テレビ朝日系列で放送されている「EIGHT-JAM」にて山下達郎特集が2026年10月11日、18日の2週にわたり放送されました。
https://www.tv-asahi.co.jp/eightjam/
アーティスト・ゲスト
本間昭光、藤井怜央(Omoinotake)、穴見真吾(緑黄色社会)、大島真帆(Penthouse)
トークゲスト
市川紗椰、高橋茂雄(サバンナ)
このブログでは、10月18日放送の一部を文字起こししています。
誤字脱字はご容赦ください。
「終活ですよ」と笑う達郎さんは73歳。
でも青山純さん時代の音源も含む『JOY 3』『JOY 4』の構想に、まだまだがんばってと願う一ファンの私です。
- 「やったらできた」——山下達郎の声の原点は、畑に囲まれた離れでの猛練習
- 肺活量はわずか3600 ロングトーンに秘密はなく、あるのは「声が出なくなる恐怖」
- フェイクのお手本は、ヤング・ラスカルズのフェリックス・キャヴァリエ
- 歌う時はいつも平常心——感情移入しすぎず、アンサンブルに「椅子」を作る
- 歌詞が飛びそうな時は無心に、PAの小さなランプを見る
- 音楽が頭から抜ける瞬間は? 本に映画に美術館、そして『ドンケツ』『バキ』
- ライバルはいない? 競い合うより支え合った、インディ時代の仲間たち
- プロンプターは絶対に使わない——歌詞が飛んだ時の達郎流ごまかし術
- 70代まで続けるには? 人生の70%は運、そして理想のライブは「寄席」
- 「売れたら好きなことができる」は大嘘——プロならまず、お金と契約にシビアに
- 商売は屏風のようなもの——コマーシャリズムと自分の表現のバランス
- 『JOY 1』から『JOY 2』へ——変わらぬスタンスと、「もう終わりかな」と思った空白の10年
- 元々は裏方志望だった——続けてこられたのは、お客さんが求めてくれたから
- ミュージシャンを続けるとは何か——「音楽だけは自分を裏切らなかった」
- 息子・孫世代のミュージシャンたちへ
- 竹内まりやが明かす、1979年・日本青年館で受けた「カルチャーショック」と『JOY 2』への賛辞
- 『JOY 3』『JOY 4』へ——続編の構想と、来年のリマスター・アナログ再発計画
- 『JOY 3』は早くできる——未収録のカバー曲と青山純時代の名演、そして「終活」
- EIGHT JAMへエールを——「異種格闘技」のような番組をこれからも
「やったらできた」——山下達郎の声の原点は、畑に囲まれた離れでの猛練習
インタビュアー:
SUPER BEAVERの渋谷さんからなんですが、「番組のスタッフさんからこの際だから聞きたいことありますかと前置きされていますので、ものすごくシンプルにお聞きします。
『どうしてそんな声が出るんですか?』」ってご質問いただいてます。
達郎氏:
やったらできたっていう。
中学入るまでは別に歌がそれほど興味があったわけでも、どっちかって言ったらブラスバンドでドラム叩いてたので。
友達とアマチュアバンド組んで、ビーチ・ボーイズをやろうってことになって、凄くそれも異端だったんですけども、裏声を出したら出せたんですよね。
出せたんで、裏声になったんです。
僕はね、厳密に言うとテノールじゃなくてバリトンなんですよね。
テノールのちょっと低いほうなんで、裏声そんな高いところまで出ないんです。
だから無理やり引っ張って高い声になってるので、あの音色がちょっと他の人と違うっていうか。
インタビュアー:
やったら出たということですね。
達郎氏:
あと、僕の友達が地主の息子でね、すごく大きな家に住んでたおかげで、そこの離れで練習してたんです。
それで中学から高校ぐらいまではもう周りが全部畑だったんで、夜中まで音なんか出しても全然大丈夫で。
そこに14、5の時から行って、シュガー・ベイブ作ってからもずっとそこに居浸ってたんで。
大体人間の声帯がやっぱり鍛えられるのは16歳から22ぐらいまでの、肺が完成する時代なので、そん時に朝から晩まで声出してたんですね。
だからそれが自分にとってすごくいいことだったと思ってます。
肺活量はわずか3600 ロングトーンに秘密はなく、あるのは「声が出なくなる恐怖」
インタビュアー:
大島さんからこういう、あのロングトーンに関して、こう息の吐き方とか呼吸法とか、何か特別な何か秘密ってあるんですか?みたいな。
達郎氏:
何もないです。
僕、肺活量ないですからね。
肺活量3600しかないですから。
別に肺活量があるからつってロングトーンが出るわけじゃないんですよ。
だからやったらできたってことなんです。
でもね、例えばあのギタリストなんかでも「弾いたらできた」っていう人がほとんどですよ。
Charさんとかね。
弾いたら弾けたんだよっていう。
ドラムをやったらできた、ポンタはもう別にドラマーじゃなかったですからね、あの人はね。
ドラムの前に座って叩いたら叩けたんです。
ロングトーンはね、そんなに、そんなにまだ短くなってないんで。
高さもね、ほんのちょっと低くなってきましたけど、まだ大体オリジナルキーでまだやれる段階なんで。
だから突然出なくなるって人もいますから、わかりません。
だからそれはもう僕に限らず、僕らの年代はもう、いつ声が出なくなるか、いつ歌えなくなるか、やっぱり漠然たる恐怖感みんな抱えてやってますよ。
「今日もなんとか大丈夫だった」つってね。
それが本音です。
インタビュアー:
達郎さんでも、そういう思いは少しは?
達郎氏:
もうとっくに出ないと思ってましたから。
フェイクのお手本は、ヤング・ラスカルズのフェリックス・キャヴァリエ
インタビュアー:
フェイクに関しても、すごくこう気になってるようで、特に大島さんとか、はい。
達郎氏:
そうなんですか。
若い人って面白いですね(笑)。
インタビュアー:
そうですか(笑)。
あの、大島さんだったりとか、藤井さんなんかも、やはり皆さんボーカリストとして、あのフェイクっていうのはどのように達郎さんの中で出てくるものなのかっていうところを…。
達郎氏:
僕のフェイクはシンプルで、僕のアイドルグループだったヤング・ラスカルズってグループがあって、そこのリードボーカルのフェリックス・キャヴァリエっていう人がいてね。
この人のフェイクが僕に一番影響を与えた人で。
もうほとんどフェリックスの真似と言っていい。
あと、もう1人エディ・ブリガッティっていう人いますけど、発声はその人からものすごく影響を受けてます。
いわゆるブルー・アイド・ソウルですね。
白人のやってるリズム&ブルース。
だからアヴェレイジ・ホワイト・バンドとか、日本であんまり有名じゃないけどソウル・サヴァイヴァーズとか、だからまあ、アニマルズ、ゼム、ヴァン・モリソン、エリック・バードン、イギリスの人たちの歌い方、そういうものにはものすごく影響を受けました。
歌う時はいつも平常心——感情移入しすぎず、アンサンブルに「椅子」を作る
インタビュアー:
達郎さんが歌う時は何に意識を向けて歌っていらっしゃるのでしょうか。
歌詞の事を思いながらなのか、歌声を美しく響かせることに集中されているのか、逆に演奏のグルーヴを重視しているのかなど、お聞かせ願えれば幸いです。
達郎氏:
いつも言ってんのは平常心なんですよね。
平常心っていうか、こう客観性っていうか。
だからあんまりね、感情移入しすぎると粗くなるんですよね。
だから常に自分を俯瞰で見ている自分っていうのを意識しながらやんないと駄目で、感情過多にならない。
平常心っていうか。
暗い曲はなるべく明るく、明るい曲はちょっと抑制してっていう、そういう感じかな。
絶叫型よりもそういう抑制した歌い方する人の方が好きなんで、自分もそういうのがいいなって。
そうしないと、例えばピッチとか、そういうものがやっぱりキチッとコントロールできないじゃないですか。
だから歌ってる時も、だから後ろのちゃんと段取りやってるかなってチェックしてますし(笑)。
バックメンバーね。
演奏してるのが「あいつ間違えたな」とかね。
インタビュアー:
達郎さんが歌ってるのに、後ろのことも当然。
達郎氏:
バンマスの悲哀ですね、それはね。
いや、だって本当に昔からそうだったんですよ。
あんまりこう何て言うの、自分の歌唱に対するなんかフィロソフィーとかね、あんまり考えたことないですよね。
で、自分の曲なので、だからそれは自分が発してる言葉なんですよ。
借り物じゃないのでね。
完結してるっていうか、ある程度。
それ以上の要するにオーバーアクションっていうか、そういうものはあんまり必要としないっていうかね。
インタビュアー:
なるほど。
じゃあ、あの藤井さんの質問にあるような、こう歌詞が・・・みたいなこととか、歌声とかっていうことよりかは、もう全体という?
達郎氏:
そうですね。
音のこういう塊があるじゃないですか。
そこにどうこう乗っかるか、自分がどこにそこへ座るかっていうそういう、あれかな、アンサンブルの中で。
それはすごく意識しますけどね。
で、それを邪魔するアレンジだったらやっぱり変えるしかないから。
それがこう自分が声を出して、コードの積みとかそういうものが気持ちよくそこに椅子を作ってくれて、そこに座れるかっていう、そこが邪魔されると例えばコーラスの積みが違うとかそういうことになるんで、そういうのを微調整してくっていうか、そういうあれですかね。
それ聞かれたことないな(笑)。
歌詞が飛びそうな時は無心に、PAの小さなランプを見る
達郎氏:
本番の時はとにかく無心ですよ、やっぱり。
次の歌詞がとか、絶対に考えたらダメですね。
飛びますもん、そしたら。
「次何だったっけな」とかね、絶対音探したら。
だからもう無心。
もしだから歌詞がヤバくなったら、PAがランプついてるんですよ、ちっちゃいね。
それ見るんです。
そうすると、何も考えないで済むから。
音楽が頭から抜ける瞬間は? 本に映画に美術館、そして『ドンケツ』『バキ』
インタビュアー:
いろんな皆さんから、どうしても聞きたい質問っていうのを、お預かりしてますので、また代わって……
達郎氏:
何でも聞いてください。
インタビュアー:
はい、行きます。
SUPER BEAVER渋谷さんから。
渋谷さん曰くですね、「寝ても覚めても音楽とともにいらっしゃるように存じます。
音楽が頭から抜ける瞬間はありますか?あるとすればそれはどんな時ですか?」
達郎氏:
人のこと何だと思ってんでしょうね(笑)。
それは、文芸一般というか、読書、映画、ゲーム、あと美術館とか。
いくらでもありますよ、そんなの。
ただ、スポーツ関係が駄目な人間なんで。
アスリートじゃないのでね。
どっちか言ったらそういうこう、文系ですね。
ええ。
最近はまあ、本と、あと漫画と。
インタビュアー:
差し支えなければ、例えば……
達郎氏:
『ドンケツ』とか『バキ』とか。
インタビュアー:
そういう他の、音楽以外の作品に触れてる時は、まあ音楽は一応、こう……
達郎氏:
そうですね。
これ、渋谷さんはどうしてるんでしょうね?
インタビュアー:
そう、逆にですね。
達郎氏:
寝ても覚めても音楽なんでしょうかね?
インタビュアー:
達郎さんから逆質問。
達郎氏:
お尋ねしてください。
ライバルはいない? 競い合うより支え合った、インディ時代の仲間たち
インタビュアー:
大島さんからいただいた質問で、「お若い頃にライバルと思っていた、意識されていたミュージシャンの方はいらっしゃいますか?その方とは、今はどのような関係ですか?」
達郎氏:
ライバルの人っていうのはいましたけど、別に、対抗意識じゃなくて。
純粋にやっぱり敬意というか、いわゆるリスペクトというか。
仲良しがほとんどですね。
本当に優秀だと思った人はやっぱりみんな仲良かったです、例えば矢野顕子さんとか、坂本くんとか。
本当に仲良しでしたから。
でも色々とやっぱり「音楽が凄いな」って思って、「この野郎」とか思ってあれでしたけど、でもそれはなんか対抗意識とかじゃなくて。
そういうのじゃないですね、ええ。
「こいつには負けたくない」とかいうようなあれじゃなくて、僕らの場合はまだマーケットが小っちゃかったんで。
サブカルチャーのやっぱりインディのそういうマーケットだったんで、お互いにやっぱり協力してモノ作ってたんで。
それがみんなだんだん独立して、一本立ちしていくっていう歴史の中だったんで。
そういう意味でのライバルっていう、そういう呼び名の人はあんまりいません。
だからアスリートとかと違いますから。
プロンプターは絶対に使わない——歌詞が飛んだ時の達郎流ごまかし術
インタビュアー:
吉井和哉さんから、こういう質問いただいてるんですけど。
「2000年代の初期から毎回と言っていいほどツアーを拝見させていただいておりますが、年々声の伸びと艶が増えていっているように感じます。
ライブでの歌唱の際にプロンプターやカンペなど一切見ないことで有名な達郎さんですが、もし万が一歌詞を忘れてしまったり間違えてしまわれたらどのように誤魔化すのでしょうか?僕は未だかつてそのような現場に出くわしたことはありませんが」という。
達郎氏:
プロンプターはね、1回やっちゃったら絶対に足抜けできなくなる。
それなしじゃできなくなるから、だからそれだけは絶対やらない。
あれ1回やったらもう絶対にね、そっからね、逃れられなくなる。
カラオケ屋じゃないんだから。
歌詞飛ぶことなんてしょっちゅうありますよ、そんなの。
そしたらね、うん、むせた真似とかね(笑)。
あとはマイクが故障した、口だけパクパクやって。
マイクのせいにしてしまう(笑)。
で、本当にグショグショになったら、やめてもう1回やります。
インタビュアー:
ライブの時も・・
達郎氏:
でも何十回やってると、時々本当に歌い出しがパッと飛ぶことがあるんですよね。
「あ、何だっけ?」つって1回止めて、「あれ、最初何だっけ?」つって。
メンバー誰も知らない。
「知らないよ、そんなの」って言われて。
吉井さん、飛んだことあるでしょ、だって。
インタビュアー:
どうなんでしょうね(笑)。
でも吉井さん自体は、そういう現場は達郎さんでは拝見したことはないという。
まあそういう時も……
達郎氏:
人間だから(笑)。
70代まで続けるには? 人生の70%は運、そして理想のライブは「寄席」
インタビュアー:
藤井さんが、「僕たちも達郎さんのように70代になっても新曲を作り続けながら、毎年ツアーを回り続けられるようなバンドになりたいと思っています。
今僕たちは30代ですが、ここから40年間どんなことを意識して活動していけば、達郎さんのように続けられると思われますか?」
達郎氏:
難しいですね。
人生70%は運だと思ってるんで。
運、運ですね。
で、特に今、音楽はね、僕らのやってた時代よりもやっぱりメディアが多様化してるので。
音楽っていうのは元々やっぱり付帯的な要素がすごく大きいんですよね。
聴覚ってすごく脆弱なメディアで、視覚のほうが強いんですよね。
だから本読みながらレコード聴いても頭入らないし、映像が出てくるとやっぱり音楽って添え物になっていくっていう。
だから、なるべく音楽に集中させるためにはどうしようかなっていう、集中してもらうためにはどうしたらいいかっていうことを考えると、やっぱり、あの今の僕の形態に、自分としては、ホールのレベルで、火出さない、煙出さない、あんまり大仰なセットが音楽に勝つような形はあれで、ダンサー出さないとかね。
純粋に音楽に集中する。
一番近いのは寄席ですね。
落語家の独演会。
1人きりでしょ。
だから僕、大の仲良しの志の輔さんの言葉で有名なやつがあるけど、「1人きりでここにキングコングがあるっつったらキングコングが出てくるんだ」っていう、その形っていうのがね、やっぱり芸能の理想だなと思ってるんです。
だから、話がちょっとずれちゃったんだけど。
インタビュアー:
いえいえ。
「売れたら好きなことができる」は大嘘——プロならまず、お金と契約にシビアに
達郎氏:
だから、すごく競争が激しい時代なんで大変だと思いますけど、すごく変な話ですけど、ABCのA、プロとして継続していこうとするんだったら、まずお金の話にシビアになること。
インタビュアー:
なるほど。
達郎氏:
契約とかそういうことにものすごく神経を。
特に今、レコード会社がそういう実権をものすごく強くなってるので。
売れてる時はチヤホヤされますけど、売れなくなったらパッとね、練り歯磨きのチューブみたいに捨てますから。
あとは、とにかく「売れるためだったらちょっとここ妥協しろよ」って。
「売れたら何でも好きなことができる」それ、大嘘ですからね。
今やりたいことができなかったら、売れてもやりたいことできませんから。
それは、ひとつの芸能というか、そういうものの表現者としての矜持を持たないと。
信念を持たないと、いいように使われますんで。
これが一番重要です。
プロでやるんだったらですね。
遊びでやるんだったら別に何でもいいんですけど。
インタビュアー:
はい。
達郎氏:
長く続けようと思ったら、そういう、お金の問題っていうのは避けて通れないんで。
で、その後にどうやっていくかっていう問題が出てくるんで。
でも大体こうやって伺ってると、そんなに変わらないんですよ、意識がね。
ただやっぱり今のほうがちょっと音楽に対してシビアなんで。
チャンスがたくさんある分だけ、確率が落ちるというか。
インタビュアー:
はい。
達郎氏:
だからバンドとかそういうのをやるの、存続するの、とにかくバンド食わすのが難しいんですよ。
お金かかるし。
インタビュアー:
自分だけではなくスタッフを支えていく。
達郎氏:
そうです。
だから表現の前にそういうことが立ちはだかるのでね、プロは。
だから長く続けようと思ったら、そういう契約関係っていうものに関してものすごく冷静な目を持っていかないと。
商売は屏風のようなもの——コマーシャリズムと自分の表現のバランス
達郎氏:
コマーシャリズムと、それから自分の表現との要するに兼ね合いっていうか、共存っていうのをどう見るか。
なかなかね、それ出しすぎても駄目だし、出さなくても駄目だし(笑)。
難しい。
商売っていうのは屏風だって言われますよね。
屏風を左右にバーッとやると前後に倒れるし、すぼめると左右に倒れる。
ちょうどいいとこで立てるっていうね。
そういうあれがありますけど。
大変ですね(笑)。
『JOY 1』から『JOY 2』へ——変わらぬスタンスと、「もう終わりかな」と思った空白の10年
インタビュアー:
ちょうど藤井さんが、今、あの『JOY 1』が出た時の歌ってる達郎さんと同い年ぐらいなんですよね。
で、そっからやっぱり40年、さらにやっぱ進化しているんじゃないかっていうことをすごくおっしゃっていてですね。
『JOY 1』から『JOY 2』への、演奏だったり歌だったりとか、どのように自分の曲が変化していったと感じてますか?
達郎氏:
あの・・・僕ワンパターンなんで(笑)。
あんまりそういう変化とか感じて…やっぱりそれは年齢的な変化は顕著に出てますからね。
けど、演奏に対する要するにスタンスはそんなに自分では変えてないのね。
要するに本質的なスタンスが変わると、例えばもう「もうロックはやめだ」つってね、「これからは音頭だ」つって、そういうあれですとやっぱりスタイルが完全に変わるからあれですけど、僕の場合は基本的に22の時からやってる音楽が変わらないので。
そういう意識ではありますけど。
ただ『JOY 1』から今回の『JOY 2』っていうか、今回のツアー始めるまでの、92、3年から2005、6年までの、ええと10年間、は、なかなかね、レコードは出せないし、ライブもできないし、あとはライブの自分のメンバーを全部他に引き抜かれたり、いろいろあったんですよ。
で、やりたくてもできないし、あとメンバーの具合が悪くなったりとか、メンバー同士の仲が悪くなったとか、いろいろあって。
でもね、本当に何度やめようかなと思ったことがある。
「もう終わりかな」っていうね。
そういうのは何度かありましたよね。
元々は裏方志望だった——続けてこられたのは、お客さんが求めてくれたから
達郎氏:
で、まあ別にやめても、僕元々裏方志望で始めた人間なんで。
だったらまあCMの作家でもやれるし。
別にだから自分がピンスポット浴びてセンターに立って続けるつもりは、それほどなかったんです。
これは誰に言っても今信じてもらえないけど。
それ、何で続けられたかっつったら、お客さんが求めたからなんですよね。
普通だから10年ライブやってなかったら、普通動員落ちるんですけど、僕の場合落ちなかったんですよ、本当にラッキーなことに。
で、お客さんはまだ残っててくれて、おかげさまでそのまま昔80年代にやってたのと同じペースでツアーが続行できるぐらいの動員があったので、続けられたんです。
だからお客さんが来てくれたんで続けられたんで。
で、しかも、この年になってね、増えてきてるっていうね(笑)。
よくわからないんですけど(笑)。
でも、そういう意味では、先ほども言いましたけど、運・不運っていうのはものすごく大きくて。
で、それに加えてだから自分の、例えば声の調子とかそういうのもそれほど衰えてなかったっていう、そういういろんなファクターが、幸運なことが積み重なって今があるんですよね。
この18年分だけで要するに『JOY 2』ができたっていうのも、そういうもうバックグラウンドのおかげなので。
ミュージシャンを続けるとは何か——「音楽だけは自分を裏切らなかった」
達郎氏:
そういう意味では、あんまりいい言い方じゃないけど、潰しがどうするかっていう。
普通の人でも、だから例えば定年までどういう活動をするか、サラリーマンの人が、例えば、役員になりたいのか、独立して起業したいのか、そういうことをやっぱり考えるのと同じで、ミュージシャンがずっと音楽を続けていくということの意味。
で、だから本当に音楽じゃなきゃダメなのかっていう問いかけってあって。
よくありますけど、すごくバーサタイルな人いるじゃないですか。
音楽もやります、ダンスもできます、作詞・作曲もやって、編曲もやって、役者もやって、映画監督までできちゃいます、みたいな。
そういうのがすごく何て言うか、多彩だって。
それ別に全く否定しませんけど、僕はそういうことができないので。
結局、僕が高校の時にいろいろあってドロップアウト寸前で、例えばジャズ喫茶で朝までいたりした中で、例えばジャズ浴びるほど聴いて、そういうものが今役立ってるんで、結果オーライなんですけど。
そういうところで、自分の人生で音楽だけは自分を裏切らなかったんでね。
色んなところで、色んなこうやっぱり傷ついたり色んなことがありましたけど、損害とかありましたけど、音楽だけは常に自分の味方だったんで、だから音楽続けてるんですよね。
だから僕の場合はどうしても音楽じゃないとダメだったんですけど。
それ、ミュージシャンを続けるということはどういうことかということを、常に考えざるを得ないっていう。
だからそれで、もしミュージシャン続けられなくなっても、やっぱり音楽に関わる仕事は何ができるかっていう。
どうしても音楽じゃなきゃダメなのは、やっぱり音楽が自分にとって大事だっていうのがやっぱりこう、分かってきたというか。
それは例えば90年代にそういう不遇の時に、そういう自意識っていうのがやっぱり逆に出てくるっていうかね。
だったらその音楽を継続するためにどうしたらいいかっていう。
で、やっぱり年をとってくると、シングルのリリースにしてもチャート落ちてくるし、それからライブの動員も落ちてくるし、アルバムの売り上げも落ちてくる。
それが常識ですよね。
やっぱりロックンロールってユースの音楽なので。
で、だからそういう時にどうしたらいいかと、想定はずーっとしつつ生きてきたんです。
ただ、すごく幸運なことに今サバイブしてますけど、でも、もしそうなった時には、例えばCM業界長いので、CMの世界でもやれるし。
そういう逃げ道じゃなくて、自分のやっぱり人生考えた時に、食ってかなきゃいけないんで。
だから、あんまりこういうところでね、こう芸術的な、審美主義的な話をしてる中で世知辛い話になるかもしれませんけど、それ生活の現実なんで。
だからさっき言った契約問題とかそういうことの意味なんですよ。
だからそういうことを考えてやっぱりやっていくと、音楽というものが自分にとってどれぐらいの重要度があるのかっていうことをやっぱり問い詰めていくと、どれぐらい長くできるかとか、長くする方法はどうするかとか、そういうことが。
だからそれは本当に、例えば「アリーナからドームに行くんだ」っていう、そういう目的地とかと全く違う、自分の要するに、内在する表現に対しての問いかけだから。
そういう、あの、ことを問いかけ続けるしかないんじゃないですかね。
それはもう、こういう表現する人だけじゃない問題で、生きてる人間はみんなそうなんんで。
サラリーマンの人もみんな同じですよね。
息子・孫世代のミュージシャンたちへ
達郎氏:
今日質問していただいた方々の音楽を聴いても、みんな一生懸命やってるんですよね。
だから、真摯にやっぱり音楽に向き合ってるのが音で、ちゃんと伝わってくるので。
がんばってほしいですねっていうのはもう本当に、あの、ただのあれですけど。
ただそういう、やっぱり自分の周りの人間もそういうこう、いろんな活動の仕方してきて、やっぱりこう続かなかった人もいるし、今でも続いてる人もいるし。
やっぱり自分の息子とか孫の世代ですから、彼らは。
息子、娘、孫ですね、の世代ですから、そういう方々に対して何か自分が言う、言えることつったら、まあそんなことかな。
音楽をやるということはね。
竹内まりやが明かす、1979年・日本青年館で受けた「カルチャーショック」と『JOY 2』への賛辞
【ナレーション(竹内まりや コメント代読)】:
大学時代、シュガー・ベイブというバンドの出現に胸踊らせた私が、1979年に日本青年館で見た山下達郎ソロライブの衝撃は、カルチャーショック以外の何物でもありませんでした。
それまで見てきた様々な海外アーティストを凌駕するほどのクオリティの高さに、自分のデビューコンサートを同じ場所で1週間後に控えていた私は、完全に打ちのめされ、どこかに逃げてしまいたい気分になったほどです。
その圧倒的な歌唱力と、完璧なまでのギターカッティング。
メンバーの緩急つけたアンサンブルはもちろんのこと、1人多重コーラスのテープで歌うアカペラコーナーでの洋楽カバーの秀逸さや、随所で語られるウィットに富んだMCなど、大げさな仕掛けも演出もないのに、観客の心を完全に掴んでしまう直球勝負に、まさに音楽ライブの理想をそこに見た気がしました。
73歳にして進化をやめないこのミュージシャンは、つくづく日本の宝だと思う今日この頃です。
1981年から89年までのツアー音源からピックアップされたライブアルバム『JOY』は、28歳から36歳という若き日の達郎ライブの醍醐味が存分に味わえる愛聴盤ですが、あれから37年の歳月を経て、この度リリースされる『JOY 2』は、2008年から25年までの最新ライブ音源を含む3時間半というボリュームの、まさに待望のライブアルバムです。
計画によると、ここからさらに時代を遡って、『JOY 3』『JOY 4』と作っていくそうですが、55歳から72歳までの歌唱と演奏であるにもかかわらず、ライブの空気感、緊張感、ポテンシャルの高さに、若い頃と遜色がないことにまず驚かされます。
むしろ年齢を重ねたからこそ、歌声や歌詞の一つ一つがより深く心に響くように感じました。
新旧合わせた全38トラックのライブアルバムを、ぜひ皆さんにも楽しんでいただきたいと、思います。
どうぞよろしくお願い申し上げます。
身内贔屓の宣伝、何とぞお許しを。
インタビュアー:
今回のアルバムについて、まりやさんからもちょっとコメントをいただいてます。
「まりやさんが、当然ながら私はこれらのツアーの関東公演をすべて生で見ているのですが、このアルバムのミックスは会場で聴いた時以上に歌の機微や演奏の粒立ちがクリアで、今更ながらこんな風に演奏していたんだという新しい発見があって嬉しいですね。
新旧合わせた全38トラックのライブアルバムをぜひ皆さんにも楽しんでいただけたらと思います。
どうぞよろしくお願い申し上げます」
達郎氏:
照れますね、しかしね(笑)。
これ照れるっていうか、本当痒くなるっていうかね(笑)。
大丈夫かなって。
インタビュアー:
ちなみにこう、直接まりやさんと「今回こうだったね」とかってお話しされることとかっていうのも?
達郎氏:
色々言われますよ。
聞くものもありますし、聞かないものもありますし(笑)。
まあ、今回はおかげさまで、褒めてもらいました。
『JOY 3』『JOY 4』へ——続編の構想と、来年のリマスター・アナログ再発計画
インタビュアー:
「計画によると、ここからさらに時代を遡ってJOY 3、JOY 4と作っていくそうですが」という風にまりやさんからいただいたコメントにあったんですが、その続編であるとか、まあ達郎さんの今後のキャリアであるとか、何かお考えがあればというか。
達郎氏:
オリジナルアルバムもだいぶ曲、頭数が揃ってきたんで、それもやりたいんですけど。
でも『JOY 3』はとにかく作らないとどうしようもないんでね。
また3枚組ぐらいになりますけど。
あとはだから80年代の、一番最初にツアー始めた頃のメンバーの音源っていうのも、それも出さなきゃならないんで。
まだ山のように残ってるんですよね。
だからそれはやりたいと思ってますけど、でもあとはキャリアが長いと作品が増えるので、そういうところのリマスターとかそういうリニューアルとか。
『JOY 1』は来年の頭にリマスターしてアナログもCDも出し直しますから。
アナログは生産能力が少ないので、『JOY 2』も来年になります。
あのアナログ盤はね。
6枚組。
あと『SEASON’S GREETINGS』とか『COZY』とかね、『RARITIES』とか、90年代から2000年代に出したやつがまだ全然手ついてないんで、それをリマスターきちっとして出し直さないとダメなんで。
おかげさまで僕のカタログは基本的に売り切れじゃなくて、今でも全部バックオーダーで取れるんで。
それやんないレコード会社とは契約しないつってるんで(笑)。
やっぱり形をキチッと、今の現代的なスタンスにね。
あとは配信どうしようかとかね、色々ありますよね。
サブスクどうするかっていうね。
時代変わってますからね、本当に。
否応なしに。
それはどこまで踏みとどまれるか(笑)。
おかげさまでなんだか変な時代になってきて、なんか老後をのんびり過ごすとかね(笑)、そういうつもりだったんだけど。
『JOY 3』は早くできる——未収録のカバー曲と青山純時代の名演、そして「終活」
インタビュアー:
そうなると『JOY 3』『JOY 4』と……
達郎氏:
『JOY 3』は割と早くできます。
アーカイブさえちゃんとしてればね、テープのコンディション今チェックしてるから。
『JOY 3』の候補曲はもう並んでるんで。
カバーが一切今回入ってないんでね。
大瀧さんのカバーとか、「君は天然色」「砂の女」とか、邦楽のカバー全然入ってないんで、そういったやつを次に入れないとダメなんで。
あとはやっぱ青純(青山純)の時代でもいい演奏があるんで、それはそれでまた。
「FUNKY FLUSHIN’」とか昔のやつはそっちのほうがね、出来がいいんで、それはそっちの方でやろうと思ってますから。
『4』まで行くな、これ(笑)。
もうだから、終活ですよ、一種の(笑)。
EIGHT JAMへエールを——「異種格闘技」のような番組をこれからも
達郎氏:
この間だからあの、丸山くんと大倉くんと安田くんがライブ来てくれたんですよね。
がんばってますね(笑)。
もう日本のテレビって、音楽番組はものすごくやっぱ存続しづらい環境だと思うんですよね。
あなた方みたいなちょっと変わってる(笑)。
なので、なかなかそんなに長い間続いてる番組って珍しいじゃないですか。
インタビュアー:
一応番組が12年目を、はい、迎えました。
達郎氏:
拝見させてもらってますけど、そういうなんか異種交配というか、異種格闘技、異種格闘技に近いものがすごく感じるので。
また、あのお手柔らかに、また私もよろしくお願いしたいと思ってます(笑)。
EIGHT JAMの皆さんも忙しいと思いますけど、がんばってやってください。
今日は本当にだけどあの、お若い方々、なんかすね、全部照れくさいって感じがしましたから。
あの、ええ、なんかこう、痒い、恥ずかしい(笑)。
皆さんこれからの人たちなので、がんばってやってください。
それでこういう番組、踏み台にして(笑)。
踏み台にして、続けていってください。
こっちはもう歳なので見物させてもらいますけども。
これからもがんばってやってください。
インタビュアー:
はい。
すいません、長い時間本当にありがとうございました。
達郎氏:
どうもありがとうございました。


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