニングされているという・・感じでございますが。

ラスベガスに持っていきたい

達郎氏:

ジャニー喜多川さんは、そういうわけで、どちらかと言うと、そうしたロックン・ロールより前の音楽に愛着がある方で。

エルヴィス・プレスリーの話とか、そういうロカビリー関係の話を伺ったことがありませんので・・

ですのでジャニーズでしたらフォー・エイセスとかですね・・・白人四人組のボーカル・グループ・・そういうようなものに、踊りをつけたものを、ラスベガスに持っていきたい・・とか、そういうような計画だったんではないかと、僕は想像しますけれども。

当時の状況からすると、こうしたボーカル・グループがですね、そういうロックン・ロールの世界で生きていくというのは、まだ、それほど確証がないという時代で。

例えばフォー・シーズンズもですね、最終的には、ラスベガスに行くつもりで、62、3年、4年ぐらいまでやったんですけど。
ロックン・ロールがいき流れていったので、そっちの路線でずっと続けることが可能だったというですね・・・

なんたってフランキー・ヴァリという、名前はですね、今本名はフランチェスコ・カステルッチオっていうんですけど。
お母さんが、フランクシナトラのファンなんで、フランクってつけたんですけれども。

そういうような時代ですから。
ですので、そういうような状況だという背景があります。

Love’s Breakin’ Thru/The Johnnys

達郎氏:

この次の曲が、僕、すごく好きな曲で。
ラブズ・ブレイキング・スルーというタイトルの1曲

♪ Love’s Breakin’ Thru/The Johnnys

アメリカで受け入れられなかった理由

達郎氏:

先週も申し上げましたけども、こうしてアメリカ進出・・
あまりも早すぎてですね。
特に、日本ではなかなか受けられなかったっていうのがありますけども。

アメリカでは、これが、どうしてリリースされなかったという・・
これもま早すぎたと言いましょうかですね・・

一番大きな原因は、一言でズバリ申し上げて、人種差別です。

レコード会社は、当時、いわゆるディビジョンていましてですね・・
販売経路ってのありますが。

白人の音楽は、白人のルートで販売しますし、黒人音楽は黒人枠のルートで販売しますし。

ヒスパニックのスパニッシュとかそういうものは、またそういうルートで販売しますので。

日本もしくは ジャパニーズ 日系の人がやってる音楽は、だいたいハワイくらいしか、マーケットがないんですよね。
で国内発売は、ほぼない、という・・・
そういう時代でありましたので。

今でもですね、そういうアメリカ進出、あれする人はいますけども。
最近は少なくなりましたけど、金だけ払って逃げられるという・・・

出してやると言って、結局出なかった・・みたいな、そういう・・
で、プロモ盤だけある、とか。
そういうのはですね、結構あります(笑)

ですので、坂本九さんの「すき焼き」なんていうのは、あれは本当に偶然の産物でありまして。

奇跡のような産物であります。

ですので、まあ、それを夢見て、みんなトライするんですけど。
なかなか、やっぱり60年代ですと、うまくいかないっていう・・・

でも作品的には、これだけのものが、できたというのはですね・・・
なかなか、やっぱり歴史に残る成果だと、私は思いますけれども。

You’re Near Me/The Johnnys

達郎氏:

そして最後の、今日お聴きを頂きます、その未発表曲の最後の1曲。
「 You’re Near Me」

♪ You’re Near Me/The Johnnys

初代ジャニーズ、1966年のレコーディング「You’re Near Me」という1曲でございました。

これで先週の5曲と合わせて、今現存してる全9曲をお聴きをいただきまして。
これ、アルバムになったら面白かったなと思いますけどね(笑)
でも歴史のいたずらでありますけども。

中学3年の夏、ジャニーズの皆さんにお会いしたことがあります

達郎氏:

実は、私、ジャニーズの皆さんとですね、お会いしたことがあります。
中学生の時なんですけれど。

1967年のことですが。
文化放送に『ハロー・ポップス』という電リクの生番組ありました。
土井まさるさんの司会ですけれども。

それに、中3だったんですけどですね・・
ハガキ出すとオブザーバーって形で、ようするに視聴者が参加できるんですね。

そのリクエストの様子、電リクがですね、いろいろまわってる様子をですね、見学できて。それで、生電リクが終わった後にですね、ゲストのコーナーってのがありまして。

こういう、ちっちゃなスタジオに5、6人のそうしたオブザーバー連れてかれまして。

ちょうどその日が、ジャニーズだったですよね。
でも、僕、66年だか7年にですね、ジャニーズのバラエティ番組があるんです・・
たぶん日テレの「ジャニーズナインショー」か「ジャニーズセブンショー」か・・
その辺だと思ったんですけど。

そこでかかった1曲が、すっごい好きな曲があって。
「愛しちゃダメ」ってタイトルで。

メロディ、まだ覚えてるんですけど・・・

♪~あの時から君が好きだよ ダーメ 愛しちゃダメ~

そういうやつですね。
それが、すごく好きで。

何か質問がないかって言われて。
『「愛しちゃダメ」って出ないんですか』って、言ったらですね・・

たぶん、真家ひろみさんだと思うんですけども・・

『あれは、もう出ないんだよ』って。

たぶん、その時に、もう解散が決まってたんですね。
それが僕中学の3年の夏の話で・・
67年の夏の話ですね・・・
それすごく印象に残っておりまして。

でも、ジャニーズの音楽がですね、その時、自分の心にすご響いたので。
その後、こうしたジャニーズの初代のレコーディングのですね、66年のレコーディングのこうした話題を、情報っというのが、少しずつ流れてくるようになって。

実際に、こうして音が流れてですね・・・

やっぱ、すごいこと、やってたんだなというですね。
果敢な、アメリカ進出したという・・
そういうような、今年すごく印象がありまして。

いつか、それを特集してみたいと思いまして・・
ようやく夢が叶いました。

そういうわけで今日の前半は、『初代ジャニーズの洋楽アプローチとアメリカ進出計画の続編』でお届けしましたが。

お知らせの前に、お聴きをいただきますのは、あおい輝彦さんが1976年の10月4日、中野サンプラザでのリサイタルで歌われた「ネバー・マイラブ」

♪  Never My Love/あおい輝彦

~ CM ~

TATSURO YAMASHITA SUPER STREAMING』

達郎氏:

今日は、大切なお知らせがございます。

数日前に発表になりましたので、ご存知だと思いますけれども。
このたび、私もですね、初めて動画配信サービスを使ってライブ映像をストリーミング配信することになりました。

以前から、色々と計画はしていたんですけれど。
こうした時代になりましたので、ちょっと早く実現することになりました。

私、この番組のお聴きの皆様でしたら、よくご存知の通り、自分のライブ映像をですね、映画館とライブハウス以外に公開したことありません。

テレビでも、のっけた事がありません。

ですが、今回のこのウイルス騒ぎでですね、このエンターテイメント業界、非常に深刻な危機であります。

ライブ、どんなやりたくてもやれないという・・
そして、それが今んとこ、いつまで続くかわからないという・・・

ですので、再びライブができるようになるまでの間に、違う可能性を模索しなければなりません。

ですので、それならばインターネットを介して、バーチャルライブ いわゆる動画配信サービスを使って、リアル・ライブ体験に、どういう具合に肉薄できるか・・
どこまで再現できるか・・・

というようなことですね、やっぱり、やらなければならないと。
私も挑戦してみようと思い立ちまして、始めることにいたしました。

題して『山下達郎スーパーストリーミング』

っへへ(笑)
すごいなこれ!

バーチャル・ライブというのはですね・・・
いろいろなファクターがあるんですけど。

一番私の重要視したのは、音質のクオリティです。
あとは配信パス、セキュリティーですね。

あのダビングをされて、またそれをですね・・
あの YouTube にあげられるとか・・
そういうことが、すごく僕は疑問があるので。

そういうことが、なるべくできないようなシステムは、ないかという・・
そういうなことを、ずっと模索して参りまして。

ちょうど、私のライブのプロジェクションをやってもらっておりますミュージック・スラッシュというプロジェクトがありまして。

ここの人たちが、ちょうどそうした音質クオリティとセキュリティが非常に強固な・・
システムというの構築してくれまして。

そこの力を借りて、やってみたいと思います。

で、配信の日時なんですけども。
再来週の木曜日7月30日 木曜日
午後8時 20時から21時10分まで70分のライブを配信する計画でございます。

このチケットの購入受付を、本日この番組終了後、15時から開始いたします。
内容など詳しくは山下達郎オフィシャルサイトにてご確認ください。

よろしくお願いいたします。

なお、これミュージック・スラッシュ・・
そのプロジェクトの方から伝えてほしいとの業務連絡でございますけども。

これミュージック・スラッシュの方針でありまして。

ミュージック・スラッシュでは、見逃し配信はいたしません。
アーカイブも残しません。

これは、リアルライブに近づけるという思想でありまして。
そのための高音質でありましてですね。

普通にライブを見るという・・
それと同じ、なるべくそれに近づく体験をしていただきたい、ということなので。

例えばポーズができないとかですね・・
繰り返し見れないとか・・

本当の実際のライブはポーズ出来ませんし(笑)
繰り返して見れませんので(笑)

そうした一期一会のですね、緊張感というのを重視するというのは、このミュージック・スラッシュのプロジェクトの目的であります。

その目的を実現するために、チケット販売数にあわせて配信環境を最適に構築準備すると言う必要がありますので、前売り券のみ7月24日の金曜日18時までの受付となっております。

当日券の発売等はありません。

つまり、ようするに最初から配信と言いましてもですね、同じネット配信と言っても、発想が違うということをご理解いただきたいと思います。

私、この発想に非常に賛同することがありましたので。
このミュージック・スラッシュで最初の私のネット配信を始めようという意思を固めました。

『TATSURO YAMASHITA SUPER STREAMING』 By MUSIC/SLASH

よろしくお願いします.

ネットでの配信ですので、チケットご購入前にですね、ご自身の視聴環境で視聴可能かどうか、必ずご確認のうえご購入ください、とのことです。

こちらも先ほどの私の山下達郎オフィシャルサイト ここに MUSIC/SLASHのリンク貼ってございますので、併せてご確認ください。

7月30日 木曜日 20時からの『TATSURO YAMASHITA SUPER STREAMING』でございます。

何卒奮ってご参加ください。
よろしくお願いします。

なにしろ、初めての試みで、こっちのシステムも初めての試みですので。
試行錯誤、色々とあると思いますので、少しずつ改善していけばという・・
その皮切りでございますので、あわせて宜しくお願いします。

Chotto Matte Kudasai(ちょと待て下さい)/Four Leaves

達郎氏:

さて、そういうわけで・・
今日は『初代ジャニーズ洋楽アプローチとアメリカ進出計画 続編 プラス フォーリーブス』とタイトルかかっておりますけれども。

ジャニーズ解散した後にですね、フォーリーブスが同じような感じでアメリカの LA でですね、レコーディングをしまして、そのソースが残っております。

ジャニーズの先週お聴きをいただきました、シングルとして発表されたもの・・
それから、このフォーリーブスのシングルは、確かにアメリカで発売されております。
ビルボードにも広告も打たれております。

フォーリーブスも同じような4人組の男の子でありまして。
ステージでバク宙をやったのは、日本で初めてだという・・・
そういうような記録も残っておりますけれど。

1971年に渡米をいたしまして、何曲かレコーディングをいたします。
そのうちの1曲がですね、ハワイのサム・カプーという人の69年に発表しました「Chotto Matte Kudasai」という・・・

日本題「ちょっと待って下さい」
このサム・カプーのバージョンが71年にシングルとしてアメリカで発売されまして。
日本でもそれが発売されてヒットしましたので。
これをフォーリーブスが、カバーの形ですけども、これを海外レコーディングで発表いたしまして。
日本版でもシングルとして発売されました。
まずはこれを一番最初に置きを頂けます。

♪ Chotto Matte Kudasai(ちょと待て下さい)/Four Leaves

はじめての世界で (You Got What It Takes)/Four Leaves

達郎氏:

フォーリーブスは1968年ジャニーズ解散後にデビューいたしまして。
「オリビアの調べ」かな・・・がデビュー曲ですけども。

それからずっと、シングル出し続けてるんですけども。
結構洋楽カバーをですね積極的にやってきたグループでありまして。

71年に、こうしたアメリカで録音して作品を作るという・・・
そういうトライをしました。

この「Chotto Matte Kudasai」はですね B 面でありまして。
アメリカで発売されたシングルはですね、A面が「夏の誘惑」という・・
これは、日本製の鈴木邦彦さんの作曲の曲なんですけども。

日本でもシングルで出しましたけども。
これはアメリカへ持って行きました、アメリカでレコーディングして・・
これマイク・カープのプロデュースでアメリカでレコーディングして。
ですので、アレンジが全然違うんですけれど。

これの B 面に「Chotto Matte Kudasai」が入っております。
今日は、こっちの「夏の誘惑」ちょっと時間の都合でかけられないんですが。
日本語で歌っている曲なので・・
洋楽アプローチじゃないので(笑)
すません(笑)

で、日本でサム・カプーが71年にヒットした時にですね、フォーリーブスが出したシングルが「はじめての世界で」という・・・
これは、「You Got What It Takes」という・・
これは1959年にマーヴ・ジョンソンっていうシンガーが出しましたシングルでヒット曲ですけれど。

曲を書いたのは、後にモータウン作りますベリー・ゴーディーでございますが。

これを1967年にデイヴ・クラーク・ファイヴがカバーいたしまして、日本でもかなりヒットしました。
アメリカのベスト10ヒットなりましたが。

たぶん、こっちのほうにインスパイアされたんだと思いますけれども。
1971年に、先ほどの「Chotto Matte Kudasai」をB面にしまして、A面にこの「はじめての世界で」というタイトルで作詞 北公次さんのクレジットが入っておりますけども・・・

前半日本語で後半英語とそういうですね。
そういうバージョンで発表しております。
71年のフォーリーブス「はじめての世界で」

♪ はじめての世界で (You Got What It Takes)/Four Leaves

You’ve Got What It Takes/The Sylvers

達郎氏:

フォーリーブス 1971年「はじめての世界」で「You Got What It Takes」のカバーでございましたが。

このテイクは英語と日本語が交互ですけれども、全部英語のバージョンってのもありまして。
フォーリーブスのシングル・ボックス出た時に、それがボーナスで入っておりましたが。

ここから話が少し複雑になってまいります。

アメリカでリリースされましたシングルはですね、先ほど申し上げましたみたいに「夏の誘惑」という鈴木邦彦さんの曲が A面で、 B面が「Chotto Matte Kudasai」でございまして。

この「You Got What It Takes」は日本だけの発売なんですが。
マイク・カープはですね、これを2年後に流用するんです。

ザ・シルバースというですね、日本ではホットライン有名ですけども。
あのメンフィス出身の黒人の家族グループですかね、ファミリーグループです。
ジャクソン・ファイブみたいなグループなんですが。

このシルバースの1973年の、まだシルバースがブレイクする前の MGM レーベルのですねシングルに、これを入れてるんですね。

で、同じオケなんです(笑)
歌がが違う(笑)
もちろんシルバースが歌ってるという。

その MGM でのシルバースの「You’ve Got What It Takes」を少し聴いてみましょう(笑)

♪ You’ve Got What It Takes/The Sylvers

お聴きを頂ければわかりますように、全く同じオケで歌っておりますが。
シルバースの73年のシングルでございました(笑)

プロデュース・バイ マイク・カーブのプロデュースクレジット入っておりますが。

要するに、まぁ・・何と申しましょうかですね・・

流用されると、いいましょうか。
なんか舐められてるって感じでございますね。

こういうの、よくあるんですけど。
まぁ当時の状況と言いましょうかですね。
70年頭の状況・・
そういうような、ものでございますけども。

謎が多いフォーリーブスのレコーディング

達郎氏:

フォーリーブスのレコーディングは、謎が多くて。
洋楽カバーも、たくさんやっておりますし。

ビリー・ヴォーン・オーケストラでのアレンジャーとして有名なミルト・ロジャースて他人がいますけれど・・
この人が、いきなり作曲で参加しましてですね。
「シャボンの匂いの女の子」っていうのがあるんですけど。

これ AB 面ともミルト・ロジャースの曲でありまして。
そういう、どっから来たのかっていうのは、分かりませんが(笑)

でも、それは多分日本レコーディングだと思うんですけどね。
あんまり聞いても答えてくれないんで(笑)
あれですけれども(笑)

はっきり変わったのは70年代の頭

達郎氏:

そんなわけで、今日は前半『初代ジャニーズ』、後半『フォーリーブス』の海外録音のソースをですね、色々とお聞きをいただきました。

いかがでしたでしょうか。

初代ジャニーズ、フォーリーブスの時代は、そうした洋楽志向というのは明確にあったんですが。

それが、はっきり変わったのは70年代の頭・・
郷ひろみさんが出てきた時に、筒美京平さんが作曲されて、それから都倉俊一さん・・
新しい世代のですね、歌謡作家が出てきて。

日本の歌謡曲の要するに様式っていうのが、がらっと変わるんですよね。

そこからフォーリーブスも77年の「ブルドック」というですね・・
都倉俊一さんの曲がありますけど。
こういうところが、やっぱり今、代表作として語られております。

明確に、そこで変わるわけなんですけども・・

ジャニー喜多川さんという方はですね、どちらかと言うと、音楽よりも、やっぱりダンスと、それからアクトと、そういうようなものがプライオリティが高かった方なので。

ですので、音楽が、そういう具合に変化するということに対して順応に対応をされたと思うんですけれど。

なんですが、デビューはレコードデビューをもってデビューとするというですね・・
不思議な感じなんですけども(笑)

それでも初代ジャニーズからフォーリーブス、その後今に続く流れの中でですね、最も重要視されたのはルックスに代表されるオーラっていいましょうか・・

存在感といいましょうか。

そういうようなものなので。
それが、まず第一でありましてですね。

それで、踊れて、歌えて、演技ができれば、いうことがないという・・
そういう優先順位をお持ちでございましたけども(笑)

色々な意味でですね、先週と今日お聴きいただきました洋楽のアプローチの初期のジャニーズの作品でですね・・・
なかなか面白いものがあると思います。

お楽しみいただければ幸いでございます。

エンディング

達郎氏:

というわけで、2週間お届けしてまいりました『初代ジャニーズの洋楽アプローチとアメリカ進出計画 プラス フォーリーブス』の音源でございました。

最後は、フォーリーブスが1972年に再び海外レコーディングをしまして。
でも71年の音源って、一緒の時かっていう可能性もありますが・・・

1972年に、これも MGM レベルからですねマイク・カーブ プロデュースのクレジットで発表されております。
ジェリー・アンド・ペースメーカーズのカバーで「Don’t Let The Sun Catch You Crying」

『初代ジャニーズの洋楽アプローチとアメリカ進出計画 プラス フォーリーブス』の2週間でございました。

ご清聴ありがとうございました

♪ Don’t Let The Sun Catch You Crying/Four Leaves

今週のオンエア曲

14:07 That’s When Happens/The Johnnys
14:10 Tell Her I Love Her/The Johnnys
14:14 Love’s Breakin’ Thru/The Johnnys
14:18 You’re Near Me/The Johnnys
14:24 Never My Love/あおい輝彦
14:34 Chotto Matte Kudasai(ちょと待て下さい)/Four Leaves
14:38 はじめての世界で (You Got What It Takes)/Four Leaves
14:42 You’ve Got What It Takes/The Sylvers
14:46 Don’t Let The Sun Catch You Crying/Four Leaves

この記事が気に入ったら・・・フォローして頂けるとうれしいです。
サンデーソングブックの一部を文字お越しでお届けします。
山下達郎サンデーソングブック 
スポンサーリンク
9thnutsをフォローする
未来の自分が振り返る

コメント