長崎市内各所で、つつじが見頃になってきました。いつもは5月の連休が見頃なんですが、今年は早いです。
今日のサンソン、ポンタさんのタイム感、安定したダイナミクスに圧倒されました。
ということで、このブログでは山下達郎さんのサンデーソングブックの一部を文字お越ししています。
誤字脱字は、ご容赦くださいませ。
冒頭
達郎氏:
久しぶりに、晴れの日曜日でございます。
前日でございますけれども、天気予報、全国的に4月11日は晴れだと、出ております。
久しぶりの感じがしますが。
また、火曜日、水曜日あたりになりますと、また雨という感じでございます。
先週の東京はですね、夜は肌寒い日が続きました。
いわゆる「花冷え」というやつですが。
昼間はポカポカして、るんるんとして表へ出ると、夕方になって寒くなって、あわてるという。
そういう感じでございますが。
季節の変わり目でございます。
温度差が激しい日が、続いております。
引き続き、皆さんお体に、くれぐれもお気を付けください。
巷は、相変わらずいろいろなことで、わさわさしておりますけれども。
メディアを見ても、何を信用していいか、わからない状況ですが。
短期的に、今日、明日でモノを申し上げるような立場でございませんので。
ひたすら音楽番組は、音楽で攻めていこう・・。
1487回目のサンデーソングブックでございますが。
先日、3月9日に、日本を代表するドラマーであります村上ポンタ秀一さんがお亡くなりになりました。
享年七十歳。
ポンタさんとは、すごく古い付き合いで。
特に70年代、77年から79年のあたりはですね、私のレコーディングに参加してくれまして。
私のミュージシャンキャリアの中で、非常に重要な位置を占めるドラマーでありました。
その後もセッションでですね、いろいろ一緒に楽しくやって参りました。
ちょっと遅れましたけれども、今日はポンタさんの追悼特集をしようと思いますが。
こういう具合にミュージシャンがお亡くなりになりますと、特集とかそういうのが、いろいろなことが行われますけれども。
私、そういうのがですね・・
いまいち、こう・・抵抗がある人間でありまして(笑)
ですので、ひと月ほど、ほとぼり冷めたころに行おうと思って、待っておりました。
大瀧詠一さんについて語れるまで7年もかかりましたので、そんな感じでございますが。
村上ポンタさんは、ほんとに、日本の代表するドラマーであります。
特にスタジオ・ミュージシャン全盛期のころに、数限りない仕事をなさった方であります。
そういう・・何の仕事・・たとえばピンクレディとかですね、そういうようなもの、かけるという番組ありますけど。
私の番組で、そういうのしてもしょうがないので。
前に青山純さんが亡くなった時と同じで、私の仕事の中でのポンタさんとの思い出なんかをお話させて頂きつつ。
極私的 村上ポンタ秀一 追悼特集
そういう形でいってみたいと思います。
55分じゃですね、なかなか思うように構成できませんけれども。
文字よりも音
曲が長いので、あまりたくさんかけられませんけれども。
気は心、という感じでございます。
日曜日の午後のひと時、本日は村上ポンタ秀一さんの華麗なドラミングでお楽しみをいただければと思います。
本日も最高の選曲と最高の音質でお届けをいたします山下達郎サンデーソングブック。
で、一曲目はですね、先日ポンタさんが亡くなったときに、かけました。
私の1977年、セカンドアルバム「SPACY」に入っております「LOVE SPACE」
当時の、77,8年にポンタさんでライブやってた時のライブソースをですね、昨日一晩探したんですけど・・
なにしろ、全部カセットである上に、オーディエンスの録音なので・・
音が最低で・・
しかも演奏もですね、なんか間違えてたりですね、歌も、ぜんぜんアレだったり。
結局使えるものが何にもありませんので。
レコーディング・バージョンでいきたいと思います(笑)
いろんな話がありますけども。
それは後ほど。
♪ LOVE SPACE(ラブ・スペイス)/山下達郎
~ CM ~
♪ 雨の女王(Rain Queen)/山下達郎
その日の録音から43年たって、ポンタさんが亡くなったという。
達郎氏:
先日3月9日に亡くなられました村上ポンタ秀一さんの追悼でございます。
私の仕事の中でのポンタさんの作品をお聴きをいただきつつ、偲んでみたいと思います。
『極私的 村上ポンタ秀一 追悼特集』
今から43年前の3月9日に、六本木ピットインでライブをしました。
それが同年の78年の5月にアルバムになりまして。
ライブアルバム「IT’S A POPPIN’ TIME」というアルバムになりました。
ちょうど、その日の録音でございますが。
その日の録音から43年たって、ポンタさんが亡くなったという・・
なんか因縁めいたことでございますけれども。
ライブアルバムなんですけれども。
新曲を入れましてですね。
アナログ2枚組でA,B,C,Dとありますが。
A面には新曲が並んでおります。
そんな中の、このアルバムの・・といいましょうかライブバージョンのために書き下ろしまして。
したがってスタジオレコーディングがない曲なんですけれども。
珍しいパターンでございますが。
「雨の女王」という一曲でございます。
ポンタさんらしい、歌をよく聞いているテイクでございます。
この時代は、
村上ポンタ秀一 ドラムス
岡沢章 ベース
松木恒秀 ギター
坂本龍一 キーボード
それと私のギターという。
そういう形で、少ない数でありますけれども、ライブはやっておりました。
ライブレコーディングなので
吉田美奈子さん
伊集加代子さん
尾形道子さん
3人のコーラスと
土岐英史さんのサックスという、そういう編成でやりました。
もう完璧なリズムセクションのタイム
達郎氏:
次におかけするこの曲も、このアルバムで初めて世に出た曲なんですけど。
実は、この前にレコーディングをされております。
78年の春にレコーディングしたんですけども。
シングル用にレコーディングしたんですけども、レコード会社に没られましてですね。
それが後の78年の「GO AHEAD」のアルバムに入ります。
「ペイパー・ドール」という曲ですけれども。
ほんとは、この曲ができていたんですけども。
世に出るのは、このライブアルバムが先になってしまったという・・
ですので、アレンジも若干違いますけれども。
この「ペイパー・ドール」のバージョンはシカゴ・ソウルのムードがいっぱいありますね。
もう完璧なリズムセクションのタイムでございます。
非常に気持ちのいいトラックになりました。
同じ「IT’S A POPPIN’ TIME」のアルバムから「ペイパー・ドール」
♪ ペイパー・ドール(Paper Doll)/山下達郎
78年のアライブアルバム「IT’S A POPPIN’ TIME」から「ペイパー・ドール」でございました。
こういうビートですとですね、またネットなんかでですね
”あ、「TRIPPING OUT」だ”
とかですね、そういうのが出ますけど。
カーティスの「Something to Believe In」のアルバムは80年の作品ですけど、
私の方が先なんですよ。
そのあとに「甘く危険な香り」になるんです。
ふっふふふ(笑)
10代のころ「IT’S A POPPIN’ TIME」のすごさがよくわかりませんでした。
達郎氏:
広島県三原市のH.Tさん。
超常連の方ですが。
『若かりし頃、10代のころ「IT’S A POPPIN’ TIME」のすごさがよくわかりませんでした』
素直なお便りでございます(笑)
そりゃ、そうでしょ、これ(笑)
「IT’S A POPPIN’ TIME」のアルバム、全員20代ですからね!
私が25で
ポンタさんが26かな
岡沢さんも、そんなもんで。
松木さんも、30そこそこですからね。
すごいですね(笑)
すごく老成感っていいましょうか(笑)
誰にでも愛されるキャラクター
達郎氏:
ポンタさんの思い出は、ほんとにたくさんありますけれども。
この時代、シュガーベイブ バンド解散しまして、ソロになった時にですね。
やっぱりうまい人とやりたくて。
うまいミュージシャンとやりたかったんですけども。
なかなか、ミュージシャンってのは、一人ひとりがですね、いろいろな性格の方がいて。
気難しい人とかですね
非常にエクセントリックな人とか・・
そんな中で、ポンタさんは非常に珍しい、すごく寛容なですね、どんな音楽に対しても、あまり偏見を持たないという寛容な人だったので。
そういう意味では、こうしたアンサンブルをまとめるとか、そういう軸になって、うまく色々な人間関係をですね、うまく取り持つという、そういうような能力があります。
それはもう亡くなるまで、ずーっと後輩をかわいがったりですね、いろいろなコミュニティで人間関係をですねスムーズにいくという。
その反面、大酒のみで(笑)
そういうことも、ありましたけれども。
でも、誰にでも愛されるキャラクターでありました。
これはもうポンタさんしかできない
達郎氏:
70年代当時、16ビートのうまいミュージシャンというのが、なかなかいませんでですね。
ポンタさんは、そういう中でも、ずば抜けてうまい人だったので。
そういうポンタさんのドラムで何か曲をやろうかなと、思い初めまして。
さきほどの「雨の女王」なんかも、ポンタさんのドラムを想定しましたけれども。
私は、だいたいアルバムを作るときに、そういう意味ではシンガーソングライターでもあるんですけども、ドラムがこの人だったら、こういう曲がいいんじゃないか、とか。
そういうような感覚が昔からありまして。
ポンタさんでやるんだったら、こういう曲だという・・形でアルバムに曲を入れておりました。
70年代の話です。
1977年の私のソロ・セカンドアルバム「SPACY」というアルバムは、
村上ポンタさんのドラムで、
細野晴臣さんのベース、それから
松木恒秀のギターで
佐藤博さんのキーボード
というですね。
私にとってはドリーム・チームというですね。
この編成は、後にも先にも、この「SPACY」のアルバムしかありません。
その中で作った一曲がですね、これはもうポンタさんしかできないな、という・・
ひたすら16ビートでおしまくるという。
そういう一曲であります。
アナログA面の最後に入っております「DANCER」
フルバージョンでお聴きをいただきましょう。
♪ DANCER(ダンサー)/山下達郎
これサンプリングして歌のっけたヨーロッパのアレもありますけど・・
そういう話は、また後日(笑)
僕のベストの演奏のひとつだと思います
達郎氏:
なんといってもポンタさんはですね、バラードがすばらしんですね。
特にライブの場合は、彼にまかしとけば、バラードは全て段取りがですね、きっちりとですね組んでくれるという。
よく歌を聴いてる人なんで。
それはレコーディングでもかわりませんですね。
私、ポンタさんと70年代に、そういう形でレコーディングに付き合ってもらいましたけど。
これは、僕のベストの演奏のひとつだと思います。
1978年の私のソロアルバム「GO AHEAD」に入っております。
ポンタさん ドラム
岡沢さん ベース
松木さん ギター
佐藤博さん キーボード
「MONDAY BLUE」
♪ MONDAY BLUE(マンデイ・ブルー)/山下達郎
しかし、70年代の曲は、暗い(笑)
ふふふ(笑)
~ CM ~
来週
達郎氏:
『極私的 村上ポンタ秀一 追悼特集』でお届けしておりますが。
曲が長いので、ぜんぜんかけられない(笑)
もう一週、やっちゃおうかな!
よし、もう一週いこう!
来週も、引き続きいきます。
今日は、しゃべる時間すら、なくなってきたという。
曲が長い・・すいません。
ポンタさんのキャラクターがよく出てる曲
達郎氏:
この同じ、1977、8年はですね、自分のひとに書いた曲の演奏も、ポンタさんに頼んだやつがたくさんあります。
そんな中の一曲。
これはポンタさんのキャラクターがよく出てるドラムだと思います。
1978年に中原理恵さんのアルバムに提供しました。
彼女のセカンドアルバム『Killing me』の中に入っております。
「個室」という一曲を、お聴きを頂きましょう。
作詞 吉田美奈子
作曲 山下達郎
編曲も私ですが。
ポンタさんのドラム
岡沢さんのベース
松木さんのギター
坂本龍一さんのキーボード
♪ 個室/中原理恵
アルバム
KILLING MEエンディング
達郎氏:
今日はもう曲が長くてですね・・
リクエスト、おたより、何にもご紹介できませんでした。
来週、ちょっとフォローできればと思っております。
そうした逸話もですね、なんにもご紹介できなかったんですけども。
今週からですね、文春ウィークリーで、ポンタさんについて長いインタビューを僕受けておりまして。
3回にわけて、それが掲載されます。
そうした個人的な交際の深い話はですね、かなり突っ込んだところまで(笑)
インタビューでお答えしておりますので。
それと並んで、お聴きをいただくとですね、こちらは「音」で
向こうは「語り」でですね・・
おわかりいただけるかと思います。
来週は、私が書いた曲とか、アレンジした曲とか、そういうのを含めてやってみたいと思います。
この続きは、また来週。
『極私的 村上ポンタ秀一 追悼特集』
今日はPart 1ということになりました。
来週のPart 2を、またお楽しみに。
今日の最後は、1998年のポンタさんのソロアルバム
「WELCOME TO MY LIFE」
でやっております。
コール・ポーターの「I’ve Got You Under My Skin」をお聴きいただきながら、また来週Part 2。
♪ あなたはしっかり私のもの/山下達郎
今週のオンエア曲
14:05 LOVE SPACE(ラブ・スペイス)/山下達郎
14:10 雨の女王(Rain Queen)/山下達郎
14:17 ペイパー・ドール(Paper Doll)/山下達郎
14:25 DANCER(ダンサー)/山下達郎
14:30 MONDAY BLUE(マンデイ・ブルー)/山下達郎
14:41 個室/中原理恵
14:45 あなたはしっかり私のもの/山下達郎
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